第三十六話『神KAMI-UTA歌』(1)
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AD三二七五年七月二三日午前一一時三九分
人が慌ただしく動いている。
しかし、ヤケクソになった、という気配ではない。
昔から思っていたが、どうもベクトーアの連中というのは何処か楽天的なところがある。
もっとも、今の状況で絶望的になっていたとしたら、もうそれは負けたも同然だ。この状態はこの状態でいいのかもしれないと、アナスタシアはインプラネブル要塞に来てから新しく受領した機体を整備しながら感じていた。
YBM-075シャムシール。それの二号機がルーン・ブレイド宛に送られてきたものの、結局乗る人間が自分以外いなかった。
最初は別部隊に回すことも検討されたが、自分の愛機であったサラスヴァティーは修復が面倒だと言われたおかげで、結局自分が乗ることになった。
世の中どんな形で何が転がってくるか、分かった物ではない。
Yナンバーと言う事は、つまり試作機である。
ざっと仕様には目を通したが、ビーム兵器標準装備という、にわかには信じがたい装備が施されている。
そんなのを、一応まだ身分上傭兵である自分によく託す気になったなと、心底呆れるよりほかなかった。
PMSCs所属と言われても、所詮は傭兵。傭兵は金次第で動くのだ。
それを心配している人間は多かったが、ブラスカが
「裏切る心配はあらへんわ。あいつはそういう腹芸下手やから」
と言ってくれて、あっさり収まってしまった。
こんなんでいいのか、ベクトーア。
或いは、傭兵だろうがなんだろうが、戦力になる奴は何処までも使おうという魂胆なのか。
それに、戦場では誰もが『誤射』、或いは『流れ弾』であっさりと死ぬ。その撃ってきた先が味方だろうが敵だろうが、そんなものは知ったことではない。戦場だからどうにでも処理出来る。
自分の命がどうなるかなど、誰にもわかりはしないのだ。
「おーい、アナスタシア。どうだ、シャムシールは?」
整備兵の一人が、でかい声で下から聞いてくる。確か、整備班副班長のブラー・ラウンドとかいう名前だった。
黒髪に白のメッシュの入った髪の毛は、一瞬白髪かと思ったが単純に趣味らしい。
「いいじゃねぇか、この機体。流石にサラスヴァティー、じゃなかった、ナインテイルの後継機だけあるぜ。しかも換装能力付きだからな、あたしの装備そのまま使えるってのも、なお良しだ」
元々販売専用にデチューンされていたナインテイルをヘヴンズゲートから与えられ、それをベースにして改造したのが、この間までの自分の愛機であるサラスヴァティーだ。
素体にオプションを付けて行くというベクトーアの発想は汎用性の高さを生んだが、素体の完成度の高さも両立させなければならなかった。
ある意味、それはこの機体で完全に完成しただろう。そう思えるに十分なスペックを持っていると感じる。
実際、オプションとして色々とサラスヴァティーに付けていた装備は、だいたいがシャムシールに取り付けることが出来た。
多少OSの方の設定変更と、どうしてもこの身体の小ささのためのコクピット換装が必要だったが、それも合わせて僅か二〇分で完全にメンテナンスが終わった。
いつでも出撃出来るようにはなっている。
敵の数は三万機と聞いた。僅かにだが、震えはある。
前に会った鋼、いや、ゼロとか言ったか。あの傭兵と違い、自分は生粋の戦士ではないと自覚している。
ただ単純に、食い扶持を稼ぐために傭兵になっただけに過ぎないのだ。他の職業も考えたが、今の時代、これが一番稼げる。だからなった。
ベクトーアに対して、国家への忠誠だとか、そういうものはない。
だが、ブラスカがいる。それだけで、戦うには十分だった。
拳を握った後、コクピットの外に出た。
一度飯にするかと、タラップを下りて下へ向かうと、急報が響いた。
ついに来たか、と思ったが、それにしては緊張感のない音色だった。デパートで迷子が発生したときに流れるメロディが鳴ったのだ。拍子抜けする。
『全軍に通達、朗報だ! ルーン・ブレイド所属の鋼が先程、フェンリルに占拠されていた海岸線の補給エリアAの奪還に成功したぞ!』
通信班が、興奮した声で伝えてきた。その声を聞いた瞬間、ざわめきがデッキを支配した。
そのざわめきが、ゆっくりとだが徐々に、まるで炎が広がっていくかのように、歓声へと変わっていく。
なるほど、ベクトーアの連中は、楽天的であると同時に、無駄に熱い。
だが、そういう人の流れは、嫌いではなかった。
「エリアAか、あそこ取ったのはでけぇな」
「せやな。これフェンリルからしたら結構な痛手やで」
エドとブラスカが、互いに少し熱気を帯びたような声で言った。
どうやら隊長同士の会議も終わったらしい。
「どういうことだ?」
「あそこ、直線距離で行くと一番この要塞に近いんだよ。他のルートから行こうとしても、山があったりしてどうしても時間が掛かる。あのエリアから先はずっと草原が広がってるから移動も面倒くさくない。それにあそこはだたっ広いから爆撃も有効活用が出来ん。その上で制海権をフェンリルが取っている上Aエリアは東西共に味方がいるから一方向のみの警戒でいい。つまり、うちらにとっちゃ面倒極まりないエリアだった」
「せやけど、それをゼロが奪還した。どないな方法使ったかは知らへんが、正面切ったっつーわけがあらへん。それ考えるとや、フェンリルからすりゃ、ただでさえ敵地にいるわけやから余計疑心暗鬼になる。相手はどっから来るんや、ってな。せやけど、ホントにあのゼロがやったんかいな?」
