第二十九話『心を持つ者達』(6)-1
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AD三二七五年七月二一日午前七時十二分
調練は、一通り済ませた。物資の搬入も、ありったけの物を用意した。
そんな時に、急に招集が掛かった。
ある程度は予見していたが、しかしこうも早く呼び出されるというのは、ザックス・ハートリーの計算の外だった。
ルナが前に、有事が起こりえるので対策をしておいてくれと言っていたので、その準備もあらかた終わっている。
だが、自分に声が掛かるというのは、正直意外だった。それも、ガーフィ・k・ホーヒュニング海軍総司令から、だ。
あの男に呼び出されてルーン・ブレイド初代総司令になったが、二年前に職を辞し、教導隊に入っていた。
疲れた、というのもあるのかもしれないが、ロニキスの方が自分より遙かに優れていた。それだけのことだ。
もっとも、そんなロニキスも常に胃痛に悩まされていると相談にたまに来るあたり、まだ青いなと、呵々と笑うのだ。
ベクトーアの国防総省に入った後、ガーフィの待つ部屋に急ぐ。気付けば、足が少し、いつもより早く動いていた。
一度部屋をノックして、ガーフィの応接間に入る。
部屋のドアを開けた瞬間、熱気が漂ってきた。応接間の中に、多くの人間がいる。通常時では考えられないほどの人数だった。
ざっと見渡しただけでも三〇人は超える。それぞれがガーフィの決断を待っている、そういう雰囲気だった。
「おう、来たか、ザックス」
ガーフィが一度手を挙げると、全員が一度部屋の外に出た。
一瞬で、静かになった。部屋の中には、先程までの喧噪はなくなり、クーラーとガーフィが走らせる万年筆の音以外、何も聞こえなくない。
「俺を呼びつける、ってのは、穏やかじゃないことが起きた、ってことですね、中将」
「ああ。ラングリッサを落とせなかったよ」
「それと、イーギスが裏切った、というより、偽物だった、ですか。よくもまぁ今まで騙し通せていた物です」
「功績があったからな。それでみんな見逃していたのは事実だ。怠慢であったのだろうが、今更言ってもしょうがない」
ガーフィが苦笑する。珍しい表情だと、ザックスは思った。実際、少し疲れが出ているようにも見える。
「で、俺に何の用ですか?」
「お前が元々ルーン・ブレイドを指揮していた頭があるから、少し聞いてみたくなった。偽物のイーギスは何を考えていると思う」
「たった人型兵器九十機と空中戦艦三隻で首都を蹂躙できるとは思っていないはずです」
「イーギスはフェンリルのスパイだった。とすると、そこから何をお前は思う」
「フェンリルからの増援、とも考えましたが、いくらなんでもラングリッサからは距離がありますし、無理があります」
「となると、やはりあそこか……」
「あそこ?」
「ザックス、お前、ロキという会社を知ってるか?」
「聞いたことだけはあります。国境沿いに出来た妙な会社でしたね」
「俺は、あそこがフェンリルの前線基地ではないかとにらんでいる」
「まさか、そこから来ると?」
「ラングリッサから寄越すより余程現実的だ。ロキがフェンリルのダミー会社だとすれば、レムが前にロキをハックしたときにあれだけの防護壁を築いていたのも納得出来る」
「つまり、ロキを奇襲しろ、と?」
「察しがいいな、ザックス」
「そう言うだろうと思って、既に兵力は用意してありますよ。今、通信繋ぎます」
端末から、一人の兵士に通信を繋ぐ。
あんまり掛けたくない相手だが、この際四の五の言っていられない。だいたい、呼び出したのは自分だし、育てたのも自分なのだ。
『あん? なんだよ、ザックスの爺。そのハゲ面見せに来たのか?』
通信に出たのっけからこれである。このアッシュ・ラウドという女、普段からこの調子だ。
本名は、また別にある。ただ単に、なめられないようにと、登録名を変えたのだ。実際、本名は結構可愛げがあったし、軍に入った当初は、本当に大丈夫かと疑うほど線が細かった。
