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《12》精霊憑き


 空が青い。なんと濃い青色だろう。風が薫ってくる。

 ネロが転送させられた場所は、リテリアの森の手前にある宿場町だった。

 宿場町の中心にある教会。そこの中庭。小さな林檎の木がある庭だ。

 年老いた司祭が、笑顔で歩み寄ってきた。

「ようこそお越しくださいました。ネロ・リンミー殿。先ほど、ゾエの魔法師団から知らせが来ました。知らせを確認した直後にあなたが現れたのですから、流石魔法師だと思いましたよ。いやいや、仕事が早い」

 ネロは魔法陣の真ん中に立っていた。後ろではマーガレットがぽかんとした表情でじべたにへたり込んでいる。地面には丸い石板が埋まっており、魔法陣が彫られていた。

 ネロは腕を組み、顔がひくつくのを感じながら、懸命に怒りを押し込めていた。

「ネ、ネロさん。これって、ワープ魔法ですか……ね?」

 どう考えてもそうだろう。

「だろうな」

「私、……私、魔法師をなめてました。だって、使えない魔法論ばかりを言う人たちかと思ってたんです。でも、こんな……凄い魔法を使えるんですね……、しかも凄く簡単そうに……」

 一般的な魔法使いが、どれだけのレベルなのかは知らない。けれど、この魔法は魔法師にとってもかなり高度なレベルである。

 だがネロは気に食わない。

 強制転移。

 大嫌いな部類の魔法だ。

 自分がかけるのは良い。

 自分にかけられるのは大嫌いだ。

「マーガレット、ちょっと魔法陣から出てくれないか?」

「ネロさん?」

 マーガレットがどこか不安げに魔法陣から出た。司祭はニコニコと笑ったままだったが、数歩だけ後ろにさがる。

 ネロはベルトに差していた杖を抜き取った。

 そして呟く。あの眼鏡の魔法師が唱えていたであろう呪文。ネロの耳には届かなかった。けれど唇は読めた。

 全部は読めなかった。

 けれど、それだけで十分だ。

 少しの情報から呪文を構築し、自分の魔力が反応してゆく、そのときの血の沸く感覚がたまらない。

 高揚、興奮、なんと表せばいいのか。

 ワクワクするのだ。

 できた。


《開け》


 ネロの魔力は、瞬く間に空間へ青白い渦を作り出した。

 その渦の中心に、杖の先を突き刺す。

 すると渦が逆まきになり、杖の先を中心にして真円がぽっかりと開いた。

 その先には見える空間には青、そして白い雷のようなものが絶えず走っている。

 異次元だ。

 それはネロへ寄り添ってくる。

「ネロさん!」

 マーガットには、まるで魔法の暴走のように見えたに違いない。

 真円は崩れ、円の縁が帯のようにネロの体に巻きついてきた。 

 マーガレットの悲鳴がネロの耳に届いた。

 しかしネロは、暴走する異次元に飲み込まれたけではない。体の約半分を魔法陣の上に残し、残りの半分を魔法師団ゾエ支部へと運んでいただけなのだった。

 青い光と白い稲妻の渦をまとい、ネロはゾエ支部の面々を見下ろしていた。

 眼鏡の魔法師とクロシーダ、そして先ほどは居なかった女性魔法師が、腰を浮かして見上げている様を睨む。


 ズ、ズ、ズ、ズ……


 地鳴りのような音が空気を震わせていた。

「ネロ、……魔法師……」

 眼鏡の魔法師が青ざめている。

「今回は大目に見よう。が、……次やったら……分かっているだろうな」

 ピシャンと青白い雷が一つ、落ちた。

