第三十六話『神KAMI-UTA歌』(3)-2
許せなかった。
仲間を殺したこと。傷つけたこと。
そして、レムに対して細心の注意を払ってやれなかった、自分を。
あたしは、何をしている。
ルナは、もう何度目か分からない質問を己にした。まず、ヴェノムは片付けた。絶叫が未だに響いている。
呼吸を整え、ナックルガードの小太刀に付いた血を振り払った後、駆けた。
トドメを刺す。そう思った。
拳を振りかぶる。心臓を後は貫くのみ。そのはずだった。
直後、何かがヴェノムを抱えあげると、すぐさま自分と距離を取った。
何かまずいと直感が告げたので、踏みとどまった。
目の前の相手も、ヴェノムを抱えながら、少し距離を置く。
確か、ロック・コールハートと言ったか。その男が、ヴェノムを脇に抱えながら、少しずつ、距離を取る。
しかし、ゾッとするほどのプレッシャーを感じる。負けないように、呼吸を整え、気を整え、構えた。
ロックの右腕からは骨が出ているし、耳からも鮮血が流れ落ちている。満身創痍、そう見えるが、このプレッシャーは、なんなのだ。
じっと、見る。先程から、この男の眼はアイオーンのそれと同じ眼をしていた。
やはり、睨んだ通り人間ではないのだろう。だが、アイオーンよりも本能に従うといった感じもしない。
何処か、中途半端だと、何故かルナには思えた。
しかし、ヴェノムとは比べものにならないプレッシャーだ。背筋に悪寒が走っている。
「やってくれたな、ルーン・ブレイド」
「あんたらこそ、よくもうちらの仲間、これだけやってくれたわね」
殺気をこめた。
だが、ロックは顔を歪めて嗤う。また、背筋に悪寒が走るのを感じた。
「これだけ? そうだな、これだけだな。これから行われることの方が、余程怖いのにな。まぁ、それで奏でるオーケストラも、悪くないな、ただ聞く分には」
頭痛がした。
心音が聞こえる。それくらい、一瞬、周囲全てが静かになった。
張り詰めた空気だ。スパーテインのような人間の放つ気配ではない。恐らく、相手はアイオーン、それもシャレにならない物が来ると、ルナの直感が告げた。
だが、前にこの気配は感じたことがある。
そしてそれは、目の前にいつの間にか現れていた。音もなく、気配も感じず、ただ今まで感知出来ていなかった物が急に感知出来たような、そんな感覚だ。
眼を見開いていた。そして、思い出した。
これが、レムの記憶を失わせるきっかけを作ったのだ。
「ユルグ……!」
銀髪の男、いや、女か、どちらかはよく分からない。人の形ではあるが、やはり眼はアイオーンのそれだった。
しかし、何故か、何故かは分からないが、かつて見たフレイアと、同じ気配を感じる。前もこの気配を感じたが、何故そう感じるのかは分からない。
そして、精神をしっかりと保たないと、押しつぶされそうなプレッシャーを感じる。
それを感じさせたら、負けだろうとルナは直感した。
「名前を覚えていてくれたか。光栄だな、ルナ・ホーヒュニング、いや、先天性コンダクター、というべきかな?」
闘争の気配は、この存在からは何も感じられない。そして、これに乗じてか、ロックがそのまま下がり、姿を消した。
追おうにも、こちらは状況が状況だ。無理に近い。後で連絡だけは入れておくべきだろうと、思うだけだ。
ちらと、レムを見る。ハッとした。
怯えが、遙かに酷くなった。トラウマを蒸し返されようとしている。そんな気配があった。
「ほぅ。レミニセンス・c・ホーヒュニングも一緒か。それなら、都合がいい。まだテストだが、ちょうど使おうと思っていた」
抑揚のない声のまま、不敵にユルグが表情だけ笑い、指を一つ鳴らした。
頭痛が、より激しくなった。
直後、ユルグの横の空間が、まるでガラスのように粉々に割れていく。
何が起こった。そう思った瞬間に、自分の横を空間から飛び出てきた何かが風と共に通り抜けた。轟音を立てて、それはルナの後ろの地面に横たえていた。
汗が、一気に噴き出てきた。横を見ると、それは、巨大な手のようにも見えた。ざっと見るだけでも、長さは三〇mは越える。高さは、自分の倍以上はあった。七色に僅かに輝く毛細血管にも似た物が這いずり回る、その青白い手は、人間の物とも、M.W.S.とも違っている。
