第四十三話『Hydrangea-無情の果て』(4)-2
駆けに駆けた。
目の前の敵は、全部斬った。
確か託児施設の近隣の守備を、ラフィは任されていたはずだ。
あんな後方だから問題ないと思った。
だが、実際に着いてみれば、既にそこには硝煙の臭いがする。
戦闘があった、ということだ。
「ラフィ、何処だ?! アイン、レナ!」
家族の名を、叫んだ。
反応は、ない。
血の臭いがしたのは、施設のドアを蹴破って、一つ目の角を曲がった直後だった。
その臭いを追う。
何故か、そこにラフィがいた。
だが、何故か血だまりの中にいる。
動いてくれない。何も、話しかけても言葉がない。何かを言っても、反応がない。
ラフィは何故か、眉間に穴が空き、そこから血が垂れ落ちている。眼も、ただひたすらに、虚空だ。あの輝きは全くない。
ラフィが、ラフィでなくなった。なくなってしまった。
強い衝撃が来たのは、その後だ。いつの間にか、腹から、胸から、血が出ている。
銃撃されたのだと、モルフィアスはようやく気付いた。
崩れ落ちる。地面に突っ伏した。血が、ラフィと同じように地面に垂れていく。
身体も、冷めていく。
死ぬ。死ぬとは、なんだ。
生きることを、諦めること。
ラフィと、いや、ラフィであったものと、同じになると言う事。
頭で初めて、そう考え始めた。
いつの間にか、自分は真っ暗な場所にいる。風景も、風も、臭いも、そして血も、何も無い。
ただひたすらに、そこには虚空が広がっている。
これが、死、なのだろうか。
(死にたくないんでしょう、モル)
ラフィの声がした。だが、どこからするのかは、分からない。
「ラフィ、俺は、どうすればいい……? お前がいない、誰もいない世界に、俺は行かなければいけないのか?」
(ううん、そうじゃないよ。あなたはまだ、生きられる)
「生きる……? 俺が……?」
(そう、生きるの。だけどね、あなたは今、力を失い続けている)
「力、か」
それがあれば、ラフィを護ることが出来た。
力が欲しい。
絶対的な力が。今の状況、いや、何もかもを打開出来るだけの、力が欲しい。
そう、自分でも信じられないくらいに、強く祈った。
何故か、ラフィが笑った気がする。
(力、欲しいんだ。そりゃ、そうだよね。だからね、私が力を与えてあげる)
「ラフィ……?」
何を言っているのだろう。
急に、悪寒がしたのはその時だった。
いや、気だ。人間の物ではない、気そのものだ。
そしてそれは、ラフィーネに似たそれは、この真っ暗な空間に、目の前にふっと現れた。
六枚の天使の羽を生やした、ラフィーネにそっくりの、まるで、天使のような何か。
だが、左半身に刺青が入り、眼が、まるで、アイオーンのそれとなっている。
(モル、私ね、ジンに選ばれたの)
目を見開いていた。衝撃は、自分が銃撃を受けた以上だった。
「まさか……お前……アイオーンに、なったのか?!」
心臓の音が、急に聞こえだした。
(そう、私はアイオーンになった。今の私は、ラフィーネであり、ラフィーネでない。セラフィム、そういう、存在になっちゃった)
セラフィムと名乗った、ラフィーネが、哀しそうに笑う。
あの笑い方は、昔、ラフィーネをマフィアから保護したときに浮かべた、泣きそうな笑い方だと、よく自分は知っている。
アイオーンは滅ぼす。それは分かっている。
だが、ラフィーネを、殺せるのか。もう一度、殺せるというのか。
そんなこと、出来る訳がない。
「ラフィ……俺は……俺は……どうしたら、いいんだ……」
いつの間にか、泣いていた。泣くのは、いつ以来だろうか。
悔しかった。
ラフィーネをこうしてしまった一端は、自分にあるのだ。
護ってやれなかった。イーグでも、所詮護れやしないのだ。
そんな無力な自分が、悔しい。
「俺は……無力だ……」
(モル、だからね、私が力を与える)
「どんな、力だ」
(全てを、壊す力を)
セラフィムとなったラフィーネが、すっと、手をさしのべた。
壊す力。
力だ。そういう力が、欲しい。
「ならラフィ、俺は、その力を、もらおう」