 ネロはマントをつかみ、目の前をバサリと覆った。

 ネロは元の魔法陣の上に戻った。

「ふん。なめやがって」

 魔導士風情が。ネロの頭のどこかで、貴族たる己が苛立っている。

 それを押し込めた自分を褒めてやりたい。

 地鳴りのような振動が消え、異次元も通常の空間にそっと溶けた。

 小さな拍手が聞こえた。

「流石ですな。良いものを見させていただきました」

 司祭だ。穏やかな笑顔だ。

「……なにが良いものかわかりませんが。お気に召していただけたら結構です」

 ネロはまだイライラしている。久々に感情が高ぶったようだ。

 突然、ネロの鼻先を光の粒がかすめた。

「え……」

 そして色とりどりの幾百幾千という光が、周りを飛び交いだしたのだ。

「キャア!」

 マーガレットの悲鳴が聞こえた。

 けれど、ネロにはその姿が見えなかった。視界のすべてが、鮮やかな色たちに奪われている。

「ネロ・リンミー殿。そろそろ、儚い者たちがかわいそうです。お怒りをお鎮めください」

 司祭の声が届いた。

 儚い者。妖精のことだ。

 今、ネロを取り囲んでいる光の正体は、すべてがその妖精だった。

「そうおさまりそうにもないな。こう見えて、プライドは高いほうでね。そして狭量なんだ」

 妖精たちの怯えと混乱が伝わってくる。

 ネロは大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐き出す。

 その時、怒りもスーッと抑え込んでいった。

 けれど妖精たちは怯えたままだった。

「すまない、司祭殿。……その少女を中に連れて行ってくれませんか? 私は少し、妖精たちをなだめますから」

「はい、存分に戯れてくだされ。さあ、お嬢さん、中でお茶でもいかがですか」

「え? え? ネロさんは、あの……」

「ネロ・リンミー殿にはやることがあるのですよ」

「けど……」

「精霊憑きの宿命ですよ。さあ、行きましょう」

「精霊……憑き……?」

 それきり声は聞こえなかった。

 きっと教会の中に入ったのだろう。

 ネロはふぅと、小さく息を吐いた。



 妖精たちは飛び交うことをやめなかった。

 通常、妖精たちは気ままにそのあたりに存在している。姿は見えなくとも、気配はなくとも、自然の法則に従って、一定の数がいる。

 極端に少なくなることや極端に多くなることは、なにか異常が起こっている場合が多い。

 ネロの場合、ロキもだが、周囲には極端に妖精が多くいた。

 ネロやロキから自然と漏れ出している魔力を、妖精たちは水を飲むように補給している。

 ネロは深呼吸を繰り返し、心を落ち着けようと努めた。ゆっくりと時間をかけ、そして落ち着くにつれ、妖精たちの飛び交う速さも緩やかに変わってゆく。光の粒の、蝶の翅のような輪郭は見え始めた。

 やがて、まさしく蝶さながらにネロの周りをふわるふわりと浮遊するようになった。数も減り、景色を見れるようになった。

 鮮やかな青い空が開ける。

 ネロは林檎の木の陰にしゃがんで、足元で指を鳴らした。

「おいで……ごめんな」

 鳴らすと言っても、音は出さない。指をこすり合わせる程度の、かすかな音がするだけだ。

 目的は音ではなく、指をはじく際に、少量の魔力を撒くのだ。

「怖くないよ」

 しかし声をかけると逆に、妖精たちは草や木や建物の陰に隠れ、今度がネロの周りから極端に妖精がいなくなった。

「……はぁ……」

 


