第三十三話『ゴールデンタイムラバー』(4)
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AD三二七五年七月二一日午後八時五三分
何処からこの兵力は湧いたのだ。
何度考えても、それだけが分からない。
会議室は、静まりかえっていた。
一度補給をしようと、自分達のホームであるフィリム第二駐屯地に帰って早一時間。帰ってくるなりすぐに会議を招集した。
前線に出ているエド達の部隊以外、主要な各部隊の隊長や副隊長と言った主立った面々は全員集まっている。
ロニキスが説明をする度に、状況に対する質疑応答が多々行われるが、その度に沈んでいく。
その様を、ルナは何処か落ち着かない様子で覗いていた。
敵スコーピオン、ざっと三万機以上。これが攻めてくると言うのだ。億劫になるなと言う方が無理がある。
やはりあのロキという妙な会社に目星を付けた段階で、もっと探りを入れておけば良かった。そうすれば、ここを攻撃する許可も下りただろうにと、今になって後悔していた。
それを上層部に打診しなかった自分達が招いた種だとも、なんとなくルナは思っていた。
民の避難は、徐々にだが完了しつつある。沿岸の方には、かなりの数の防衛部隊を割り当てた。それでスコーピオンを出来るだけ減らす、という正攻法でいくと同時に、補給路を早期に突き止めて潰す、という手でいくしかないだろう。
スコーピオンとてM.W.S.だ。いずれ燃料切れになる。
補給路さえ寸断出来れば、ガス切れを起こしたM.W.S.という鉄くずが大量に出てくる結果となる。そうなれば戦車砲でも蹂躙出来るだろう。
だが、何故かそうはならないと、ルナの勘が告げている。
第一あれだけの量で来るのだ。補給路を考えていないわけがないし、先日の華狼とフェンリルのアフリカでの攻防戦を見ても、フェンリルはスコーピオンに偽装させたアイオーンを使ってきたという噂も耳にした。
全部がアイオーンなら、駆逐するまで終わらない。そうなると補給路すら必要ないかもしれない。
しかも、アイオーンが来たときに感じる、頭の奥を軽く叩くような頭痛が、さっきからずっと止まらないのだ。
それが自分を余計に憂鬱にさせる原因なのかもしれないと、冷めた目でルナは自分を見ていた。
先程から、フェンリルの会長であるフレイアの演説が、全世界規模で続いている。
「ラングリッサを攻めてきたベクトーアを我々は完膚無きまでに打ち崩したのだ。更にはベクトーアには裏切り者まで出た。このような惰弱な者共との戦いには、今こそ終止符を打たねばならない。今が好機である。全軍進軍せよ。アフリカというこの大地の強さを、今こそ見せるときだ」
だいたいフレイアの演説を要約するとこうなる。典型的な演説とも言えるが、あのフレイアのカリスマ性からか、言うといやに士気が上がるらしく、フェンリルの治める各都市で今義勇軍も立ち上がっていると、ルーン・ブレイドの諜報部からも報告があった。
どう動くか、考えなければならない。
「大尉、どうした?」
はっとして、顔を上げた。
ロニキスが、少し自分を睨むように見つめていた。
「申し訳ありません。少し、考え事をしていました」
「何を、考えていた?」
「どうもフェンリルの攻めてくる理由が引っかかるのです」
「フレイアの言う通りに、士気が上がったためと見るのは?」
将の一人が、言った。
「最初は自分もそう考えました。しかし、国境沿いでの華狼の戦と言い、今回と言い、あまりにもフェンリルにしては動きが急すぎます。この戦乱にフェンリルが参戦して十年経ちましたが、あの国はアフリカにずっといて、たまに国境を越えたと思っても、何故かすぐに帰りました。版図も広げませんでした。今になって突然やる理由が、自分達の軍勢を打ち払ったということだけとは思えないのです。ラングリッサの防衛もこれが初めてというわけではありませんし」
イーギスの裏切りからここに至るまでは間違いなく一貫した作戦だったのは事実だろう。
だが、本当にフェンリルは反攻作戦を展開する気があるのか。
確かに攻めてきている。
しかし、機数が多すぎる。しかも如何にも捕捉してくださいと言わんばかりに船でロキという会社名だったフェンリルの工房から運び出している。
力を誇示させようと思っているのか。それとも、別の何かがあるのか。
