第三十八話『竜-修羅と化した二竜』(1)-2
状況は、結局芳しくないらしい。
まるで刑事物のドラマのような場所で、よりにもよって取り調べを受けていた。殺風景なコンクリートの壁に、手に掛けられている手錠。そして、今時、いや、この表現自体がおかしいのかもしれないが、少なくとも三二七五年のデジタル時計だらけになった世の中では非常に珍しいアナログの、それも凄く安っぽい時計が醸し出す秒針の音ときた。
本当に俺は夢でも見てンじゃねぇか? そう、何度もゼロは自分で自分に聞いた。
もう、正直聞くことすら飽き始めている。
確かに、犯罪じみたことは何度もやった。無銭飲食や喧嘩を筆頭にした暴力沙汰なら、正直何度やったか自分でも覚えていない。
ただ、その件で取り調べを受けているわけではないようだ。
しかし、その取調室で聞かされた、自分が病院にいた理由も呆れた物だった。
なんでも、紅神のオートバランサーが崩れた拍子に、頭をコンソールにぶつけて意識を失った後、そのままイビキをかきながら爆睡して、なんと四日も寝ていたという、自分にしては珍しいことになったようだ。
召還印も身体にあったため、念のため手錠をしたとのことだったが、イーグに手錠など、簡単にへし折れるし無意味だろうと、少しばかり呆れざるを得なかった。
そして自分を運んだのが、机越しにいる妙な男だという。
確かに、風貌は少し違う。だが、目の前にいるモルフィアス・バーシュカインと名乗る男は、声も、顔立ちも、何よりそのまとっている雰囲気が、ハイドラのそれと全く同じだった。
他人の空似かとも思ったが、雰囲気まで全く同じ人間は、誰一人いやしない。
だとすれば、こいつは誰だ。
やはり、その疑問だけが、ずっと抜けない。
「で、お前の話をまとめると、お前は三二七五年七月二一日から来て、ジンと思われる存在と戦って、その腕から出た光に飲み込まれ、それで気付けばここにいた、か?」
無言で、ゼロは頷いた。
モルフィアスが呆れるようにため息を吐いた。
「虚言癖の上に、妄想癖もある、ただの精神病患者か、とも最初は思ったが、恐らく、お前の言う事は、ほとんど間違いないのだろうな」
「あっさり認めちまうんだな」
「紅神がなければ、誰もがただの妄想だと言っただろうさ。だが、こちらの方でもある程度まではチェックさせてもらったが、あれは正真正銘の紅神だ。しかも、マークは生きていて、実際そろそろこちらに来る。更には我々のあずかり知らないはずの、そして異常に進化したM.W.S.のデータまで出てきたからな。認めざるを得まいよ」
「紅神の二号機とかである可能性は、考えなかったのか?」
「レヴィナスは貴重だから、そう簡単に使える物ではない。紅神の二番機に近い物なら、既に紫電があるしな。それであのシリーズは打ち止めになった。テストヘッドはこれ以上いらんという、上の判断だ。更に言うなら、お前の義手と義足に用いられている素材、お前の紅神のシート奥から見つかった武器ケースみたいな妙な巨大鉄板とそれに用いられている材質、それに妙に人工的な措置が施された奇妙な血液も含めて、未来から来たとか言われても突き返すことはしなかった。ただそれだけだ」
紫電と血のことを言われると、古傷を抉られるように、心が痛んだ。
兄が、村正・オークランドが、死の直前に渡した物。
紫電と、血と、フィストブレード、そして、右手。自分以外に適合することのない、そして、自分のただ一人の血を分けた存在。
フィストブレードも紫電のレヴィナスも、今は武器ケースの中だ。しかし、右手だけは、嫌でもくっついてくる。
自分の右手は村正のそれに変わったからだ。だが、違和感は余計になくなってきている。
昔の自分ならば、これは自分の手だと言い張れた、いや、言い張っただろう。
だが、そんなことを言い張る気にすらなれなかった。
最後の最後で護られ、決着も付けられずに逝ってしまった。
後悔という感情がずっと自分の心の中で蠢いていた。
「後悔先立たず、か」
「ん?」
「いや、俺の話だ」
一度、ため息を吐いた。
多分、このモルフィアスという男がハイドラと同じ人物であったとしても、一〇〇〇年も前の男だ。村正のことを言っても分かりはしないし、そもそも村正も自分も、本来だったらまだ生まれてすらいない。
少なくともハイドラが村正を相当信頼していたのは間違いない。また、フェンリルの各所から信頼があったこともよく分かっている。
だからこそ、語り合える者もいないと言う事が、何処か寂しかった。
寂しいという感情など、とうの昔に捨てたと思っていたが、不思議なものだと、ゼロは後ろにある小さな窓から僅かに覗く日の光を見て思う。
伝令の兵と思われる男が入ってきたのは、そんな時だった。