「正直それだきゃわかんねぇな。あいつ割と脳筋じゃねぇか。そんなことまで頭回るとは到底思えなかったが」
へぇ、と、少し唸ってしまった。
どうも戦について一通り学んだとはいえ、自分はこういうことにはとにかく疎い。
戦術とか戦略とか色々とあるが、あくまで命令されたことには出来る限り忠実に動こう、という考えしかない。
まぁ、その地点でいわゆる『将』というものには向いていないのだと、自分でも自覚している。
しかし、どうもこの戦のやり方が気になるのは、自分の悪い頭でも多少理解出来る。
第一、その指示を誰が出したか。
一瞬、今の雇い主であるルナが思い浮かんだが、いくら今ゼロが離脱しているとはいえ、そんな出来るかどうか博打としか言いようのない作戦を指示するだろうかと思うと、これは違うと思った。
ルナはまだ会って日がないとはいえ、戦をやるにしても隊長としても、正直繊細すぎるところがある。
味方に死にに行けと命令出来ないタイプの目だったのは、非常に印象的だった。
なら、ゼロの独断か、とも思うが、前に一度一緒に作戦に参加したことがあったが、あの男は自分の同僚であるマクス・ウィリアムと同様、ブラスカやエドの言う通り脳みそまでタンパク質ではなく、筋肉で出来ているのではないかと思ってしまうほど、考えるより先に身体が動くタイプだ。本能的に戦うタイプ、と言ってもいい。そこまで考えが及ぶだろうかと言われると、非常に疑わしかった。
何かが関わっている。そうとしか思えなかった。
頭に手を乗せられて、ハッと我に返った。
ブラスカの手が、自分の頭に乗っている。相変わらず、昔と変わらず、大きくてごつい手だった。
「どないしたんや、アナスタシア。そないな深刻な顔して?」
「いや、ちと、な。考え事してた。あいつがそこまで頭働かせるかな、ってな」
「確かにそいつは疑問に思うとこやけど、その疑問はあんまし抱えへん方がええで。今の士気に水差してまう」
そうブラスカに言われて、ハッとした。
先程の放送以降、目に見えて末端の兵士の顔つきが変わっている。
なるほど、一拠点を落としただけだが、半端ではないほど、士気が上がっているのが、アナスタシアにもよく分かった。
ひょっとしたら、ゼロだろうと、裏にいる誰かだろうと、真に狙ったのはこの士気を上げることだったのかも知れない。
「あいつ、口々に諦めない、ってのを口癖にしてたから、それが上手いこと働いたのかしらね」
アリスが、整備デッキに入りながら言った。
エミリアも横にいる。どうやら食事から帰ってきたらしい。
恐らくアリスがエミリアの監視役のような物となっているのだろう。いくら洗脳されていた云々言ったところで、元々シャドウナイツであったわけだから、いくらルナが心配ないと言っても監視は必要になる。
やっぱり何度考えても、そういう所でルナは脇が甘い。
「なんか、それ何度も聞いてるぜ? それがあいつン信条なんかねぇ。あたしゃ、なかなかそこまで出来ないよ、アリス」
「あら、そうは言うけど、あんただって意外に諦め悪いなとは思ったわよ、アナスタシア?」
何を言っているんだと一瞬だけ思ったが、そう言われてみると、確かに自分もブラスカがいるということを諦めなかった。
戦場の何処かにいる。そう思っていたのは、少なくとも事実だ。
それもまた、諦めない、ということに含まれるのだろうか。それとも、ただの頑固のバカなのか。どちらでもあり、どちらでもない、何故かそんな気がするのだ。
「ま、頑固だとは昔から言われたよ」
「でも、意外にかわいいですよね、アナスタシアって」
「はい? な、何言ってンだ、エミリア」
顔が熱くなった。
生まれてこの方、かわいいなどと言われた試しがない。
だから、正直慣れていないというのもある。
「そういうすぐ赤くなったりするところとか、ね。意外に純情なんだなぁって、見てて思うわ。なんか、そういう純粋に一つのことを追いかけられるってことが少しだけ、羨ましい」
少し、エミリアが笑う。相変わらず、影のある笑みだった。
何度か話しただけなのに、いつもエミリアの目は哀しい。必死に笑顔を作ろうとしている。そしてそれで作った笑顔もまた、何処か哀しい。
理由は、昔の戦場カメラマンだった頃なら聞いたかもしれないが、素性を知ってしまった今、詳しくなど聞きたくもなかった。
聞いたところで、所詮は過去でしかないし、正直、怖かった。
「ま、どちらにせよ、今を生きること、か。それに、レムのようになっちまう、一般人を出させないことだな、俺達の役目は」
エドの言葉に、全員で頷いた。
マクスと同じようにバンドをやっているのみならず、バカなチャレンジまで散々やりまくっているという話しは聞いていたが、意外に物事に真剣であることに驚いた。
ここが最終防衛線なのだ。護りきれなければ、レム以上に心に傷を、いや、それすら叶わぬまま果てる人間が大量に出る。それだけは、なんとしてもさけたかった。
「それと、女子同士仲良くすんのはいいけどさ、アナスタシアさんよ、早く食いにいかねぇと、飯の時間なくなるぞ」
エドが頭を掻きながら言った。
そう言われて時計を見る。シフトとして休憩が組んである時間は残り十分しかない。
まずい。
他の連中に挨拶をしてから、駆けた。
一歩整備デッキの外に出ると、陽光が眩しい。
夏の熱気と、人の熱気。それが双方共に感じられる。戦場になる基地とは、とても思えなかった。
何も起きなければ、今頃写真でも撮っていたのかねぇ、あたしゃ。
ため息を吐いた後、アナスタシアは食堂に向けて、また一段加速した。
日は、どんどん高くなっていく。




