第三十二話『Through the night』(2)
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AD三二七五年七月二一日午後一時三五分
向かい合う相手は、いつも自分だった。
長いこと、向かい合える相手を探し続けてきた。自分が全力を尽くすことの出来る相手、自分を殺してくれる相手。
人類に、可能性を見いだしたいと、ずっと思っていた。
手に持ったカウモーダキーで、宙を切る。巨大な銃剣から鳴る風音を、ハイドラはだだっ広い訓練場にて一人で聞いていた。
蒼機兵の人材は、代えが効かない。それだけに未だに村正の喪失が痛かった。
自分の後継者にも考えていた。それがいなくなったというだけでも痛い。
村正の副官からそのままファルコを昇格させたが、ファルコの能力は未知数だ。
もっとも、ファルコにはファルコなりのやり方でやってもらえば、それでいいとハイドラは思っている。それでまた別の可能性を探るのも、悪くない。
それに、調練の様子を一度視察したが、村正の副官を務めていただけあって、将としては悪くないと思えた。
ただ、上から命令されて初めて力を発揮する人間でもある、という気もする。将として抜きんでるには、まだ足りない。
だが、時はもうない。この数日、ずっと『ジン』が動くと、魂が唸っているのをハイドラは感じていた。
「フレイアの奴、やろうとしているのか」
あの『存在』は、人類、いや、地球そのものをどうでもいいと考えているのを、ハイドラはよく知っている。何をやらかすか、分かった物ではない。
「こちらにおられましたか、ハイドラ様」
シンの声が、扉から聞こえたので、素振りをやめた。
「どうした、シン」
「お母堂が、ゼロ殿と会われました。今は談笑しております」
「ゼロを村正の代わりにするのは、無理か」
「無理でしょう。やはりゼロ殿はゼロ殿でしかありません。それに、言ってはなんですが、あなたへの憎しみが強すぎます」
自業自得、と言う言葉がハイドラの脳裏によぎった。
ゼロに武術を教えこそしたが、いくら中に抱えたアイオーンの暴走が原因とは言え、あいつの左半身と右手を切ったのは自分なのだ。
恨まれてもしょうがないだろう。ゼロとほぼ同等の姿と力を持った村正を徹底的に鍛え上げたのは、今思うとそれの裏返しでもあった。
それに、何故かは分からないが、ゼロと村正が旧友に似ていたこともまた、鍛えようと思った要因かもしれない。
「憎しみ、か。その力でゼロが俺を殺してくれればそれでいいとも思ったがな」
「意外と難しい物です。憎しみを常に抱え続けるのは、存外」
「そういうもの、なのか」
「私もまた、同じような物です。最初、あなたの志に惹かれたのは、確かにフェンリルへの復讐のためでした。しかし、いつの頃からか、私はアフリカを『人間』の手に戻す、ということをやりたいと、思うようになりました」
そう言われて、昔を、少し思い出した。
自分がフェンリルに来たときに、この秘書が当てられた。
今でこそシンはこうして物腰が柔らかいが、当時は目に凄まじいまでの憎しみを抱えていたのを、今でも思い出す。
それを知りたかったというのもあって、自分がやりたいことを打ち明けた時から、シンは物腰が柔らかくなった。
ファルコも、同じようなものだったのを、ふと思い出した。
「人間、か。俺が人間でないと、この前他の連中には公言したが、思えばこのことを前から知っていたのは、インドラと村正と、お前だけだったな、シン」
「だが、私のその思いもまた、あなたの中には織り込み済みだった。自分が死ぬことまで含めての計画、その上、あくまでも立つのは己ではなく、『俺』ときた。聞いたときは驚いた物です」
呵々と、シンが笑う。
若々しいと、つくづく思う。実際、シンの正体を知れば、皆一様に驚くだろうと、ハイドラは心底思っていた。
そして、それこそが蒼機兵最大の切り札でもある。
「老人の役を演じるのは、疲れるか?」
「疲れますよ。ただ、何人かはどうしても気で気付くようですがね。ゼロ殿はかなり私を警戒していました」
「まだその気は抑えておけ、シン。表舞台に出るのは、もうすぐそこだ」
は、とだけ言って、シンが気を抑え、いつもの初老の紳士、といった風情に戻る。
もう少し剣を振るおうと、カウモーダキーを握り直したとき、今度はファルコの気配がした。
「総隊長、お知らせしたいことが!」
肩で息をしながら、ファルコが訓練場に駆け込んできた。
この男には珍しいと思ったが、しかし、それ故に相当の事態だろうと、一瞬で察することが出来た。
「何があったか、順序立てて言え」
「まず、エミリオ・ハッセスが正式にフェンリルに降りました。独立部隊として動かすとのことです。それと、こちらの方が本題になります。『ロキ』が、動き出しました」
そろそろ動くだろうとは思っていた。ラングリッサでの戦でベクトーアが負けたことからしても、フェンリルにとってはベクトーアを完膚無きまでに鎮圧する絶好の機会だ。プロトタイプエイジスが一機、華狼からも降ってきたことが大きい。
しかし、フレイアにとっては勝利や敗北などどうでもいいのだろう。これは、アイオーンとなる魂を集めるために仕組まれた、戦争に見せかけたただの虐殺劇に過ぎない。
だが、それをやってくれれば、こちらにも反乱するための大義名分として、『非道な手段を実施する連中を追放するために立つ』という、分かりやすい物が立つ。
そのため、この戦にはベクトーアに勝ってもらう必要がある。それも、出来る限りフェンリルの兵力は減らしておくことが望ましい。そうすれば、こちらとしても動きやすくなる。
勝たせるようにするために、裏でベクトーアを支援するという選択肢もある。そのためにゼロがいるのだ。
ここまでくれば、利用出来る物はなんでも利用するしかないだろう。なりふり構っていられないのだ。
「シン、プロディシオに監視を続行させるように伝えろ。ファルコ、ビリーを呼べ。一度会議を開く」
それだけ指示すると、二人とも復唱してすぐに出て行った。
一人になると、急に、左半身が疼いた。
胸を押さえている様など、他人に見せたくはない。こういう組織は、上がぐらつくと一瞬で崩壊するのを、ハイドラは何度も経験してきた。
恐らく、自分の時間が、残り少なくなってきているのだろう。
ならばその間に、己の全てを賭けるに値する人間を育てなければならない。
幸か不幸か、今ここにはゼロがいる。もっとも可能性を秘めた男。自分を殺してくれるであろう男。
この男に、俺は賭けてみよう。人生最後の賭けには、相応しいではないか。
それに、妻と、ラフィと約束したのだ。もしあの世に行っても、俺が料理を教えてやると。
些細だが、自分には一番重い、約束だった。
だからそれまで、自分の体が、心が持って欲しい。
ただ、そう思うだけだった。




