第四十三話『Hydrangea-無情の果て』(3)-1
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AD二二七二年二月四日
命令書を読んだとき、ただため息を吐いた。
任務は二つ。一つは殺害、もう一つは拉致。
ろくでもない任務だと、アフマドはまたため息を吐いた。
だが、命令は命令だ。それに従うのもまた、兵士のつとめだ。それが出来なければ、軍は破綻する。
別に任務に私情を挟むつもりはない。しかし、今回ばかりは気乗りしない、というのもまた事実だ。
自分自身が老いている。その自覚は多分にある。気乗りしないと考えること自体が、自分の私情を挟んでいるのと変わりがないからだ。そう考えられる地点で、自分が老いたと実感出来る。
恐らく、これが最後の任務だ。どうせ、この任務を受領しようがしまいが、恐らく自分は消される。
ならばせめて、戦って死ぬ。それが自分なりの、兵士としての意義だった。
自室に戻った後、すぐに自分の旗下を招集した。
気乗りしなければ行かなくていいと言ったが、あっさり全員が行くことを承認した。
どうせ全員同じ運命が待っていることを、悟ったのだろうと、アフマドは思った。
何しろ、殺害対象も、拉致対象も、味方だ。
今現在、世界が共通の敵であるアイオーンと戦っているというアピールをいくらしても、裏ではそれぞれの国家が策を練っている。
どうやれば他の国を、戦後に出し抜けるか、ということだ。
エイジスが開発され、アイオーンレーダーが作製されようかという今、アイオーンが聖戦開始時より脅威の度合は著しく減った。
いくつかの国でも、自分達が半年前に始末した十二使徒を名乗る集団と戦闘し、痛み分け、ないしは相手のコア破壊に至るケースも出始めている。
つまり、戦後が見えてきたのだ。
そんな状況下において、一番厄介なのがアメリカだった。
現在アメリカにあるエイジスは八機。更には開発が進められている機体が数機ある。開発計画一〇〇機のうち、たった一国が一〇%を超える数を有することになる。
当然のことながら、その力を背景にアメリカはより強いリーダーシップを発揮していくのは火を見るより明らかだ。
だから今のうちに強奪して、自分達の国が『引き継いだ』形にする。
死人に口なし。所属するイーグは、殺す。
それが第一の任務。だからそのためかは知らないが、何カ国もの兵士が増援としてきている。
そして拉致。対象は二つ。
一つは子供二人。それも赤子だ。
モルフィアスとラフィーネの間に出来た子供。今世界で唯一の、イーグを親に持つ子供。これを拉致し、研究機関に引き渡す。
そしてより強大な力を付けさせる。それ自体で聖戦を優位に進めると同時に、戦後その力を世界に対する切り札にする。
そしてもう一つの力。半年前、突然現れた、千年後の知識を持った、力。
ゼロ・ストレイ。
前者は容易いが、後者はかなり困難な任務だろう。何しろ、相手は手練れのイーグだ。
アウグであの十二使徒相手に、指揮を執りながら互角にやりあった、化け物だ。
だから自分のようなイーグも招集された。
ウィスキーを、部下に配った。
グラスに注がれたウィスキーを、全員で一気に飲んだ。
喉が焼けそうになる。しかし、今からやることは、己の身を業火に置くのと同じだ。
それに比べれば、なんと芳醇なことだろう。
「地獄へようこそ、兵士諸君。これから死にに行くぞ」
そう言って、グラスを地面に叩き付ける。
ガラスが、一斉に割れる音がした。その音を聞いてから、アフマドは部屋を後にした。
部屋を出てから、葉巻を吸う。
今俺は、どんな眼をしてるんだ。お前なら答えられるか、坊主、いや、ゼロ・ストレイ。
あの時、半年前に会った時に、葉巻を交換出来なかったことを、今更に少し悔いている自分がいた。