第三十六話『神KAMI-UTA歌』(3)-1
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AD三二七五年七月二三日午後一時三分
頭痛が、少し激しくなった。
間違いなく、ジンの胎動が始まりつつある。
何をやる気なのか、それだけはまだよく分からない。
直後、剣劇。腕で防いだが、傷がまた出来た。しかも、今度はかなり大きい。
一度イントレッセは舌打ちした後、距離を取った。だが、これ以上後ろは壁だ。更に路地裏でもある。
戦っているうちにやってしまったと、心底思った。こういうところから、自分は戦闘にはまったく向いていないということも、よく分かった。それに今はでかい腕で殴る以外攻撃手段はないといってもいい。
存在確率を制御することも自分は出来るが、その手法はこの男には通用しない。何しろロックの扱う武器は『音波』であり、眼に見えない物だ。空気がある限りいくらでも動く。それの存在確率を消すことなど出来やしない。
全リミッターを解除すれば、それこそ相手の思うつぼだ。暴走状態になるため、これ以上のリミッター解放は自分でコントロールが効かなくなる。
このままではじり貧になりかねない。
「やはり遅いな、『眼』よ」
「そういう主こそ、音を使えばよい物を」
「切り札は最後まで取っておく物だろうが」
互いに疾駆した。これでざっと十五合目になるのか。少なくともロックは手傷を負っていない。
こちらは、護りながら戦わざるを得ない。幸いにしてもう一人連れてきていたヴェノムはただのトリガーハッピー状態なので、あれは放っておいてもどうにかなるだろうが、こいつだけは厄介だ。
それに、いくらトリガーハッピー状態とはいえ、曲がりになりにもヴェノムもシャドウナイツだ。そういつまでもここの兵士が持つとも思えない。
さて、どうする。
強烈なボディブローが来たのは、そんな時だった。
柄で、鳩尾を殴られていた。
「考え事などしてる余裕あったのか、お前?」
何か、妙な物が、身体の中で暴れまくっている。
気持ち悪い、と素直に感じた。
地面に突っ伏す。まだ、動かなければ。そう思うが、身体に力が入らない。
リミッターも発動を始めた。右手が、元に戻っている。
ロックが、レムにゆっくりと近寄っていく。
まずい。あれは、殺されるわけには。
動け。動け、おぬしはアイオーンであろうが、イントレッセ。曲がりになりにも上級と人間に称されている存在であろうが。
だが、身体が、動かない。
「レム、逃げろ」
声になっているかは分からない。
しかし、何故か、レムは動かない。じっと、ロックを見ている。
ロックが、レムの眼前まで来た。
だが、何故かロックもレムを斬ろうとしない。目の前で、立ち止まったままだ。
「何故、逃げないんだ? レミニセンス・c・ホーヒュニング」
少し、驚きの感情が入り交じる声だった。
ロックの疑問は、確かにこちらも言いたかったことだ。
しかし、レムはそう言われても、ロックを睨んでいる。
こちらが思わず、震えそうになった。それ程強い殺気と怒りがレムから出ている。それがロックがなかなかに剣劇を出せない理由なのだろう。
中にいるセラフィムの気配ではない。アイオーンの物とは違う、本人の殺気と、怒りだ。生半可な物ではない。
確信出来た。レムの魂は、まだ死んでいない。
「そうですね。確かに、今でも私は震えてますよ。正直、怖い。それは間違いない。だけど」
更に一段と、怒りと殺気が強くなった。
「私はね、許せないんですよ。何も出来ない自分も、イントレッセさんを、散々にやったあなたのことも。それに、私はまだ死ねない。姉と約束がある。絶対に、これだけは譲れない、そういう約束がある」
ビリビリと、殺気と怒りが大地にこだましている。
この少女は、なんだ。
そう思ったとき、ロックが一度呼吸を整えた。
「そうか。ならば、その怒りのまま、殺してやる。後天性コンダクターだしな、いいアイオーンになれるぞ」
剣を、ロックが振りかぶった。
身体が、まだ動かない。
殺されるのを、ただ見るだけなのか。
直後、銃声。
その銃弾が、ロックの右腕を貫き、剣劇を一瞬ずらした。剣がそのまま壁に突き刺さり、ロックの表情が苦悶に歪む。同時に、黒い何かが、レムを横から抱きかかえた直後、もう一つ、殴る音が聞こえた。かなり、鈍い音だった。
骨が砕ける音だ。実際、ロックの右腕の橈骨と尺骨が皮膚から出て、鮮血が流れ落ちている。
一度ロックが舌打ちした後、苦悶に歪む表情で、剣を、いや、キーボードで『演奏』した。
音波が衝撃波となって、路地を駆ける。
身体が吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられた。
また、何か変な感覚が、身体をかけずり回っている。
少し、眠くなった。何故か、そんなことを思った。
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ギリギリだった、という思いは拭えない。ただ、これでもしレムが殺されでもしたら、恐らくルナは怒り狂うどころの話ではないだろう。
それが出来ただけでも行幸だと、ブラッドは思った。