「ガストーク少佐が帰還致しました」
「分かった、今行く」
モルフィアスが兵士を下がらせると、スッと立ち上がった。
「お前に会わせたい奴がいる。来い。手錠も外してやる」
「あっさり信用すんだな、おめぇも」
「どちらにせよ、あの紅神、お前でなければ起動出来ないからな。それに、お前に敵対の意志があるなら、早いうちにその手錠破壊していただろ?」
そのまま自分も習って立ち上がり、モルフィアスに付いていくことにした。
廊下をずっと歩く度に、やはり、モルフィアスの後ろ姿は、ハイドラのそれと、雰囲気まで含めてまったく変わらない。
この男は、誰だ。
その疑問だけが、どんどん膨れあがっている。
だいぶ長い一本道の廊下をずっと歩く度に、その疑問は膨れあがったが、考えようとすると、他の国連だかいう組織の兵士から奇異な目で見られた。
確かに、存在そのものが自分はこの時間軸にはいないはずの男だし、自分のこの見た目もあるのだろうが、たまに何故か敬礼される。最初はモルフィアスにしているのかと思ったが、そうではなく自分にしていると気付いたのは、三人連続で敬礼された後だった。
誰かと似ているのかと思いながら行くと、いつの間にか廊下を抜け、整備デッキへと入っていた。
思わず、「おお」と、唸ってしまった自分がいた。
なかなかに広大な整備デッキだった。ルーン・ブレイド旗艦『叢雲』のそれとはまた違った広さを持つ。
施設などはそれ程自分が見慣れた物と変わりが無い。
ただ違うのは、やたらM.W.S.は貧相な一方でプロトタイプエイジス、いや、この時代ではただのエイジスといった方がいいのかもしれない、その機体群がやたら大量に並んでいること、その一点に尽きる。
少なくともこのデッキ内ハンガーに掛かっているだけでも八機だ。これだけの数のプロトタイプエイジスが並んでいるのを、ゼロは見たことがなかった。
その中で、紅神が二機、堂々と並んでいる風景もまた、一生のうちに見ることなど無いなと、正直呆れるよりほかなかった。
少なくとも自分の乗っていた紅神は、まったく修理が成されていなかった。召還印から感じた通り、左腕はまだ欠損した状態だ。機体を固定しておくハンガーの脇から出ているクレーンアームを用いて強引に接続しているところから見ても、恐らくバランサーも直っていない。
一方のもう一つの紅神は、よく見るとあちこちの形が異なっている。
いわゆる初期型、という奴だろう。随分とこうして見ると肩や下半身の形状が異なっていた。
先程帰還したからか、メンテナンスの準備に整備兵が追われている。こういう風景もそんなに変わりが無い。
「で、俺をここまで連れてきて、会わせてぇ奴ってなぁ、どいつだよ」
「今、紅神から下りてくる」
モルフィアスはただ一つこれだけ言って、紅神を見上げつつ、タラップを上がっていった。それに、ゼロも付いていく。
しかし、タラップを上がる前に、大声が響く。
咆吼にも似た、叫び声だった。
「あー、クソッタレ! やっぱしいい加減早くアイオーンレーダー作れよ! いちいち相手にすンのめんどいんだよ! しかもそれで手間取ったからって残業代も出やしねぇ! いつぞや言われたブラック企業か、ここはよぉ! あぁ?!」
何処かで、聞いたことのある声だった。
紅神の使い手など、玲以外に自分の知っている人間はいないはずだ。
だが、この声質、この声量、そして、下からでも感じるこの雰囲気。
何処かで、会った気がする。だが、どこだかは、思い出せない。
整備兵からそいつがどやされる声を聞きつつ、呆れながらタラップを上がりきる。
心音が聞こえた。
ハッとした。村正が、一瞬見えたのだ。
「兄、貴……?」
思わず目をこする。
死んだはずだ。俺の血肉になって、村正は死んだんだ。
いるわけ無いだろう。ここは一〇〇〇年も前だぞ。いるわけが、ない。
一度頭をふるって、もう一度目の前の光景を見た。
村正とはまったく違う、茶色の髪をした男がいた。しかし、自分達と同じ、赤い目をしている。顔つきも、どことなく似ていた。
そして、何故か雰囲気まで似ていた。ガタイも、何処か似ている。
妙な親近感が、いつの間にか湧いていた。
「は? いや、俺、お前の兄貴でもなんでもねぇし」
きょとんとした顔のその男は、自分を見ながら呆れるように言った。
「いや、わりぃな。俺の兄貴に、雰囲気が似てたんだよ、あんたは」
不思議な物だと、ゼロは今更に思う。
一〇〇〇年前にも関わらず、似たような奴がゴロゴロいるこの現状はなんなんだ。
正直そういう感想を何度浮かべればいいのか、分からなくなってきている。
「あ、そうかい。で、モル、こいつが例の俺と同じ紅神使いとかいう、よく分からん未来人?」
