第四十一話『Spartan-勇猛果敢に進むもの』(1)-1
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AD二二七一年六月二五日
アウグを取得することは許され、そのマニュアルに一通り目を通したが、基本は自分達の時代のM.W.S.とそれ程変わりない。
ただ、想像以上に装甲が脆いくせして、機動力は自分達の時代の標準的な機体とさほど変わりないという、ただそれだけの話でしかないと、ゼロは思うことにした。
しかし、真空列車という奴は初めて乗ったが、ラインの言うとおりだ、あまり喜び勇んで乗りたいものではない。
初めて図体を見たときは、少し童心に帰れるような、そんな心躍る気持ちがあった。見た目は大きなボーリングマシンそのもの。それの中にM.W.S.が二四機、最大で格納できる。
そこに機体を乗せた後、戦場に到着するまで三十分間は、単なるブリーフィング程度しかやることはない。
パイロットが待機するための車両の中はそこまで狭くなかったが、必要最小限の明かりしか灯っていなかった。鋼鉄製のシートは冷たく、周辺にいる兵士もまた、何処か疲弊の色があった。一言も会話がない。
真空チューブの中を動いているから、通常の車両ならば響くはずのレールとの間の音響すら響かない、無音の中だった。
これが余計に、ラインからすれば乗りたくないと思わせる要因なのかもしれない。
同時に、この暗い雰囲気は、アイオーンへの対策の必要手立てが見いだせていないからだろうと、ゼロは直感的に感じている。
恐ろしく士気が低い。そう、思えてならなかった。
整備兵も付いてきているが、これもまたほとんど言葉を発しない。
ラフィーネがいないとこんなものかと、少し騒がしかったあの女のいない寂しさに、ふとゼロは気付かされた。
なんでも、今日に限って育児休暇らしい。二年ほど前に既に子供が、それも双子を産んでいた、とまで言われたのだ。しかも、モルフィアスとの子供だという。
世の中誰がそういう関係になるか、分かった物ではないと、ゼロは少し唖然としてしまった。
一方で、ラフィーネはいわゆる整備班の『将』だ。その将が一人いないだけでこのザマかとも、内心では吐き捨てたい気分だった。
自分のいたルーン・ブレイドでは、整備班はウェスパーと、それに心酔するブラーの二大巨頭態勢が完全に組み上がっている。それだけ、順序がよく出来ていると言う事だ。
故に、しっかりした将がいるのは強いのだとも、学ぶことが出来ただけでも、現状は良しとするべきだろう。
そうこうしているうちに、いつの間にか南米に着いたらしく、加速が減退したと車内に通達が入った。
『各員に告げる。到着した後、直ちにアウグに搭乗、下ろした後は待機状態にし、俺からの指示を待て。ゼロだけは下ろした後、俺の所に来い。以上だ』
モルフィアスからの放送は、それだけで切れた。
「お前、ヤケに少佐に気に入られてるな」
横にいた兵士が、言った。名前は知らないし、あまり覚える気もない。
「そうか?」
「あぁ、どう考えてもな。新参のクセになんで気に入られてるんだよ」
「知らねぇよ」
本当にくだらないと思うと同時に、ある意味、酷でもあった。
何が起きるか、ある程度までは知っている。表向きに発表されている歴史のみとはいえ、モルフィアスは後一年で死ぬ。
それに、本当に歴史通りなら、どうせ誰も彼もが、ラグナロクで大幅な人口減に陥るのだ。
知らない方が幸せだと言う事も、世の中には山ほどある。いや、むしろ、そっちの方が多いのだ。
胸ぐらを、急に捕まれた。
「あぁ?」
「新参で何処の出だかもハッキリしねぇてめぇみたいな奴が、偉そうな面で出てンじゃねぇ! 何様のつもりだ、てめぇは?!」
殺気が、まるで感じられない。
ただの妬みだ。よくある話でもあるし、極限状態に陥った人間なら、割とこうなる奴は多い。
他の連中からも罵声が来ているが、どうでも良かった。
「やるのか、やんねぇのか、ハッキリしろ」
少し、殺気を強めた。
それだけで、胸ぐらを相手は離した。それどころか、腰を抜かしている。
全員を、じっと見た。見るだけで、たじろく奴もいた。
「てめぇらに聞くが、人を殺したことある奴は、いるか?」
場が、ざわめきたった。
予想した通りだった。恐らく、ここにいる兵も、対アイオーン戦に限れば精鋭なのだろう。
だが、いざ実際の戦は、恐らく素人だ。
歴史書でも読んだが、この時代は第三次世界大戦以後、大きな戦がかれこれ一〇〇年近く起こっていない。
自分達の時代からは考えられないほど、平和な世の中だった。
それとも、自分達の時代が異常なのだろうか。どっちなのかは、分からない。
さっき胸ぐらを掴んだ奴を起こした。眼が、怯えている。
支給されていたハンドガンをその男に持たせ、ゼロの眉間にゼロの手で向けさせた。