その腕のみが、ひび割れた空間から出ていた。
「な、何、これは……」
「ジンの一部、といったところだな」
心臓が、一つ唸った。
ジン。確かに、ユルグはそう言った。
アイオーンの親玉。十二使徒ですら統べる存在。
それをテストと、ユルグは言ったのだ。
まさか、ロックとヴェノムがエイジスを使わなかったのは、このユルグが来るまでの時間稼ぎか。
なんとなく繋がってきた。この基地を破壊する、或いは自分やレムを殺すつもりなら、最初からエイジスを使って吹っ飛ばした方が余程楽だし早い。ロックのFA-070セイレーンも、ヴェノムのFA-062オンヤンコーポンも、対多数戦闘が容易に実施出来る。
にもかかわらず、ロックとヴェノムの二人は、わざわざエイジスを使わず、イーグとしてこの場所に乗り込んできて、暴れるだけ暴れた。
なんでこんな非効率的なことをしているのかと、移動中ずっと考えていたが、ジンの召喚までの時間稼ぎだとすれば、納得がいく。
となれば、フェンリルも恐らく、アイオーンとかなり深い繋がりがある可能性が高い。
そして、ここまで考えて、ハッとした。
ユルグがこうしてジンを出してきた。そのジンは、ちょうど千年前に、ラグナロクを引き起こした。
「まさか……あんたの目的は……」
「その、まさかだよ、先天性コンダクター。これだけの規模でも、ジンだ。ラグナロクとまでは行かずとも、ここの周辺、いや、この大陸自体も吹っ飛ばすことも不可能ではない。そうなれば、もうこれ以上貴様もいちいち考えないでも済むぞ」
口封じなのだろう。確かにラグナロクで人類が死滅してしまえば、間違いなく地球はアイオーンの物になる。
そしてここが一番今地球上でジンに近い場所と言える。直撃でもくらえば、ほぼ間違いなく自分もレムも死ぬ。
都合のいいシナリオの完成だ。
「まぁ、それもいいが、始末する物は始末しておきたい」
また、ユルグが指を鳴らした直後、その腕はルナと真反対の方向へと薙ぎ払った。
建物の崩れる轟音が響く。
「では、どう動くのか、見せてもらおうか」
そう言って、ユルグは、また一つ指を鳴らした。ユルグの周辺の空間がガラスのようにひび割れていき、それが割れると、すぐさまその空間は最初から何も無かったかのように元に戻った。
既に、ユルグはいない。その一連の流れを見た後、すぐに空破を召喚した。
あの腕一本に、このままでは自分達の軍勢が粉砕されるのは眼に見えている。すぐに起動を終えると、シートベルトもせずに、IDSSを握った。
先程建物が倒れた地域に、動かない味方機の反応がある。ファントムエッジだった。恐らく、ブラッドが咄嗟に召喚したのだろう。
生体反応は、レムもブラッドも双方ともあるようだ。
だが、ファントムエッジの状態を見ると、左の手足と背部オーラカノンがへし折れるほどの損壊状況だった。
しかし、そこには何故か、すぐ近くにいるはずのジンの腕はレーダーには『unknown』と表示されるだけだった。
一瞬だけ気に掛かったが、それも今の状況を見てすぐに頭の中から消し去った。
ブラッドの救助に行けば、ジンは恐らくここを破壊する。腕を破壊すれば、レムもブラッドも、恐らく死ぬ。
どちらかの二者択一だ。
どうすればいい。
直後、レーダーが反応した。
味方のマーカーが数機、後ろから迫っている。
『ルナ! しばらくこっちの方でこいつの相手は引き受ける! 早くレムとか救助しとけ!』
味方のクレイモア、それも、よく知っている奴からの通信だった。大隊規模のクレイモアが、格納庫から順次出ている。
「でも、このままでは、ジンが!」
『バカ野郎、レムやブラッドを殺してどうする! 俺達の相手はあのバカでけぇ腕だけじゃねぇんだぞ!』
『そうだぞ、暫くは引き受ける。ただ、早く帰って来いよ。こいつ相手に何処まで支えられるかはわからん』
『ブラッドにツケてる賭けポーカー代払ってもらわねぇと困るんだからな。早く行ってこい』
口々に、連中は言ってくれた。
「ありがとね。行ってくる。絶対に生き残るわよ、みんな!」
『応!』
一つ頷いた後、駆けた。
