第四十二話『Sauer-内に秘める憤怒』(3)
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AD三二七五年七月二三日午後五時五分
唾を、ひとつ飲み込んだ。
鳥の群れが、一斉に羽ばたくのが見えたからだ。
敵が来る。そう、アリスには思えてならなかった。
ルーン・ブレイドの戦力は半減しているのに、現在いる場所は最前線。第一陣として砲兵及び複数のM.W.S.、そして多脚歩行戦車と共に迎え撃ち、まずは数を減らす。
それが終わったら、後は延々続く白兵戦となるが、これもいつまで持つか、まだ微妙だ。
陣自体は、小さくまとめられてそこかしこに配備されている。自分達は右翼担当、とういうことになっているが、最終的には殿軍を任される予感しかしない。
やはり数の上ではかなり厳しい。工兵が地雷原と大量の落とし穴で更に数を減らすつもりのようだが、どこまで減らせるかは正直不透明だ。
何より、爆撃が失敗したのが痛すぎた。動く対空機銃網があるようなものだ。全部隊が脅威的な統率を取って爆撃機の悉くを撃ち落としていった。
それで結局陸戦にならざるを得なくなった。
しかも、それでいくら減ったとは言え、まだ敵は二万五千。自分達の兵力の倍以上いる。
叢雲はバックアップに回ると言うが、それもどこまで持つか分からない。母艦の轟沈は、士気の絶大な低下にも繋がる。それだけはさけなければならない。
『アリス、落ち着けや』
ブラスカの声がした。
だが、いつもよりは暗い。初めての本格的な指揮だ、緊張するなと言う方が、無理があった。
「あんたこそ、落ち着いた方がいいんじゃない?」
『せやな。この戦は、背水の陣や。ここを突破されでもしよったら、この国は消える』
ふぅと、ブラスカが重いため息を吐いた。
皆、隊長というのは重いのだと、なんとなく自分達は感じることが出来るだけだ。
どれだけ重いのかは、体験してみない限り分からない。だが、体験したいとは、あまり思わなかった。
ルナはこんなに重い物を、常に持っている。それだけの胆力が、正直羨ましい。
『せやけど、ワイにはベクトーアにも返しきれへん恩義があるんや。もう一度傭兵として生きるンは、自分の性に合わへんやろうしな。最悪ここを枕に討死すんも、さして悪くあらへん』
「アナスタシアがいても?」
アナスタシアとブラスカの雰囲気が結構いいのは、端から見てもよく分かる。
少しだけ羨ましいと思うと同時に、何故か、むかついた。
『せやな。もちろん、あいつにも恩義がある。せやから、最悪アナスタシアだけでも生かす。それがワイの使命や』
「つまり、あたしらには死ねと?」
『まさか。死なせるつもりはあらへんよ』
『それだけの胆力があれば、まだいい』
ロニキスが、急に割って入ってきた。
『いいか、この戦はそう簡単に戦力を落とされるわけにはいかんのだ。いずれ首都から増援も来るかも知れないが、正直その数も厳しいだろう』
『でしょうな、艦長。ここにばっか戦力割くわけにもいかんやろうし』
『だから、これだけで防がねばならん。あとは増えても微小、減るときは一気に減る。そういう考えでいった方がいい』
『いつまで持つと思います?』
『持たせるしかない。ただ、私の率直な感想をいうと、三日』
「三日持てば上等、ってことですか?」
『そういうことだ。最悪二日。どちらにせよ、正直三日が限界だと思っている』
アリスも、それが関の山だろうと感じていた。
相手が無人機だとすれば、エネルギーにさえ気をつけるようにプログラムしておけばいい。
この前の奇襲のような、人間には無理な行動、またはコクピットを射貫いても突っ込んでくることも、いくらでも可能になる。
そして何より、無人機は疲れを知らない。人間ならば疲労する戦闘にも、いくらでも耐えられる。
これにどう対処していくか。それが問題になってくるだろう。
こういう時、ルナとレムがいないのが、結構つらい。
本来の自分の役目もある。このことだけは、まだ誰にも教えるわけにはいかないし、教えるつもりもない。
だが、それ以上にあの二人は人を引きつける何かがある。そして、自分のもっとも大切な存在でもある。
何処に行ったのか。思った直後、スコーピオンの群れが肉眼でも確認出来たと同時に、前列が一気に崩れた。
恐らく、工兵隊の落とし穴に引っかかったのだろう。そしてその落とし穴から、盛大に爆炎が立ち上った。
地雷原。中に大量の対M.W.S.地雷を仕込んだ落とし穴だ。それだけでも、ある程度の敵兵力を減らせる。
直後、通信があった。
敵が、落とし穴を超えた。
それも、味方機を踏み越えて、である。
無人機に倫理観などと言う物もない。味方でも邪魔なら殺す。
そういう風にプログラムされているとすれば、それは非常に厄介だ。恐れも躊躇も何も無い兵士が出来上がったも同然である。
向かってくる。足音で分かる。
一度唾を飲み込む。
距離を詰めてくる。
有効射程まで近づくまで待つより他はない。
突っ込んでくる。陣形は鶴翼だ。
『ちぃ、突っ込んで来んのか』
『あれに躊躇している余裕は、なさそうね』
アナスタシアとエミリアもまた、唾を飲み込む音が聞こえた。
有効射程到達まで数秒。その数秒が、嫌に長い。
まだか。そう思いながら、それが永遠であるかのように、アリスには思えた。
サイレン。コクピットに鳴り響いた。
有効射程到達。
『撃て!』
指揮官の声。同時に、前線に展開していた全ての銃口という銃口から、一斉に敵に向けて、銃弾が放たれた。
アリスもまた、レイディバイダーに撃たせる。ハウリングウルフβを、何発も撃つ。
その度に着弾したのは、自分の長年の経験と感覚でよく分かる。
だが、相手がひるまない。それもまた、よく分かった。
煙が一度開ける。開けるとすぐに、敵が見えた。
汗が、一斉に出て来た。見渡す限り、敵。それも、M.W.S.に陸上空母までいる。
いつの間にかスコーピオンの背後に陸上空母がいた。それも確認出来る限り七隻。
動く橋頭堡がいる。それもやたら頑丈で補給拠点としても完璧な代物だ。そんなものまで出て来たとすれば、こちらの戦力はますます足りない。
『全軍一〇km下がる。しんがりは我ら陸軍第七M.W.S.大隊が引き受けた。何発か撃ったらただちに後退して次の反撃に備えろ。全軍の健闘を祈る!』
それだけ言ってから、その指揮官からの通信は切れ、別の指揮官から後退の指示が出た。
唇をかみ、悔しさに滲ませた声だった。
自分もまた、気付けばそんな思いでいる。
十km下げてから、また部隊を展開しては白兵戦に持ち込むまでに数を減らす。そのことだけを繰り返すしかない。
ロニキスが二日と言ったのが、今になって分かる。
機体より何より、人間の精神が持たない。
楽天的と言われ続けたベクトーアが、こうなるのか。
ロニキスやブラスカからは適宜指示が出ているが、的確な指示だった。それだけが救いとも言えた。
下がった地点で、また武器を展開して、構える。陸軍第七M.W.S.大隊の反応が、敵機を一〇〇ほど減らした後全部消えたのも、そのあたりだった。
何度これが出来るかは分からない。
また、敵が見えた。また一度、唾を飲み込む。
こういう時に、ルナの言葉が欲しい。
そう、いつの間にかアリスは思っていた。