ラフィーネの手を、モルフィアスは握り返す。
力が、気が溢れてくる。
徐々に左半身に、セラフィムと同じ刻印が刻まれていく。
眼も、身体も、何もかもが書き換えられていく。
痛みは、何も無い。
ただ、衝動だけがある。
壊したい、ラフィーネのいないこの世など、ラフィーネを奪った奴らを、壊したい。
その衝動だけが、己をかき立てている。
「……らデルタ班。当該人物の始末に成功した」
声だ。
襲撃してきた相手の声だろうとは、なんとなく想像が付いた。
だったら、殺そう。
思った時、目の前にいた相手を、持っていた銃剣で左右に割った。
「力なき者どもが……」
何人かが、呆然としている。
敵だ。目の前にいる奴は、敵だ。
俺からラフィを奪ったのは貴様らだ。
だから、壊してやる。
すぐに駆けた。
目の前、銃撃されるより前に、半分に胴体から切り落とした。
「早々に、死ね!」
自分が、不敵に笑っていることに気付いた。
目の前の数人がアサルトライフルを一斉射した。本来ならば直撃するコースだ。
だが、『力』がある。
「次元相転移」
弾丸が、目の前で消えた。
消えかける弾丸の光沢で、ようやく分かった。
自分の眼が、アイオーンのそれと同じになっている。
ならばいい。壊す側の立場になったのだ。
化け物になったくらい、なんだというのだ。
壊す。それだけが、自分の意思だ。
狼狽えている奴がいたので、そいつは後ろから串刺しにした。それで、周囲から何も気配を感じなくなった。
だが、まだいるはずだ。壊す対象が、まだいる。格納庫に、確かいっぱいいるはずだ。
まずは、そこから壊そうか。
思い、駆ける。
エイジスの格納庫。着くと、既にそこではクナイの残弾が尽きたラインが、荒い息を立てながら、竜王の前に立ちふさがっていた。
何人かは戦闘不能に追い込んでいるようだったが、立っている国連軍はライン以外いない。敵が、ゆっくりとだが、確実にラインを包囲しつつある。
駆けた。目の前に敵の顔が見えた。
すぐに、胴体を真一文字に切り裂いた。次に見えたのは、まだ事態が飲み込めていない、間抜けな顔だった。
こいつも力がない。
失望しながら、首を斬った。それでようやく事態に気付いた何人かが銃口を向けてきたが、それも斬り殺した。
かつて、自分は殺すのに躊躇していた。だが、何故そんな躊躇をしていたのか、今になって分からなくなった。
弱いから、死ぬのだ。
そしてそれは、ここに呆然と突っ立っている、ラインも同じだ。
全員を斬り殺した後、ラインの近くに寄った。
「モルか……? いや、誰だ、お前……?」
ラインが、唖然としながら自分を見ている。
「モルフィアス、だった。人間、だった者だ」
すぐに、ラインの腹を刺した。血が、滴り落ちている。
それにすら、自分は何の感慨も持たなかった。仲間だったような気もするが、所詮弱いから死ぬだけに過ぎないし、弱いからラフィも護ってやれなかった。
自分も、仲間だった奴らも、何もかもが、弱かったから、ラフィは死んだのだ。そういうのに、殺されたのだ。
だから、何もかもを、壊す。
「お前も、力なき者か……失望したぞ。これに反応も出来んとはな、弱者め」
呆然と、ラインが自分を見ている。
それを見て、銃剣のトリガーを引いた。
真っ二つに、ラインの身体が分かれていた。
最後まで、その眼は呆然としていた。その様にため息を吐いた。思ったよりも、何も響かなかったというのが、正直な感想だった。
化け物になるというのは、存外こういうことなのかもしれない。そこに感情という物はほとんどない。単純な怒りや憎しみ以外、感じなくなってしまっている。だから、ラインの肉片が、竜王の足下を赤く染めたのを見ても何も感じなかった。
次に、行くべき場所がある。それだけは、分かっている。
そこが、一番憎しみが強い場所だった。
奴がいる。壊す対象がいる。
アフマド・ウォード。奴が、奴さえ来なければ、ラフィは死ななかった。
だから、奴にも同じことをするのだ。ラフィと同じように、殺す。
銃剣を再度握り直す。残りの弾丸を確認してから、駆けた。




