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 病院の窓口で聞いてみたが、畳ヶ崎を見舞うことはできなかった。

 病院の窓口で聞いてみたが、畳ヶ崎を見舞うことはできなかった。まだ面会謝絶なのだという。手術の翌日なのだから、無理もない。


 財布に入っている学生証を見せると、病室の番号だけは教えてもらえた。三階の三〇三号室。エレベータを使って、部屋の前まで行ってみた。扉の横にかかっているプレートに畳ヶ崎の名前が書かれていることのみ確認する。


 そのまま帰るのもためらわれ、階にあった自販機に百円玉を投下した。


 紙パックのイチゴ牛乳にストローを刺しながら、廊下の端に作られたリラックススペースに足を向ける。壁一面がガラス張りの窓になっていて、キューブクッションがいくつか並んでいた。その一つに腰を下ろしながら、学校なら、この辺りに非常口があるだろうかと考える。オカ研の部室も三階にあった。


 自分達が巨大ひじきに襲われたあの場所。


 一回目は、石動と畳ヶ崎が。二回目は畳ヶ崎一人が。確証はないが、きっと同じひじきだろう。昨日の今日で、偶然三階のダンボール張りの窓に目を付けた第三者――たとえば、泥棒とか、変質者とか――が畳ヶ崎を襲ったとは考えにくい。


 ということは。


 彼女は、やはり、石動が守れなかったからこそ襲われたのだ。

 

 腹の奥に嫌な重みを感じる。


(俺は俺のやり方で、か)


 鈴売がそう言っていた。同時に、具体的な案は何もないとも。無責任な励ましだった。けれど、一人になりたかった石動の足を、畳ヶ崎の入院先に向けるくらいの影響力はあった。

 叱咤されて気付いた。

 自分は一人になりたかったわけではない。ただ、この場所――畳ヶ崎の入院する病院から逃げたかったのだと。無目的に街を歩くふりをして、彼女の病室を見舞う遠回りをしていたのだと。


 だから、来た。


 来たからといって、突然冴えた解決策が浮かぶわけではない。けれど、何もせずに立ち尽くしていたからといって、何が進展するとも思えない。なら、場所はここがよかった。


「よ」


 首にぴとりと冷たい水気を感じた。

 振り向くと、後ろに制服姿の一条が立っていた。首に感じた冷たさは、彼が石動に押し当てているコーヒー牛乳の紙パックだった。


「おどかすなよ」

「いや、嘘じゃん。全然動じてないじゃん。もっとこう、うひゃっとか飛び上がってくれたら面白かったのに」

「紙パックだったから。缶だったら、もっと冷たかったかも」

「かー、失敗した」


 一条は、笑いながらそのまま隣に座ってくる。

 紙パックにぞんざいにストローを刺し、ずぞぞーと音を立ててすする友人の横顔を、石動は眺める。


「……。よく俺がここにいるってわかったね」

「や、昨日の様子で、お前がここに来ないって思う方が難しいべ。こんな早く来るとは思ってなかったけどな」

「これでも、だいぶ迷ったよ」

「待ちぼうけせずに済んで、俺的にはラッキーだったな」


 はは、とどちらともなく笑う。


「学校は、どうしたの」

「うわ、石動がそれ言う。もち、サボりだよ。ちな、親父も普通に出勤な。この病院のどっかで普通に働いているはず。つまり、見つかったら相当やばい。なんで、巻きでいかせてもらうわ」

「巻き?」

「ぼちぼち教えてくれてもいんじゃねってこと。おまえ、ここ数日変だもの」

「……」

「実際、俺、ずっと相談されるのを待ってたわけ。でも、言ってくんないから、こうして自分から声かけてるわけ。おわかり?」


 一条の手が、ストローの刺さるコーヒー牛乳を石動に差し出していた。

 受け取って、かわりに、飲みかけのイチゴ牛乳を渡した。

 二人して、すする。

 一条から受け取った紙パックは、既に空だった。


「相談しようとしたことがなかったわけじゃない。でも、ひどく説明しづらいことなんだ」

「いいよ。お前の説明が、そんなにうまかった試しなんてないし。俺もそんな聞き上手じゃない」

「……。それも、そうか」


 少しだけ切り口に迷った。

 でも、説明しないという選択肢はなかった。

 一条の言う通りだ。口を開いてしまえば、今までこの友人に何の相談もしなかったことが不思議なくらいだ。


「ある女の子がいる」

「カノジョ?」

「違うけど、かなり近い。――混ぜっ返すなよ、何言おうとしてたか忘れそうになる」

「へいへい」

「その女の子は問題を抱えていて。俺は守るって誓った。でも、蓋を開けてみたら、意外に大変そうで。ていうか、相当やばくて。周りも巻き込んでしまいそうで。俺は全部ひっくるめて守りたい。なのに、俺の力は全然足りない。わからないことだらけで困る。自分のことも。自分じゃない自分のことも。女の子のことも。立ち向かうべき相手のことも。そもそも、何をどうしたら状況が改善するのかもよくわからなくて」

