第三十六話『神KAMI-UTA歌』(2)-1
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AD三二七五年七月二三日午後一二時一二分
随分と広い物だ。
ほとんど人がいなくなったフィリム第二駐屯地は、正直そうとしか言いようがなかった。
店もだいぶ暇だ。それもそうだ、この厳戒体制下では、なかなか兵士は来ない。それも、今いる兵士は警備兵や負傷兵がほとんどだ。精鋭が多いと呼ばれても、それはほとんどがインプラネブル要塞や首都の防衛に行ってしまっている。
そのため店の方には事務職員がたまにしか来ない。むしろ、出前の方が多い。
流石に大規模基地だけあって警備兵は大量に配置されているが、それはほとんど動かなかった。
そのため、そこの警備兵のいる場所か、或いはここに配置されているスーパーコンピューターのサーバールーム近くへ配達に行くか、そのどちらかしかない、と言ってもいい。
なんでも、このスーパーコンピューターで多少電子戦での支援を行うそうだ。そのためか知らないが、先程出前に行ったサーバールームのメンバーは、頬がこけ目が血走り飛び出ていた上、目の下には隈を作っていた。
それで宅配で頼まれたのは、よりにもよってわさび一本だ。それで無理矢理身体を起こすと言っている者までいた。
誰もが必死なのだろう。
自分もまた、出来るだけ必死になろうとしているところがある。店を護る。そして、親父殿を護る。
これだけは、絶対に譲れない。そう、イントレッセは宅配から帰って、うどんをこねながら感じた。
ただ一つだけ、違和感があるとすれば、それは店先にレムがいる、ということだけだ。しかも、普段有り余るほど持っていた元気もなければ、中にいるセラフィムの気配も感じない。
記憶を失った、という話は聞いた。それで本人は戦力にならないからと、ここに残ったらしい。
今は、茶をゆっくりと飲んでいた。店の中には、レムしか客はいない。
いつもこの時間は客で盛り上がっている。昼下がりに休憩が少し遅れた兵が来て、それの注文に応えてソバやうどんを作る。
当たり前の光景だった。それが、今はない。
寂しいと感じた。寂しさとは、こういうのもいうのかと、何か不思議な気分になる。
正直、辛い。そういう感情を、ずっと感じたくなかったのではないか。そう、千年近く生きていてようやく感じている。
練り上がったうどんを、レムのいる机に持って行った。
「出来上がったぞえ。熱いうちに食うのを奨めておくぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
レムが、たどたどしく、笑顔を見せる。
こういう顔を見せられることが、正直一番辛かった。
「あの、イントレッセ、さん?」
「なんぞえ?」
「あの、あなたは……その……目は……」
怯えている。そう、思えた。
最初の頃、自分が何のために存在しているか分からなかった頃、こうして怯えた目を向けられ、差別され、調査という名の実験にかり出されたこともあった。
それを、救ってくれた者がいた。それで、悠々自適の生活を送ることが出来るようになった。それは、今でも忘れることが出来ない。
「変わっている、と思えるかえ?」
「そ、そんなことは」
「いいんじゃよ。わらわは別に気にはせんし、それに、実際、わらわは人間ではないしのぅ」
「え?」
「ただ、人間には興味を持った。色んな事に、興味を持った。こうして、そばやうどんを作ることもまた、興味を持ったし、それが、好きになった」
「料理を作るの、好きなんですか?」
「昔からバイトはそういうのばかりやっとったよ。ただ、ここまでじっくりやろうと思ったのは、ここに来たときが初めてだがのぅ」
レムの目から、少しだけ、怯えが無くなった。
こういうことを聞いてくるレムに、やはり違和感はいくつも覚える。だが、それ以上に感じる違和感があった。
「しかし、変じゃのぅ。おぬし、確か軍の病院に行くはずではなかったのかえ?」
「今日行く予定だったんですけど、何かあちら側で不都合があったとか言う連絡をしてきた方がいまして……それで、暫くここで待機しているようにと」
これを人は、嫌な予感というのかも知れない。
病院がベッドの床数を越えたのかとも思ったが、それにしたところで普通は別の病院に行かせる。それを考えると、はめられた可能性もある。
「レム、その情報、誰が伝えてきたのじゃ?」
「確か、父の使いの方とか言ってました。サングラス掛けた方でしたが、正直それ以外に印象が無くて……」
まずいと、魂が叫んでいる。
どう考えても足止めするかここを破壊してついでに殺すなりなんなりすることが見え見えだ。二重スパイか何かがいてそう仕向けたと考えるのも無難だろう。
その直後、警報が鳴り響いた。敵襲を告げている。
やはり来たかと思うと同時に、早い。
非戦闘員の待避が求められているが、相手がこれだけの早さで来たことを考えると、恐らくそれをやっていては間に合うまい。それ前に全員死ぬことになる。
それに、この少し響く頭痛。アイオーンが近くにいた場合に起きる、共鳴が起きている何よりの証拠だった。そして、この共鳴の相手を、自分はよく知っている。
ロック・コールハート。奴しかいない。前にエルルにいたときにも、同じ共鳴が起きている。
警備兵もいるが、とてもではないがあの男には歯が立たない。
ならば、自分一人でも暫く戦うしかない。
「イントレッセさん! 私は……」
「レム、いいかえ? わらわの側、離れるでないぞ。ついでに、わらわとしても、腹が立つんでのぅ。せっかく作った飯を、おぬしに食わせてやれんかったからのぅ」
わざわざ作ったのに、それを邪魔されるのは、昔から腹が立った。
しかし、こうまで対岸の火事として人の怒りを捉えていた自分が、まさかこうして人を護るために行動を起こすとは思わなかった。
これが変化というものなのかのぅ。
問いたくても、答えてくれる相手はいない。
出前に出かけた親父殿は、逃げられるだろうか。
それもまた、答えられる者はいない。
これも寂しいと言う事なのだろうか。
それだけは、分からなかった。