第三十四話『Salamander』(2)
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AD三二七五年七月二二日午後八時三九分
急報が入ったのは、ある程度会議がまとまりかけていたときだった。
ベクトーア本土にフェンリル軍侵攻。フェンリル軍保有戦力、スコーピオン三万機。
そして、前に自分が一度寄った鉱山基地で防備を固めていたはずのレヴィナス二g、シャドウナイツのプロディシオを名乗る男により強奪。
二件とも、ほぼ同時刻に寄せられた急報だった。
会議室が、一気にざわついた。それもそうだ、どちらとも四海を揺るがすような急報だ。
「静まれ」
ただ一言、ザウアーがそう言った。
それだけで、会議室が静かになった。
腹の底から出てくる暗い声だ。一番騒ぎたいのは自分だと暗に告げているときの、ザウアーの口調だった。
昔、それこそザウアーが大荒れに荒れていた不良時代、よくこの声を耳にしたと、スパーテインは思い出す。
実際、武官である自分からしても、三万機という数には驚くが、それ以上に驚くのは、あれだけ籠もりに籠もっていたフェンリルが出てきたことだ。
より戦を大規模にしようとしているのは、間違いないだろう。
だが、何故今この時期に出てくるのか、その理由が分からない。
「会長、レヴィナスの奪還を考えねば」
「そんなこと必要ない」
また、会議室がざわついた。
たった二gとはいえ、レヴィナスはそれ自体が戦争の火種になる程の強力な存在だが、ザウアーはそれを取り返す必要がないと言った。
取られたのだから仕方ないというのは、ザウアーらしくない。
となると、何か策があるのだろう。
「ザウアー、お前、あえてレヴィナスをフェンリルに渡したな」
言った瞬間、全員の目が自分に言った。
そんな中でも、ディアルと自分だけが、整然としている。どうも、武官と文官とは、そういう感情の取り方が違う物らしい。
ザウアーは今、会長であると同時に、武官なのだ。そういった表情を、久しぶりに見せている。だから自分もまた安心出来るのだ。
「ああ。それについては、カームやフェイスから報告してもらうか」
ザウアーが、手元のリモコンのスイッチを入れて、右側のモニターの電源を入れた。
カームの、飄々とした顔と、大あくびをしたフェイスが映っていた。
『よぅ、ザウアー! お前ホントにスパ兄と殴り合ったんだってな! その顔おもしれぇなおい!』
フェイスの無駄に大きい笑い声が、会議室に響き渡った。ザウアーは頭を抱えている。
今更過ぎるかもしれないが、少し会長相手にやりすぎたかもしれないと、反省している自分がいた。
冷静になって考えてみれば、あれはザウアーなりの自分に対する発破の掛け方だったのだろう。
フェイスの顔が、ひとしきり笑い終えたところで真面目になった。
『まぁ、いい。どちらにせよ、うちらの基地にフェンリルから奇襲があったのは事実だが、前にお前から指示があった通りに、あえて渡したぞ。そっちが睨んだように、渡してシャドウナイツが下がった瞬間、陽動役だった狭霧も退却したしな』
カームが、少し不満そうな口ぶりで言った。
あえて渡すことで、ザウアーはフェンリルの反応を見ようとしたのだろう。
狭霧も退却したと言う事は、レヴィナスさえ手に入れば、フェンリルは華狼などどうでもいいと、暗に告げているような物だった。
狭霧。
そう言われて、一瞬妙な違和感を覚えた。
「ん? ちょっと待て、カーム。狭霧だと?」
「戦線導入がいやに早いな。裏切ってからまだ一日だろ?」
『大方フェンリルが、少しばかり宣伝しときたいんだろうさ。あっちの方で頻繁に流れてんだろ、プロトタイプエイジスが来ましたって』
フェイスが、苦笑するように述べた。
しかし、本当にそれだけの理由だろうか。