「ああ。お前に会わせておこうと思ってな。こいつの雰囲気が少しお前に似ていたからな」
「そうかぁ? ま、いっか。で、未来人、あんた名前は?」
「ゼロ・ストレイだ。そう名乗ってる」
「そうかい。俺は、世間では今や知らない者はほとんどいないはずの、国連軍きってのエース様だ。ツインドラゴン片割れ、マーク・ガストークたぁ、俺のことでぃ」
マークが、確か、日本の歌舞伎だかなんだかいう伝統芸能のポーズを取って、見得を切った。
どうやらかなりお調子者のようだが、そんな物はどうでもいい。
その名を聞いて、何故今まで思い出さなかったのか、少し後悔した。
そうだ。もう一人、前から知っている紅神のイーグがいたではないか。
マーク・ガストーク。エルルで戦闘したではないか。
アイオーンの中でもトップクラスの巨体と戦闘力を持つ十二使徒の一体、マタイとなった、マーク本人と。
紅神のファーストイーグ。そもそもこの時代の紅神のイーグと言うだけで思い出しておくべきだった。
だが、思い出したところで何が変わる、というわけでもない。
自分がマタイとなったマークを倒したという事実だけは、自分の心にあるのだ。今はまだ、それだけでいい。
「まったく、相変わらず見栄切るの好きだねぇ」
呵々と笑う、女の声がした。
声の方向に目を向けると、レムがいる。ツナギを着てはいるが、まごうことなく、レム本人だ。
ひょっとしたら、自分と同じように飛ばされたのかもしれない。
だとすれば、これは大きなヒントになる。記憶を失っていたとしても、いるのといないのとではえらい違いだ。
気付けば、そのまま走って駆け寄っていた。
「おぅ、ガキんちょか! てめぇの姉貴と空破はどうしたよ?! つか隊長は何処行ったんだ?! おめぇ一人でここにいるってわけじゃねぇだろ!」
「はい?」
「はい、じゃねぇよ! だいたいてめぇがいるっつーこたぁ空破があるはずだろ! てめぇそこにいたんだからよ!」
ますます、レムが怪訝そうな顔をする。
肩をマークに叩かれた。何故か、呆れた表情をしている。後ろのモルフィアスも同様だった。
「お前、なんか、勘違いしてね?」
「は?」
「ねぇ、モル。この人が例の未来人? それとも、ただの電波なの?」
よく聞いてみて、ぎょっとした。
あきれ顔でいるこの女、見た目は確かにレムそっくりだ。ブロンドの髪にエメラルドの瞳、少し吊り目であることまで驚くほど似ている。
だが、声質がまったく違う。それに、よく見てみると、そこら中に浅傷があった。
少なくとも、戦闘で付いたような浅傷ではない。かなり深かった傷が、ようやく治った。そういう形の傷が多かった。
こういう傷の付き方をよく知っている。
恐らく、虐待による傷だ。流石にそういう類をレムは受けていない。
だとすれば、こいつも誰だ。
「どうやら、こいつの言う未来の世界には、お前に似ている人間が多くいるようだな」
モルフィアスが、苦笑しながら言った。
「ど、どういうことだ……?!」
「はー……なんかさ、そっちで知ってる人と似てるみたいだけど、私ゃラフィーネ・クロイスっていう、きちんとした名前あるんだっつーの。ちなみにこの整備ドックの班長でもあり、永遠の一九歳と一二六ヶ月な一級M.W.S.整備士、即ちエラいのだ、えっへん」
ラフィーネと名乗ったその女もまた、マークのように鼻息を荒くしながら偉そうに言った。
また変な奴が来た。正直その感想に尽きる。
こんな変な奴に電波呼ばわりされることもかなりへこむ。
なんだよ、一九歳と一二六ヶ月って。それただ単に三十路って事だろうが。何見栄張ってんだよ、訳分かんねぇ。
それ以外にも言いたいことは山ほどあるが、一度なんとか落ち着けて、頭を整理する。
焦って相手のペースに飲まれれば、例えどんな戦力でも自壊しかねないのは、戦の本を数多見てよく分かった。だからこそ、冷静でいられる、客観的に物事を見られる自分を忘れてはいけないと、散々ハイドラの元で学んだではないか。
そう思い直してから、整理しだした。
今聞いた声、何処かでこの声もやはり聞いた気がする。これだけはとてつもなく気に掛かる。
それも戦場以外でもそこそこに聞いている声だ。少なくともレムの声ではない。かといってルナの声とも違う。その他の連中の声を思い出してみるが、該当する人間は一人もいない。
誰だ。やはり、あまり思い出せない。ということは、あまり接点がなかった、と考えるのが妥当だろう。
だが、これだけ性格が軽い奴なら真っ先に思い浮かぶはずだ。だというのに何故思い浮かばないのか、それがイマイチ分からない。
「妙な所に来ちまったな……」
ため息を吐く様を、よりにもよってそういうため息を吐かせる原因になる三人から、奇異な目で見られることが、なんだか余計に腹が立った。