第三十八話『竜-修羅と化した二竜』(3)-3
増援要請が極秘裏に来たのは今から十五分ほど前の話だ。
国防総省が奇襲を受け、ガーフィが自分の父と一騎打ちをし始めた。流石に他の兵士に知られると、ただでさえ張り詰めた空気が漂い始めているインプラネブル要塞の士気ががた落ちしかねないからだと、ハインツとザックスから要請があった。
首都の方にもある程度強者のイーグはいるが、フィリム第二駐屯地が襲撃を受けた今、そう易々と動かせない。かといって主力のイーグはほとんど出払っている。
そんな状況だったため、インプラネブル要塞の何人か主立ったイーグや部隊にも増援を要請したらしいが、要塞から国防総省まで距離があまりにありすぎるので、断られるケースがほとんどだったという。
少し張り詰めた空気がある中で、気の流れを落ち着かせるために座禅を組み始めた時、ちょうど竜三にも要請がやってきた。
任務自体は、最初から受けようと考えていた。
父が相手なら、犬神一門を捨てた裏切り者を捕縛し、場合によっては己が手で討つ。それを成すためにわざわざ極東からここまでやってきたのだ。
しかし、そういう感情的な話を抜きにしても、竜一郎はプロトタイプエイジスを持っている。それが国防総省ど真ん中で暴れられでもされれば、止められる機体は今はないと言ってもいい。
だが、確かにインプラネブル要塞から距離は問題になる。
自分の機体を全速力でかっ飛ばしても、国防総省に着いた頃には勝負は決しているのは眼に見えていた。
そこで少し考えた末に、空軍の協力を取り付けさせた。
陸路で行けば時間が掛かるのは必定だ。なら、空路から行くしかない。そしてその空路を飛ばせる機体が、ベクトーアには揃っている。
その中でも最高速を叩き出せる機体がBA-09-Sだ。
ブリュンヒルデとかいう名前のBA-09-S二番機を駆っているアッシュ・ラウドなる、どう考えても偽名の女の機体に同乗させてもらい、付いていたミサイルを外し、最低限の燃料のみにするなど、出来るだけ軽量化した上で一直線に国防総省まで飛ばして自分を送り届けるという作戦を考えた。
如何せんブリュンヒルデはレムの扱っていたホーリーマザーとは違い、ダウングレードは一切成されていない。そのため速度もマッハ1.3は出る。
更に加速力を出すために叢雲に搭載されているリニアカタパルトを使うことにした。それで初速をかなり出すことが出来る。
そのこともルーン・ブレイドに要請したら、あっさり許可が出た。更にこちらが到着するまでの時間稼ぎに、近場で待機していたディスを出すという、ロイド・ローヤーの提案もあり、それはありがたくちょうだいした。
ディスは存在そのものが極秘のため、そう簡単に使えないし、仮に存在が知られても、奴の駆るXA-089陽炎だけは知られるわけにはいかないため、要請が出来なかったらしい。
ただ、ディスについては、今の自分の雇い主であるエドワード・リロードには知らせていないが、元ルーン・ブレイド第二代戦闘隊長というつてを使い、何度か情報のやりとりをしていた。
あの男は存外、感情を殺しているためか、残虐非道なことを顔色一つ変えず出来るその劇薬ぶりの一方で、妙な忠義心があった。
忍びには普通身につかない精神だ。同時に、深入りしてはいけない人間であることもまた、竜三はよく分かっていた。
ディスのことは伏せた上で、これらも含めた話を空軍に持って行ったとき、戦力が空く穴について心配されたが、幸い制空権はこちらが完全に取っている。僅かの間エイジスが一機防衛網から抜けても相手方は気づきやしないし、異変に気付いても何も出来ない。それで空軍は納得した。
その後は全速力で飛ばしたため、なかなか陸上では味わえない強烈なGが襲ってきたのはよく覚えている。
それで飛ばした結果、十分弱で到着することに成功した。
後は着地だった。流石にブリュンヒルデを地上に早々に下ろすわけにはいかなかったため、自分一人で飛び降りた。パラシュートなど邪魔なだけだからしなかった。
父が見えた瞬間に己が気を刀に込め、空中で鎌鼬を放ち、その直後に今度は気を全て足に集中させ、足に掛かる負荷を全て打ち消した。
気操法、同時に、その概念を全て格闘術に叩き込んだ犬神一刀流分派『島原流格闘術』の手法を取り入れさせてもらった。
姉である冬美のよく使っていた技の一つでもあった。今はそれを独自にアレンジしたものを、ルナが使っている。
その気の衝撃が、この抉れた地面というわけだ。
ここまで我ながらよく上手くいった物だ。
自ら提唱したとは言え、よくこんな策が通り、その上成功するものだと、自分で自分に竜三は呆れざるを得なかった。
竜一郎の着物の左肩が、真っ赤に染まっている。あれだけの戦を行っても、まだ避けられるのかと、少し驚いた。
