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 ことのあらましを、石動は、一条からの電話で聞いた。

 ことのあらましを、石動は、一条からの電話で聞いた。

 友人がそれを知っていたのは、彼の父が付近の病院に勤める医師だったからだ。帰宅後、夕食の話題のひとつとして聞かされたのだという。そういえば、今日、おまえの学校の女生徒がうちに入院したぞ――そんな切り出し方で。


 その生徒というのが畳ヶ崎だった。


 その後、一条は、クラスメイトや先輩後輩を使って、集められる限りの情報を集めてくれた。おまえがそれを知りたがるだろうからと、彼は電話越しに言っていた。石動がオカ研に所属していること、畳ヶ崎というのがその部活の先輩にあたることを、一条は知っていたのだ。言葉に尽くせないほどありがたかった。


 畳ヶ崎を発見したのは、高校に勤務する用務員だったらしい。彼は、電灯を交換するため、B棟の三階で作業をしていた。その時、廊下に広がる血だまりに気付いたのだという。


 血だまりは、廊下の一番奥にある資料準備室の扉前にあった。扉の隙間を伝って、部屋の中から漏れ出ていた。用務員は、作業用に持ちだしていたマスターキーを使って鍵を開けた。


 そして、倒れている彼女を見つけた。


「今日は、午後から急に休校になったんだ。詳しい理由は説明されなかった。防犯上の問題が発生したとかで。でも、多分このせいだ。夕飯で、親父の話を聞いて、なんつーか、点と点が繋がったっつうか」

「それで、先輩の容態は」

「ちょっと、ひどいらしい。死んではないみたいだけど。聞こえるか? 死んではないって。落ち着けよ。おまえがそんなんでどうする」

「……。うん」


 知らず、スマホを握る右手が強張る。


「それで」

「ああ。死んではいない。手術自体は成功したって、親父が言っていた。でも、意識が戻らないって。腹のあたりを、でっかい獣の爪みたいなので引き裂かれていたんだと。それを聞いて、おふくろが言ったんだ。女の子なのに大丈夫なのって。親父は、難しいかもしれないって言ってた。なあ、これってやっぱりさ」


 一条の言わんとすることは、石動にもわかっていた。腹部の傷は、畳ヶ崎の人生に巨大な影を落とすかもしれない。石動だって、赤ん坊がキャベツ畑で収穫されていると信じているわけではない。


 電話口では、他にも色々なことを話した。


 後半は、石動がなぐさめられるばかりだった気がする。でも、電話を切ってみると、ほとんど会話の内容を覚えていなかった。不思議だ。


 時計の進み方がめちゃくちゃに感じた夜だった。


 一秒一秒がすごく間延びして感じたのに、気付けば朝だった。カーテン越しに差し込む陽光の気配が、視界に毒のように染み込んでくる気がした。


 スマホの着信履歴を覗く。あの電話以降、一条からの連絡はない。


 クラスメイトが集まるLINEチャットを開くと、様々な書き込みがやりとりされていた。詳しい流れは追っていない。とても平静な気持ちで読める内容ではなかった。


 姿見を覗いてみる。


 一夜を過ごした分だけ、石動のあごには微かな無精ひげの気配があった。体毛は薄い方だが、皆無ではない。こんな時でも石動の意志に反して髭は伸びるのだ。その事実を、ことさら妙に感じる。


 部屋の扉を開けると、久霧が立っていた。


 険しい顔つきで、こちらを真っ直ぐと見上げてくる。石動が一睡もせずに夜を過ごした理由を説明する必要は、なさそうだった。上級生である畳ヶ崎の噂が二年生(クラスメイト)の間に出回っていた時点で、彼女の情報が学年を超えて広まっていることは自明だ。きっと、久霧は久霧で、校内の噂を伝えてくれる友人を持っているのだろう。


