第三十三話『ゴールデンタイムラバー』(2)
2
AD三二七五年七月二一日午後七時一九分
別に、何が変わるというわけではなかった。
フェンリルの軍服に袖を通しても、別段、何も変わらないように思える。心境の変化も、そこまでない。ただ単に、相手とする対象がフェンリルから自分の祖国であった華狼に移っただけにすぎない。
ベクトーアさえ抹殺出来れば、それでいい。
その心境にこそ変化はないが、昨日までの自分ともっとも違うと感じるのは、自分が人間をやめたと言う事だ。
右前腕から、結晶のような物が飛び出している。なんでも、これが体内に今まであったレヴィナスらしい。
そして、その結晶が鏡となり、自分の今の目を映し出している。
赤い、瞳孔が獣のような目。それが人間ではなくなった証だと、如実にエミリオに告げていた。
華狼を、自分の祖国を裏切って、丸一日経った。プロトタイプエイジスのイーグだというのに、特段監視もなくそのままラングリッサ近郊の基地へと配属となり、今は愛機である『XA-071狭霧』のコクピットの中で、ずっと待機している。
狭霧もまた、自分と同じように変貌した。今まで聞いたことすらなかった『ガーディアンシステム』という物が暴走したとメッセージがあった後、かつてのメカニカルな姿は身を潜め、まるで鬼を思わせるような、そんな姿に変貌した。
そこら中に浮き出ている血管のようにうねっている何かが、余計にそう思わせる。フェンリルのメカニックによれば、内部に今まで入っていた動力パイプの一種らしいが、本当かは分からない。
もっとも、あれだけ外見は変貌したのに、コクピットだけはまったく変わらなかった。そこだけが、かつての自分を思い出させてくれるように、エミリオには思えた。
ロックに、恐らく上手いこと操られているのだろう。ひょっとしたら、今こう思っていることも、あの男には筒抜けなのかもしれない。監視が付いていないのも、そう考えると納得が出来る。
人形となっている。そうとしか、エミリオには思えなかった。鋼糸を使っている自分には、マリオネットのような人形がお似合いなのだと自嘲した。
復讐に全てを注ぎ込む人生も、存外悪くない。悪玉になった気分だとも、どことなく思う。
ただ、この姿を見て、かつて親友だったヴォルフ・D・リュウザキや、昔ベクトーアに殺された恋人や家族はなんて思うのだろうとだけは、ずっと心に引っかかっている。
いや、ヴォルフはともかく、他の連中なら喜ぶだろうと、エミリオには核心があった。
『粛正』から、早十五年。未だにあの粛正を憎む華狼の国民も多い。
生き残ったその十五年間を、ただ復讐のために生きてきた。その力でもって、プロトタイプエイジスのイーグにもなった。恋人もまた、軍人だったがベクトーアに殺された。
全てが、憎たらしかった。殺すだけ殺そうと思った。それこそ昔は、降伏してきたベクトーアの兵士を捕虜収容施設へ搬送したこともあったが、恋人が死んでから、それもやらなくなった。
降伏などと言う甘ったれたことを言ってきた奴は殺した。降伏しようが、ベクトーアというだけで、殺した。
それが問題となって、何度か査問されたこともあったが、知ったことではなかった。
墜ちるところまで墜ちてみようと思ったのだ。その墜ちた結果がこれだったとするならば、それはそれで本望だとエミリオには思えた。
自分はもはや人間には戻れまい。化け物なのだ。
化け物であるが故に、人間を駆逐するのは至極当然だ。アイオーンとなったのだから、より当然だと言えた。
弱い奴は淘汰されるのが、自然の摂理でもあり、戦場の真理でもある。弱肉強食の世界に、また自分は行くのだ。
出撃の命令はまだかと、少し苛立ち始めたとき、ロックの顔が三面モニターの端に映し出された。
相変わらず思うが、銀髪であることと、首に少し高級そうなヘッドフォンを掛けていること以外、この男の印象は残らない。
自分がアイオーンとなる少し前に会った時、確かにこの男の目は今の自分と同じような目をしていた。
だが、今のロックの目は、人間と同じ瞳孔を持つダークブルーの瞳である。
『よぅ。調子はどうだ?』
「別に、私の中で何が変わるというわけでもないな。ただ単に、敵になる対象の一つが変わっただけだ」
『ま、お前さんのことだからそういうと思ったよ』
呆れるようにため息を吐きながら、ロックが言った。
この飄々とした態度は取り繕った物だというのが、なんとなく肌で分かる。何処か嘘がある。そう思えるのだ。
