第三十七話『Blood-血に塗れた場所で』
AD三二七五年七月二三日午後二時五一分
消えた。
正直、それ以外に言い表しようがなかった。紅神、空破、双方ともフィリム第二駐屯地のレーダー圏内からはまったく確認が出来ていない。
消滅した、とはあまり考えられなかった。何せ紅神も空破も、今や採取不可能な天然のレヴィナスを素材としてふんだんに利用したプロトタイプエイジスだ。通常のM.W.S.の何倍もの強度を持ち合わせている。
それに、レヴィナスそのものが超高エネルギー体でもある。それをピンポイントで消し去るのは不可能に近い。
実際、紅神と空破が立っていた場所には、仮に破壊された際に僅かにでも残る残骸すらないのだ。だからこそ、『破壊された』ではなく『消えた』、という表現になる。
もっとも、そう言いたいだけなのかもしれないと、呻き声や叫び声が響く医務室から出て、ブラッド・ノーホーリーは先程まで確かにあったはずの巨大な腕があった場所に、一人で立っていた。
そこかしこに戦闘の痕跡が残っている。フェンリルのシャドウナイツに奇襲を受けたのみではなく、何か、妙な物が現れた。
ジン。確かに、ユルグとか言う名前の銀髪のアイオーンは、その腕のような何かをそう呼んだ。
その何かは突然出てきた。空間が割れたその様に唖然としていた直後、自分の方向に腕が向かってきた。
このままでは潰されると思ったから、いつの間にかファントムエッジを召喚していた。
そうでもしなければ、今頃自分はミンチになっていた可能性すらあった。
おかげで、自分は無事だった。だが、肝心のファントムエッジは、今この重要なときに徹底的な整備をしないと出撃すら不可能な状態に追い込まれている。
だが、苛立つのは自分らしくない。そう思って、煙草を一本吸おうとしたが、それもまた、自分の血に塗れていて吸える状況になかった。
一度舌打ちした後、もう一度、大地を見た。
あの腕は、何だったのだろう。
腕のような、青白い何か。関節は三個、指のような物も三本生えていた。ただ、指先からは、どう見てもオーラカノンのようにしか見えない物を撃っていたし、実際紅神がそれで被弾しているが、その紅神もいない。
空破もおらず、どうしたものか、途方に暮れる。
護らなければならないはずの二人の姉妹。ルナ・ホーヒュニングと、レミニセンス・c・ホーヒュニング。この二人の乗っていた空破が、何処かへ行った。何処へ行ったのかはまったく分からないし、軍からしてみても、今はそれどころではないだろう。
それは分かっているが、何処かやるせない気分になってくる。
まだ、日の光は中天にある。
せめてインプラネブル要塞への増援にだけは行きたいが、ファントムエッジは修理にもう少し時間が掛かると、ウェスパー・ホーネットからは言われた。
つまり、どちらにせよファントムエッジが仕上がるまでは、何一つ自分には出来ない、ということだ。
肋骨が二本へし折れていたが、玲・神龍特性のナノマシンを何本も注入して強引に治したため、いつでも出撃出来ると言えば出来る。だが、それだけの話でしかない。
実際、無理をしすぎたという自覚はある。少し体幹を固定した後にナノマシンを注入し、本来は数日かかる仮骨の形成までを三十分で終了という、かなり身体に負担を強いる療法を実施したのだ。変な汗が先程から止まらない。
思えば、ここまで大々的な怪我をしたのも久しぶりだと思う。数日前にアフリカでハイドラ・フェイケルの旗下と戦ったときですら、あれだけ惨敗しても無傷だった。
最近負けてばかりだなと、呆れるほか無かった。
一緒に行動していたはずのイントレッセが瓦礫から救助されたのは、ため息を一つはいたときだった。
アイオーンであるあいつなら、何か色々と分かるのではないか。何故か、勘がそう告げている。そう感じると、救助された付近に走っていた。
だが、走る度に胃液が逆流しそうになる。流石にまだ肋骨が折れたばかりだというのを、走った後になって思いだした。
しかし、いくらアイオーンでも女の前でこのかっこ悪い姿を見せるのは自分の流儀に反する。
なんとか平静を装いながら、応急救護を受けているイントレッセの所へと向かう。
見た目は、それ程の怪我ではなかった。右腕も、一時期見かけた変貌した右腕ではなく、リミッターと本人が言った紐が巻かれた普通の腕に戻っている。だが、その腕は物の見事に通常の人間ではあり得ない方向に曲がっていた。完全に骨折しているが、イントレッセ本人はケロリとしていた。
「よぅ」
「おう、ブラッドか。やはり、ちと痛むのぅ」
「その腕でその程度の感じしかしないのか、お前?」
「まぁのぅ。で、おぬしが来たと言う事は、あの腕についてかえ?」
「そうだ。あれ、ジンとか言ったが、あれが本体ってわけじゃねぇだろ?」
「そうじゃ。ユルグのことじゃ。恐らくわらわの始末も考えておったろうな」
「アイオーンってのは脱走者に厳しいな」
「いや、そういうわけではあるまい。恐らく、奴の不安因子の一つなのじゃよ、わらわは。わらわもジンだからのぅ」
一瞬、何を言っているのか分からなくなった。周りの応急処置をしていた連中も、目が点になっている。
「は?」
「ジンから生まれたのじゃ、わらわは。わらわは、ジンの外部監視機関。ジンそのものにして、ある種のリミッターじゃよ。故に、他の動植物の魂すら入っておらぬ、空っぽな存在なんじゃ」
呵々と、イントレッセが力なく笑った。
空。確かに、それならくだらない、普通の人間ならまったく興味の無いことにも興味が湧くのも納得出来る。
空だから、人間に興味を持ったのか。
そう聞こうとしたら、イントレッセがため息を吐いた後、音もなく倒れかけた。頭を瓦礫にぶつける前に、なんとか支えた。
まだ、脇腹は痛むが、アイオーンでも見た目は子供でも、女は女だ。女の前では格好付けないと、自分の流儀にはやはり合わない。
「少し、疲れたのぅ。少々眠るかの」
そう言って、吐息を立てながら、イントレッセは眠り始めた。その間に応急処置として、骨折している手を素早く医療班が固定していく。
今の件は、後で上に報告しておくか。ただ、それしか考えられないくらい、ブラッドも疲れていた。
「考えることは、山ほどありそうだな、ブラッド。お前も疲れてるなら、少し休めよ」
「あぁ、そうするわ」
イントレッセを運んでいく医療班の問いかけにも、こうしか答えられなかった。
今回も語り部は私、トラッシュ・リオン・ログナーが勤めさせていただく。