何故か、それが引っかかる。だいたい別に狭霧を使う理由は無い。
あの地域に展開しているフェンリル軍も、脆弱であったのは事実だがいるにはいるし、別のシャドウナイツを使う手もあったはずだ。
だが、あえてフェンリルは狭霧を導入した。
シャドウナイツ。
そう言われて、ハッとした。
「他のシャドウナイツは、何処に消えた」
今残っているシャドウナイツは、ハイドラ含めて六名だ。うち一人は襲撃をしてきた。
だが、残りの五名は今、このベクトーアを殲滅させようかという勢いの時に、何故いないのか。
更にはプロトタイプエイジスがもう一機、シャドウナイツとは違うが傭兵として与しているが、これも見当たらない。
すぐに、ドルーキンが立ち上がった。
「会長、私の諜報部隊に、シャドウナイツのありかを探らせます。場合によっては、今この瞬間に、フェンリルの連中、我々の方にも離間を掛けてこないとも限りません」
確かに、今自分達の目はベクトーアとフェンリルに行きすぎている。内部を固めるのは上策だろう。
「分かった。任せるぞ。状況が状況だ。四天王と江淋以外全員仕事に戻れ。何かあったらすぐに俺に報告しろ」
「御意」
会議室にいた全員が、一斉に拱手をした後、足早に会議室から出て行った。
先程まで熱い舌戦を繰り広げていた会議室が、急にしんとした。今や部屋には四人、そしてモニター上に二人いるだけだ。
「で、奇襲してきた奴の印象はどうだった?」
ザウアーが、最初に口を開き、カームに目をやった。
モニター越しにも、少し覇気がある。前に会った時よりも、その覇気は大きい。
カームと手合わせしたいという衝動に、スパーテインは駆られた。
『明らかに兄貴やザウアー兄の考えのように、ハイドラとフレイアは敵対していると思ったね。今回戦った奴は、多分ハイドラ派の奴だろうけどな』
「そう思った理由は?」
『やり口が間諜みたいな奴のクセに村正そっくりすぎるんだよ。スモーク投げつけて突然現れたかと思えば、大胆にも最後は正面から切り込んで、レヴィナス渡して少し戦ったら正面から出てったんだぞ。いくらなんでも村正に近くなけりゃ、こんな手口まねないよ』
大胆な手口だが、確かに村正だったらこういう手を使っただろう。あの男はこういう戦が好きだった。
そういえば、村正にそっくりな男がいたのを、今になって思い出す。今はベクトーアに所属しているゼロという傭兵がいたはずだ。
だが、考えてもみれば、あの男の型は村正と違って、己の勇を頼りに突っ込むタイプだった。
力加減で言うなら、スパーテインの見る限りでは弟の方が強いが、村正ほどの器はまだないと、スパーテインは見ていた。
『それに、正面からこっちも戦ったが、いわゆる間諜みたいな仕事をメインでこなしてたんだろうな、正面からの戦いに少し戸惑っているようにも見えたし、愉しんでいるようにも見えたから、っつーのもあるかもしれないな。ま、オイラの主観だけどね』
『そのせいで今回も俺は結局何もしなかったぞ、カーム。流石にカームが殺される一歩手前になれば出ただろうが、その必要すらなかったからなぁ。狭霧も去るわレヴィナス渡すわ、そのせいでこの『鉄壁』とまで言われた俺の守備力にケチ付けられんのは目に見えて明らかだわで、結局一番割食ったの俺だぜ? 少しばかり今回の給料あげてくれねぇと割にあわねぇよ、ちくしょうめ』
フェイスがぐちぐちと文句を言い始めた。この前の防衛戦でも敵を回すと言っておきながらこちらの方で敵五十機を粉砕したこともあり、フェイスはここ最近ろくに戦っていない。
それなりに鬱憤が溜まっているのだろう。
呵々と、ザウアーが笑っていた。
戦は、やはり人間同士でやるのが一番だ。それ故に、互いに尊重し合うことも出来る。
今回進入してきたシャドウナイツのメンバーも、恐らくそうやって村正のやり方を尊重したのだろう。