どうもそれが見えてこない。
急報が舞い込んできたのは、そんな時だった。
「急報、急報です!」
「何事だ」
「ふぇ、フェンリル軍のスコーピオン、ベクトーア本土に上陸しました!」
「何?!」
一斉に、座っていた人間が立ち上がった。
自分も、思わず立ち上がっていた。いくらなんでも早すぎる。
「だって、うちらの計算では、後三時間掛かるはずだったじゃない! 詳しい事情、分かる?」
「この海域近辺まで潜水艦出していて、そこから大型ミサイルでスコーピオンを射出してきたんです。高高度からミサイルの破片と一緒にスコーピオンが二大隊分降ってきたと、戦線の兵士が報告してきました。奇襲です」
必要最小限の武装及び燃料を搭載したスコーピオンを満載にした大型ミサイルを、洋上から何発も撃てば、こちらが準備をしている間に先遣部隊として奇襲が出来る。
だが、そんな高高度へ一気に射出した場合、中のパイロットがそのGに耐えられるわけがないと思った段階で、ルナははっとした。
無人兵器。
エミリアが言っていたフェンリルが開発していた無人兵器となっているM.W.S.。
無人ならば高速でM.W.S.を打ち出しても、中にパイロットがいない分安全性を考慮する必要がない。そのため人が乗っていたら不可能な作戦も、いくらでも実施出来る。
それに、少数でも海岸付近に奇襲を掛ければ、それだけ混乱する。
仮にその奇襲部隊が打ち払われたとしても、それに対応するためにある程度の隙が出来ることは必定。
その間に、あの数万機のスコーピオンを満載した船を接岸させ、一気にベクトーアへ正面から攻め寄せる。
恐らく、これが考えていることだろう。
だとすれば、海岸線に展開している防衛部隊が危険すぎる。
三時間と読んだ自分達の考えより、一時間近く早いのだ。準備が出来ていない可能性すら高い。
「艦長! 上層部に打電するべきです! このままでは、海外線が軒並み……」
「もう、遅かった」
そう言われて、手に持っていたタブレット端末にアップロードされた戦況を見た。
沿岸の警備部隊が、軒並み潰走していた。九箇所に築いていた海岸の防衛拠点が、同時に奇襲されたのだ。
自分達がロキにやったことと、全く同じ手を返された。
こちらはそこが連携を取りながら防衛に専念する予定だったのが、同時奇襲により一気に連携が取れなくなり、その結果潰走したというのだ。
一糸乱れぬ動きだった上、コクピットを撃ち抜いてもなお前進してきたとまで書いてある。
やはり無人機としか考えられなかった。統率が取れすぎている。
しかし、残っている部隊も多いが、戦線は六〇キロ以上後退した。
追撃戦を仕掛けてこないところを見るに、今のところフェンリルも動く気配がないらしく、少し膠着の様相を呈しているという。
何せ圧倒的な数があるのだ。こちらが奇襲しても数で圧倒されるのは目に見えている。
じっくりと締めていく。そういう戦略でいっているのだろう。
総指揮を執っているのがイーギスの偽物だとすれば、この前のラングリッサでの攻防戦で本来見せる予定だった作戦のように、急に速戦に変えてくる可能性も否定はできない。
その後は、なし崩し的に軍議となったが、ある程度の想定策を考えて終わってしまった。しかも、士気はかなり下がった状態での会議だったから、余計に暗くなった。
解散を、ロニキスが告げた後、ロイドとルナだけ残された。
広かった会議室には、自分を含めて三人しかいない。
こういう時は得てして会議の内容は決まっていた。
存在しないはずの人間との会話だ。
「さて、動きはどうですか、ジョーカーデス」
ロイドの声に呼応するように、タブレット端末にジョーカーデスのコードを持つ男-ディスの端正な顔が映し出される。
ブラッドと兄弟と言うが、何度見ても似ていないとルナは思っていた。
表向きディスは存在しないし、存在そのものがこの部隊と上層部の中でも極々一部のみしか知らない。流石に他人の目に触れさせるわけにはいかなかった。
情報が何処から漏れるか、分かった物ではないからだ。
『動きも減ったくれもない。ハイドラは未だに静観を決め込んでいる感じがあるしな』
「ストレイ少尉と連絡は?」
『何もない。だが、紅神のデータは健在だし、あいつが殺されたような形跡もない』
紅神に、ディスは某かの細工を施したらしい。
