第三十三話『ゴールデンタイムラバー』(1)-2
空に、壁が見えた。
それをブリュンヒルデの足で蹴飛ばして、空中での角度を一気に変える。自分にだけ見える、奇妙な幻影が、空にある壁だった。それを蹴飛ばして急制動を掛けることで、自分は空戦の覇者になろうとした。
一気に、体にGがのしかかってくる。それと同時に見える、敵影。
スコーピオンの不敵な、それでいてまったく覇気のない目が、こちらを見つめた気がした。
IDSSに浮かんだトリガーを押して、撃ちっぱなしにした。ブレードライフルから出された気の光弾が、五機、六機とスコーピオンを撃ち抜いていく。
しかし、まだ快楽が訪れないと、アッシュは少し苛立ち始めた。
撤収命令が出た瞬間、三面モニターの一角にカウントダウンの文字が表示された。
残り一分。そこまでにどれだけ削れるかが、勝負になるだろう。
ブリュンヒルデも、だいぶ推進剤を使いすぎた。起動した百機以上のスコーピオンが手に持っている『FM-67』五〇ミリマシンガンの銃口が、こちらの方に向けられ、散々それの回避に費やしたからだ。
耐弾性能を一切考えずにBA-09-Sは作られた。数発で機体が木っ端みじんになりかねないほどの耐弾性の低さもまた、この機体がすぐに生産停止に追い込まれた原因でもあった。
だから当たるわけにはいかなかった。いくら地上からの攻撃とは言え、百機以上のスコーピオンから発せられる銃弾を逐次避けるのは相当の推進剤を消耗した。
数発、またブレードライフルを撃ち、撃った気弾によってスコーピオンが数機爆散したことを確認した後、ブザーが鳴った。
タイムアップ、ということだ。カウントが全て〇を示している。
『姐御、退却するぜ』
「おう。野郎共、撤収だ」
言った直後、機体が揺れた。
なんだと思った直後に、コクピット内に警告音が響き渡った。
左側ブースター損壊、出力四〇%まで低下。モニターには、そう映っている。
警告音などなかった。いつ、どこでやられた。流れ弾なのか、それとも。
色んな考えが浮かぶが、機体は浮かばずにどんどんと高度を下げつつある。速度も、徐々に落ちてきた。
空は、一応飛べる。ゆっくりとでも、たどり着けなくはないし、回収限界時間までは、まだ余裕がある。
だが、後ろには、大量の敵がいる。恐らく、自分がこのペースで飛び続ければ、間違いなく敵に追いつかれる。
『姐御! おい、誰か支えろ! 急げ!』
「バカ野郎! こんな時に言ってる場合か! 撤収急げ! 共倒れになる気か、てめぇら!」
自分の部下に、怒鳴り散らしていた。
たかが一機犠牲になっても、この数万機の前では塵芥に等しい犠牲だ。わざわざそれで大隊を潰すことはないし、今後のことを考えると、下策以外の何者でもない。
そんな状況で部下共は共倒れしようと考えたのかと思うと、無性に、自分の部下に腹が立った。殴り飛ばしたいと、心底思った。
だが、後ろに敵が来ている。有効射程圏内まで、後数十秒で辿り着く。
どうも殴り飛ばすことは出来そうもない。
派手に突っ込んで死ぬか。
そんなことが脳裏をよぎり、反転しようとした瞬間に、警報が鳴り響いた。
高熱源体の接近。かなりの熱量を持つオーラだとAIが知らせた、まさにその直後、青い気炎が大地を迸った。
大地を抉りながら迸る青い気炎は、スコーピオンの真後ろから放たれ、こちらに向かってきていたスコーピオンを一瞬にして飲み込んでいく。
僅か、数秒の明かりだった。そこだけ、夜でないような、そんな感覚にアッシュは陥っていた。
見とれたのだ。そう感じるには、十分だった。
そして、敵影もレーダー上から綺麗さっぱり消えた。今レーダーには味方機を示す青いマーカーがチラホラあるだけだ。
追ってくる敵はない。この分なら、今の速度を維持したまま、少しだけ長く待っていてくれた輸送機にも入ることが出来る。
撤収をすぐに指示した後、装甲の一部を投棄し、片側のブースターの電源を遮断してから、フットペダルを一気に踏み込んだ。
通常の速度は出ないし、余計にバランスが悪くなったが、必要十分な速度は出ている。
随伴してきたクレイモアと、速度は大して変わらないので、これなら十分と言えるだろう。
『姐御、ご無事で何より』
敵の防衛圏内から離脱した直後に、副官の一人が繋いできた。
なんだか、ふつふつと、さっきまで忘れていた怒りがアッシュにはこみ上げてきた。
「何より、じゃねぇよ、バカ。全員で共倒れの策なんざ、次言ったらマジ殺すぞ。今はただでさえ戦力たりねぇんだから」
『そういう憎まれ口叩けるなら、まだいけるっぽいな、姐御』
「当たり前だろ。まだ前哨戦だ」
辛いのはこれからだろ。そう言いそうになったが、口を噤んだ。今はまだ、部下を不安にはさせたくない。
『だよな。ま、俺達は戦うだけだ。そうだろ、姐御』
「まぁな。ったく、いっちょ前なこと言いやがって」
呵々と笑ってから、通信を切った。
再度見ても、レーダーには敵影は映っていない。広域レーダーにしても同じだった。
先程のあのオーラはなんだったのだ。機体の駆動音しか聞こえなくなると、そのことが頭を離れなかった。
味方からの援護射撃かとも思ったが、方向がおかしい。フェンリルの方から放たれたのだ。しかも、あれだけの数のスコーピオンをなぎ倒しながら、である。
まるで、最初から自分達を逃がすためにやったかのような行動にしか、アッシュには思えなかった。
同時に、あの青い気炎が、少し綺麗だと思った自分がいたことにも、アッシュは驚いていた。
気炎は、そのイーグの本質を如実に反映した色を作る。
まるで、自分の理想としているような、空の色を、あの青い気炎は出していた。
確か、BA-09-Sの三号機を受領したあの少女も、そんな色に機体を塗っていた。
レミニセンス・c・ホーヒュニングという名前の少女だった。ガーフィの実の娘だと言うが、質は当時一四歳とは思えないほど良かったのを、よく覚えている。
何故そんなことを今になって思い出したのだろう。
何か、今の状況が、誰かに踊らされている気がするからかもしれないと、なんとなくアッシュは思った後、後部ハッチの開いている輸送機に、ブリュンヒルデを格納させた。
これからだな。機体を輸送機の中で停止させた後、それだけ呟いて、ヘルメットを脱ぎ捨てた。




