第三十五話『No Escape』(6)-1
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AD三二七五年七月二三日午前九時四二分
青空が、広がっていた。
こんな空の下を散歩でよく歩いた。
この数日、ずっとあの街の墓場に散歩がてら行ってないなと、ハイドラは苦笑した。
思えば自分が散歩するきっかけになったのは、ラフィの魂がそこにあるかもしれないなどと言う、ある種どうしようもない未練からだった。
アイオーンがいる世の中だというのに、何故か、そう思ったのだ。少なくとも、何処かにラフィの魂はある。自分の魂が共鳴しているのは、まさにその証拠だった。本当にいなかったとすれば、共鳴現象すら起きやしない。
だが、自分の身体も限界に近い。自分は既に人ではなく、今やろうとしていることもまた、人の道からは外れるのだろう。
それで恨まれても、別に構いはしない。それで人が人として生きる道を得られるなら、自分は本望だ。
一度、息を吸って、吐いた。気を整えると、蒼天を、甲板の縁に動かした。
『で、どうすんだ?』
ゼロが、通信を繋げてきた。
少し、不機嫌そうな声だった。答えを見いだせずに、少し苛立っているのだろう。この男は昔からそういう傾向があった。
その点では、村正の方がまだ堪え性があった気がするが、村正は村正で無茶をやりたがる傾向があった。
本当に似た者同士だな、双子というのは。
自分の子供も、二卵性ではあったが双子だった。
あいつらの魂も、何処にいるのだろうか。それはずっと考え続けている。多分これも、未練という物なのだろう。
一度首を振り、頭を戦闘に切り換えた。逡巡するのは、これで終わりだ。
「まず俺が砲撃で数を減らす」
『デュランダルでもいいんじゃねぇのか?』
「あれは気を消耗しすぎるし、エネルギーの変換効率が悪い。まだ俺の装備の方が使える」
『あの程度の数なら、あれで十分、ってことか』
「そういうことだ。最初から全力でいけば、その分相手に対策を立てる時間を与えることになる。敵に考えさせる時など与えるな。速攻を心がけろ」
蒼天の両腕をゆっくりと前に差し出すと、腕が展開を始めた。
ものの二、三秒掛からずに展開したそれは、手に付いている巨大な銃口のように、毎回ハイドラには思える。実際、横に展開しているのは、この機体のみ付いている三連装オーラシューターなのだから、半分は間違っていない。
この機体と付き合って、何年になるだろうか。何故か、毎度撃つ度に、そんなことが脳裏をよぎる。
銃口の周辺に、粒子が集まっていく。気の粒子。自分の色は、蒼天の機体色に似た、蒼。
敵影を捉えた。ロックはしない。する気もないし、する必要すらない。
迎撃も来なかった。人的反応があることを見ると、恐らく相手は既に自分達の一km先に、敵が展開していると思いもしていないのだろう。
弛んでいる。ハイドラには、そうとしか思えなかった。
確かに、フェンリル軍の中核になり得る人材は、戸籍上死亡してもらった上で蒼機兵に引き抜いたとはいえ、ここまでフェンリル軍が弛むのは心底情けないと感じる。
それに、相手はあくまで民ではあるが、フレイアの私兵に過ぎない。
そうは思っても、少し、祈ろうとは思った。自分に出来ることなど、その程度でしかない。
「許せとは言わん。だが、こちらにもやることがある。悪いが死んでもらうぞ」
IDSSに浮いてきたトリガーを押した直後、蒼天の両腕から、蒼く光る気の粒子が放出された。
海を割りながら、直径五〇mはあろうかという気の粒子の固まりが突き進んでいく。
メガオーラバスター。それが、蒼天に付けられた最大の装備だ。これを放つのは、思えば十二年ぶりになる。
ゼロにも一度だけ見せたことがある。それを、ゼロは覚えているのだろう。
こいつは、紅神のデュランダルほどの出力はないが、それでも内蔵火器としては破格の破壊力を持っているし、何より手に内蔵されているので小回りが利く。
