第三十五話『No Escape』(4)
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AD三二七五年七月二三日午前九時一五分
どうしても、色だけはこの色にしたかった。
主君を失ったが、その主君の形見とも言えるレヴィナスは、あの犬神竜一郎より託された。
あの男が何を考えているのか。そういうことも、徐々に考えていかなければならない。
自分は将になったのだ。副官ではない。
そう、ファルコは改修が完了した自分のスコーピオン、いや、スコーピオンの名を冠しているだけの、似て非なるM.W.S.を見て強く思った。
先日、陽炎なるプロトタイプエイジスとの戦闘で、ものの見事に右腕を持って行かれた。いや、それだけではない。右のウィングバインダーの一部と胸部まで破損した。
しかし、この機体は如何せん秘密裏に作った機体だ。予備パーツも僅かしかない。
あまり使いたくはなかったが、予備パーツとあり合わせのパーツで強引に修復、いや、改修した。
もっとも、どちらにせよピーキーなバランスになったことは間違いない。左右に対称性があまりないからだ。重量バランスがかなりおかしなことになっている。整備員が泣きそうな顔になっていたのは、本当に申し訳がなかった。
更に、こればかりは自分の意趣返しでもあるが、フィストブレードのように、手首にスタンソードを取り付けてある。
これが余計にバランスを滅茶苦茶にした原因だと、ファルコは心底思っている。
だが、これだけは譲りたくなかった。
「まるで、紫電みてぇだな」
声がした方を振り向くと、ハッとする。
見た目だけは本当に似ている。一瞬村正がまだいるのではないかと錯覚するほどだ。
だが、少し冷静に考えれば、この男はゼロという、村正の双子の弟であり、別人なのだと割り切ることが出来た。
「あぁ、ゼロ殿ですか。まぁ、紫電をモチーフにしたくて、この装備にしたのは事実です」
本心だった。この機体の右手は、完全に紫電をモチーフにしている。だからこそ、色も右腕だけ紫にした。
紫電を思わせる、あの独特の紫にしたのだ。
「なるほどな。で、あんたにとって、兄貴は、どんな男だったんだ?」
唐突に、ゼロが尋ねた。
だが、改めて聞かれるまでもない。
「刃。それ以外に、どう表現することが出来ましょうか」
「刃、か」
ゼロが、少し眼を細めた。
ずっと遠くを見ているように、ファルコは感じた。
この男もまた、自分と同じような気持ちなのかもしれない。
失った空白を、何かで埋めようとしている。それが何かというのは、まだ分からなかった。
「昔な、兄貴は、あの名前にする時、『今の状況まで含めて、全てを斬るために、俺はこの名前にした』って言ったんだ。そうか、やっぱし、その意志を通したんだな。諦めなかった、ってことか」
「まさしく、あの方はそういう方でしたよ」
「なら、俺も、俺の意志を通さねぇとな。隊長にボコられちまう」
そう言ってゼロは、義手で右手の拳を握り、軽く骨を鳴らした。
少し、この男に惹かれている自分がいることに、ファルコは気がついた。
村正に似ているため、という理由ではない。性格は真逆だと言ってもいいが、魂の根幹がゼロも村正も、まるで変わらないのだ。
諦めないこと。それが、言われなくても身についている。
それに、自分は少しでも村正に近づかなくてはならない。
生き残ってしまったのだ。そして、蒼機兵の第二大隊も、そのまま引き継いだ。ならば、その意志を継ぐのもまた、自分の生きる道なのだろう。
オークランドの姓を賜ったので、尚更と言えた。
村正の母に、御母堂と言われている人にも会ったが、その人からも、諦めるなと、口を酸っぱくして言われた。
諦めるな。
ハイドラも、村正も、それをよく言っていた。
恐らくゼロもまた、全てに諦めていない。
確かに状況はベクトーアに不利だ。それでも、逆転の手をこの男は掴もうとしている。
この男からも、また学ぶことがあるのだろう。
互いに、将になっていくのも悪くない。
敵になるかもしれない男に、何を思うのだ、私は。
一度頭を振った後、旗下となった者達を集めさせた。
旗下が、一斉に自分の前に並んだ。
