第四十話『Hoffnung-希望とその先にあるもの』(1)-2
声がする。
聞いたことのある声。
眼を開けると、見慣れた光景があった。
病室だ。初日に来たときと、まるで変わらない。
「お、ようやく眼が覚めたか、ゼロ君」
ため息を吐きながら、ラインが言った。
今度は、ベッドの柵に手錠はない。そのまま、ゆっくりと起き上がった。
「俺は……?」
「君さ、ラフィの料理食ったろ?」
「あぁ、それがどうした?」
「あんな無謀なもん、よく食う気になったね……」
食った物。そう言われて思い出せるのは、たった一つしかない。
あの図書室にあったチャーハンだ。
「まさか……」
「そのまさかだよ。あのおバカ、シャレにならないくらい料理下手なんだよ。それが原因であんた倒れたんだ。疲労もあったんだろうけどね。まったく、人を倒す料理って相当さね。今時BC兵器でもあるまいし。昔マークもモルも倒れて大騒ぎになったんだっつーのに、本人が分かってないから尚更だ」
眉間を指で押さえ、ため息を吐きながらラインが言う。
ここまで料理が下手だというと、やはりレムが思い浮かぶ。
一度、レムの料理を食したが、確かにあの料理はそれに匹敵する程不味かった。実際昔ルナは座薬をお粥の中に入れられたと頭を抱えていたのも、また思い出した。
「あいつとそこまで同じたぁな」
くだらないことだが、何か繋がりでもあるのか。
それとも、単純に似ている赤の他人か。
だが、モルフィアス、マーク、ラフィーネ。この三人は明らかに異質だ。
ハイドラ、村正、レムに似た雰囲気を持つこの三人は、何かある。
そうとしか、ゼロには思えてならなかった。
アラームが響いたのはそんな時だ。
『各作業員に告ぐ。これより車両が到着する。各員配置に付け』
「ったく、もうそんな時間か。そろそろ殺りに行く頃か」
ラインの眼が、今まで見たことも無いほどの殺気に満ちた。
なるほど、この女もやはり戦人らしい。
戦を、見たくなった。だが、気になることもある。
「車両って、どういうことだ?」
「あれ? 聞いてなかったっけ? どうやらアイオーンが来たっぽいからねぇ。始末しに行くのさ。南米へ、ね」
「だから、車両で行くって、南米までどんくらい掛かンだよ?」
「ものの三十分。状況は刻一刻と変化するからね。兵は神速を尊ぶ、だろ?」
「何を運ぶ気だ?」
「あたしらイーグ三名とアウグが一個大隊だね。車両の方で指揮管理は出来るし、それにエイジスは現地で召還出来るから、ま、楽なもんさね」
冗談なのか。そう言いそうになったが、今のラインの眼は殺気と本気しか存在しない。
しかし、空中戦艦でも、たとえ戦闘機だろうと、北米と南米の移動を三十分でやるなど不可能に近い。
しかも車両ときた。となると、陸路で行くと言うことになる。ますます無理だ。
だが、無理だと考えていた物を、相手は悉く利用してきた。そうやって奇策を用いて勝った戦は、世の中に多いこともまた、ゼロは学んでいた。
だとすれば、恐らく無理ではないのだろう。
「だがよ、どうやって行くンだ?」
「あれ、聞いてないかい? この大陸、いや、世界中の地下に、今や真空列車による輸送網が張り巡らされてるから、それで行くンさね。ざっと時速八千kmだから、そりゃ早いさ」
「は、八千?! ンなスピード出たら、イーグでも普通死ぬだろ!」
「甘いねぇ。そこがレヴィナスの力なんさ」
なんでも、その真空列車とやらは、ジェットコースターの応用に近いらしい。
地下に半円形になったチューブが特定の場所に設置してあり、そのチューブの中は完全な真空状態となっており、そこに列車を入れる。
最初に下るときは地球の重力に従って落ちる。普通ならばそのままエネルギーは減算していくが、それが通るチューブの中は真空だ。下ったときの運動エネルギーはそのまま使える。
技術進化でチューブと列車との摩擦力はなくなり、更にレヴィナスが入ったマインドジェネレーターを内部に搭載した結果、最初の運動エネルギーが爆発的に増加したため、これだけの速度で行くことが出来るようになった、というのである。
そこだけならイーグですら耐えきれないが、更にそのマインドジェネレーターで前面部にオーラフィールドを張ることでどうにかし、車両自体もレヴィナスで徹底的にコーティングしたため、中は外と違ってそこまでの衝撃がないから、どうにか輸送が可能なのだそうだ。
もっとも、これが限界速度らしく、それ以上の速度を出したらミンチになるのが確実だし、今の時点ですらあまり乗り心地が良くないから乗りたくないと、ラインが呆れながら言った。
「で、こいつぁ世界にどんだけあんだ?」
「一応地球全土の大陸と、大陸間にはあるらしいよ。どんだけの規模かは、把握しきれてないらしくてね。実際、第三次大戦で大量に作ったみたいだけど、資産の出所まではハッキリしないし。ま、大方どこもかしこも技術力アピールのために国債発行しまくってどうにかしたんだろうね。あの頃は結構いろんな国に貧困の嵐が吹き荒れたって言うからねぇ……」
ラインがため息をはいて、それでこの話は終わりになった。
人間というのは、無茶苦茶なことを平然とやる。こんなもの企業国家がはびこる自分の時代でやろうものなら、恐らく幹部会が絶対に首を縦に振らないことは、ゼロにも容易に想像がついた。
だが、これがもし、自分の時代でも生きていたとすれば、どうだ。
しかも、人間を乗せる必要など、まったくないとすれば、どうだ。
すぐに敵国に兵が送れる。それも、速度を一切合切無視すれば、無人のM.W.S.すら、簡単に送れるだろう。
フェンリルは、まさかこれを使っているのか。
だが、まだ仮定に過ぎない。
どちらにせよ、戦を確かめたい。そう思った。
「おい、戦場に連れて行け」
「は?」
「どうも気になることが多すぎるんでな。ちと戦に連れてけ」
「あんた、自分の機体使えないも同然じゃないか。しかも半分怪我人みたいなの連れて行けと?」
「最悪予備のM.W.S.でもなんでもいい。行かせろ」
これは俺の言葉か。そう思えるほど、熱を帯びていることに、ゼロ自身が驚いた。
かつて、自分はここまで戦に貪欲だっただろうか。そういう自分が、ゼロには一番不思議に見える。
いや、『戦闘』には、前から貪欲だった。傭兵だったし、やることはそれ以外に知らない。金が手に入れば、汚れ事だろうとやったのは事実だ。
だが、『戦』というもの。兵を動かすこと、敵を蹂躙すること、そういったことを考えることについては、まったくやらなかった。
だからこそ、見てみたい。純粋に、その想いが募った。
ラインがため息を吐いた後、一度頷く。
「ま、いいよ。確か余ってたアウグあるから、それ持っていきな。ラフィにはそう言っておくよ」
「恩に着るぜ」
そうとだけ言ってから、点滴を外してもらったあと、渡されたドロドロの栄養剤を飲みながら、ラインの後を付いていく。
憎悪。ラインの背中からは、それしか感じられない。
その生半可ではない憎悪が、何故かゼロには、危うく思えた。
戦を見ることが出来るという一種の緊張感以上に、そちらの方が気になって仕方がなかった。