もっとも、今のデュランダルは、自分がかつて見ていた物とは、形が違う。
昔、あれは『双剣』だった。いつの間に両刃刀の形になったのか、この前対峙したときはまるで考えなかったが、少し気になった。
それに、この両刃刀の形状、恐らくルーン・ブレイドの整備班がやったのだろうが、これと全く同じ形状をしたデュランダルを『昔』見たことがある。
何故か、急に最近になって、昔のことをよく思い出すようになっていた。
もう一度頭を振ってから、腕をなぎ払うようにしてメガオーラバスターを照射し続けた。まるでそれは、蒼く輝く巨大な一本の柱が大地を駆け抜けるようにも、ハイドラには感じられる。
しかし、流石にこれだけの出力だ。やはり徐々に気が自分から蒼天へと流れていくのを感じる。通常蒼天が使う銃剣『カノンブレード『クラウソラス』』よりも、遙かに大きくのしかかる気の流れだ。
しかし、この程度、今犠牲になる者達の重みに比べれば、どうということはない。
集積場となっている大地が割れていく様を見て、ハイドラはそう思うと同時に、気の放出を終えた。
展開していたメガオーラバスターが元の位置に納まり、放熱が始まると、一気に船を全速前進させた。
その間に、すぅと、一度息を吸って、吐いた。
コクピットの中でも、気を整える。イーグならば、昔からやっていたことだ。
気を整えることで、心血を整える。エイジスは己の全てを映す鏡でもあるが故に、内面を整えろ。
昔、自分の師匠に散々叩き込まれたことだ。
気付けばやる者は誰もいなくなってしまったが、それでも、自分だけはやっていようと、ずっと考え続けていた。
警報。銃撃。前方からだ。
流石に無人機だ。こちらが攻撃したことで、こちらを敵と見なし始めた。
だが、まだ反応が遅い。
「ファルコ、旗下を率いて先にあの連中を黙らせてこい。判断はお前に任せるが、部下は死なすなよ」
『承知しました、部下は、死なせません』
すぐにウィングバインダーを展開し、ファルコの旗下が魚鱗をすぐさま空中で整えるとファルコは、リカオンを最前に置いてそのまま敵陣に突っ込んだ。
二、三回突っ込んで、まずは攪乱する。
残敵は一〇〇あまり。だが、コクピットを狙う必要はない。
そのために、わざわざ自分達の部隊の機体の装備はスタンナイフやスタンソードにしたのだ。
空中から、まるでハチのように飛び交い、そのまま相手のスコーピオンの胴体にスタンナイフを突き刺し、トリガーを押す。
そうすることで、一気に電流が流れ、機体を強制的に停止出来る。
今の無人機はどうしてもシステムの制御をある程度AIに任せざるを得ず、その制御には莫大な演算が必要になる。
その演算で通常のスコーピオンに搭載されているCPUの処理能力はいっぱいだ。故に単調な動作しか出来ない。
それを補うために、有人機を用いてその単調さをカバーする手段を使っている。即ち、有人機及びそのパイロットを巨大なCPUとして見ているのが、フェンリル軍の無人機プロジェクトだ。
だが、いくら数による力で猛威を振るおうが、所詮M.W.S.は機械だ。多少の電磁シールドが施されているとはいえ、強力な電流には流石に敵わない。
それに、今ファルコの率いている部隊のスコーピオンは空戦型であるため、空中でうろつかれると、どうしても陸戦部隊は陸上の警備が疎かになる。
それによる一瞬の隙。それを突くだけで、相手は簡単に瓦解する。
「ゼロ、突っ込むぞ」
そう、既に、自分達は着岸出来る位置にいるのだ。
紅神のデュランダルに、気の刃が灯る。
まるで炎のような、赤の気。
そういえば、あいつの使っていたデュランダルの剣先にも、こんな気の色が灯っていた。
ゼロの、鼓膜を破りそうになるような咆吼が、コクピットに響いた。
不思議と、その声が、旧友のそれに似ていた。
何故、俺は今日に限って、こんなに昔を思い出すのだ。
老いたのだろうか。
苦笑した後、自分もまた、蒼天の手元にクラウソラスを召喚し、紅神と共に駆けた。