同時に、クレイモアは巨大なジンの腕に向けて、各々武器を放つ。
案の定、ジンはそれに反応し、ファントムエッジの近くから離れ、クレイモアの方へと向かっていく。
その隙に、ファントムエッジの前に付けた。
片腕一本で、なんとかビルを支えて立っている、と言う状態だった。
空破のコクピットを開けると、ファントムエッジもコクピットブロックを強制的にパージした。
一瞬言葉を失った。それだけ、ブラッドは血まみれだった。だが、息はなんとかあるようだ。
横には、レムがいる。震えていたが、そのまま伝ってファントムエッジのコクピットにルナが近づくと、少しだけ震えが止まった。
「ブラッド、レム、大丈夫?!」
「お、お姉ちゃん……ブラッドさんが……」
「レム、俺は大丈夫だ。心配すんな。少し傷が開いただけだ」
そうブラッドは言ってはいるが、レムが心配するのも道理だ。そこら中に怪我をしている。特に額からの出血が酷い。それに呼吸がかなり荒い上汗だくになっている。恐らく、肋骨が数本やられている可能性が高い。
だが、同乗しているレムには怪我一つ無かった。ただ、イントレッセはいなかった。
「ブラッド、ごめん、レムを……」
「あぁ、どうにかギリギリで召喚出来たから助かった。もしやってなかったら、今頃二人ともミンチだ。どちらにせよ、今の状況じゃ俺は戦えねぇ。すまねぇが、レムを頼む」
「で、でも、ブラッドさんは?」
「だから言っただろ? そう簡単に死なねぇって。それに、今の状況が状況だ。あのジンとか言うの、止めねぇとかなりやばい予感しかしねぇ」
死の気配は、あまり感じられなかったが、このままでは、呼吸がかなり危うい。
だが、ブラッドの言う予感はかなり当たる。そのブラッドがこうまで言うのだ。無碍にする気にはなれなかった。
一つ頷いてから、レムと共に、ファントムエッジから出て、空破に移動し、移動した瞬間に、救護班を呼んでから、コクピットを閉めた。
イントレッセもいる可能性が高い。
システムを再起動させると、レーダーを見て愕然とした。味方の数が、先程の半分近くまで減っている。どれ程生き残っているのか、それは分からない。
かなりの精鋭揃いだったはずだ。それが、たかが腕一本相手に、ここまでやられるとは思いもしなかった。
嫌な汗が出るが、今は戦うときだ。これ以上、味方の被害を増やせば、この基地そのものが下手したら致命傷を負う。
それに、レムを護ると決めたのだ。ブラッドとの約束でもある。
上の者が背負うべき重責。死なせないこと。生きること。色々と重いが、それでも、前に行かなければならない。
「レム、少し、怖い思いするかもしれないけど、大丈夫?」
「怖いと言えば怖いです。けど、お姉ちゃんがいてくれるなら、大丈夫、だと思います」
やはり、レムはいつものような自信に満ちていない。記憶喪失になってから、それは顕著になった。
心が弱っているのではなく、最初から弱かったのを、無理して隠していたのか。最近になってそう思う。
だが、レムはこの状況で大丈夫だと言ってくれている。自分を信頼してくれている。
ならば、それには答えなければいけない。
「あたしは、あなたにずっと護られてきた。だからこそ、今度はあたしが、あなたを護る番よ。こんな形だけど、せめて、姉らしいことはさせてちょうだい」
「姉ちゃん……」
今、確かに、レムは普段の呼び方で、自分を呼んだ。
記憶が、戻りかけているのかもしれない。
そうだ。ゼロは諦めるなと、何度も言ったのだ。
記憶が戻る可能性だってある。可能性がある限り、諦めることは出来ない。
それに、自分は姉だ。姉ならば、妹はしっかりと護らなければならない。特別な、大切な存在だったら、なおさらだ。
一度、両頬を同時にたたいて、気合いを入れた。
「レム、少し荒い運転するわよ」
「分かりました。どうにか、耐えてみせます」
後ろに回ったレムが、一つ頷いた。
先程までの怯えは、不思議と消えている。
「吐かないでよ!」
行くわよ、空破。
IDSSを強く握って、フットペダルを、思いっきり踏み込む。
甲高いマインドジェネレーターの咆吼と共に、空破が一気に加速した。