第三十三話『ゴールデンタイムラバー』(3)
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AD三二七五年七月二一日午後七時三三分
戦闘は、すぐに始まった。
黒い龍のような物が、上空を舞っている。月明かりしかない夜だが、それでも、その龍だけは、プロディシオには異端にしか思えなかった。
華狼の鉱山基地にあるレヴィナスの奪取を頼むと、昨夜ロックから言われた。
自分は元々暗殺者だったし、夜目が利くこともあり、夜間の襲撃にはうってつけと見られたのだろう。
それに、仮面の奥にある義眼にも暗視スコープなども備わっているため、余計に夜は人より目がいいという自負もあった。
ハイドラにそのことを報告した際、同時にロックや変化した狭霧も見てこいと命令された。
自分はあくまで任務を全うするだけだ。疑問点は出来る限り持たないようにしてきた。
だが、ロックの今の状態はかなり気がかりだった。
自分でも掴めていない何かが、ロックにはある。ハイドラはそこに警戒をしているのかもしれない。
なんでも、今のエミリオ自体、ロックが引き抜いてきたと言う。だが、あの狭霧の変貌はなんなのだ。ハイドラは『ガーディアンシステム』というものが暴走したと言っていたが、だとすればそのシステムはなんなのかと、思わずにはいられなかった。
あの様は、まるでアイオーンだ。ガーディアンシステムとは、まさかプロトタイプエイジスをアイオーンのような物に変貌させる代わりに、力を増大させる物なのだろうか。
少し考えても、所詮自分は凡人に過ぎないからか、あまり思い浮かばなかった。
元から、考えると言う事は大してしなかった。仕事だと、全て割り切る、それで生きてきた。
だが、ハイドラは不思議と、自分に考えることの大切さを教えてくれた。だから付いていこうとは、考えている。
二重スパイとなり、旗下を全て置いてきた上で単独で行動するというのは、ある意味自分に『考える』という絶好の機会を与えてくれているように思える。
しかし狭霧は派手に暴れていた。元々自分の国であったにもかかわらず、あのエミリオという男には躊躇がまるでない。
あの黒い龍が地上に降りた瞬間には、ゴブリンが食われている。
文字通り、食われているのだ。黒い龍によってゴブリンが食い散らかされていく。まるでそれは、肉食動物が草食動物を補食する様に似ていた。
ゴブリンが轟音を立ててへし折れる音が、数百m離れたここにも、よく響いている。
ハイドラも言うように、ガーディアンシステムとやらが関わっているとするならば、何が原因で変異したのか、どうもそこが抜け落ちている。
ロックが何か仕込んだのだろうという気だけは、なんとなく思っているが、今の任務には、これ以上逡巡は必要ない。
わざわざステルスヘリで鉱山基地近くの街に下りたって、そこから徒歩でかれこれ三時間ほど歩いて、ようやく今ターゲットとなる鉱山基地を見据えることが出来たのだ。
今は任務に集中するときである。
狭霧の陽動は上手くいっているようだった。流石にそれで業を煮やしたのか、鉱山基地からかなりの数の機体が出てきている。
しかし、その機体群の中に、乾闥婆と竜の機体は確認出来ない。それどころか、あの二大隊の旗下すら出ていない。
中にいるのだろうか。そうとも思ったが、それにしては鉱山基地からはその気すら感じない。
不気味と言えば不気味だが、行くしかないのだろうし、今更ここで行かなかったら怪しまれるのはこちらだ。
それでハイドラに迷惑だけは掛けたくなかった。
もっとも、幸いしているのは狭霧の陽動のおかげでかなり基地自体は警備が手薄になっていることだ。
仕掛けるときだと、プロディシオは思った。
荒野を、一気に疾駆した。手に持つ武器は、エンジンの付いた刃渡り二m近くの刃先振動式大剣一本。
基地周辺に張り巡らされた有刺鉄線の壁を飛び越える。こういった疾駆は、暗殺者の時代によくやったものだ。中に入った瞬間に己の気配を消すことも、また同じだ。
