第三十五話『No Escape』(3)
3
AD三二七五年七月二三日午前九時一〇分
不思議と、心が別の意味で滾っている。
戦で暴れるためだけではない、何か。強いて言うなら、他人の戦をもっと見てみたいと思う、今までの自分なら考えられない思考が、自分を高ぶらせている。
そういう自分に一番違和感があると、ゼロは感じた。
戦況は刻々と入ってきた。
ベクトーアはほぼ全軍がインプラネブル要塞へ籠城した。
フェンリルもじわりとだが、そこに進軍しつつある。
昨日、ベクトーアとフェンリルとで小競り合いがあったようだが、その小競り合いでスコーピオンをかなりの数失ったことが響いたことと、フェンリルからしてみれば敵防衛圏内に入っていることが効いているからか、進軍速度は比較的ゆっくりだった。
だが、遅くとも今日の夕方から戦闘に入るだろう。
流石に数が数だが、それすらも囮だとすれば、フェンリルは迷うことなく首都を奇襲する。
何故かあの華狼にいたはずの狭霧も、イーグがフェンリルに降ったらしい。フェンリルの所有するプロトタイプエイジスは、これで三機と言う事になる。
もっとも、三機のうち一機は傭兵の機体であるが、傭兵は普通、金が払われ続けている限り裏切る心配はない。
ただし、それは普通の傭兵だった場合だ。どうもあの犬神竜一郎という男は、不敵な目をしていると、ゼロには思えた。
恐らく、名字からして、あの竜三の親父がこの男なのだろう。前に竜三と話をしたとき、この姿を伝えたら妙な興味を示していたのを、今になって思い出した。
貨客船に偽装した輸送艦の部屋に一人でいると、不思議な物で様々な考えが脳裏に浮かんでくる。
そもそもこの輸送艦自体、例の前から噂にはなっていたロキから出た物だ。
案の定、ロキはフェンリルの前線に作られた工廠だった。フェンリル軍が中に入り込んでいたのだ。
ハイドラがその他数名のシャドウナイツを引き連れて、アグレッサーとして出撃するという形を取った。
偽造したフレイアの署名入りの命令書まで持って、船を一隻奪い取った、という形になる。
しかし、よくこの輸送艦に行き着くまでに、軍の兵士から村正と勘違いされたが、ハイドラが他人のそら似の傭兵だと言ってくれて助かった。
やはり、村正は相当国内で名の知れた存在だったと思い知ることが出来た。裏切ったなど信じられないと、嘆き悲しむ兵士が多くいたのだ。
それを見て、傭兵であった自分は、矮小な存在であったとも思い知ることが出来た。
それはそれでありがたかった。傭兵であるが故に、汚いことも様々やってきた。それに、傭兵であると同時に、自分はこの間までベクトーアにいたのだ。それでフェンリルの連中を、何人も殺している。
自分の素性がばれて、遺族に絡まれると言った面倒なことは、今は起こしたくない。
それに、ここまでは自分の仮説が正しかったのだと分かっただけでも十分だった。
何故か、そういうことに満足している自分がいること、それは、何度考えても驚きだった。
こういう考えるという行為を、いつから放棄したのか、分からなくなった。
ひょっとしたら、ルナやロニキスもずっと戦模様を思い描いていたのだろうか。
いや、ルナ達だけではない。
古今東西、あらゆる兵法家や軍師と呼ばれていた人間が、恐らく常に頭の中で戦模様を描いたのだろうか。
知りたい。無性に、そんな感情が出てきていた。
あくまでも、自分のそれはまだ真似事に過ぎない。
だが、一歩は踏み出した。何事も諦めなければ、いずれ前に進める。
そう信じ続けて、既に二〇年以上過ごしてきた。ただ、まだ出口は見えてこない。
この船も、そして自分も、恐らくハイドラの策に対する行き賭けの駄賃なのだろう。
スコーピオンとは名ばかりの、ハイドラ旗下にしか与えられていないスコーピオンと呼ばれている『何か』が、この船には満載されている。
前に噂に聞いた、例の空戦が可能なスコーピオンだった。
輸送艦の中に、実際に入っている機数は一二機のみだが、それでも、率いる奴が率いれば恐らく生半可ではないほど強い。
空戦が出来るM.W.S.が厄介であることは、BA-09-Sや華狼の保持している東雲などが証明している。
しかし、いくらなんでも、これから挑む相手は、いくら海岸拠点の一箇所を強襲するとは言え、その一拠点にいるM.W.S.は三〇〇〇機を越える。
それをどう蹂躙するつもりなのか、それだけはまだ分からない。
少し、戦模様を見る必要があると、ゼロは思った。
しかし、いくら部屋が宛がわれたと言っても、窓は完全にはめ殺しになっている。ベッドと机があるだけの小さな部屋だが、タブレット端末や自分の義手に使える5.1ミリ弾、更には刀剣まで含めて、一通りの物は揃っていた。
当然自分の、今は片刃が完全にもげている両刃刀も含めて部屋には置いてあるが、それだけあってもそこまで手狭には感じなかった。
