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 病院のエントランスから正面入り口を通って、外へ出た。

 病院のエントランスから正面入り口を通って、外へ出た。

 さっきよりも少し高くなった日差しは、容赦なく徹夜明けの視界を刺す。反射的に顔を背けると、出入り口から伸びるスロープが目に入った。

 ついでに、変な人影の姿も。

 見れば、手すりの影に隠れるようにして(全然隠れられていなかったが)、不審な黒づくめの人物がしゃがんでいた。


「あ、石動さま」


 鈴売だった。

 跳ね起きるように立ち上がり、こちらにやってくる。まるで遊園地で二時間ぶりに親と再会した迷子みたいな駆けっぷりだった。もしや胸に飛び込んでくる気かと思ったが、その予想は、鈴売が石動の目の前で急ブレーキを踏んだことによって、外れる。


 自分から近づいたくせに、彼女は怯えた目で石動を見上げていた。


「あの、その、尾行()けてきたわけではないですよ。本当です。声をかけても、全然石動さまが止まってくれないから、ずるずると、その。そしたら、変な建物に入っていって。でも、私は入るのが怖かったから。でも、なんとなく、帰りそびれて。だから」


 へどもどと言う。先ほど、石動を真っ直ぐ見据えていた少女はどこへ行ってしまったのだろう。鈴売は、もうすっかりいつもの鈴売に戻っていた。

 ちょっと笑ってしまう。

 ここで彼女に会えるとは、まったく運がいい。


「鈴売、ついてきて」


 その小枝みたいな手を掴む。


「え? あ、あの。どこへ」

「喫茶店。ああ、でも、この時間だと空いてないかな。別に、場所はどこでもいいんだ」

「ちょっと。ちょっと待ってください」


 くん、と。風船みたいに抵抗感のなかった鈴売の手首が、突然空中に縫い付けられたかのように動かなくなる。いきおい、手を引いていた石動の方が引っ張られ、後ろに倒れそうになる。


「そ、その。困ります」

「鈴売?」


 深くかぶったキャスケット帽と前髪の向こうで、眼球が左右に高速で揺れていた。鈴売の挙動不審さにはもうだいぶ慣れつつあったが、左右で瞳の位置が一致しない眼球運動は、さすがに少し怖い。


「たしかに、私は先ほどあなたのことを好きだと言いましたが。決して、そういう意味では。いえ、ないとも言いきれないのですが。でも、こんな、いきなり、いする美さまに内緒で二人っきりでお茶なんて。ばれたら殺されますし。こ、心の準備が」

「違うからね」


 一応、釘を刺しておく。


「違うのですか」


 何故か少し残念そうに鈴売は言った。その真意は不明だが、不気味な眼球運動が止まってくれただけで、石動としてはとりあえず満足である。


「では。あの、何を?」

「ちょっと、相談したいことがあってね」


 鈴売は、言った。石動は石動なりの解決をしろと。

 そこに一条からのアドバイスが加わる。つまり、今の状況の元を正すには、どうすればよいか? 問題はそこだ。

 鍵は、鈴売が握っている。

 作戦会議をする必要があった。


***


 まだ十時前ということもあり、やはり喫茶店は開いていなかった。かわりに、駅前のファミレスに陣取る。


 思ったより店内が混んでいなくて助かった。平日の昼間ということもあるのだろうが、ほとんど客がいない。いるのは、モーニングセットを食べる老人と、テーブルを枕代わりに眠る若者が数人くらい。これなら、周囲に話を聞かれる心配もないだろう。


「ひじきを探す、ですか」


 テーブルをはさんだ向かい側で、メロンソーダをちゅるちゅるとストローですすりつつ、鈴売は言う。


「鈴売、俺が八雷神を使うのを検知して、屋上で襲われる俺たちを見つけたって言ってたよね。だったら、俺だけじゃなく、他の奴らが使う力の気配も探れるんじゃないか。それだけじゃなく、力の気配から、そのひじきが何者なのかまでわかってしまうんじゃないか。そう思ってさ」