「で、私は何をすればいい?」
『まずはちょいとばかり、奇襲掛けてみないか?』
「何処にだ?」
『お前の元いた国に』
「あぁ、そうか」
力なく、答えた。
動揺は、不思議とない。軍人は命令に従えばいいだけの話だ。その命令を出す先が変わったと思えば、それだけで気分が楽になる。
『驚かないんだな。もっと何か反応があるかと思ったが』
「今更、元々いた国に何も感慨は湧かんよ」
粛正が起きたのに、何もしてくれなかった。
そう思うと、余計に腹が立った。
戦を起こす、踏み台であり大義名分。そのために自分は祭り上げられてきた。
だが、ここなら自分の思うように暴れられ、殺すことが出来る。
ベクトーアはもちろんのこと、今までの鬱憤も、全て晴らす。
「で、何処に行けばいい? それと、誰かの首でも持って来ればいいか?」
『襲撃する場所はレヴィナスのある鉱山施設。その最奥部にあるレヴィナスを取る。取るのは別の奴がやるんで、お前は陽動を頼みたい。守備しているのはカーム・ニードレストとフェイス・カーティス、乾闥婆と竜だ。だが、こいつらの首はどうでもいい。レヴィナス取った段階で離脱する形だ。速攻が第一だと思え』
「乾闥婆と竜の首も、取る気になれば取れるが」
華狼の称号第七位と第九位、華狼が誇る名将二人だ。それらを倒すだけでも、確実に華狼の戦略を狂わせることが出来る。
それに、今のこの力の具合は、悪くない。
『いや、確実性だけを考慮してくれ。今のお前ならば首を取れなくはないだろうが、あの二人の鉄壁ぶりは生半可ではないからな。それで時間取られても困るし、お前だってそうだろうが。早くベクトーアの連中を殺したいんだろ?』
言う事はもっともだ。自分としても、レヴィナスの奪取を終え次第、すぐにベクトーアに向かいたい。そもそもベクトーアの連中の抹殺をより分かりやすい形でやることが目的で降ったような物なのだ。
だが同時に、まだ信用されていないのかもしれないと、何故かエミリオには思えた。
もっとも、フェンリルは全てにおいて実力が物を言う世界でもある。実力を出せば、自ずと己の評価も上がるし、結果も付いてくるだろう。
レヴィナスの奪取は、その第一陣だと思えばいいのだ。陽動だろうがなんだろうが、やってやろうと思えてくる。
「で、いつ決行するんだ?」
いつでも構わんが。
そう言おうとした直後、ロックがモニターの向こうで、不敵に笑った。
一瞬、背筋が凍ったのをエミリオは感じた。
ロックの目が、ゆっくりと赤く染まっていく。
最初に会ったときのロックの目は、確かにこれだった。
この目を見る度に、この男はなんなのだと、思わずにはいられない。
『今だよ、今』
ぱちんと、ロックが指を鳴らした。
直後、三面モニターの風景が変わった。
先程まで格納庫だったはずの風景が一変し、モニターには見渡す限りの荒野が一面に広がっている。
地図データを参照すると、いつの間にかラングリッサ近郊から、華狼圏内になっていた。つまり、今は敵地となった、祖国のただ中にいる。
前と同じように、ロックが自分を瞬間移動させたのだろう。
その直後に、コクピット内の全方位で警報が鳴り響いた。
敵反応。それも、囲まれている。
よく見ると、そこはその攻撃対象となっていた、鉱山そのものだった。
体が少し丸みを帯びた機体が、自分の周囲を囲んでいる。
六九式歩行機動兵器『ゴブリン』。華狼の主力機であり、かつて、自分も乗ったことがある、懐かしい機体だ。
だが、懐かしいだけだ。今は、敵でしかない。
何かが、体の中で暴れ始めた。
殺せ。
そう、頭に声が響いた。誰の声かは分からない。ロックのでもなければ、自分の声でもない。
だが、不思議と、そうしたい気分になってくる。
そうだ、殺そう。邪魔する奴は、皆敵だ。私の復讐の邪魔をする者は、すべて。
狭霧が、甲高い咆吼を上げた。ジェネレーターの音なのか、それとも、狭霧自身が叫んだのかは、よく分からない。
IDSSに強く触れた。波紋が、ゆっくりと広がっていく。
すぐさま狭霧の巨大な右腕から、オーラワイヤーを出した。黒い龍のように変貌したオーラが、ワイヤーの周辺に巻き付いていく。
化け物と化したのだというのが、よく分かった。かつての自分の気の色であった緑は、もはや欠片もない。
さぁ、殺してやる。
一度、狭霧と共に咆吼を上げた後、エミリオは狭霧の右腕を上げた。
頭が、真っ白になっていく。殺すだけ殺そう。それだけは、強く思った。