基地内は出撃していくM.W.S.を送り届けていくことに忙しい。基地を防衛している兵士も、少しおろそかに思えた。
抜くのは容易だと思えた。
ガスマスクを装面した後、スモークを投げる。辺り一面に煙幕が垂れ込め、その煙幕で相手が混乱する声がよく聞こえた。
すぐに「密集陣形を取れ」と叫ぶ兵士の声が聞こえたが、その声ですぐに指揮官の場所も掴めた。
スモークの中でも、自分の持っている義眼は、人の熱源をすぐに検知出来る。
数は多いが、このスモークの中で密集陣形を取ろうとするのは至難の業だ。密集陣形を取られる前に、義眼が割り出した指揮官の場所へ駆けた。
邪魔する敵はいない。否、いたとしても、避ける。避けることなど造作もなかった。義眼がなくとも、それをやってのける自信もまた、プロディシオにはあった。
そのまま指揮官の下へ駆け寄り、一度ブレードのエンジンスイッチを入れた。
甲高い音を一瞬だけ立てた瞬間に、敵指揮官の半身を別った。
鮮血が出るより先に、駆ける。
時間との勝負だと、プロディシオは思っていた。先程の煙幕も、そろそろ尽きるときだろう。それが終われば、混乱も収まる。そうなって基地を包囲されると厄介だった。
それに、なるだけ早くに終わらせてロックの行動を監視する任務に戻った方がいいと、何か勘のような物が囁いている。
幸いにしてこちらの間者からレヴィナスが格納されている場所はつかんでいる。後はただそこに向かって駆けるだけだ。
投光器からの光が、そこら中を舞っている。それを上手く避けながら、目的となっている倉庫に急いだ。もちろん、気配は消してある。
目的の倉庫の近くは、案の定固められていた。兵士が数名、倉庫の周辺を囲んでいる。
手練れだろうと、プロディシオは感じた。発する気が、今までの兵士とまるで違う。
ふいに、体が動いていた。
正面切って戦おうと、何故か思った。
ガスマスクを外した後、ブレードのエンジンを入れる。甲高い音が響くと同時に、駆けた。
敵。夜目が効くから、相手の顔もよく見えた。少し驚いている、そんな面だった。
そのまま、閉められていた扉ごと、扉の前にいた兵士を一閃した。
扉と共に兵が崩れ落ち、まだ地面に立っていた下半身から、まるで噴水のように鮮血が舞い、それが自分の体と切り裂かれた扉を染めた。
そのまま、中に入り込んだ瞬間、急に、闘争の気配を感じた。
倉庫の中に、一斉に明かりが灯る。思わず、目を細めた。
「割とど派手にやったもんだな、あんた」
正面に、男が一人、静かに気を発しながら立っていた。
両手に、柄が半分ほどに切られた青龍偃月刀を二本持っている。
すらりとした肉体だが、無駄な物はない。着物のような物の上に、華狼の軍服を着た、そんなスタイルを持っている人間など、自分の知る限りただ一人だ。
「華狼称号『乾闥婆』保持者、カーム・ニードレスト殿で、間違いないですな」
「如何にも。オイラがそのカームだ。あんたは?」
「フェンリル幹部会戦闘専門近衛騎士団『シャドウナイツ』所属の者です。周りからはプロディシオと呼ばれております」
本当は、蒼機兵に所属していると言いたい衝動が、僅かにあった。
だが、まだその名は出すべき時ではない。
「プロディシオとやら。どうせフェンリルのことだ、レヴィナス目当てなんだろ? 外にいたあの狭霧は、陽動だったってわけだ」
呵々と、カームが笑った。
覇気は、静かな物だった。
殺気こそ僅かに漂うが、しかし、何故か不思議と戦うような気配ではない。
カームが、ポケットの中にあったケースを自分に向けて放り投げたのは、そんな時だった。
一瞬だけ見えた文字に、我が目を疑った。
レヴィナスと、書いてある。
何故、これを投げる。それとも、ただのダミーか。
逡巡する暇は、あまりなかった。ケースをキャッチすると同時に、カームが動いてきた。
ブレードをすぐに展開して、弾いた。
カームが、不敵に笑っている。何度弾かれようとも、構わず攻めてきた。
その度に、ブレードの刀身に火花が散り、金属の擦れ合う甲高い音が、耳をつんざく。
こちらの武器は大ぶりであるが故に、攻撃の手数は軽量化された青龍偃月刀に遙かに劣る。まったくこちらの方に、攻撃をさせようとしないスタイルを、カームは打ってきた。