エイジスはイーグがいなければジェネレーターを回すための動力すら確保出来ない。そしてそのイーグはエイジスのデータが刻まれた液状レヴィナスを体内に取り入れる必要がある。
液状レヴィナスが体内から抜き出されていた場合、直ちにエイジスの起動認証装置はかつて乗っていたイーグのデータをほとんど消す。せいぜい分かるのは今自分がこの機体の何代目イーグなのか、かつてどういう人間が乗っていたのか、それくらいしか分からないように出来ているのだ。
つまり、逆にエイジスの状態からイーグの生体反応を見ることも出来るのである。
ディスはそれを用いて紅神を監視しているのだろう。紅神を監視することはゼロを監視することでもある。
特段問題がないことに少しホッとしている自分がいたことには、ルナはいささか驚いていた。
あの男に少し惹かれているのかもしれないと、どことなく思っている。
「華狼はだいぶ大人しいみたいだが」
『いや、そうとも言えないぞ、艦長。実はさっき入った情報なんだが、どうも華狼の鉱山基地で戦闘があったらしい』
「戦闘? 何処とだ?」
『フェンリルとだ』
「ほぅ」
ロニキスが、少し眉間を抑える。
ロイドは、こういう時には胃薬を出さない。ロニキスは普段のルナ達の行動に胃を痛めているだけであって、戦に関しては異常なほどに貪欲で、とにかく戦そのものを愉しもうとする感覚があるのを、ルナはよく知っている。
こういう好戦的すぎるところが、ロニキスがこの部隊に配属になった原因の一つであるように、ルナには思えてきた。
その一方で、部下の話を一度聞いた上で判断を下す大きさもある。
隊の長としては、もっとも最適な要素を備えているといえた。
詳細が、ディスの口から淡々と告げられたが、やはりレヴィナス目的の戦闘であった可能性が極めて高いという結論に達した。
だが、腑に落ちない。
「レヴィナスが奪われたという割には、華狼の被害少なすぎやしませんか? それに、華狼が何も行動を起こさないというのも気に掛かります」
ルナが情報を見て、まっさきに気になったのがそこだった。
この鉱山基地は前にも襲撃を受けている。その時は華狼四天王のうち三人が、七五機で一五〇機を皆殺しにしたという情報も入っていた。
今回の戦闘ではアイオーン化した狭霧が陽動を勤め、その間にシャドウナイツのメンバーが単騎で奇襲をしたという。
その割には当該施設の死者は十人に満たず、むしろ狭霧によって破砕されたゴブリンの数の方が多いのだ。しかも死者の中に重要なメンバーは含まれていない。
フェンリルもあっさりと引き、華狼の方も表だってこれといって何か手を打っている様子もない。
示し合わせた行動なのか、それとも確かめたいことがあるのか、少し見極める必要があるように、ルナには思えた。
「確かに。何か策があるか、或いは、確かめたかったのかもしれません」
ロイドが、タブレット端末からこちらに目を移した。
少し、表情が曇っているし、目が真剣だった。こういう表情のロイドを見るのは、珍しい。
「どうも大尉の話を聞いていると、あのラングリッサ近郊のハイドラ直轄の街が引っかかります。状況や、投降してきたエミリア殿の意見からすると、恐らくハイドラは独自の部下を持っていると見て間違いないでしょう」
「つまり、フェンリルはフレイア派とハイドラ派に二分している、と?」
「恐らく。それで前から言う、ハイドラが別の考えを持っているとするならば、あえて華狼はそれを見極めるために、レヴィナスを渡したのかもしれません」
「つまり、奇襲してきたシャドウナイツがハイドラ派か、そうでなくフレイア派かを見極めようと?」
「或いは、そこに離間の手が掛けられないかを検証するつもりか、か」
ロニキスが、口を挟んだ。
不敵に、ロイドが笑う。
「そうです。私なりの計算ですが、少なくとも華狼がフェンリルと組むことはないでしょう。あのザウアーの性格ですからね」
確かにザウアーの性格を考えれば、フェンリルとは相容れることはないだろう。
そして同盟も結ばないであろうと思える核心もある。
フェンリルと同盟をすると言い出したら、恐らく真っ先にあの華狼四天王が反対するであろうことは目に見えているし、何よりザウアー自身が四天王に限りなく近い性質を持っている。
「となると、華狼は暫く放っておくか」