だが、本当に今更思うが、何を何処でどう間違えたのか、それとも生来の真面目さが暴走したのか、妙な方向に突っ走った。これがその結果であるから、ザックスはいつも頭を抱えるのだ。
数少ないBA-09-S使いで、二番機を『ブリュンヒルデ』と名付け愛機にし、二九歳と若手でしかも空軍の一大隊長、実際戦果も相当上げているが、処遇に困る典型例と言えた。
「アッシュ、お前、今俺の前にいる人間、誰だか分かってるだろうな?」
『へーへー、わーってますよ。ガーフィ中将。どうも、ザックスの爺がいつまでもくたばんねぇですみません』
ガーフィが、若干頭を抱えているが、少しにやけているようにも思えた。
多分、少し懐かしいのだろう。
「喋り方からして、君はダリー・インプロブスを手本にしたな」
実際、これが間違いだった気もする。
初代ルーン・ブレイドリーダーのダリーは確かに凄まじい力を持った希代希に見る名将であったが、素行不良においてもぶっちぎっていた。
なめられないようにと思ったのだろう、それでダリーを手本にした結果、ああなった気がしてならないのだ。
『まぁ、ダリーの叔父貴には会ったことないですが、何度も会ってみたいとは思いましたよ。ま、そらおいといて、ザックスの爺が掛けてきたっつーことは、うちらの部隊じゃなきゃ出来ない仕事、ってわけですかい?』
「お前らのような機動力のある部隊にしか出来ない仕事だ。ある施設を奇襲しろ。出来る限り被害を与えておくと助かる」
急に、アッシュの目が輝く。狂気に見いだされた人間が放てる目だ。戦をどん欲に求める人間の目でもある。
『施設の数は?』
「見当も付かん。別の部隊にも襲撃させるが、そちらの取り分は今のところは五個だ。徹底的に破壊しろ、それだけだ。ついでにこの命令は、空軍司令官のハインツ卿のお墨付きだよ」
『あー、なるほど。ガーフィ中将はハインツ卿の代理、ってわけですか』
「あの人は今頃幹部会に呼び出されている頃だろうさ」
『ま、めんどいけどいきまさぁ。いつ頃仕掛けますかい?』
「後十二時間後に」
『了解。準備しときます』
それでアッシュとの通信は終わりだ。
ガーフィが、呵々と笑った。
「いや、お前も面白い奴を育てたな」
「こっちゃ頭痛いですよ」
「しかし、良くできた士官だな」
「そう言ってくれるとありがたいです」
後は、それぞれの物資の搬入状況などを矢継ぎ早に話して終わった。
書類も、ガーフィの印が押された物を用意してもらったので、大抵の代物がフリーパスでこっちに回ってくるようになっている。
これだけあれば、大丈夫だろう。
「なぁ、ザックス。お前、犬神冬美が死んだとき、何か妙な現象みたいのは、起きたか?」
部屋を出ようとしたとき、ガーフィが急に尋ねてきた。
忘れようもない。あれは、自分の愚策だった。
空破の移送を急ぐ余り、敵の奇襲があり得るルートを行ったのだ。結果として、竜三の陽動に敵は引っかからず、空破の移送部隊にいた、冬美とルナが奇襲された。
そして、冬美はルナを庇って、死んだのだ。
あれで、自分の能力に限界を感じて、結果教導隊に映った。
自分が死ぬことより、部下が死ぬことが、怖くなったのだ。
昔、暴走族の頭をやっていたが、その時は『死んでも怖くない』と思っていた。
今思えば、それは本当の恐怖を知らなかったからだと、よく分かる。
「妙な現象、ってわけでは無いですがね。まぁ、冬美の持ってた茶碗を、妹の春美がその日洗ってたら落として割ったそうですよ。それが、何か?」
「いや、少し、今日気になることが一つあってな。妻と、レムと、俺とで映ってる写真があるんだが、その写真立てが急に倒れたんだ」
「やはり、レムが心配ですか」
「当たり前だ。娘だからな。ルナも同様だ。軍には、あまり進ませたくなかったよ、正直」
ガーフィも、少し疲れているのかも知れない。この男が愚痴というのは珍しいとザックスは思った。
「ま、験担ぎは大事ですが、それに気を取られすぎないようにすることです」
それだけ言って、部屋を出た。
人の死は、重いなと、今更に感じる。
あれから、二年も経ったのか。そう思うと、老いたなと、何処かで思った。
外の雨音が、鬱陶しい。