ふぅ、と一度ザウアーがため息を吐いた後、一気に会議場の雰囲気が張り詰めた物に変わった。
「しかしスパ兄、確かにさっき言ったようにシャドウナイツの動きは気になるな」
「それも気になるが、私にはもう一つ、気になることがあるのだ、ディアル。こればかりは、まだ下の方には知られたくはないのですが」
江淋が、無言で頷いた。
「では。昨日、スコーピオンがアイオーンになり、狭霧が裏切ったあの戦闘だが、私はあの時、妙な音を聞いた」
「音? ディアル、何か聞こえたか?」
「まぁ、確かに少しだけだが。エレクトーンとか、ピアノとか、そういう感じの音だった気がする。俺もなんでこんな音が聞こえるのか、疑問に思ってた」
「そこで、私なりの推論だ。あの時、ロックがいたのを確認しているだろう。あの男がもしアイオーンで、あの音自体が特定のレヴィナスを暴走させるためのコードのような物だったとしたら、どう思う」
全員が、ぽかんと口を開けていた。
実際、自分でも突拍子もない事を言っているという自覚はある。
だが、狭霧の撤退時に何処かへ文字通りに消えたり、はたまたどういう理屈か一切不明の音響兵器で陸上空母一隻を轟沈させたことを考えると、どうしてもそういう結論になってくる。
「確かにその可能性、ないわけじゃないのぅ」
江淋が紙媒体の資料を出し、全員に配る。
事細かにロックのことがまとめられていたが、不明なデータがやたら多かった。
「あのロックという男、経歴が一切不明じゃ。それだけならまだしも、シャドウナイツ入りした経緯すら、我々はつかんでおらん。それに、昔から暗躍しておった気配もあるしのぅ。それも、かのヴァーティゴ・アルチェミスツの時代からいた可能性すら否定できんのじゃ」
ヴァーティゴと言えば、既に死んでから一〇〇年以上になる。そんな前から暗躍しているという可能性が示されても、スパーテインは不思議と驚かなかった。
ロックがアイオーンだと考えた方が、突然のガーディアンシステムの暴走による狭霧のアイオーン化も、レーダー反応からセイレーンが突然消えたことも、一瞬だけアイオーン化した狭霧と対峙したときに、急に気配がエミリオでなくなり、その末にメガオーラブレードをへし折られたのも、納得がいく。
「そこで会長、この男、もう少し探らせてみるつもりですが、よろしいですかな」
思ったより江淋はつかんでいる。この人はいったい何処から情報を収集してくるのかと心底思う。
自分達が戦の前に敵を知るために斥候を放つことがあるが、それと同じような感覚で、江淋は重要な情報をさらっと持って来る。
ドルーキンも介しているのだろうが、よくわかるものだと、感心しきりだった。
「分かりました。頼みます、先生。カームとフェイスはさっさと撤収して本社へ戻れ。ディアルは調練を引き続き頼む。そしてスパル、お前は武器を新調しろ。詳細はこれに書いてある」
ザウアーが、これまた紙の資料をスパーテインに投げた。
キャッチしてから内容を確認すると、そこには、エイジス用、それも重量級エイジスでなければ間違いなく使えないような巨大刀の設計図が描かれていた。
コードネームには『泰阿』と書かれている。
なかなか面白そうな武器であることに、間違いはなかった。
「材料は?」
「東雲の改造の際に用いたレヴィナスを全部使っていい。今の技術力でもって最強の剣を作る。それだけが目的みたいだぞ、文来は」
「あの男らしいな、まったく」
そう苦笑した後、なし崩し的に今後の軍議になった。たまにドルーキンやヴィーゲンをテレビ会議で呼び出して、会議をやった。
解散が命じられ、本社ビルを出ると、既に月も中天を越えていた。
時間は、既に午前三時を回っている。
さて、あのフェンリルに対し、どう出る、フレーズヴェルグ、そして鋼。
あの二人の若者が、この戦の鍵を握る。何故か、スパーテインには、そんな気がしていた。