故に、退屈はしないで済むだろう。
少なくとも、あの父相手に退屈などという感情は邪魔なだけだ。
一度竜一郎が舌打ちし、左肩の着物をはいだ。
竜一郎が、吼えた。
直後、急に父の左肩の傷口から煙が立ち上り、その間に傷が塞がり始めた。
かなり深い傷だったが、僅かの間に完全に塞がっている。
竜一郎が左肩を回すと、何事もなかったかのように肩が動いた。
「な……まさか……それは……」
「ナノインジェクション。鋼と、村正の二名以外に成功例はない。それが裏社会ではよぅ言われておったわ。だがのぅ、裏は闇じゃ。ありとあらゆる闇がある。そしてその闇は、深いのじゃ」
怒りが、急に身体全体を駆け回ってきた。刀の柄を、更に強く握る。
「あんたもやったというのか……!」
「きつい改造手術じゃったがのぅ。力のために、生きながらえねばならなかった」
「そんな外法で手に入れた力に何の意味がある!」
この声は自分なのか。自分でも驚くほどに張り上げていた。
こういう感情もまたあったのかと、少しだけ驚いたが、すぐにまた怒気がふつふつと身体を沸騰させ始めた。
「左様。確かにこれは強烈な『力』かもしれぬが、所詮は外法よ。その外法を身につけたワシを主らが破れば、そちらの方の力が勝ったことになる。つまり、ワシの力は最強では無かった、ナノインジェクションなどという外法は、糞の役にも立たんと、証明出来るいい機会ではないか」
ガーフィは殺気を崩さなかったが、自分は急に、怒気が収まっていくのを感じた。
ほぅ、と思わず唸ってしまったくらいだ。
『力』に善悪は存在しないし、ましてやそれに対する明確な定義も存在しない。
ナノインジェクションそれ自体は外法だ。だが、同時に強烈な『力』であることは間違いない。それを自分達『人間』が破れば、それはナノインジェクションの優位性が疑われるということになる。
即ち、ナノインジェクションは『力』になりえない。
もしそうなれば、竜一郎は恐らく、それ以上に大きな力を手に入れようとするだろう。それがどういう物なのかは、知ったことではない。
「しかし不思議だな。父よ、あなたは、いつからそこまで求道者へとなったのだ? 昔はそれ程力に執着している様には見えなかったが」
「さぁのぅ。ただ、戦が、戦の有り様が、ワシを変えたのかもしれぬな。所詮、ワシもまだ井の中の蛙なのじゃろうよ」
一度、竜一郎がため息を吐いた後、再び、刀の柄に手を掛けた。
いやにその顔が、疲れて見えた。年が、見た目よりも遙かに上の人間の様に、竜三には見えてしまった。
それが何故なのかは分からない。
ただ、今からやる戦は、自分達の乗機である風凪と草凪を介してではなく、本物の刀での語り合いだ。それで少しは分かるかもしれない。
父と剣を交えるのは、四年ぶりか。
そう思い、竜三も刀の柄を握る力を強くする。
竜一郎が咳き込んだのは、気を込め始めた直後だった。
「父よ、如何した?」
咳がひどくなり、一度大きく咳をした段階で、ハッとした。
口角から、血がしたたり落ちている。それも、かなりの量だった。
「まさか……あなたは……」
寿命がない。その可能性が真っ先に浮かんだが、それを否定しないのか、竜一郎も頷くだけだった。
竜一郎の殺気がなくなっていき、刀から手を離した後、口を拭った。
「何、まだ死なぬよ。だが、勝負は一度預ける。それまでぬしも死ぬでないぞ、竜三」
竜一郎が言った直後、着物の袖から何かを出し、空中に放り投げた。
直後、光が辺り一面を覆った。眼を細めた。フラッシュグレネードだ。
光が強くなると同時に目をつぶり、気の流れを追うが、特に殺意は感じない。
この間に襲撃する、ということもしないようだ。
光が収まったとき、既に竜一郎は忽然と姿を消していた。同時に、ディスもいつの間にか消えている。ひょっとしたら追ったのかもしれない。
中庭には、戦闘の荒れた跡だけが残っていた。
ガーフィの元へ、兵士が殺到し始めた。
「准将! ご無事で!」
「准将の左手が変な方向に曲がってるぞ! 医務官、早く来い!」
「やかましい! 少し静まれぃ!」
殺到していた兵士の動きが、ガーフィの一喝でピタリと止まった。
ガーフィがゆっくりと歩き、中庭に落ちていた槍を一本拾う。
それを、天高く上げた。
槍の穂先に太陽の光が反射する。いい輝きだと、竜三には思えた。
「俺はまだ死んでいないし、この戦はまだ終わったわけではない。だが、まずこの施設の防衛はなった! 皆、鬨を上げろ! 天高くに、己が叫びを掲げぃ!」
背筋に、何かが走った。
胸が熱くなる。
一つ、二つと、徐々に周辺の兵士から声が上がり、そして、それは一気に、何百名もの兵士の咆吼へと変わった。
大地が揺れている。そう竜三にも感じることが出来た。
