第四十二話『Sauer-内に秘める憤怒』(4)
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AD三二七五年七月二三日午後五時三九分
順調に進んでいる。
補給だけがどうしてもネックだったが、それも陸上空母七隻の投入でなんとかなる。
後は逐次補給をやりながら、あの要塞を落とせばいい。
何しろフェンリルにはあちらも知り得ていない補給路がある。
かつて築かれていた地下鉄道網。それがあればその駅が残っている場所に限って部隊がすぐさま展開出来るし、補給物資もすぐさま送り込める。
時速八千kmで進む車両があるのだ。それもM.W.S.を一個大隊送り込める物が、である。
イーギスからすれば、自分の得意な領域に敵自ら突っ込んでくれたと、思わず笑いそうになった。
もっとも、自分はイーギスではない。
本物は、とっくの昔に殺した。殺した場所も、その時の本物が浮かべた最期の顔も、よく覚えている。
唯一困ったのは交友関係だったが、それもすぐにどうにかした。
フェンリルは実力が全て物を言うのだ。それは、こうした裏方においても同じである。
「艦長、相手を落としきるまで、どれ程掛かると思いますか?」
オペレーターの一人が、こちらを見ずに言った。
「二日で落とせ。今プロトタイプエイジスが出てこないうちに、だ」
それがもっともこちらの被害が少なく済むパターンだろう。
何故かあちらは風凪以外のプロトタイプエイジスが戦線に確認されていない。
何かのトラブルか、それとも死んだか。それは分からないが、今千載一遇の機会であることは間違いなかった。
こちらの被害が少なく済めば、後はベクトーアに降伏を呼びかける。そうすればいいだけのことである。
もっとも、フレイアはベクトーアの市民を殺そうとするだろう。それはそれで構わなかった。
自分はあくまでも、裏方であっても軍人だ。その後の処理など、知ったことではない。
どれ程粘るか、こちらの被害が如何に少なく済むか、それだけしか興味がない。
出来ればあのロニキスとの直接対決もしたかったが、それまでに落ちるだろう。
こちらの唯一の懸念材料は、ほとんど全てが無人機である、ということだ。
故に演算処理にこの艦隊三隻分のサーバーユニットのほぼ全てを利用している。
ドゥルグワント。かつて、ベクトーア陸軍第二独立艦隊を名乗っていた、自分の艦隊だ。
そこも、半分は、元からフェンリルの間者だ。残りの半分は、ベクトーアへの離脱を考えていたから、消した。今頃アフリカの土の養分になっている。
しかし、空中戦艦と聞いておきながら、今の状況は笑ってしまいそうになる。
何しろ、その演算処理のせいで空中に浮くことすら出来ない。
ここを襲撃されれば負けは濃厚になるが、そうならないように光学迷彩を敷き、人工衛星の映像を改ざんしたのだ。
油断こそ出来ないが、最初から自分も負けるつもりはまったくない。
『へぇ、結構やるな、お前さん』
通信が入ったのは、そんなときだ。
ブリッジにある艦長席のサブモニターに、男の顔が映し出される。
ロック・コールハートの顔だった。
ただ、眼はアイオーンの眼ではなく、人間の眼の状態である。
「なに、どうということはない」
『そうかねぇ。ま、お前さんがやってくれれば、それはそれでいいさ。俺達の目的も達成するのが容易くなる。な、ノーネーム』
ノーネームと言われて、初めて、自分がそういえば何物でもないことを思い出した。
イーギスになりきりすぎた。何故か、そんな想いが急に浮かぶ。
六年。なりきって六年経った。しかし、イーギスを演じる必要のない今、自分は何者なのか。
ノーネーム。まったく、自分には名前がない。
名前すらないうちに諜報機関に売られ、そこで育て上げられ、ある程度の成長後に実の親を殺して、何物でもなくなった。
この先、自分は何を名乗ればいいのか。それだけは、分からない。
『まぁいいさ。こっちも強引にスコーピオン三万機も用意したんだ。容易く負けられちゃ困るよ』
「それについては承知している。私とて、負ける気はないさ」
『むしろ負けちゃ困るよ。計画も色々と修正が必要になってくるし。また後で連絡する』
ロックがため息交じりに答え、そして通信が切れた。
裏でこの男と会長が某かの計画を考えていることまでは知っている。
だが、その全容は定かではないし、知ったことではない。
社員は会長に従う。ただ、それだけだ。
もっとも、ナンバー2であるハイドラは、その実力でナンバー2の地位にいるが、その反骨心は生半可ではない。
市民には見えないように巧妙に隠しているが、対立は軍部でも分かるほどに明らかになってきている。
フェンリルという組織が今後転ぶとすれば、そこをつけ込まれたときだろう。
ハイドラがベクトーア、ないしは華狼に降る、或いは独立した組織を作る。
このプラン自体は、何度も作製した。
結論的に言うなら、あの男が敵に回った場合、勝てる力は今のフェンリルにはないと言っていい。それだけフェンリルは人材難である。
既に死んだ、今後育っていくはずだった兵士が多すぎた。それさえなければ、対ハイドラのカウンター策を練ることも可能だった気がする。
もっとも、この期間は裏切る心配もないだろうと、イーギスは思っていた。
しばらくは静観でいいだろう。正直、あの男は敵にさえ回さなければそれでいいのだ。敵に与える威圧感は、生半可ではない。華狼のスパーテインとほぼ匹敵する。
後はこの名前を出しつつ、どうやって兵卒という足場を崩していくか、それが問題だ。
ベクトーアに離間はそう易々と通じない。国民の気質が、信じがたいくらいの一枚岩だからだ。
ロニキスの離間策だけは、奇跡的に成功した、といってもいいが、正直あれも結果論からすれば失策だったと言わざるを得ない。
あの男はあの部隊に入ってからなお力を強めたからだ。
自分は、いつの間にかロニキスを極端に意識していることを、イーギスは自覚している。
堂々と戦いたい。何故か、あの男に対してはそういう想いが渦巻いている。
他の将には感じられない、そういう魅力があの男にあるのだ。
もし自分が本当にベクトーアの住民だったら、あの男の下にいたのだろうか。
何故か、そんなことを思う。
だが、それは一生、自分の胸だけにしまっておいた方がいいだろう。
戦を決めるのは、自分の役目なのだ。
陸上空母に前身の指示を出した後、最前線の部隊から逐次退却して補給させるように指示を出した。
あとは、これを繰り返せばいいだけだ。
いつまで持つ、ベクトーア。入っていたコーヒーを飲んで、ふとそんなことを呟いていた。