「撃ってみろ。それで多分、俺は死ぬぞ」
また、ざわめいた。だが、対等に自分の心は、恐ろしく乾燥しきっている。
「いいか。弾一発、ないしは剣筋で首を斬る、場合によっちゃあ腕ぶったぎるだけでも、出血性ショック起こして、人間っつーのはあっという間にくたばる。くたばっちまう。それをやるだけの力が、てめぇらにはある」
ざわめきが、いつの間にかなくなっている。
周りが、不思議とよく見えた。まだ怯えている者、うなだれている者、それ以外にも様々だ。
だが、明るい表情の者は、誰もいない。
更に、自分の腕を出した後、支給品のナイフを出して、少し自分の腕を斬りつけた。
小さなかすり傷だ。だが、それすらも、勝手に再生していく。それを見て、ほとんどの兵士が愕然としていた。
当たり前の風景だった。昔から、慣れている。
ナノインジェクションの力。外法の、ゲスな力だ。
人間でなくなった、そう何度も思った。
こんな状態でも、心がある限り人間だと、ガーフィは前に言った。
では、心とはなんだろうか。それをずっと考えた。
答えは、まだまだ見えてこない。
「いいか、これはな、俺が強制的に身につけさせられた外法だ。こんな傷より余程きつい傷が、この左半身と、この右手だ」
右手を見せる。いつの頃か、傷跡も目立たなくなった。
だが、刻印だけは、666βから666αに変わった。
村正の手の甲にあった刻印だ。自分の物は、もう、とうにない。
「これはな、俺の兄貴の手だ。俺にとってついこの間、俺の手は斬られた。既にねぇんだよ。同じ奴に、十年前に左半身をぶった切られた。それでも死ねねぇんだ」
立ち上がった。揺れは、特に感じない。
「だが、ぶった切ったあいつは、強かった。同時に、力に対する覚悟があった。てめぇらに、そういう覚悟は、あるか」
睨め付けた。目を合わせ、軽く殺気を浴びせただけで、すぐに視線を逸らされた。
「ねぇんなら最初っから銃でも剣でも、握る資格なんざぁねぇんだよ! 命のやり取りすらやる資格もねぇ! 俺に喧嘩吹っかけてぇ気持ちぁ分かるが、そんな柔な覚悟なら、とっとと失せろ!」
急に、静かになった。到着を告げるアナウンスだけが、静かな車内に響く。
ドアが開いた。少しだけ眩しかった。
着いた先は、それ程先程までいた基地と変わらない風景が広がっている。
強いて言えば、少しだけ熱気があるのと、プロトタイプエイジスもM.W.S.も違うことくらいだった。だが、数は少ないし、そこら中が傷だらけだった。相当の激戦をやっている証拠だといえる。
それだけ思って、荷物を持ってから外に出た。
誰も、着いてこなかった。
柄にもないことをしたと、ゼロ自身でも思っている。
同時に、いつの間にかハイドラに対して、そういう敬意が浮かんでいたことが、一番の驚きだった。
戦術、というのがある。イーグというのは、戦術としては最強の切り札だ。
その戦術として、よく遭遇した敵は、自分と対峙して、互いに剣を交えた人間は、覚悟があった。
死ぬことと生きること。その相反する二つの覚悟が同居していた。
俺の覚悟とは、なんだ。
また、別の答えを探そうとする。
そうやって考え続けるようになったのは、いつからだっただろうか。
やはり、最近からだと、ゼロは思った。
ルーン・ブレイドという組織に入ってからだと、結論が付く。
たった二ヶ月しかまだいない。なのに、何故だと、離れてからずっと、ゼロは頭の中で考え続けていた。
「ゼロ、どうした?」
モルフィアスが、横から歩いてきた。どうしても、この男の影にはハイドラが思い浮かぶ。
ただの似ている別人かとも思うが、何故雰囲気まで似ているのだろうか。それだけは分からなかった。
「おう、てめぇか」
「指揮官の所に案内したい。少し付いてきてくれ」
だだっ広いデッキを歩きながら、モルフィアスがため息を吐き、こちらを向いて頭を下げたのは、少ししてからだった。
「すまない。俺の部下が、無礼をした」
そうしてくることに、ゼロはため息を吐いた。
「俺も、柄にもねぇことしたからな。別にいい」
「いや、お前の言ったことは正しいと思っている。俺もまた、処分も覚悟も甘かったのだろう。それで不快な想いをしたことは、部隊長として詫びなければならない。すまなかった。しかし、よくあの場を納めたな」
「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる物也、だそうだぜ」
孫子の言葉だった。あの本にも、頻繁に書かれていた言葉でもある。
これもまた、自分らしくないなと、ゼロは苦笑した。
多分、ほんの少し前なら、殴り殺した可能性すらある。
そうすれば、尚のこと警戒心を生ませるどころか、恐らく情報も一切合切途絶された場所、塀の向こう側へ行かされるのは目に見えていた。
それを考えると、あの言葉が自分を救ったのかも知れない。