『多少の監視は必要だがな』
私兵は残しておく、と、ディスが暗に告げていた。
まぁ、華狼の方はそれで問題はないと言っていいだろう。
「それ以外には?」
『実を言うと、俺はこっちの方がよっぽど重要だと思っている。さっき、ロキの前線基地を空軍が奇襲しただろう。その時、ザックス肝いりの奴が率いる部隊の近くにいたんだが、そこで妙な物を捉えた。今それを送る』
ザックスの肝いりの空軍所属というと、アッシュ・ラウドとか言う女性が思い浮かんだ。
直接の面識はないが、なんでもダリー・インプロブスに影響を受けて、異様に荒っぽいという話は聞いている。
出来はいいが、形から入るだけの人間はあまり大成しないし、何より、昔自分がダリーに撫でられたとき、手のぬくもりに粗野な中に混じる不思議な優しさを持っていたことを、よく覚えている。
ダリーをただの粗野な人間とだけ捉えているのだったら、腹立たしいとルナは思っていた。
人を好き嫌いで判断することはほとんどしないが、それでも嫌いな人間と思えたのだ。
自分がルーン・ブレイドの戦闘隊長という、ダリーと同じ地位にいるから、余計にそう感じるのかもしれない。
アップロードされたのは、一枚の写真だった。
夜間でしかも望遠のため、そこまで鮮明ではないが、しかし、妙な形をした機体が映っていた。
「なんだ、これは?」
ロニキスが唸るのも道理だ。自分も、一度つばを飲み込んだ。ロイドも、珍しく少し額に汗を浮かべている。
端末に送られた写真を見るに、オーラシューターだけがいまいち分かりにくかったが、それ以外の特徴である、緑色のツインアイに尖ったマニピュレーター-ナックルクローは備えていた。
明らかにプロトタイプエイジスだ。
青色に塗られたその機体は、背後には尻尾のような物が生えているし、肩は全体的に少し大きく、砲口のような物が見て取れる。
今まで見たことのない機体だった。だが、アイオーン化した狭霧のような、禍々しさはなく、むしろかえって機械的な印象がある。
「まさか、フェンリルがこれを発掘したと?」
『最初はそれを考えたが、だったらこいつをもっと表だって出すだろ。こいつが妙だったのはその動きだった。この写真にあるような肩からかなりでかいオーラカノンを出してきてな、それでロキからあの空軍の連中を追撃に出てきたスコーピオンをなぎ払った』
「つまり、フェンリルには属していない、というわけか」
『多分な。これが行った砲撃でスコーピオンは文字通りに全滅した。跡形も残ってないほどにな。一方空軍はBA-09-Sのバインダーが少しやられただけで済んだ』
もう一度、つばを飲み込む。
紅神のデュランダルに匹敵、いや、間違いなくそれ以上の出力を持つ、内蔵式オーラカノンを持つプロトタイプエイジスを持つ軍勢がいる。
ミリタリーバランスに、某かの変更を及ぼすのは必定だろう。
「機体については、少し整備班に調べさせてみよう。で、お前はどうする?」
『少しハイドラ見たらそちらへ向かう。後方から攪乱出来るかどうかは、俺の私兵と検討する。それまでは頼むぞ、艦長。副長、暫くは俺も自由に動くが、いいか』
「構いませんよ。元よりそのつもりです。ただし、命令があった場合は必ず帰還するように」
『了解している』
ディスが通信を切ると、一度ロニキスが深いため息を吐いた。
自分もまた、それになぞってため息を吐く。
「重いな、色々と」
苦笑しながら、ロニキスが言った。
「まだフェンリルは動くまい。これから暫くは忙しくなるだろう。一度、骨を休めておけ」
「しかし艦長、悠長に構えていては」
「大尉、少し休め」
一度、ロニキスが立った。
今は動いていたかった。
そう言おうとしたとき、ロニキスがぽんと、軽く肩を叩いた。
それで、急に体が倒れかけた。
「その体で、今君はどうするつもりだ? 死にに行くのか? それでまた、レムを哀しませるのか? それは、あの子の心を、本当に殺すぞ」
ロニキスが、倒れかけている自分の体を押さえている。そうでもしなければ、本当に倒れてしまいそうな自分がいたことを、ルナは初めて気がついた。
情けない。唇を、噛んでいた。
ロニキスから一度離れ、少し、息を吸う。
「今日は帰りなさい。そして、もう一度、今度こそ悔いがないほどに、レムと話してこい」
「え?」
