第三十九話『Reminiscence-追憶の果てに』(3)-3
「え?!」
急に、レムが叫んだ。
気を研ぎ澄ます。自分を狙った殺気だ。
まずいと思った時、真下からオーラが放たれた。
多分、バルトロマイだろう。
病院が、真っ二つになっていた。同時に、崩落が始まる。
まずいと、第六感が囁き続けていた。
レムの手を取って駆けるしかないだろう。空破のコクピットにレムを連れて逃げるより他ない。
駆けだしたとき、動きが重いと感じた。レムの手を取っているからではない、別の要因がある。
そこで初めて、ルナは今レムがイーグではないことを思い出した。自分の動きに『普通の人間』でしかない今のレムが付いてこられるはずがなかった。
数歩の距離が、異常に遠い。
気配。また、オーラだ。
しかもこれは、直撃する。
思った瞬間、レムがルナを空破の方向に突き飛ばした。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
ただ、オーラがレムの目の前を貫き、そしてレムが、病院の崩落と共に海の中へと消えるのだけは、ルナにも見えた。
まさか、それが分かっていたのか。
何故、予知能力が発動しない。それ以前に、何故レムがそれに似たことをやってのけた。
疑問符は山ほど浮かぶ。
だが、考えるより先にやることがある。
レムが海に落ちたことの方がまずい。海の中にはあのバルトロマイがいる。
レムが落ちた直後から、急に殺意が消えたとはいえ、依然健在だ。
空破にすぐさま飛び乗って、海中へ行くより他ないだろう。
だが、その時、先程見たリングが現れた。アイオーン出現用のワープリング。
「行かせないつもりか!」
恐らくバルトロマイは、疲労を起こしているレムを放っておいて、自分を始末する方に切り替えたのだろう。
案の定、バルトロマイは自分の前に浮上した。
不敵に、かつ、嫌みたらしく嗤う。
「これで後天性コンダクターが海の藻屑になるのが先か、それともこのバルトロマイを筆頭にしたアイオーンが、ダムドそのものを壊滅させ、先天性コンダクターたる貴様を殺すのが先か、どちらかのチキンレース、というわけだ」
その言葉を聞いて、一瞬、周辺を確認した。かなりのM.W.S.の損耗状況になっていた。
戦闘はほぼ全機が出来ているが、弾薬を無駄に消耗したらしく、接近戦へともつれ込んでいた。やはり対アイオーン戦闘をほとんどやっていないのが眼に見えて分かる。
直後、何かが、空破の横から急に来た。
叩き付けられる。衝撃が、一気に来た。それも横Gだ。
吹っ飛ばされた。バランサーが整え直す前に、空破が地面に叩き付けられた。
衝撃と同時にコクピットに警報が鳴り響き始めた。
右腕部損傷、規模大。完全にフレームが折れ曲がっていると同時に、オーラブラストナックル展開不能の文字が出た。
一度舌打ちした後、空破を立ち上がらせ、右腕の召喚を解除する。
モニターをこらしてバルトロマイを見ると、そこで見えたのは、ワープゲートから出ているバルトロマイの尾びれだ。
奴のワープゲートは自分の身体の一部すら使えるらしい。
尾びれが引っ込んだ後、そこからまたイェソドが出てきた。
数は、ざっと一〇。
それに構っている暇など、あるか。
IDSSを強く握り、左腕のオーラブラストナックルに全てのオーラを集中させる。
バルトロマイはまだ、不敵に笑うだけだ。
レムが、待っている。下手をすれば手遅れになる。
ここで止まるわけにはいかない。
せっかく立ち直ったのだ。だからこそ、レムは、生きなければならないのだ。
「邪魔をするなぁ! そこをどけぇ!」
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海に、身体が沈んでいく。
そんな中でも、思い返した。いや、思い返せた。
最初は、軍からの招聘だった。父が抑えようとしても、抑えられなかった。
だが、父を恨みはしなかった。
自分は軍の家系だ。軍人になるのは当然だと思っていたし、遅かれ早かれ軍人として生きることに、レムは何の戸惑いもなかったからだ。
ただ、そうは言っても、いざなった時に、所詮自分は子供だと、強く思い知らされた。
だからアリスに散々教えてもらった。爪が剥がれても、血豆が出来ても、死すれすれの調練を己に繰り返した。
その果てに、何かが見えた気がした。いや、刷り込んだ、と言ってもいいのかもしれない。
人間は、あっけなく死ぬ。母がそうだったように、死んだら自分もまた、土に返るのだ。
そう思っていた時、何人にも言われた。
生きろ、と。
自分は何故生きるのか。
ずっとそれが、最近ぽっかりと、抜けていた気がした。
姉を、仲間を、大切な人を護るために、己は力を付けたのだ。
後天性コンダクターとなったのもまた、恐らくそういったことを要因としていたのだろう。
自分で言ったではないか。大きな力を御するには、自分がより大きな力を付ける必要があると。
それを忘れて死を選ぶのは、生きることの、母が死ぬ間際に自分に対して望んだことを拒否することであり、そして、ルナもハイドラも言ったように、自死をすぐに選択するなど、所詮は自己満足に過ぎないのだ。
何か、光が見えた。
急に、目の前が明るくなる。
まさか、事ここまで来てあの世に逝くのかなぁ。
そう思った時、何かが、背中を押さえた。
よく、感じている感覚だ。