今回は半分しかいない。大方、ハイドラとしては、ゼロと自分の将としての兵の動かし方の練習、そして部隊の調練を兼ねているのだろう。実戦に勝る調練がないことは、ファルコ自身よく分かっている。
しかし半数であったとしても自分の手足のように操れなければ、通常の大隊定数であるこの倍の部隊を率いるなど到底無理だ。
それに、いざ目の前に旗下が並ぶと、副官だった頃とはまったく違って旗下の顔が見えた。
表情、顔の強ばり、息づかい。様々な物を、不思議と感じる。副官だった頃は、僅かにしか感じることが出来なかった物だ。
そして、己の心臓の鼓動が微かにだが聞こえてくる。
緊張しているのだろう。
これが将になることの重み、というものなのかもしれない。
耐えた。一度だけ、息を吸って、声を上げた。
「これより、我々は敵を殲滅しに行く。初陣で、相手はかなりの数になる。しかし、村正殿から引き継いだとはいえ、諸君らは私の旗下になった。だからこそ、死ぬことは許さん。全員生きろ。そして、これから我が機体のコードネームは『リカオン』とする。気高い動物の名だ。私の旗下であるからには、気高く戦え。それと同時に、各々が戦う理由を、胸にそれぞれ抱いていると思う。その思いも、これまで以上に抱えながら戦え。以上だ」
全員が、一斉に敬礼をした後、それぞれの乗機へと乗っていく。
一度、小さく息を吐いた。
「背負いすぎるなよ、ファルコ」
ハイドラがゆっくりと、こちらへ歩を進めてきた。
蒼天も、既にスタンバイが完了している。後は行くだけの状態となっていた。
他の機体も、全てそうだ。紅神も含めて、全て動ける状態になっている。
「後は行くだけです、総隊長」
「で、てめぇはどうする気だ? スコーピオンぶっつぶすっつったけどよ、いくら進軍して数減ったって、あれだけの数だぜ?」
ゼロが、自分の横に来て言った。
「奇襲を掛ける」
そう言うと、ハイドラは携帯端末を取り出し、画面を見せた。
今乗っている船の航路が書かれている。だが、その航路はアグレッサーとして行くと指定した場所とは、まったく反対の位置だ。
「フェンリルの方にはダミーの情報を流してある。そのダミーがいつ破られるかが勝負だが、そう簡単には見破られまいし、この船自体も貨客船扱いになっている上、それは正規の手続きを踏んでいるから書類上は何も問題は出てこない。それに、今から襲撃する場所は警備がもっとも手薄だ。練習にはちょうどいいし、何よりこの場所を制圧することが、もっとも意味がある。何故だか分かるか?」
そう言われて、もう一度地図を見た。
襲撃する場所自体は、フェンリルが制圧した拠点でもっとも西に位置する。
だが、インプラネブル要塞までの直線距離は、全拠点の中で最短だ。それに、西には大西洋があり、南の海域は既に抑えている。更に東は延々と海岸線を抑えた味方がいるのだ。
つまり、警戒方向は北だけでいい。防衛に関しては楽だが、だからこそ、南から襲撃が来るなど、一切考えていないだろう。
「最短経路、だからか?」
ゼロが、自分より先に答えていた。
やはり、この数日間で、この男の感性は凄まじく磨かれている。なるほどハイドラが期待するのも、分からなくない。
少しだけ、ゼロが羨ましくなった。それとも、ハイドラがゼロに、村正を重ねているのだろうか。それだけは、よく分からなかった。
「それもあるが、それ以上の意義がある。まぁ、それは考えてみろ。自ずと分かる」
ゼロが少し、むっとした。
「なら、後でその解答とやら、見せてもらうぜ」
そう言って、ゼロは紅神のコクピットへと消えていった。
「昔から変わらないな、あいつは」
少し、ハイドラが苦笑した後、ファルコに目を向けた。
「どうせ俺も、後はお前達に教えるだけだ。いいか、動作、兵の動かし方、気の読み方、全てを俺から奪いつもりでやれ。相手はまだ三百機近くいるが、そんなものは物の数ではないことを見せてやる。そして、あくまで戦略があるからこそ、戦術も輝くと言う事を、覚えておけ」
そう言って、ハイドラはファルコの肩を、ぽんと叩いて、蒼天のコクピットへ向かっていった。
自分もまた、やるだけだ。
そう思い、ファルコもリカオンのコクピットへと急いだ。