既に十五合以上やっているが、こちらから攻撃出来る機会がまるでないのだ。
やはり、兄であるスパーテインと同じような、武人という奴なのだろう。
型は正反対だが、気質は兄のそれと変わらない。
もっとも、自分は闇で生きてきた人間だ。こうやって正々堂々と戦うこと自体、初めてのことだった気がする。
これはこれで清々しいし、ふと、楽しいとも思えた。
十七合目で、少しこちらが強く押すと、カームが一気に後ろに下がった。
一度、呼吸を整える。
カームもまた、青龍偃月刀を構えたままだった。
一筋縄では、確かにいかない相手だった。
殺気も、周辺から感じる。倉庫が囲まれるのを、プロディシオは感じた。
『そろそろ潮時だな、プロディシオ』
ロックの声が、左耳にしていた小型のイヤホンから聞こえた。
実際、時が経ちすぎた。
「狭霧の方は?」
『まったく問題ないが、このまま鉱山基地を襲撃して下手に狭霧を失うという失態は避けたいな。かなり基地の警備が厳しくなり始めている』
「となると、こちらも引くか」
『レヴィナスは?』
「分からんが、ケースは確保したから、離脱はする」
分かった。ロックはそれだけ言って通信を切った。
少し、呼吸が乱れた、妙な声だった。あの男らしくない。
まぁいいと思い、すぐに照明弾を投げた。
強い光が一瞬だけ出て、周囲を照らした。
それで出来た一瞬の隙で、そのまま扉へと疾駆した。
護る兵が二人いたが、そのまま切り裂き、気配を消しながら更に駆けた。
鉱山基地を脱出すると同時に、戦闘の音も止んだ。狭霧も、退却を始めたらしい。
カームが投げつけてきたケースを開けると、そこには確かに、七色に輝く小さな鉱石があった。
簡易測定器で検査をしても、本物だという値が出たし、更に念を入れて検査をしたが、爆弾や探知機の類が入っている形跡もない。
レヴィナスに間違いなかった。
ボールペンの先くらいしかない、小さな物だ。
そんな物のために、何故俺達は命を張るのだ。
時々、無性にそう思う時があった。
フェンリルは、特にここ最近、なおのことレヴィナスに興味が行っている。というよりも、それしか考えていないのではないかと、思わずにはいられないほどだった。
ハイドラだけが、それに対して無関心だった。
関心がないと言えば嘘になるのだろうが、フェンリルのあのフレイアに付いていくより遙かにマシだと思えたし、第一自分はハイドラに心酔しているところがある。
甘い感情が自分にあるのは事実だろう。この義眼だって、考えてもみれば、人を信じすぎた自分がブラッドにトンファーで殴られて目を破砕された結果取り付けたのだ。
ディスのように、なんでも割り切ることだけは、自分にはまだ出来ない。
それに、今日のやり口を再度思い出すと、ふと、村正に似たのだろうかと、何故か思えてしまう。
こういった強襲や神出鬼没なやり口を、あの男は好んだ。
だが、自分は村正にはなれないし、ゼロというあの弟もまた、村正にはなれない。
あくまで、個人は個人でしかない。
任務もまた然りだ。レヴィナスの回収が済めば、それだけだ。
しかし、カームは何故、レヴィナスをこうも簡単に手放したのか、まったく分からない。
それに、防衛と言えばカームよりフェイスの方が遙かに得意だが、そのフェイスは一向に部隊を出さなかった。
華狼も、何か策を練っているのだろうが、そういうことは上の連中が考えればいい。
そういう考えになるから、自分は結局村正にはなれないのだろう。一歩踏み越えて考えるというのは、かえって任務に邪魔な感情が入るだけだと、どうしても思ってしまう。
だが、自分はこれでいいのだ。あくまで、村正のように戦で振る舞うことは出来ても、あの男にはなれはしないし、それでいい。
そう割り切った後、回収ポイントに待機していたステルスヘリに乗り込んで、華狼の大地を後にした。
悪くない月夜だが、同時に、嵐の前の静けさにも思える。
レヴィナスの件は、ハイドラにだけ真実を伝えておけばいい。それだけは、すぐに考えた。