「兄貴、わかったでしょう」

「何が」

「これでも、まだあの女を家に置いておくつもり?」

「……。うるさいよ」


 石動は、久霧の横をすり抜けて、部屋を出る。

 階段を下りて、リビングに入れば、そこではいする美が朝食の準備をしているはずだ。彼女に、昨日と同じ調子で声をかけることができるのか、石動にはわからなかった。


***


 ガシャン、とテーブルから落ちた皿が割れた。


 載っていた料理は、汁と実を四方にぶちまけて、無残なありさまだった。

 皿を落としたのは、石動だった。いや、落としたのではない。手で故意に払いのけたのだ。自分でも何故そんなことをしたのかわからない。まじまじと自分の右手を眺め、次いで、隣席で驚きの表情を浮かべるいする美を見た。


「ご、ごめん」


 自ら、椅子を降り、割れた皿の破片を拾う。

 久霧がどこか平板な声で、ふきんふきん――と言いながら、台所に走る。いする美は、ただ茫然として、こちらを眺めている。


「おまえさま?」


 うまくやったつもりだった。台所のいする美におはようを言い、席に着いた。彼女の手がよそったご飯茶碗を受け取った。久霧が二階から降りてくるのを待って、いただきますを言った。

 ここ数日ですっかり慣れた朝の風景だった。このまま、つつがなく朝食が終わるのだと思っていた。

 なのに、できなかった。

 何かきっかけがあったわけではない。ただ、このまま平和に食事が終わるのかと思ったら、ダメだった。畳ヶ崎は今も病院で苦しんでいるはずなのに、自分はのうのうと飯を食っているのかと思ったら、もうダメだった。次の瞬間には右手が動いていた。


「その。何かお気に触るようなことが」

「……」

「料理がお口に合わなかったですか」

「……」

「きっとそうですよね。申し訳ありません。今、ありもので何か作って――」

「うるさいよ」

「おまえさま?」


 心が芯から冷えていくようだ。

 うるさいよ――こんなひどい台詞を、自分はいする美に、久霧にかけたいと思っていたのだろうか。こんな醜い言葉の羅列をぶつけたところで、何が変わるというのか。でも、一度口をついて出た言葉は、戻らない。割れた皿の破片と一緒だ。


「口を開けば、おまえさま、おまえさまって。何度も何度も。さすがに、時々鬱陶しくなる。いつも幸せそうで。いつも楽しそうで。何がそんなに面白いの? こっちは、君が来てからずっとめちゃくちゃだっていうのに」

「おまえさま」

「まだ言うんだね」

「――っ」


 いする美の唇が、一瞬開きかけて、そのまま閉じる。おそらく、また言おうとしてしまったのだろう。おまえさま、と。


「どう、したのですか。だって。おま――。……。言ってくれたのに。守ってくれるって。ずっと一緒にいてくれるって。嘘はつかないって。私の、私の――」

「守れなかったから、言ってるんだ!」


 床を拳で叩く。


 皿を落とした時みたいな派手な音はしなかった。床に散乱する破片が刺さり、血が出た。小さな破片だ。大した痛みではなかった。いっそ、もっと痛んでくれてもいいくらいだった。


 ふきんをとって台所から戻ってきた久霧が、それを見て、再び無言で台所に取って返す。多分、救急箱を取りに行ったのだろう。放っておいてほしいと強く願った。


「守れなかったんだ。あのひじきは、君か俺のどちらかを狙ってくると思っていた。だから、引き受けた。それなら、たとえ俺の力が足りなくても、あくまで俺と君の問題で済む。あとは、いざひじきが襲ってきた時に、目に映る範囲の無関係な人たちを巻き込まないようにできさえすれば。でも、違ったんだ。襲われたのは畳ヶ崎先輩だった。俺がいないところでも、ひじきは人を襲う。目に映る範囲じゃ足りないんだ。俺は、この手で何人もの人を守らなきゃいけない。次に狙われるのは、久霧かもしれない。一条かもしれない。他のクラスメイトかもしれない。研修旅行に出ている母さんかもしれない。その全てを守りきる力なんて、俺にはない」

「そんなもの――」


 いする美は、言いかけて黙る。その先が、石動の一番言ってほしくない領域に抵触するとわかっているようだった。だとすれば、その判断は全く正しい。それ以上言えば、彼女と自分の間を隔てる価値観の違いが、どうしようもなく浮彫りになってしまっていただろう。


 彼女が「そんなもの」という人たちを、石動は捨てられない。


 言い換えれば、それは覚悟の差でもあったかもしれない。

 わかっている。一緒に過ごしたこの数日間で知ったことだ。いする美はただわがままなだけの女の子ではない。少なくも、彼女は、己がわがままを言っていることを自覚している。自覚したうえで、それでも譲れないからこそ、そのわがままをたった一点に集約させたうえで、他を切り捨てている。自分にそんな覚悟ができるだろうか?