「私が何も見ていないとでも思ったか? 今朝叢雲で、散々自分の感情を隠しきったまま、レムと話していただろう。そして会議の時間になると、そのまま一度出た。出るときの表情、後悔の色以外何もなかったぞ」
「見ていた、のですか?」
「あぁ。一度、胃薬を取りに行くとき、偶然に見かけた。悪趣味だと思うかもしれんがな。私にも責任があると感じたからだ。准将に対する責であり、君やレムに対する責でもあった」
「責など、そんな、艦長には何も」
「いや、私は長だ。この部隊の、長だ。責は常に負わねばならぬ。それが、長としての義務でもある。そして君もまた、長であるが故に責を取る必要がある」
「それが話すことである、と?」
「私は今朝、君が酒におぼれて、エミリアくんに説得された後に通信で言ったはずだ。二十分後に来いと言ったが、じっくり話してから来いと。それをやらなかった責だ」
一度、ロニキスが少し笑って、頭を撫でられた。
もうそんな年齢でもないんだけどなぁ。
一瞬だけそう思ったが、何故か、少し嬉しかった。
手の感触は、想像以上に堅い。
「今日は一度帰って、ゆっくり話してきなさい。どんな些細な話でもいい。記憶を失ってようが、根本的な魂までは、あの子は失っていないと、私は思う」
急に、レムに会いたくなった。
エミリアにも言われた。真に立ち直らせることが出来るのは、自分なのだと。
レムを元に戻す。そのために、どんなことでも腹を割って話そうと、ルナは思った。
「それでは、また明日な」
「はい!」
「うん、いい声だな」
ロニキスが、ふっと笑った。
こういう笑い方もするのかと、少し意外な感覚で見ている自分がいた。
一礼して、会議室から出た。
会議室のあった建物を出ると、アリスとレムが待っていた。
「随分、会議長いんですね」
レムの口調は、相変わらずまだ他人行儀のままだ。
それもまた、いずれ時が治すのだろうか。
「まぁね。状況が状況だし」
苦笑したその時、携帯が鳴った。ガーフィからだった。
思えば、一度も帰ってきてから会話をしていなかった。こちらから掛けようにも、会議の可能性が高かったため、掛けるに掛けられなかったのもある。
直接会うことも考えたが、それもそれで、何か怖かった。
だが、あちら側から掛けてきたのだ。ならば、応じなければならない。
一度息を吸ってから、電話を取った。
「はい」
『ルナ』
ガーフィの声色は、暗い。
軍人としての養父は、いつも威厳を持っていた。家庭人としての養父は、優しかったし、割と明るかったのが、何度も救いになった。
だが、未だかつて聞いたことがないほど、ガーフィの声は暗く、そして低かった。
『すまなかった。俺は、レムやお前に、何もしてやれない。今日も、いや、恐らく当分、帰れそうにもない』
現在は状況が状況だ。ガーフィの仕事を考えると、娘のために帰ってくる軍司令官などいようものなら、流石にこっちがキレる。
だが、この声色からすると、ガーフィは家庭人としての自分を、反省しているように思えた。
「状況、どうなの?」
『芳しくない、というべきだな。多分、情報は行ってるだろうが』
「スパッと言うわねぇ。こっちは養父さんと違って下士官よ? 上が不安になったら、下まで伝搬しちゃうじゃない」
『それもそうだな。すまん』
ガーフィが、一度苦笑した。
相当参っているのだろうと、ルナが思ったとき、携帯電話が取られた。
レムだった。
「あ、あの、お父さん、なんですか?」
記憶を失ってから、レムは、何処か人を怖がっているように、ルナには思えた。
こうして人に対して、一々恐る恐る聞く。
潜在的な何かが、レムが人を怖がらせる原因を作ったのかもしれないと、ルナはなんとなく思った。
暫く、無言だった。
『レム』
どれだけ、時間が経っただろう。ガーフィが、口を開いた。
呼吸する音が聞こえる。ガーフィも、心を整えるのに大変なのだろう。
『そうだ、俺が、お前の父だ。電話の、それも音声会話だけで言っても、説得力がないかもしれないが』
「お姉ちゃんから聞きました。軍の上の方にいるって。それで、今は忙しいから会えないとも」
『すまない』
静かに、ガーフィが言った後、すすり泣く声が聞こえた。
『すまない、すまない、すまない……』
何度も、何度も、ガーフィが謝り続けている。慚愧の念が、電話越しにすら伝わってくる。
少し、レムが羨ましかった。