 ネロとロキが『精霊憑き』と言われたのは、十歳の時だった。

 幼いころの二人は、あまり多くの言葉を使わずともある程度の意思疎通が可能だった。

 周囲の大人たちも、ネロとロキが不思議なコミュニケーションをとっていても、それが双子特有の会話なのだろうと気に留めてはいなかった。

 けれど、ネロとロキには、自分たち以外の誰かを介して会話を行っていた記憶がある。

 そればかりか、その謎の存在に誘われて遊び、庭の色んな場所に探検に行っていた。

 子供はまれに、妖精や精霊が見える。

 ネロとロキも、そういう時期があった。そしていつしか見えなくなった。

 二人の周りに異常な数の妖精が集まっていると言われたのは、王宮でのパーティーへ出席した時だった。

 参加したのは親だけだったが、貴族の子供たちも大きなホールに集められ、プレ舞踏会のようなことをしていた。

 そこで、不思議なことが起こった。

 ネロとロキが数人の子供たちと一緒に輪になってダンスを踊っていた時、シャンデリアや銀の食器が奇妙な音を発しだした。

 嫌な音ではなかったが、オーケストラの音楽を遮るほどの音量になるにつれ、ホール内は恐怖に包まれていった。

 すぐさま魔導師たちが呼ばれ、悪霊などの仕業かどうかを調べ始めた。

 王族にかけられた呪いの発露ではないかという声も上がり、恐怖がどんどん膨れ上がっていった。

 だがそれは単に、妖精たちがダンスや音楽に誘われて集まってきて、子供たちと同じように歌ったり踊ったりしているだけだったのだ。

 大人たちのパーティーでは決してこういうことはなく、純粋無垢な子供たちの舞踏会だったからこそ起こった現象だった。魔導師たちはそうしめくくった。

 ホール内に充満していた恐怖は、あっという間に歓喜に変わった。

 再び再開されたプレ舞踏会。

 しかし翌日、ネロとロキは両親とともに、王宮の魔導室に呼び出された。

 そこには精霊使いがいた。

「その子たちは精霊憑きです。二人とも魔力と法力を持っており、それが妖精たちにとって餌になっているようです。人間が水を求めるように、妖精たちはこの子たちの力を求めるでしょう。人間が蜜を好むように、妖精たちはこの子たちの力を好んでいます。いいかな、二人とも。妖精に愛されなさい。妖精に嫌われてはいけない。妖精に嫌われたら、あなたたちは一瞬で食べつくされてしまいます」

 ネロとロキは、その時すでに妖精が見える年齢を過ぎていた。

 なので怖いと思ってしまった。

 もう少し幼いころに知らされていれば、妖精を怖がることはなかったかもしれないし、もしかしたらずっと妖精の姿を見れていて、精霊使いになっていたかもしれない。

 けれどネロもロキも、小さいころにナニカと遊んだという記憶さえも、怖い思い出に変わってしまったのだった。

 それからいろいろな本を読み、呪文を知り魔法を使えるようになって、精霊との付き合い方も知識として学んだ。そして徐々に妖精たちを怖がらなくなった。

 そのおかげだろうか、稀に、本当に稀に、妖精たちは可愛らしい姿を見せてくれるようになったのだ。

 二人はその小さく儚い存在たちに、好意を持つようになった。とても美しいからだ。

 けれど思春期に入ると、ネロとロキの精神状態は不安定となり、いつもイライラし、いつも怒っていた。感情の起伏が激しくなるにつれ、妖精たちはそれに怯えたり、感情が移って怒りだしたりした。

 シャンデリアが揺れて落下したり、ガラス製のものがことごとく砕けたり、燭台の蝋燭の火が火柱となって部屋を焼いたこともあった。

 妖精が暴れるとネロとロキの身にも危険が及んだ。使役しているわけではない、ただの野良妖精だ。ネロやロキの身を守ってくれることはない。

 ただ、ネロやロキの力を食べにやってきているだけ。

 味方になることはなく、ともすれば敵になる。

 それを実感したのは大学時代である。

 思春期も終わりを迎え、二人の精神は落ち着きを取り戻していた。

 ネロとロキはそろってボートの選手に選ばれて、大学対抗の試合で川の上にいた。

 感情が昂っていた。

 水の精が反応した。そして、川の精霊が怒った。

 川は逆流した。

 ネロとロキは水のロープのようなものに巻き取られ、水中に引きずり込まれたのだ。

 川の主をネロは初めて見た。

 その顔を見た次の瞬間にはブラックアウト。

 魔力や法力は根こそぎ持っていかれていて命も危ぶまれた。

 使役していた精霊や妖精の加護によって、辛うじて一命をとりとめたのだ。


「もう怒ったりしないから、……、みんな、こっちに来て……」


 林檎の木の下で、ネロは悲しい気持ちになりながら、妖精たちを呼び続けた。




 ________________

 ______________

 _____




 ネロが庭にいるとき、マーガレットは教会の裏にある司祭の住まいにいた。

 大きな荷物を箱に置き、冷たいお茶をごちそうになっていた。

「あの」

「はい」

「ネロさんをご存じなんですか?」

「はい。有名な方ですから」

「そうなんですか。……どういった人なんでしょう? 私、ネロさんに助けられたというか、……拾われたというか、お世話になりっぱなしで、迷惑かけっぱなしで……。でもネロさんのこと、なにも知らないんですよ」