 無理だ。


 わがままを通す範囲が、守りたい範囲が多すぎる。

 いする美を守ると約束した。この異界から一途に自分を頼ってきた少女を、自分の空隙に答えをくれた少女を、助けてみせると。そう誓った。

 でも、それは久霧や一条を守りたくないということではなかったはずだ。畳ヶ崎が巻きこまれていいということでもなかったはずだ。そのつもりだった。

 なのに、現実はどうだ。

 誰かを守るということは、少なからずそれ以外の者を見捨てるということ。

 そして、多くの者を守りたいなら、相応の力がいる。

 そんなこともわからずに、安易に約束を交わした。そして、今になってこんな愚痴を漏らしている。最低だ。


 では、どうする?


 覚悟の足りなさを知った。事態の深刻さを知った。自分の無力さを知った。


 では、どうすればいい?


 ごく自然に口が開いていた。


「出てってくれ」

「おまえさ――」


 ぐっと唇を噛んだために、いする美の言葉は途中で立ち消えた。石動の指摘を愚直に守り、その呼び名を言うまいとしている。こんな時くらい、反発してくれてもいいのに。


 金の瞳は、まばたきすることなく、石動を正面から見据えていた。きっと瞼を閉じることで、うるんだ目から涙がこぼれることを恐れているのだろう。多分、これも石動のため。あるいは、これ以上鬱陶しく思われたくないという彼女の意地のためか。


「わか。わかりました。そう。いわ。そう言われるの。なら。いする美は。いする美は」


 ひどいものだった。

 震える声を隠そうとして、唇を噛みっぱなしで。こぼれる涙をおさえようとして、まばたきもせず。でも、おさえきれない。涙はぼろぼろと頬を伝い、嗚咽まじりの台詞はつっかえつっかえだった。

 だめだ、と思った。

 これ以上彼女に先を喋らせてはいけない。


(違うだろう)


 彼女にかける言葉は、これではないだろう。これが自分の本心ではない。この台詞は、ただ、今の場面なら、普通はどういう言葉を吐くべきかという自分の常識がはじき出したフレーズでしかない。状況に喋らされている。


「ごめん。取り消す。こんな言葉が言いたいんじゃないんだ」

「あ――」

「違うんだ。俺が言いたかったのは。だから」


 とにかく、いする美の口を遮らなければと思った。こんな辛い台詞を、この子に言わせてはいけない。こんな自分の見通しの甘さと安請け合いの責任を、彼女に負わせるような台詞を言わせては。

 だから、喋る。

 自分が喋っている間は、彼女は黙っていてくれるから。何でもいい。喋り続けなくては。


 でも、話しながら、会話のゴールがわからない。


「……っ」


 かけるべき言葉が見つからない。思い浮かぶのは、本心から遠い言葉ばかりで。言えば言うほど、彼女を傷つけてしまう気がした。そうして、自分が望むのとは、まったく違う結論に辿りついてしまうだろうという予感も。


 ただ、これ以上彼女に唇を噛ませてはいけない。涙をこらえさせてはいけない。それは絶対だ。


「……。少し頭を冷やしてくる」


 ようやくそれだけ言って、石動は立ち上がる。

 リビングの扉の横で、寄りかかるようにして久霧が立っていた。石動の妹は、この事態を喜んでも悲しんでもいないように見えた。ただ、無表情のまま、石動を見上げていた。

 その妹の手から、無言で救急箱を受け取る。

 リビングを後にした。


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