第三十五話『No Escape』(5)-1
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AD三二七五年七月二三日午前九時三五分
一つ、息を吸った。
紅神もまた、高ぶっている。
エイジスとは得てして不思議な物で、自分の感情が高ぶれば高ぶるほど、いつの間にか性能が上がっている。
まるで生き物だと、ゼロはコクピットで改めて思った。
紅神に初めて触れたときも、思えばそういう感情が巡った気がする。
だが、飲まれるな。利用されるな。
それを、何度自分に言い聞かせたのだろうか。
「戦う理由、か」
ファルコが、先程言った言葉は、悪くないと思えた。
一度手を見る。
両方とも生来の自分の手ではない。だが、今では自分の腕だ。
御母堂にも言われた。村正の腕が血肉となり、それ故に生きているのだと。それを受け継いだなら、生きろと。
ならば、生きなければならないのだろう。
しかし、そのためだけに戦うのではない。
誰かを護るために、戦う。そういう漠然とした思いだけは、不思議とわき上がってきた。
そういう思いが、何故わき上がってくるのかは、よく分からなかったが、今戦う理由は、それだけで十分だった。
コンソールパネルにアラームがついたのは、そんな時だった。
秘匿通信。コンソールパネルに、暗号コードを入力しろと出てきた。説明には、ルーン・ブレイドから最初に受けた任務の番号を入れろと書いてある。
ああ、あいつか。
無駄に記憶力だけはいい。それは、自信を持って言える。
だからさっさと、番号を入れた。それに、こんな秘匿通信を、こんな状況下で繋いでくる相手など、一人しかいない。
案の定、ディスの、まるで能面のようにも見える顔が出てきた。
世間一般では美男というのだろうが、表情がまるで動かない。故に、能面のように見えると、ゼロには思える。
これではブラッドと仲が悪くなるのも分からなくはないなと、同じ弟として何となく同情した。
「やっぱてめぇか。何の用だ?」
『これからの段取りについてだ。今の貴様ならば、ある程度までは考えているのだろうが』
「まぁな。奴の戦模様については見るが、それも適当なうちにバックれるつもりだ。乱戦中にとっとと出てくつもりだ。ベクトーアの連中に撃たれるっつーバカな結果にゃなりたかねぇからな」
『何処に行くつもりだ?』
「インプラネブル要塞だろ。今の状況からすりゃ、あの基地で籠城策が一番マシだ。と、言いたいが、首都に行く」
『シャドウナイツ、か?』
「ああ。あいつらがこの状況をほっとくと思うか?」
『首都はがら空きだからな。同時に、奴らのことだ、恐らくフィリムにいるレムを狙う』
一瞬、首をかしげた。
何故あのガキがフィリムにいるんだよ。機体でも失ったのか?
しかし、レムのあの性格からして意地でも付いていくだろうし、第一ハッカーとしての腕はむかつくことに超一級品だ。戦力としては十分に換算出来る。
となるとフィリムにわざわざいる理由はなんだ。
「あのガキ、重症でも負ったのか?」
『いや。記憶を無くした』
「は?」
『貴様を追ったときに、十二使徒の一つと接触してな。それのコアが、あいつの母親だった。それで、自分で母親を殺したと感じたらしい。その結果記憶を無くして、戦闘能力もまるでなくなった』
一度、ため息を吐いた。
少し、空気が重くなったと、ゼロは感じる。
ひょっとしたら、自分はレムを、自分と同じように感じていなかっただろうか。
いくら自分に突っかかってくるような負けん気の強さがあっても、レムは自分と違い、親兄弟のいる家庭で育った。父親が軍のトップにいるような人間ではあるが、それ以外の部分は別に一般人と変わらない。
ただ一つ、後天性コンダクターであるということを除けば、である。
それに、親を殺したと感じていると、ディスが言った。
それによる精神的ショックが桁外れに大きかった場合は、そうなっても仕方ない。
それに、自分を追っていった末と言った。恐らく、自分にも少し、責任はあるだろう。
「まさか、てめぇ二重スパイか何かか?」
そう言ったとき、初めて、ディスの表情が、少し動いた気がした。
僅かだが、眉を動かした。だが、そんなことはどうでもいいと、ゼロには思えた。
『何故そう感じた?』
ディスの言葉の端に、僅かだが、怒気がにじんでいた。珍しいと、少し思った。
「俺はてめぇにけしかけられて、ここまで来た。てめぇがあのガキに俺を追撃させざるを得ない状況に追い込んで、十二使徒のいる場所まで誘導すりゃ、後は勝手に十二使徒とあのガキで殺し合いに発展する。コアが母親なら、その気になりゃ心もぶっ壊せる。それならそれでかまわねぇ。使い物にならなくなるからベクトーアは戦力ダウンする。それに、あのガキゃぁ後天性コンダクターだ、フェンリルなら殺すなり実験サンプルにするなり喜び勇んでやるだろうよ。十二使徒が勝とうが、あのガキが勝とうが、どっちに転んでも美味い、そういうシナリオの出来上がりだ」
ほぅと、ディスが少し唸った。先程の怒気は、微塵も感じない。
『なかなか悪くない発想だな。貴様からそういう考えを聞けるようになるとは、思いもしなかった』
褒められているのか、呆れられているのか、それも分からなかった。
何しろ、表情がまったく動かない上、話し方に抑揚が何もない。
人間なのだが、人間らしさがおよそない。それが、ゼロがここ数日で抱いた、ディスの印象だった。
ルーン・ブレイドのメンバーがあまり好印象をこの男に持たない理由や、ブラッドやブラスカと同じ理由でベクトーアに来たにも関わらず表舞台に立つことを許されなかったのは、こういうところが原因なのかもしれない。
『しかし、いい線を付いているのだろうが、外れだな。もし俺が二重スパイなら、俺は既に貴様もレムも、とうの昔に殺している』
「あぁ?」
『俺はここの連中の生殺与奪の権利を持っていると言う事だ。貴様、俺が何処にいるのか分かっていないだろうが』
確かに、そう言われてみると、ディスは何処から通信しているのだろうか。
紅神の三面モニターに一角に、ディスの顔が表示されているが、その背景は明らかにコクピットだ。
つまり、ディスは陽炎に乗っている。
だとすれば、陽炎は何処にいる。
だが、『生殺与奪の権利を持っている』と言ったのは、恐らく本当だろう。
この男は、人を利用出来るかそうでないかでしか、分けることを考えていない節がある。
それに、ラングリッサ近郊の街にレムを迎えに行ったのも、考えてみればこの男だ。その時に殺そうと思えば殺せたのだ。それをやらなかったというのは、恐らくまだ利用出来るからと考えているのだろう。
そしてそれは、今の自分も含めて、ということになる。
まだ、暫くこいつに利用され続けるのか。
そういう悔しさだけは、不思議とわき上がってきていた。
少し、拳を握る。
こいつも、後でぶん殴っておくか。
元を正せば、自分はそういう単純な人間なのだ。そういう理由だけでも、ますます、生きなければと思った。
モニターを殴るようにして、通信を切った。