「長いこと一緒に旅をされているんですか?」

「まだ二日目です」

「……、でしたら、お互いになにも知らなくても仕方がないことでしょう」

「……でも、ネロさん、自分のことをなにも話してくれないんですよ。なのに、お金とかポーンとくれるし、怪しい人かと思ったら結構紳士だし。お金持ちのボンボンなんだろうなってわかるんですけど、魔法薬作れたり、杖を直したりできるっていうし、……さっきの魔法、とか? 精霊憑き? とか? ……なんなんですか?」

 司祭は目を細めて笑った。

「ネロ殿がわざと正体を隠しているのでしょうな」

「……それは、なぜです?」

「さぁて、まあ、……。お嬢さん、コーカル市出身ではないんですね?」

「はい、首都出身です」

「そうですか、そうですか。そして、ギルドに登録されている?」

「はい! 爆炎の勇者の仲間なんです!」

「なるほど。それはネロ殿が自分の正体を明かしたくないわけですね」

「……え、なんか、私、……ダメなんですか?」

「さあ、どうでしょうね。一緒にいるということは嫌ってはいないはずです。ですので、よほどの怒りを買わない限りは、優しくしてもらえるでしょう」

「よほどの怒りって、さっきの、ですか?」

「何にしても、ああいったお家の方は、人に強制されるのを厭いますから。ネロ殿はまだ温和なほうですよ。正体が知りたければ、実際に聞いてみてはいかがでしょう。意外とあっさりお答えになるかもしれませんよ」

 そこにネロがやってきた。

「どうも。ご迷惑をおかけしました」

 マーガレットはコップに口をつけて、ネロが椅子に座るまで顔を見ないようにした。






 ネロは結局、妖精たちを完全になだめることはできなかった。

 こんなに妖精が混乱しているのを目の当たりにしたのは、いつ以来だろうか。

 もしかしたら、先日の衝撃波やマーガレットの言う爆発によって、もともと妖精たちも過敏になっていたのかもしれない。

「どうも。ご迷惑をおかけしました」

 そう言いながら、ネロは司祭とマーガレットが入っていた扉を開けた。

 そこは司祭の住居のようで、目の前のテーブルで司祭とマーガレットが冷たいお茶を飲んでいた。

 透明なグラスは汗をかいていて、氷の音が涼しげだった。

「迷惑だなんてとんでもない。久方ぶりに妖精の姿が見れましたよ。おや、耳元になにか……?」

「え、ああ。全部をなだめられたわけではないんですが、数体はなついてくれて、周りにいるんですよ。精霊使いではないので、はっきりと見えるわけではないのですが……」

 なんだか照れくさくて、笑みがこぼれた。

「そうですか、そうですか。さあさ、冷たいお茶でもどうですか? コーカルとは違い、ここまでくると暑いでしょう。どうぞ」

「ありがとうございます」

 ネロがすすめられて椅子につくと、マーガレットがじっと見つめてきた。

「……迷惑かけて悪かったな」

「いえいえいえ、わがままに付き合てもらっている身ですから!」

 マーガレットはぶんぶん頭を横に振る。

 そしてそのあと、なんだかシュンとしたような顔をした。

「お茶をいただいたら、リテリアの森に行こうか。司祭殿、お茶のお礼になにか俺にできることがあれば。大したことはできないが、例えば重いものを移動させたりだとか、電球を変えたりだとか、雨漏りの修理だとか……」

「はっはっは、お茶一杯でそこまでしてもらうわけにはいきませんよ。それよりも、今晩はどこにお泊りですか? よろしければこちらの教会にお泊りになってはいかがでしょう? 宿場町は冒険者であふれかえっておりますから」

「野宿もできますので」

 ありがたいけれど、急ぎたい。それはマーガレットも同じだろう。

 不満はあるが、ゾエの魔法師のおかげで行程がずいぶん短縮できた。どうせでならこのままリテリアの森に入ってしまいたい。

「しかし、」

「じきに日も暮れます。こんな可愛らしい女の子を野宿させるおつもりですかな? 宿がないなら仕方がありますまい、しかしここには宿がある。紳士であるなら、ここにお泊りなさい」

