《1》魔法師団コーカル支部の忙殺
カンバリア共和国魔法師団。
魔術と法術のスペシャリストが、国家公務員として働く国家機関である。
国家資格をもった魔法使いがいる場所、と国民は思っている。
また、頭ばかりよくて実践では役に立たないと、陰口をたたかれている。
勇者や冒険者は正義の味方だが、魔法師団は根暗の国家の犬。そうも思われていた。
冒険小説の悪役にされる。
勇者を妨害する闇の幹部のようなキャラクターは、だいたい国家魔法師という設定だ。
勇者の仲間の生き別れの兄だとか腹違いの姉なんかが魔法師で登場し、そいつらは魔王の部下だったりする。
日々、国家と国民のために身を粉にして働いているのに、世間からのイメージが悲しくなるくらい悪い。
そんな魔法師団は、未曽有の大混乱に陥っていた。
一時間前に襲った衝撃波に含まれていた、異様な魔力のためだ。
一瞬で駆け抜けた魔力。しかし多くの魔法具が変質、結界や魔法陣も変質、そして体調不良を訴えたり、失神する魔法師が続出していた。
大半の人間がパニックに陥っている中、それとはまったく違う理由でパニックに陥っている部署があった。
結界課魔法陣修繕係である。
「はい、はい、申し訳ございません。至急調整に向かいますので」
「はい、故障ですか? え? 火事? 結界の中が?」
「はい、まほうしだ、あああ、はい、すみませんでした、ただいま向かいます。それでどのような異常が、ああ、はい、はい、はい、申しわけございません、はい、すみません」
「はい、魔法師団結界課。これはこれは教会の、……ええ、はい、……、聖結界の、はい、はい、書き換えられている。いたずらかもしれないと、はい、しかし見たことのない文字だと、……あー、なるほど。悪魔の仕業ではないかと、はい。かしこまりましたー。すぐに、詳しいものを派遣しますね。はいー。しつれいしますー。はいー。……、……。……、おめえ聖職者じゃねーのかよ、自分でわかんねえのかよ! 馬鹿か! 無知か! なんちゃってか! おいネロ! 行け」
「え。課長、俺がですか?」
ネロ・リンミーは、金と緑でできた瞳をぱちくりさせて振り向いた。
悪魔がいるかもしれない教会。
そこに一人で行けと言われたのは気のせいだろうか。
「じゃあフェリシア連れていけ! フェリシア! もう一つ仕事追加!」
「ええええ? 待ってください、私これから小学校の校門の結界を調べにいかなきゃいけなくて、そのあとは水道局で、そのあと」
泣きそうになっている。黒いローブの袖をまくり上げて、小型の杖と工具箱と、様々な古文書を抱えていた。
「ネロと二人でやれ!」
「あ、はい! ならなんとか!」
「ロゼ! ロゼ! どこ行った!」
課長はヒステリックに叫んだ。
机では電話が鳴っている。
ネロは頭を掻きながら言った。
「さっき、工具抱えてそこの魔法陣でワープしていきましたよ。結界の中が火事だそうで、その電話を受けていました。多分そこ」
「ネロ! 追いかけろ! 一人で行かせるな! 火事の方を終わったら教会に行け! 水晶持って行けよ、次の依頼を送り続けるからな!」
「……りょうかいしました……」
「待ってください! ネロ先輩がそっちに行ったら、私が一人ですか? ネロ先輩と一緒ってさっき言ったじゃないですか!」
「テレーズも一人で行ってる!」
「あっちは魔獣課のヘルプじゃないですか! あの子の専門! 私は結界課に来てまだ半年なんですよう! 一人じゃ無理です!」
完全に泣きに入っている。
「緊急事態なんだよ! お前よりもっと心配なロゼが火にまかれた魔法陣見にいっちまったんだ、ともかくそっちはお前で何とかしろ! ネロ! さっさと追いかけろ!」
「はいはいはいはい。ったく、人使い荒いんだよな」
