第二十九話『心を持つ者達』(3)-2
互いに甲板を蹴り上げ、何度もぶつかった。その度に、鈍い音と血が、そこら中に飛んだ。
スパーテインの拳は重いが、ザウアーはそれを、体を僅かに反らせることで威力を殺している。だが、それでも重いのだろう。かなり呼吸が荒い上に、顔面は既に血だらけだった。
ザウアーが飛びはね、スパーテインの顔を思いっきり蹴り飛ばした。スパーテインの首が、物の見事に横に向いている。
しかし、スパーテインはザウアーの足をつかみ、そのままザウアーを甲板にたたきつけた。血をザウアーが吐いたが、すぐさま起き上がった。しかし、今のは相当ダメージが入ったのか、顔には苦痛の色が見え隠れしている。
もっとも、それはスパーテインも同じだった。一度ザウアーの延髄蹴りを喰らってから、視点が定まらない事が多くなった。
なんというか、喧嘩と言うよりは殺し合いだと、ディアルは今更に思う。互いに相当溜まっていたものがあったのだろう。
こんな状態だからか、流石に止めた方がいいのではと、何度も部下が迫ってきたが、最後までやらせようと、ディアルは思っていた。
あれは、会話なのだ。拳でしか伝えることの出来ない、気で交わす、会話。ザウアーは不良時代も、よくそんなことをやっていた。だからか、不思議と大喧嘩を起こした後でも、トラブルが起きなかった。
それを遮るのは、誰であっても出来はしない。それに、昔からザウアーもスパーテインも知っている自分としても、そんな野暮な真似はしたくなかった。
両者が、一度距離を取った。
ザウアーが口内の血をはき出す。にやりと、不敵に笑った。
「おい、スパル。まだくたばんねぇのか」
スパーテインが、首の骨を一度鳴らした後、ふっと笑った。鉄面皮と呼ばれた男にしては珍しいと今更思った。
「お前こそ、なかなかしぶといじゃないか」
「こう見えても鍛えてるんでな」
「ただのヤワな会長、という訳ではなさそうだな」
「他の企業はどうだか知らないが、俺はそこを怠るつもりは更紗ないんでな」
「それでこそ、俺が拝んだ主よ」
互いに、片足を一歩ずつ退いた。
最後の一発が来るなと、ディアルは思った。
咆吼を、互いにあげていた。
そして、大地を互いに同時に蹴り上げ、跳んだ。そして、互いの顔を、同時に殴り飛ばしていた。
重い、と、ディアルには思えた。
拳を自分で受けたわけではない。だが、不思議と見ていて、重いと感じられる拳だったのだ。
両者が、地に伏した。
周囲で取り囲んでいた兵士も、騒ぎ立てながらザウアーとスパーテインの周囲に集まる。
しかし、うめき声を上げながら、ザウアーもスパーテインも、共に手を踏ん張らせながら、無理矢理起き上がっていた。
「ふん、なんだ。殺せと言っていた割には、立ち上がろうとするじゃないか」
「お前に殺されるならそれでいいと思ったが、どうやら、天は俺をまだ生かすつもりらしい」
「そういうことだ。自裁は許さぬ。これが会長としての命令だ」
「承知した。カーティス会長。『私』も全力で支えるとしよう」
スパーテインが、固く、抱拳礼をした。
それに釣られてか、多くの兵が、ザウアーに抱拳礼をしている。
自分は、左手がないため、ただ見ていただけだ。だが、心の中では、固く抱拳礼をしていた。
実体の腕は、もう二度と作るまいと、ディアルは思っていた。前会長暗殺の時、ザウアーを庇って切り落とされた腕、それが、自分なりの忠義の証でもあり、戒めでもあった。
そして今更に気付いたが、スパーテインが自分を『俺』と言ったのも、久しぶりに感じた。ザウアーが会長になってから、一度も使ってなかった。
一人称を変えることで、少しザウアーと距離をあえて置いていたのかも知れないと、今になって思う。それが今回は、一時的に昔に戻ったのだ。
これがあの男なりの公私の分け方であり、忠義のあり方なのだろう。人それぞれに、忠義があるのだ。
体を支えられながら、両者が甲板から下へと降りていく。それを見た後、一度だけ、月を見てみた。
月見酒をやりたくなる、白い月が広がっていた。
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胃液を、何度もはき出した。
白い月が、そうさせるのかと、ロックは憎々しく、月を見る。
ラングリッサ近郊の大地にいた。周囲にはまだ破壊されたスコーピオンの残骸がそこら中に散らばっている。
流石にあの能力は反動が大きすぎる。もっとも、それでエミリオは夜叉のメガオーラブレードの刃先をもぎ取り、十t以上のレヴィナスの強奪に成功した。
自分が魂の情報を改竄させた人間を一時的に操り、操った人間の触れた物の固有振動数を全てつかみ取る。レヴィナスに触れていた場合は、それに別の意志を流し込むことも出来る。それが自分のもう一つの能力だ。
だからあの時、エミリオがメガオーラブレードを抑えたとき、エミリオ本人が持っていた邪気を、メガオーラブレードに流し込んだ。
元々メガオーラブレードには相当の気が溜まっていたので、別の意志を流し込んでレヴィナスが持つことの出来る意志の限界をパンクさせれば、いかなレヴィナスとは言え、へし折ることが出来るのだ。
ただ、対価が大きい。まるで体内を獣が暴れ回るような感覚にこれから数時間は襲われ、死んだ方がマシだと思える痛みに耐え続けなければならない。挙げ句、一度使えば、指の感覚が鈍る。いや、鈍っていく、といった方が正しい。
短時間であったから特段そこまで鈍ることはないだろうが、それでも、演奏者にとってこれは致命傷以外の何者でもなかった。
だから使いたくなかったが、短期決戦に持ち込むのが上策だと思った。
しかし、あれ以上戦闘を重ねていたら、どうなるか分からなかった。
あの青い重量級エイジスも相当だったが、プロトタイプエイジスが傭兵として来たというのも大きかった。
だから無理矢理にエミリオを連れてワープして戦場を離脱した。
「大丈夫か、ロック」
エミリオの、アイオーンと同じになった目が、自分を少し哀れんでいるように見えた。
「なんとかな。少し、無理をしすぎた」
あまりこの男に深く追求するつもりもなかった。どうせ人形なのだ。いくらでもどうにかなる。
レヴィナスによって、エミリオの右手は変貌している。まるで結晶のような物が、エミリオの右手を覆っているのだ。自分と違って、人間には戻れない、典型的な改竄例、といったところだろう。思ったよりも、上手く行った。
「しかし、本当にあれは俺に力か? 夜叉のブレードを折るなど」
「ああ。それが今のお前の力だ」
操られている間の記憶など、いくらでも改竄が出来る。それでも、エミリオは納得していない様子だったが、追求されると面倒だ。適当にいなした。
「なぁロック。お前は、何者なんだ?」
「ただのシャドウナイツ、と言っても、信じないか」
「追求されると面倒だ、という顔をしているな」
「まぁ、面倒だな」
「お前もそうだが、フェンリルとは、なんなのだ?」
「強いて言うなら、お前のような人間をやめた、或いは人間ではない者達の巣窟、といったところか」
実際、それ以外言いようがないし、今の自分の頭では、これが精一杯の解答だ。まだ、獣が暴れ続けている。
吐き気が来た。一度、吐き戻す。
何回これを繰り返すのか、それは分からない。
考えたくないと、ロックは思った。