「ついでに、俺もよくわからんってね♪」

「だから、説明しづらいって」

「ぼかしすぎだっつの。詳しくは言えない話?」

「……。まあ」


 詳しくは言えないというか。詳しく言うと、かえって嘘くさくなるというか。


 別に、信じてもらえないと思っているわけではない。そもそも石動を巨大ひじきのもとに連れていってくれたのは、一条なのだ。少なくとも、そこまでは理解の範疇だろう。けれど、そこから色々ありすぎて。徹夜明けの脳みそで、全てをわかりやすく噛み砕いて伝えられる自信はなかった。


「おまえの部活の先輩が襲われたのも、それ?」

「うん」

「あのひじきも関わってる系?」

「うん」

「ふうん」


 一条は、口にくわえたストローを上下に動かした。


「なーんか、妹ちゃんも同じようなこと言ってたな」

「久霧が?」

「木曜の朝だったかな。いきなり電話かかってきて。起きたら、お前がいないとかなんとか。泣いたり、わめいたり、すごい剣幕でさ。なだめるのに苦労した」


 木曜というと、昨日だ。

 畳ヶ崎に会うために、一緒に眠る久霧を起こさないよう、こっそりとベッドを出た。結局いする美に見つかってしまい、一緒に学校へ向かうことになったのだが、自分が家を出た後に、妹と友人の間にそんな一幕があったとは知らなかった。夕方学校から帰ってきた久霧は、いつも通りの久霧に見えたのに。


「そもそも、なんでそこで一条に電話?」

「や、俺、割にあいつと話すよ? LINEでもしょっちゅうだし。お互い、DSM学の第一人者だから」

「何学だって?」

道玄坂()石動を()見守ろう()学」

「……。そんな学問滅んでしまえ」


 なるほど。いわば、一条は、心配性の久霧にとって、クラスでの兄の様子を教えてくれる貴重な情報源であり相談相手なのだろう。この分だと、相当前から自分の知らないところで日々情報をやりとりしていたのではないだろうか。

 別にいいのだが。当の自分が、今の今まで気付かなかったというのは、なんだか微妙な気分だった。


「後でお前もグループ呼んでやるから。むくれるなよ」

「むくれてなんか」

「とにかく、なんかその流れで質問をされたんだわ。変な女が突然やってきて、変な問題に兄貴が巻き込まれて、どうしようみたいな」

「なんて答えたんだ」

「いや、おまえもだったけど、事情の説明がイミフでさ。でも、そういうの女子に聞き返しても大抵無駄じゃん? だから、まるっとざっくりアドバイスしたわけ。で、おまえにも同じ言葉を送ろうってわけ」

「だから、なんて」

「『もとを正せばいい』」


 一たす一は二です、とでも言うかのような口調だった。あるいは、コンロに鍋をかけている最中、ふと漏れた鼻歌みたいな。ごく普通で、とりとめのない言葉。


「……。ごめん、いまいち意味が」

「とにかく、こんがらがって、なんか面倒ごとがあるんだろ? だったら、もとを正せばいい。原因を整理しろよ。で、その根っこのなるべく深ぁい位置を、根っこごと切り取っちまえばいい。これで大抵うまくいく。親父の受け売りだけど。あいつ、外科医だからさ」


 もとを正せばいい。

 斬新な響きはなかった。ありふれている。けれど、石動の中では何かが繋がり始めていた。

 鈴売の言葉を再び思い出す。


 ――あなたはあなたのやり方で、ことを解決すればいい。


(そうだ)


 何故現象にばかり目を向けていた?

 それは氷山の一角にすぎず、ただの結果だ。結果に立ち向かおうとするから、対応が後手に回る。現象がある以上、背後には発端があるはずなのだ。

 石動は、立ち上がった。


「一条、俺行くわ」

「俺の出張診療は役に立ったか」

「立った。すごい立ったよ。親父さんは外科医って話だけどさ。おまえはカウンセラーになれるんじゃないか」


 河原で巨大ひじきを見つけた時のことを思う。あの時、一条はヒーローの道潰えるかーと嘆いていた。でも、今の一条は、間違いなく石動にとってのヒーローだった。

 一条は、くわえていた紙パックのストローを指先で煙草みたいにつまんだ。そのまま、器用に片目をつぶって笑ってみせる。


「俺、道玄坂石動を見守ろう学の権威なんで」


 診れるのはお前くらいだよ、と続いた台詞はまるで告白みたいだったが、この雰囲気なら許せた。

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