本当の父も母も、そして兄も、自分には既にいない。
レムや養父、それにアリス、ブラッド、ブラスカ、エド、竜三等々、様々な人間と一緒に行動し、時に死線をくぐり抜けたが、本当に自分のためにこうして泣いてくれる人がいるのだろうか。
時々、それだけが異様に不安になるときがある。
「あの」
『ん? なんだい、レム?』
「今度、ご飯食べに行きましょう。みんなで。その時に会いましょう、絶対。その時には、きっと、私も記憶が戻ってると思います。だから、その時に会いましょう、父さん」
レムが、少し涙ぐみながら、笑っていた。
思わず、それでハッとする。
ずっと感情を押し隠し続けてきたと、ロニキスが言ったが、まさか、それ以上にレムは、感情を殺し続けていたのか。
それが、皮肉にも記憶喪失の段階で出てきたのだとしたら。そう思うと、記憶を取り戻すことが幸せなのか、そうでないのか、分からなくなった。
記憶が戻ったとき、レムは本当に、アイオーンとなったとはいえ、母親とのあの戦いの記憶に対して心が折れなくて済むのか、それが、何度考えても不安だった。
アリスが、少し目をそらした。思えば、自分より更に昔から、アリスはレムを知っているのだ。その分、辛いのかもしれない。
『そうだな。美味い飯屋に行こう。それまでは、ルナの、姉さんのいうことを、しっかり聞くんだよ。あの子は、確かに泣き虫だが、強い。レムとの絆まで含めて、な』
そうガーフィが言ったとき、不意に、ポケットの中を見た。
この前、二十歳になったときにレムからもらった懐中時計。傷が、少しだけ付いている。
絆にも、少し傷ついているのではないかと、一瞬不安になったが、不安は、レムの方が何倍もあるはずだ。
それに比べれば、自分の不安など、物の数ではない。
今が踏ん張り時なのだ。そう思って、一度頬をたたいた後、レムが携帯を返してきた。
既に、ガーフィとの通信は切れている。
「すみません、途中で取っちゃって」
「いいのいいの、気にしないで」
そうだ、自分は姉なのだ。妹をしっかり、護ってやらなければならない。
レムに言ったと言う事は、養父と自分との、約束でもある。
ならば、力を蓄えに行こう。
「さ、辛気くさいのはここまで。いっちょ飯食って気合入れに行くわよ!」
アリスとレムが、ぽかんと口を開いていた。
何故そんな顔をする。そう言おうとしたとき、アリスが含み笑いをして、そして、豪快に笑った。
「なるほど、吹っ切れた訳か! こりゃ吉兆ね。飯ならあたしが奢るわよ」
「おお、アリスさん、いや、アリス太っ腹ですね」
「ま、ここらで年長者として何か示しておかないとね。で、何食べたい?」
少し、レムが考え込む。
「うーん、そういえば、さっきなんか凄い元気に呼び込みやってたそば屋がありましたよね。あそこに行ってみようかと」
そば屋というと、イントレッセのいるあの店しか思い浮かばなかった。
あの店も、思えば他国出身者が経営している店だが、店をたたむ様子はない。
案の定、飲食街に足を運んでみると、何処も店をたたんでいないどころか、気合いを入れて更に呼び込んでいた。
何人か見知った兵士に「飲まないか?」と誘われたが、あえてそれをパスして、あのそば屋へ向かうと、確かに、気合いを入れてイントレッセが呼び込みをやっている。
何か、イントレッセも吹っ切れるようなことがあったのかもしれない。
人間は、何かあると急に吹っ切れることがあると、前に見た書物には書いてあった。
ゼロもまたそうなのだろうかと、一瞬だけ考えた。
村正という、ただ一人の肉親が死に、その肉親の仇がいるフェンリルに今単独でいるというのは、何か吹っ切れようとする思いもまたあったのかもしれない。
そういえば、ゼロとレムはよくどうでもいいことで喧嘩をしていた。そのことすら、レムは忘れている。
そういう喧嘩友達のようなものが出てくれば、またレムも吹っ切れるのだろうか。
自分もまた、過去から吹っ切れていないと、左手の火傷跡が痛む度に思う。
「難しい顔してないで、さっさと入るわよ、ルナ」
「そうだよー。私だってお腹空いたんですから、早く食べましょうよ、お姉ちゃん」
はっとした。
アリスとレムの顔が、目の前にあった。
どうも自分は難しく物事を考えすぎるのかもしれない。
自分ももう少し吹っ切れてみよう。店に入るとき、ただそう思った。