ネロは先ほど、国境の風化した魔法石を修理して戻って来たばかりだった。その前は神獣の保護所の護符が割れたとかで作り直しに行っていたし、その前は川の氾濫をおさえる魔法陣を書きに行っていた。
もともと依頼の入っていた仕事に加え、一時間ほど前の奇妙な衝撃波にて、魔法師団は大混乱。そして、いつもの何倍もの修理依頼の電話が鳴り響いているのだ。
依頼が来ても、コーカル支部の魔法具のほとんどが使いものにならなくなり、魔法師の半数が動けない状態である。
コーカル支部こそ、どこかに泣きつきたい。
「フェリシアがんばれよー」
「ネロ先輩! 行かないで! 私と一緒に来て!」
そんな声を聞きつつ、ネロはワープ魔法用の結界に入り、腰に差していた細い杖を抜いた。
次の瞬間、目の前には火柱。
巨大だ。幸いに、結界の中での火事なので、火の粉などは結界の外には漏れだしていなかった。
しかし凄い迫力である。なかなか見られるものではない。
場所はコーカル市郊外の田園地帯。収穫した穀物を保存する倉庫である。
そこには防御結界や防火結界、防水結界などが重ね掛けされていたはずだ。
防火結界に異常が起こり、発火したのかもしれない。防水のために、中が異常乾燥していたか。
「こんなの、どうしろっていうのよーーー!」
そしてパニック中の女の声。
「ロゼ」
「うわああああん! ネロ先輩! 神! 助けてください!」
「まあ落ち着け。水魔法でまず周りに柵を作って。高さ六十メートルくらい。厚さ三十センチで。五重にして、気象魔法で結界上空に小さな魔法雲を作って、」
「この状況でそんな器用な真似をしろと? 建物が現在絶賛全焼中ですよ!」
「落ち着けよ。できるさ。それが終わったら結界を壊すぞ。同じタイミングで水の柵を小さくして鎮火させる。水蒸気爆発の可能性があるから、魔法雲に水蒸気を吸わせて成長させる。雲が大きくなったら雨を降らせるぞ。ま、やってみようぜ。失敗したら別の策を考えよう」
「……はい、ネロ先輩」
てきぱきと水の柵を作り、その周りにさらに結界を書き、火柱の結界を一部破壊した。
同時に水での強制鎮火と、気象魔法発動で水蒸気爆発を防ぎ、できた雨雲で雨を降らせて埋火対策。
後処理をロゼに任せて教会へワープし、泣き顔のフェリシアと合流する。
教会の書き換えられた文字は、太古文字であった。書き換えによる悪魔召喚などの事態はなさそうだった。
新しく結界を貼り直し、古い結界は調査のために回収した。
「じゃフェリシア、俺は次の場所に行くから、あとは頼んだ」
次々と水晶に送られてくる仕事先にワープを繰り返し、合間を見てフェリシアの様子を見に寄った。
そして、五時。
国家公務員のお仕事終了時間がやってきて、ネロは満身創痍で職場に帰ってきた。
そこには、机にうつぶせになる屍たちがいた。ロゼの姿もあった。
鳴りやまなかった電話をすべて不在に切り替えて、みな、力尽きていた。
この緊急事態である、おそらく残業が命じられることとなるだろう。
さっさと帰ってしまうか、それとも屍のように寝るか。
後者を選んだ。
帰宅してから再度呼び出されるほうが嫌だった。
椅子を引こうとして、動きを止めた。
机に備え付けられている小さなダイヤ型の水晶が、点滅している。
「……」
なにか連絡が届いている。至急開封しなければいけない。
けれど。
「………………、お仕事は終わりましたんで……、じゃ、お先失礼しまーす」
と、水晶に向かって言い、そっと帰ろうとした。
「…………。……。……。くそっ」
だが、非常に嫌なのだが、ネロは思いとどまって、水晶をピッと押した。
『ネロ。話しがある。俺は仕事で帰れないから、仕事終了後に市庁舎に来てくれ。あ、その前に家に一度帰り、執事に頼んである荷物を持ってきてくれないか』
てっきり仕事の依頼だと思っていたが、違った。
人から言わせれば、自分とよく似た声が吹き込まれている。