「石動さまのいうひじきというのは、黄泉軍のことですか」

「まあ、そうなるのかな」


 巨大ひじきが、次にどこの誰を襲うかはわからない。守るべき範囲が広すぎて、石動には対処のしようがない。対処できるほどの力もない。


 だから、対処を諦める。


 対して処するのではない。対する前に処するのだ。

 後手に回っている限り、石動は巨大ひじきに追いつけない。なら、こちらが先手をとる。

 ひじきが次の標的を見繕う前に、こちらがひじきを見つける。ひじきが誰かを襲う前に、こちらがひじきを襲う。


 そして、倒す。


「それがあなたの答えですか」

「俺はいする美を追い出したくない。かといって、いする美以外の全てを見捨てる覚悟もない。この手で掬いとりたいものが多すぎるんだ。だから、俺の手のひらから溢れる前に、大元を断つ。誰かを襲う前に、ひじきの居所をこちらがおさえてしまえばいい。守りながらの戦いじゃなくて、こっちが攻める側になるなら、気楽なもんだ」

「見つけたら、どうします」

「向こうの不意をついて強襲する。そして、最大出力の八雷神を叩きこむ。それで足りなかったら――その時考える。今思いつくのはここまでだよ」


 もちろん、さっきふっと思いついただけのアイディアだ。穴はたくさんある。

 たとえば、鈴売ができるのか、できないのか。巨大ひじきを探すには、彼女の追跡能力が、石動の期待を満たすものでなければならない。力の気配だけをたよりに敵を探し当てるなんてことが、本当に可能なのだろうか。


「たしかに」


 鈴売は、もう一度メロンソーダをすする。


「たしかに、おっしゃるとおりです。たどれないことはありません。それができるから、私はあなたを見つけた。あの屋上での一件では、遠くて判別できませんでしたが、相手が私の知る黄泉軍なら、実際に力の気配を目の当たりにすれば、どの者なのかもわかるかと思います。――ただ、痕跡が必要です」

「痕跡?」

「石動さまの時とは事情が違います。あれは、打ち上がった花火を追いかけていたら、打ち上げ場所にたどりついてしまったみたいなものです。あんな派手な力の使い方はそうそうありません。石動さま自ら、私を招いたも同然でした。でも、今回の相手は、そうではないのですから。どことも知れない隠れた相手を探すなら、相手の力の気配をたどれる痕跡がないと」

「つまり、警察犬に嗅がせる犯人の私物みたいなもの?」

「けいさつけん? そのたとえはなんだか業腹ですが……。まあ、おおむねその理解で合っています」


 いわば、残り香のようなものだと鈴売は言う。石動の(におい)は、特にわかりやすいとも。


(痕跡か)


 それがどのようなものを指すのか、まだ石動にはいまいちイメージがつかない。巨大ひじきは人間ではない。犯行現場に靴を脱ぎ捨てていったわけでも、ハンカチを落としたわけでもない。


「どういうものに、力の痕跡が残るの」

「そうですね……」


 彼女は一瞬考えるそぶりを見せたが、すぐになにがしかの判断をつけたようだ。


「それを説明するのはやぶさかではありませんが――ひとまずここを出ましょうか。いえ、入って早々で申し訳ないのですが。続きは、石動さまの家でということにいたしましょう」

「俺の家?」

「そうです。さあ」


 言いつつ、鈴売はさっさとボックス席の外に出てしまう。

 一方の石動は、まだ半分も減っていない烏龍茶の水面を眺めながら、席から動けずにいた。別に一杯しか飲んでいないドリンクバー代をケチっているわけではない。考えていたのは、別のことだ。


「どうしました」

「……。今、帰らなくちゃダメかな」


 朝食の席での出来事は、石動にとって遠い過去の出来事ではなかった。自分がいする美に何をしてしまったのか、どんな言葉を吐いてしまったのか、まだありありと思い出せる。


「どうして避けるんです?」


 きょとんと、鈴売は首を傾げる。

 またか。知らないわけでもあるまいに。どこに隠れていたかは知らないが、鈴売もあの食卓での一幕を見ていたはずだ。

 相変わらず、空気が読めないし、自分にとって当然なことは、他人にとっても当然と考えている。

 しかし、この時ばかりは、正しいのは全面的に鈴売の方だった。


「謝らなきゃいけない相手がいるでしょう?」


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