この男は、ガーフィという男は、戦人だ。そう思うには十分すぎるほどだった。
「御当主」
竜三の後ろに、自分の雇っているガーフィとのパイプ役になっている男が近づく。
名は、あえて聞かない様にしていた。そうすると情が移ってしまう。親方というニックネームだけでいいと、竜三はいつの頃からか思っていた。
慚愧の念が、親方の顔にはにじみ出ている。
「おう、お前か。捕縛、やはりダメだったな」
「申し訳ございません。気に、押されました」
「仕方あるまい。イーグでもないお前に、流石に父の捕縛は無理だったが、命令させた俺も悪かった」
「しかし、竜一郎殿の研鑽は並外れています。ガーフィ殿との戦いからずっと見ていましたが、イーグ三人相手に生き残れている地点でもはや異常です」
「だろうな。捕縛などと言う、俺の考えも甘かったかもしれん。殺すつもりでいかねば、まずいな」
親方が、一度頷く。
一度ため息を互いに吐いた後、周囲を見渡すと、先程の喧噪は既に消え、ガーフィの左手に添え木が当てられている最中だった。
紙片が、竜一郎の立っていた所に転がっている。それも、石の下に丁寧に置かれていた。
何か引っかかる置き方だったので拾い上げる。
「何だ、これ?」
和紙だった。筆跡からすると、父が書いた物で間違いないだろう。
だが、その紙に書かれているのは、線と丸だ。小さな丸が全部で十四個、うち八個はもっとも外縁に位置しているが、まるで『L』を反時計回りに九〇度回した様な位置に書かれ、それが線で結ばれていた。
更にその上に五個の丸が描かれ、その五個もまたそれぞれに線で結ばれていた。更に八個の丸の群と、五個の丸の群はそれぞれに線で結ばれている。
最後の一個の丸は、その五個の丸よりも遙か遠くに描かれていた。しかし、今までと違い、五個の丸の群の右から四番目の丸から伸びているだけに過ぎなかった。それだけが独立しているようにも思える。
場所はそれぞれバラバラだが、徐々に内向きに入っているような書き方だと、なんとなく思った。
「何だと思う?」
紙を見せると、親方も顔をしかめた。
「何でしょうね。しかし、竜一郎殿がかような物残すとすると、意図的としか考えられません」
確かに何も意味が無いとは思えない。少なくとも父はそういう嘘をつくと言ったことや、不意打ちなどを恐ろしく嫌う。
ガーフィが見えたので、少し相談しようと思い近づいた。
周辺の兵士がどいた後、ガーフィが立ち上がりこちらを見て礼をする。
「久しぶりですな、犬神家現御当主」
「お久しぶりです、准将。直に対面するのは二年ぶり、ですかな」
「ですね。しかし、やっぱり俺、お前で話しませんか。堅苦しいですし」
思わず、竜三は苦笑した。昔から変わらず気さくな所がガーフィにあり、竜三はそこが気に入っていた。
「だな、准将」
「竜三、お前の親父、変わり者だな」
「俺もそう思うよ。ただ、あの父が何を考えているのか、少し分かった気もする」
「ほぅ」
「徹底した求道者、そういったところだ」
「なるほどな。ところで、その紙はなんだ?」
「その父が立っていた所に、丁寧に石を置いてまで置いてあった、妙な紙だ」
ガーフィにその紙を渡すと、眼を細めた。
急に怜悧な表情が出る。これがこの男の面白い所であり、退屈しないで済む所だ。
「暗号、だろうな。それも恐らく、かなり重要な物な気がする」
「この丸が気になるな」
「八個か。そういえば、取られた海岸線の基地も八個だな」
そう言われた瞬間、互いに目を合わせた。
「補給路か?」
「いや、それならば既に一個潰れた場所は消しているはずだ。それにそんなすぐにバレかねない程度の物、こんな面倒な暗号にするとはとても思えんし、置いて行くにしても回りくどすぎるやり口だ」
「だな。准将、あんたの子飼いも含めて、調べてもらえるか。何かあれば、俺は全力でそれを潰すことを約束しよう」
「そう言ってくれると助かるよ。陸軍や空軍にも回してみる」
「頼む」
その後、二、三点話をして、ガーフィとは別れた。
そろそろ、もう一度最前線に戻るべき時だ。
今のところインプラネブル要塞が襲撃されたという情報はまだ無い。それだけが幸いだった。
携帯端末が鳴り、アッシュから迎えにいってやるとだけ言われた。
それだけですぐに切れ、国防総省の横の公園敷地にブリュンヒルデが跪いて着地し、手を差し出して竜三を待っていた。
火皿の灰を、近場の喫煙所にあった灰皿に捨てた後、ブリュンヒルデのコクピットハッチが開いた。
「乗りな。とっとと戻るぜ、竜さん」
「あぁ、戻るぞ、戦場へ」
まだ、戦はこれからだ。ブリュンヒルデに乗り込んで高度が上がる度に国防総省が遠くになっていく。
あんな中にいたのかと、何故か人ごとの様に、竜三は思った。