しかし、この窓は、流石に貨客船に見せかけた輸送艦だけあって、高透明度を誇るEL製の透明装甲板になっている。試しに切れ込みを入れてみたが、そう簡単に切れる物でもなかった。
つまり、その気になれば、ハイドラはいつでも自分を殺せるという状況にあるのだ。
飼い殺されるのだけはごめんだが、完全にこれでは鳥かごの中の鳥と同じだ。
「かえって、めんどくせぇ状況だな、これ」
「まったくだな」
見知った声が、上からした。
ハッとして天井を見ると、天井のダクトからすっと、音も立てずにディスが下りてきた。
現実なのか、それとも俺は夢を見てるのか。
何度も、目を瞬きさせたが、ディスの存在感は増えるばかりだ。ただ、気配は自分だけに向いており、それ以外には一切気取らせるような気は発していない。
しかし、今まで気配すら感じなかった。それどころか、この男は敵中ど真ん中にいることになる。
そのことに対して、不安も何もこの男は感じないようだ。
感情が死んでいるのだろうと言う事だけは、なんとなく最初から分かっていた。
だからこそ誰にでもなれるが、同時に己というものが何もない。だから、いわゆる個人個人が発する『己』という気配がない。
ディスは、そういう男なのだろう。
「よくここが分かったな」
「紅神の足取りを辿っていったら、すぐに分かる」
「紅神?」
「気付かなかったのか。紅神の中に、お前の生体反応や動きと連動する発信器を付けた。あの医者もそれを付けることをあっさりと了承したぞ。経過観察も発信器越しに見ることが出来て楽だとな」
少し、頭を抱えた。
恐らく、レヴィナスの構造を、自分の手術中に少しいじくったのだろう。玲なら嬉々としてやる。そういう核心がゼロにはあった。
昔からそういう男だというのは、よく知っている。
今度あいつを殴ろう。それだけ思って、少し拳を握った。
「で、てめぇがここにいるっつーこたぁ、俺を消すか? それとも、てめぇらに策があんのか?」
「策、か。ない訳ではないが、やはりもう少し、ハイドラの真意を確かめたい。奴は、フェンリルを離反する気か」
「いや、あいつはまだ『期が到来していない』とか言ってやがった。恐らく、まだ暫くはタヌキ決め込む気だろうよ」
「期、か。貴様に聞くが、あいつは何を待っていると思う」
「さぁな。それがわかりゃ苦労はねぇよ」
半身切り落とした理由がすぐにわかりゃ苦労はねぇ。そう言おうとして、口を噤んだ。
実際、それが簡単に分かれば、今頃こんなに悩んではいない。
それでディスは、話題への興味を失ったように、ゼロには思えた。
その後、現状について、二、三話した段階でスッと、ディスの気配が消えた。
よほど己の気を集中させない限り、見つけることは難しいほど、気配がなくなった。一応、気をそうして集中させる限りでは、部屋からは出て行ったようだ。
どうやって出て行ったのかは分からないし、興味もない。
この男といい、これを束ねるロイドといい、ルーン・ブレイドも相当に深い闇を持っていると、改めて思った。
そして、こうした闇の部隊が情報をもたらすことで、戦は状況が好転も暗転もする。如何に早く、如何に正しい情報を伝え、それを基に戦模様を考える。それを、恐らくロニキスもルナも、毎回やっていたのだろう。
まだ、自分にはそれを上手く活かせる術がない。まだまだ、学ぶことは多いのだ。
一人になって、先程ディスから得た情報から更に考える。
ディスの言う通り、フェンリルから近いうちにハイドラは離反するだろう事は容易に想像が付く。
恐らく、フレイアも多少なりとも気付いているはずだが、何故それに乗らないのか、それだけが少し気がかりだった。
まぁ、それは正直今のところどうでもいいので、また地図を広げて、ペンで詳細を書き入れる。
戦況は予想からさして外れていないが、ルーン・ブレイドは遊軍として回るらしい。
空中戦艦を一隻持っているのだ。それに、少数部隊であるため機動力もある。その点では妥当な判断だろう。
ザックスが指揮を執っているという話も聞いたが、確かにあの男らしい指揮の取り方だった。
妥当な、博打の少ない戦をする。つまらないと言われればそれまでかもしれないが、逆に言えばシンプルである分崩しにくい。そういう戦い方を、ザックスは得意としている。
なるほど、また一人、学びたい奴が出来た。
そう思ったとき、部屋をノックする音がして、思わず両刃刀に手が伸びたが、それより前に、シンが入ってきた。
「ゼロ殿、そろそろ、戦のお時間だそうです」
「あいつが、動くか」
「はい。そろそろ概要は話すとのことでしたので、ご準備を」
いよいよ、本格的に戦が見られるか。
いつの間にか、少し笑っている自分がいたことを、冷静に見つめている自分を、出来る限りゼロは忘れないようにした。
もう一人の、冷静に、出来るだけドライに見つめられる自分がいることを忘れないようにする。それでまた、戦模様がまた違って見えてくるかもしれない。
そう思うと、また、心が高ぶった。