これは、エイジスのシートの感覚。
だが、慣れ親しんだホーリーマザーのそれでは無い。
一度、咳き込んだ。水が入ってこないと言う事は、空気があると言う事だ。そう感じると同時に水を吐き出した後、呼吸を整えて、再度状況をチェックする。
いつの間にか、コクピットのような所にいる。
しかし奇妙なのは、シートとコンソールパネルしか自分のいる空間にはないことだ。モニターはまったく見当たらない。
強いて言えば、周囲三六〇°全方位に妙なディスプレイのような物があるだけだ。それがなんであるのかはちっとも分からない。
「なんじゃい、これ?」
甲高い音を感じる。
マインドジェネレーターの起動音。いや、それにしてはヤケにでかい。
『起きた、レム?』
声が、聞こえた。
コクピットに響く声だ。しかし、ルナの声ではない。
セラフィムの声。しかし、脳に響いていない。
「セラ……フィム? これは、いったい……」
『後天性コンダクターの生命防衛第二段階に従って、私が起動させたわ。私は今、アイオーンではあるけど、同時にこの機体の第二AIそのものでもあるのよ』
一瞬、目を丸くした。
「第二AI?」
『サポート用のAIだと思っていいわ。システム起動開始』
セラフィムが言った瞬間、徐々に甲高い音が強くなっていく。
徐々に、いつの間にか魂が高ぶり始めているのを、レムは感じた。
しかし、同時にセラフィムの様子が、何か変だ。
音が甲高くなる度に、明らかに含み笑いが聞こえる。
「ん? どしたの、セラフィム?」
そして、突然大音量でセラフィムの高笑いがコクピットに響き渡った。
『よっしゃあ、上手く起動したぁ! 私の狙い通り! もー完璧すぎるわ! 流石私! 一級M.W.S.整備士様はエラいってことね! もう私最高!』
今までのセラフィムとは思えないくらい、豪快にセラフィムが笑い飛ばしている。
心音が聞こえるほど驚いた。多分近年希に見るくらい驚いたと同時に、呆れた。
もう、セラフィムは猫を被る気すらないらしい。AIの起動状況と同時に本人が熱くなりすぎて、もう何を言っているのか訳が分からない。
前々から気にはなっていたが、ホーリーマザーの再設定を一度やったこともあったように、多分整備士、それも相当のプロだったと言う事は想像に難くなかった。それにたまに混じる冗談からも、多分に堅物ではないだろうとは思っていた。
でもさぁ……それにしたって、この豹変ぶりは、ない、よね……。
もうため息すら出てこない。
途中で、ふと笑い声が消えた。どうやらハッとしたらしい。
『あ、あの、その、えーと……』
セラフィムの言葉が曇っていくが、レムはもう、今更そんな態度で出られる方が違和を感じる。
もう、セラフィムの思うがままに任せようと、思うよりなかった。
「まぁ、いいよ……。多分こんな感じなんじゃないかなって気もしてたしさぁ……」
『そ、そう言ってくれるとありがたいわね……』
一度ため息をついてから、意識を集中させると、セラフィムもまた、機体を少しずつ立ち上げていく。
どんな状況にせよ、自分の置かれた状況を理解する意味でも、今セラフィムのバックアップはありがたい。
その間に、自分の脳内に、この機体の意識が入り込む。
いつの間にかイーグとして登録されているらしい。これもまたセラフィムの影響かもしれない。
周囲が、徐々に明るくなる。
これもまた、奇妙な光景だった。周囲三六〇°全方位に今いる風景が映し出されている。
シートやこういった装置だけが海に浮かんでいるようにも錯覚する、奇妙な感覚だった。
なるほど、この機体、どうやら全方位モニターを標準で装備しているらしい。
何のための装備なのか。少し考えても、答えは出ない。
直後、目の前の画面だけが黒くなり、文字が浮かび上がる。
目を見開かざるを得なかった。
そこにはただ一つ、『XA-100』とだけ書いてあるのだ。
この型式を持っている機体は、知っている限りでただ一つ。
プロトタイプエイジスだ。
「な、な、こ、この機体……」
『そういうこと。今の時代で言う、プロトタイプエイジス、その最後の機体よ。XA-100。名を、聖兵』
「聖兵、か。はは、ホーリーマザーの、ホーリーの部分、そのまま受け継いでる。そういう意味でも、因果だね」
『System, completed』
無機質なAIがそういった瞬間に、その文字は消えた。
『OK、これで、全部リンク完了、システムも完全に立ち上がったわ。後は、あなた次第。意志を、ぶつけていけ! 徹底的に!』
セラフィムの言葉が、後押ししてくれる。
まだ、洋上は戦っているのだ。
ルナもいる。先程、思いっきり、久しぶりに殴られた。
その借りを、そして、それで目覚めさせてくれた礼を、言いに行かなくてはならない。
行くしか、自分に道はないし、先もない。
IDSSを、強く握った。気が、機体に吸われていく。いや、流れていく、と言った方がいいのか。
その感覚も、ずっと忘れていた。
力は巨大だ。ホーリーマザーとはとても比べものにならない程の量の気が機体に伝わっていき、聖兵をも高ぶらせていく。
巨大な力だと、改めてレムは思う。だが、同時に自分はその力に選ばれ、そしてその力を与えられたのだ。
力を存分に活かす。死ぬためではなく、全員で、生きるために、だ。
フットペダルを思いっきり踏み込む。
咆吼を、いつの間にか上げていた。