しかし、先程の衝撃波は、なんだったのだ。
あの銀髪のシャドウナイツが、キーボードを奏でた直後に、それは路地を駆け抜け、一気に身体を吹っ飛ばした。
かろうじてレムが壁に当たるのを避けられただけで、精一杯だった。そしてレムを庇ったら、自分が壁に打ち付けられた。
先程まで一緒にいたイントレッセも同様で、こいつに至っては動かない。呼吸はしているので、多分問題はないだろうと思いたいが、前にあれだけ暴れたこともある。用心するに越したことはなかった。
だが、一度、呼吸を整えると、激痛が走った。恐らく肋骨が何本かやられている。
更に左肩も脱臼したらしい。ろくに力が入らなかった。手に持っているデッドエンドも持つのがやっとだ。
それに、衝撃波の影響か、左の額が切れたらしく、そこから、かなりの量の血が出ている。
少し頭がぐらぐらする。
レムが、少し震えていた。
先程の口上とは、まるで別人だった。いや、それとも、普段はこうであり、自分が知らないようにしていただけだったのか。
そう思ったとき、一つ、銃声が響いた。
ガトリングガンの音。なんだと思い、銃声がなった方を見る。
ハッとした。
その目線の先には、ヴェノムが築き上げた、数多の死体の山と、血の海があった。
これを見て、怖くなったのかもしれない。それで、レムは震えたのだ。
かなり状況は深刻な域に達している。このままでは、ヴェノムとあの銀髪の男の二人で、この基地が文字通り全滅しかねない。
それに、前からは、あの銀髪の男と思われる足音が、ゆっくりとだが聞こえてくる。
まずい状況だが、戦うしかないだろう。
レムも震えているのだ。ならば、自分が弱気を見せることは、あってはならない。それが自分なりの女に対するプライドだった。
「すまねぇな、怖い思い、させちまったな」
「あ、あの、ブラッドさん、さっきの人達、私を殺すつもりなんです……。私が、投降すれば、相手も攻撃をやめるんじゃ……」
「それはねぇな。さっきの様子からしても、あいつらはどちらにせよ、お前を殺した後でも攻撃をやめることはねぇ。恐らく、文字通り全滅させるまで、攻撃は止まない」
「で、でも……私の投降で、助かる命があるなら……それに、イントレッセさんも、こんなにひどくやられて……。それに、ブラッドさんも、こんなに酷い怪我をして……これ以上やったら、ブラッドさん、し、死んじゃいますよ もう、私は、私のせいで死んでいく人を見るのが嫌なんです……だから……だから……」
レムの瞳に、大粒の涙が出てきた。
記憶がないから、こんな表情が出たのか、それとも、普段から隠していた感情が、この状況下で表に出たのかは分からない。
ただ、こんなにボロボロ泣いているレムは、初めて見た。
一度ため息を吐いた。
女泣かすたぁ、俺も墜ちたもんだな、おい。
ぽんと、泣きじゃくるレムの頭に手を乗せて、撫でた。
「いいか、レム。俺はな、昔暗殺者だった」
「え?」
レムが、真っ赤に貼らした眼をこちらに向けた。
「色んな奴を殺してきた。どんな奴でもな。お前くらいの年齢でも、邪魔だと思えば殺した。だが、不思議なもんでな、お前の姉ちゃんに拾われて、お前の護衛に付いた。最初は嫌だったんだぜ、子守はごめんだってな。だけどよ、お前と戦っているうちに、いつの間にか、誰かを護るって、悪くねぇって、思えるようになった」
「そういう、ものなんですか?」
「そういうもんだ。だからよ、暗殺者で、俺に死刑判決が既に降っていようがなんだろうが、まだ俺は死ねねぇし、死なねぇ。死ぬ気もねぇ」
精一杯に、笑顔を作ったつもりだった。
女を口説くときは、もっと無理矢理な台詞を考えていたが、不思議と、レムには本心を打ち明けられた。
なんというか、姉と同じで、人を引きつける何かが、レムにはあるのだ。
だからこそ、そういう気分になったのだろう。
それに、死ぬのは怖くないが、まだ生きるつもりだった。
レムを護りきるまで、死ぬ気はない。
諦めるな。
よく、ゼロがそう言っていたのを思い出す。
これじゃ、死亡フラグだな。
少し苦笑した後、左肩を無理矢理入れた。痛む。
だが、レムの心の痛みに比べりゃ、大したことねぇ。
女泣かしてどうすんだよ、ブラッド・ノーホーリーさんよぉ!
活を入れてから、デッドエンドを握り直した。
しかし、二人相手に出来るか。
『諦めることはないわよ、ブラッド』
急に、耳に付けていた無線交信機に通信が入った。そして、何かが飛来する音が響いた。
その方角を見る。
「かっこつけすぎだろ、あいつ」
そう、苦笑せざるを得なかった。
空破だ。そして、ヴェノムの真上に入った瞬間に召喚は解除され、空中から一気にルナがヴェノムに向けて殴りかかった。
咆吼を上げながら、ルナが自由落下と共に、拳を振りかぶっている。
まさしくそれは、巨鳥だ。フレーズヴェルグ。ルナの異名、そのままの姿にブラッドには思えた。
ヴェノムも流石にその音に気付いたのか、ガトリングガンを撃つのをやめた。
直後、ルナのナックルガードの側面に付いていた小太刀が、ヴェノムの顔を切り裂いた。
眼を完全に叩き斬ったことが、十分に遠目からでも分かった。ヴェノムの絶叫が響き渡っている。
レムを見る。少しだけ、唖然としていた。