ロキだ。
双子の兄である。
兄であるロキ・リンミーはコーカル市の市長をつとめていた。
ちなみにロキにとって、ネロも『兄』である。
兄であるほうが家を継いでコーカル市の市長をやれと言われていたので、小さい頃から『兄』を押し付けあっていて、ネロが『弟』を勝ち取ったのだ。
ロキはそれを認めず、未だに『弟』を自称しネロを『兄』だと主張しているが。
「ネロ先輩、今日はありがとうございました。お菓子食べましょう? 甘いの食べて、一休みしましょう?」
ロゼが机からお菓子の袋を取り出して誘ってくれた。
くたくたの声だった。
「お、いいのか? ありがと」
そこに、ヘルプで古巣に戻っていたテレーズがやってきて、
「あああ! 地獄! 私はもう結界課だからって言って逃げてきた! お菓子私も食べるううう!」
と膝から崩れ落ちるように、自分の机に倒れこむ。結んでいる髪がだいぶ飛び出しているけれど、そんなこと気にしているどころではなかったらしい。
「やっと終わったああ! もう一人でこんなのやってらんないよおお! ネロ先輩、分かんない文字がたくさんありましたあ! もうわかんない! 全然分からなかったんですよおお!」
ワープから出てきたフェリシアは半分怒り半分泣いて、ネロにしがみついてきた。
結界課修繕係のかしまし娘三人組は、ネロが教育係を任されている新人部下だ。
他の課では優秀な魔法師だったが、専門外の結界課に異動させられて毎日悲鳴を上げていた。
正式な独り立ちの前に、今回の件でロゼやフェリシアは強制的に独り立ちさせられたに等しい。
専門分野のヘルプに行っていたテレーズも、疲弊ぶりを見る限り、あちらもそう変わらない地獄だったようだ。
「あー、はいはい、よくやったよくやった。お前らみんな頑張ったよ」
「この騒動が終わったらネロ先輩のお家に招待してください」
「午後のお茶会とか」
「コテージとか!」
「はいはい。わかったわかった」
そう言いつつも、ネロはこの騒動が終わる予感がまるでしないことに苦笑いを浮かべた。
今回の件は、絶対に大事件だ。
魔法師なら誰だって分かる。こんな異常事態、あっていいわけがない。
その時、結界課の入り口に、場にそぐわない人物が姿を現した。
所長の秘書である。
「ネロ・リンミー魔法師はいるか?」
視線がネロに集まった。
「……」
「サヴァラン所長がおよびだ。所長室まで来るように」
仕事は五時で終わったんですけれどね。
所長秘書に向かって、心の中でそう答えた。
その声がまるで聞こえていたかのように秘書は不快そうな顔をした。そして無言で立ち去った。
ネロ・リンミー。
三十二歳。赤銅の艶が光る胡桃色の髪と、金と緑の混じる瞳を持つ。性別は男。
実家のリンミー家は貴族、子爵家である。領地はないが、父は個人的に男爵位も賜った有力者だ。
そして、双子の兄がいる。
それがコーカル市長、ロキ・リンミーだ。
コーカル市の市長は選挙では選ばれず、任命制。
突破しなければならない試験は数多く、公務員試験の最難関とされている。ロキは破竹の勢いで試験をクリアし、昇進を重ねて市長に就任した。
一方のネロはいまだに単なる平団員である。
姉弟格差に多少の不満はあるものの、勇んで出世しようとも思えなかった。
そもそもネロは、お役所勤めなどこれっぽっちも興味がないのだ。
ないのだが、魔法師団もお役所なのだった。そこの所長に、一介の平団員が逆らえるであろうか。
それにしても嫌なタイミングである。
身内とはいえ、市長からの呼び出しが来たと同時の、所長からの呼び出し。
市長と所長か。
「帰って寝たい」
そう呟いて、ネロはお菓子の袋に手を突っ込んだ。
続く
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