「……マーガレットはそれでいいのか? 勇者に会うのが遅くなるが」

「えっと、……でも勇者一行が無事なのはわかりましたから」

「……そうか。ならば、司祭殿。甘えさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「ええ、ええ、もちろんですとも。久しぶりに賑やかな食卓になりそうで、嬉しい限りですよ」



 リテリアの森に一番近い宿場町は、リテリア宿と呼ばれている。

 リテリア宿の歴史は古く、カンバリア共和国がまだ魔物との共和をしていないころからあり、当然、その時代にはリテリアの森に柵などなかった。

 共和前、ギルド全盛期。

 そして、魔物も全盛期。

 妖精の棲み処と言われるホリエナ湖とは違い、リテリアの森は多くの魔物が棲む魔の森だった。

 ギルドの冒険者が我こそはと討伐に向かい、半数の冒険者は死んだ。

 リテリア宿の教会は、そんな冒険者たちを弔う場所だった。

 他の教会に比べて布教の意味合いは少なく、慰霊の意味合いが大きい。

 宿場町の住人に墓のほかに、冒険者たちの慰霊碑も多い。

 そして、共和国となってからは、かつて討伐された魔物たちへの慰霊の石碑が建てられた。

「普段は決して他の人間には見せないのですが、ネロ殿、面白いものをお見せいたしますよ」

 夕暮れ時、庭から墓地へ続く扉の手前から司祭が声をかけてきた。

 手には水の入った桶を持っている。

 ネロは林檎の木の根元で、妖精のために魔力の粒を撒いていところだった。妖精の姿はもう見えない。強い夕日の色ばかりが目を焼く。

「面白いものですか」

「ええ。そこにもう一つ桶がありますから、水を汲んで付いて来てください」

 扉のそばに、木でできた桶とひしゃくがある。ネロは言われるがまま、水を汲んで司祭の背中についていった。

 墓地に向かう途中には、よく手入れのされた椿の木が並んでいた。

「この椿は、白い花弁に黒のフが入ります」

「白椿と黒椿の掛け合わせですか?」

「もともとは白椿だったと言われています。しかし、いつのころからか黒いフが入るようになりました」

「突然ですか? 珍しい現象ですね」

「その原因となったと言われているのが、この先にあります」

 司祭は墓地内を慣れた足どりで歩き、順繰りに慰霊碑に水をかけて回った。

「この辺りは暑いでしょう? 死者も喉が渇くだろうと、朝と夕方にお水を上げているんです」

「なるほど」

「宿場町の住人も、ほら」

 司祭の視線の先に、幼い女の子を連れた老婦人がいて、二人は仲良く墓石に水をかけていた。

 ネロと司祭に気が付いた老婦人は、女の子を引き寄せて、微笑んで頭を下げた。

 司祭はゆっくりと近づいてゆく。

「今夜も冒険者でにぎわっておりますかな?」

「ええ。そうなんですよ。いつにもまして……。先日の大きな揺れのせいですかね。国は森を立ち入り禁止にしていますけれど、冒険者たちは押し寄せてくるし、いったいどうなっているんでしょうかねぇ? なんの説明もしてくれない国もひどいですが、禁止なのにそれを破る冒険者も、どうなんでしょうかね? そちらのお若い方は?」

「私の客人ですよ。ゾエの街から来ましてね。宿は満員で野宿するというので、ここにお泊めすることになったんですよ」

「ああ、それはいいですね。お若い方、今の宿場は荒くれ者の巣窟となっておりますから、教会にお泊りになるのは正解ですよ」

「そうなんですね。僕は運が良かったです。けれど、そんなに荒くれ者なのですか? ここに来る途中、ギルドの冒険者さんを何名か見ましたけれど、暴れ者という感じはしませんでしたが」

 ネロは嘘を吐いた。

「そうですか……。やはり大集団になると違ってくるんですね、人というのは。中には礼儀正しい方もいるんですが、……こう言っては何ですが、野盗崩れみたいな方も多くて……。それに、ああ、そうだ、司祭様」

