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 準備室に並べた椅子に腰かけ、畳ヶ崎は、けだるく足を伸ばす。

 準備室に並べた椅子に腰かけ、畳ヶ崎は、けだるく足を伸ばす。

 疲れた。実に一年分くらいの勇気を前払いで消費した気がする。でも、ちゃんと先輩を演じられた。自分にしては、よくやった方だ。


「畳ヶ崎、か」


 呟いた言葉は、隙間風の差し込む部室で空しく拡販する。石動(かれ)の唇がその名を呼んだ時は、一語におさまらない雄弁なパワーを感じたのに。自分で呟いてみると、やっぱり、単なる自分の名にすぎなかった。


 あの日。巨大ひじきに襲われた日。


 気が付けば保健室のベッドに寝ていて、パニックになりそうだった。


 保険医の先生がなだめてくれて、どうにか落ち着いたが。落ち着いたら落ち着いたで、今度は恥ずかしさに死にたくなった。

 後輩の前で、なんという醜態を晒してしまったのか。普段は、あんなに余裕綽々な先輩ぶったポーズで通してきたのに。いっきに、ばれてしまった。自分は、本当は、矮小で、狭量で、打たれ弱い、ちっぽけな存在なのだと。


 石動には言えなかったが、実は、あのひじきと遭遇した日から、畳ヶ崎は授業に出席していない。


 級友たちの視線が怖いのだ。

 いや、級友ではない。少なくとも、友ではない。あれは、時々背後で畳ヶ崎のことをくすくすと笑う、同じ教室に在席するだけの、ただの他人だ。『気を失って、後輩男子に保健室へ連れ込まれた』なんて情報(ネタ)、奴らが放っておくはずがない。きっともう知れ渡っている。自分がどんなふうに噂されているかは、聞きたくない。


 部室にひきこもった一番の理由が、それだった。


 教室には行きたくない。しかし、欠席もできない。特に事情もなく学校を休めば親がうるさいし、かといって家族にこんなことは相談できない。となければ、畳ヶ崎に残された居場所は、このかび臭い資料準備室くらいしかない。巨大ひじきに襲われた、この部屋しか。


 正直、怖い。


 この部屋にいると、襲われた時の記憶が蘇る。

 あのひじきが狙っていたのは石動のようだった。となれば、危険なのはむしろ石動の方であり、自分やこの部屋が再び襲撃される可能性は低いのかもしれない。でも、それは理屈だ。こびりついた恐怖は、そう簡単に消えたりはしない。


 彼が来てくれれば、と思っていた。


(僕は、馬鹿なのかな)


 おかしな話だ。巨大ひじきが彼を狙っているなら、彼と会うことこそ、むしろ危険に飛び込む行為だ。でも、彼が来てくれれば。そう思ってしまう。

 だって、そうすれば、自分は「畳ヶ崎先輩」になれる。

 余裕綽々で、どこか人を食った態度で。

 オカルト研究会の外では、あんな強い自分ではいられない。みじめな自分は嫌いだ。教室が嫌いで、自分の家が嫌いだ。この部室にさえ嫌な思い出ができてしまった。でも、彼がいてくれれば違う気がする。彼がいて、自分がいれば、それがオカルト研究会だ。それで「畳ヶ崎先輩」だ。赤ん坊が母親の指を掴むみたいに、ストンとその理屈を信じられる。


 ずっと待っていた。

 そして、ついに来てくれた。


(道玄坂石動)


 たった二人の部活だから、フルネームで覚えている。一学年下の、男の子。実は畳ヶ崎より年上だというが、絶対嘘だと密かに思っている。いつもどこか眠そうで。時折、妙に可愛い。からかいがいがあるのが、いい。畳ヶ崎の言葉を素直に信じてくれる。自分を慕ってくれる後輩。


 あの日、その印象に新たな一軸が加わった。


 体は、見た目よりがっしりしていた。手も畳ヶ崎よりずっと大きかった。男女の体つきってこんなに違うんだと、高校三年生にもなって、初めてそんな事実を知った。屋上へ逃げる過程での出来事。今にもひじきに飲み込まれそうな中、混乱しながらもそんなことを考えていた自分は、実は相当の色ボケなんじゃないだろうか。思い出すだに、顔から火が出そうだ。


 メッキが剥がれた自分は相当無様だったろうに。その愚鈍さに彼自身さぞイライラしただろうに。その手が、その体が、その声が、無力な畳ヶ崎を守り、はげまし、導いてくれた。


「まったく」


 横一列に並べた椅子に、こてんと横たわる。


「君は、卑怯だ……。僕の方は、君に数回名前を呼ばれた程度で、もうこんなにくたくただっていうのに。君は、まるで変わらない。それとも、心の中では幻滅しているのか。あるいは、もともと僕のことなんてどうでもいいのか? そんなに人外の嫁とやらがいいのか?」


 前髪が視界にちらつく。生まれつきの忌々しい癖っ毛。コンプレックスのひとつ。


(縮毛でも、かけてみようかな)


「あああああー」


 じたばたと毛布を抱いてもだえる。


(……。今、僕、地球上で一番馬鹿な女かも)


 溜息と共に、思う。

 その自嘲は、ある意味で全く正しかった。

 彼女は、もっと周囲の事情に気を配るべきだった。たとえば、背後を。


 おかげで、大切なことを見逃した。


***


 それは、時間帯でいえば、石動たちが校内を後にしたタイミングでの出来事。

 それは、いする美は石動の隣で彼の腕をとり、石動は彼女が寒くないよう、さりげなく肩をつけていた。ちょうどその頃。


 B棟三階の部室で、悲劇は起こった。


 ()()は観察していた。


 ()()は監視していた。


 ()()は憤怒の感情に蠢いていた。


 ()()は巨大なひじきの集合体に酷似しており、腐臭を放ち、体は粘性で、自由にどこにでも侵入できた。ダンボールで塞がれた程度の窓など、何の障害にもならなかった。


(王――)


 ()()は思っていた。


 部屋には、一人の女がいる。知っている。そのために、ここに来た。狙いは彼女だった。何故? そんな問いが入り込む余地すらない。明確に、明確に、そうだった。

 馬鹿な女だ。彼女は、()()の狙いが石動の方にあると思っているようだった。だから、部屋を安全だと判断している。多少の怯えは、おのれの杞憂だと思っている。


 でも、事実はそうではないのだ。


 その部屋は世界一危険な部屋だった。()()の狙いは、石動ではなく彼女だったのだから。彼女は、世界中のどこに逃げ込んだとしても、この部屋にだけは逃げ込むべきではなかった。だから、女は愚かだった。


(王、王、王、王、王――)


 ()()は、室内へとすべりこみ、己の為すべきことを為した。


***


 石動のスマホが着信を告げたのは、夜になってからだった。

 電話をかけてきたのは、一条だった。

 彼は、不確かな噂はまじえず、自分の知る限りの事実だけを伝えてくれた。


 つまり、畳ヶ崎が緊急入院したと――。


無事、第二幕-1を完走できました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次投稿は、おまけの幕間になる予定です。


※本作は、第一幕、第二幕-1、第二幕-2、第三幕の構成で進行予定です。

 中間評価・中間レビューしてくださるかたは、タイミングの目安にどうぞ。感謝。

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