「はい」

「今回の冒険者の方々ですが、この近辺以外の方が多いみたいで、……私、心配なんです」

「コーカル市の冒険者が集まっているんですか?」

「いえいえ、コーカルあたりでしたら、この辺りの歴史をある程度知っていますし、祠などの意味もなんとなく知っていますでしょう?」

「ああ。コーカルは風習が似ていますからね」

「どうも、このあたりに来るのはまったく初めてという冒険者の方ばかりみたいで……」

「なるほど。むしろ、コーカル市あたりの冒険者は、コーカル市長の命令にはあまり逆らいませんからな。ゾエあたりでは息巻いている者も出てきたようですが」

「知らずに封印を解いたり、死者を冒涜したりするのではないかと思うと、それが恐ろしくて」

「大丈夫です。どうやら大魔賢者と呼ばれるお方がリテリアの森に向かっているそうですから」

「まあ、大魔賢者? それは一体どのような?」

「なんでも、大魔導士と大賢者の両方の力を備え持つ、魔法の天才だとか」

 なんだそれ。ネロはうさん臭さを感じた。

 真の勇者と同じくらいのうさん臭さだ。ガセに決まっている。

 だが老婦人がそれを聞いてしんそこ安心しているようなので、ネロは黙っていた。

 嘘も方便である。

 会話の間、幼い女の子は照れくさそうに老婦人の後ろに隠れていたが、ふいにネロの周りを不思議そうに見はじめた。きょろきょろと目を動かしている。

「妖精さんがいるんだよ」

 ネロは微笑みかけた。きっと見えているはずだ。

「死んだ人の魂じゃなく?」

「みんなが祈ってくれているから、死んだ人は天国に行ってるんだ」

「じゃあなんでお墓にお水あげるの? 天国に行っていたらのどがかわいたりしないよね?」

「お墓と天国はつながっているんだ。お水をあげたり、お祈りをしたり、お花を供えたりしたら、天国にいる人たちが喜ぶんだよ」

「ふうん。そっかー。ねえ、妖精さんはお兄さんが好きなの?」

「どうだろうなぁ」

「お兄さんのまわりにキラキラしたのがたくさん見えるよ?」

「そんなにたくさん?」

「うん! いっぱい!」

 ネロにはもう目視できないが、もしかしたら機嫌を直してくれたのかもしれない。

「そうなのか、たくさんいるのか。きっと、ここの妖精さんは優しいんだな。君みたいに、綺麗な心の人がたくさんいるからだ」

 すると女の子は顔をピンク色にした。

「妖精さんは、悪い心を持っている人間にはいたずらするけど、良い心を持っている人間には幸運をくれるんだ。気に入っていたおもちゃの短剣をなくしても、すぐに見つけられるようにしてくれたりね」

「じゃあ、良い子にしていたら、たんすのうしろに落としたリボンも取ってくれたりするかな?」

「もしかしたらね。でも、妖精は小さくて軽いから、人間にとっては軽いリボンも妖精には岩みたいに重いかもしれない。あまり無理はしないように言っておこうね」

「うん。無理はきんもつ。みんな言うもの」

 女の子は、無理はしなくていいからねー、と空に向かって叫んで、なにか楽しいのか、キャッキャッと笑った。

 老婦人と女の子を見送ったのち、司祭は再び慰霊碑をまわって歩いた。

 いつしか日が沈んだ。

 逢魔が時が訪れた。

「これですよ、ネロ・リンミー殿」

 大きな白い石板。その上に黒い柱が一本。

 なんの慰霊碑かは書かれていいない。

「これも慰霊碑ですか?」

「ええ、そうですよ。さあ、お水をあげましょうか」

「はい」

 これまでの慰霊碑と同じように司祭は水をやり、ネロもそれに倣った。

 最後に簡単な祈りをささげたあと、ネロは司祭に尋ねた。

「これは、誰の慰霊碑ですか?」

 司祭は振り返って、一瞬だけにこっと口角を上げた。

「魔王様の慰霊碑です」


 続く


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