表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/44

 渡り廊下に出ると、外気の冷たさが再び体を刺してくる。

 渡り廊下に出ると、外気の冷たさが再び体を刺してくる。

 あの部室に暖房なんて上等なものはないが(ダンボール貼りされた窓からの隙間風がひどかった)、それでも、室内にいたわずかな間に、体はすっかり寒さへの耐性をリセットしてしまったようだ。両腕を抱いてさする。


「いする美」


 呼ぶと、自販機の横で佇んでいたいする美が顔を上げた。尻尾を振る犬みたいに、ぱたぱたとこちらに駆けてくる。たった数メートルの距離だから、そんな急いで来る必要なんてないのに。

 やや息を弾ませて、整った美貌が、帽子の向こうから石動を見上げる。


「遅いです。待ちくたびれてしまいました」

「ごめん」

「ずっと、見せびらかそうと思っていたのに。ほら。見てください。ちゃんと開けられましたよ?」


 いする美は、開封されたおしるこ缶を両手で石動に差し出す。B棟に入る時、石動自身が渡したものだ。


 けれど、これはどうだろう。


「随分、その、独創的な開け方だね」


 缶は開封されていた。しかし、普通のスチール缶のように、プルタブを起こして開口部を露出させたわけではない。


 プルタブがあったはずの面が、綺麗に円形に切り抜かれているのだ。


 いわば、缶切りを使って開けたような恰好だが、どのような鋭利な缶切りを用いれば、ここまで縁を綺麗にカットできるものだろうか。


「不肖、私めがお手伝いしたのですよ」


 自販機の方から声がする。


 うぞろうぞろ――自販機の下から、粘液に絡まったひじきの集合体が現れる。どこか柿に似た甘い腐臭と共に、ひじきは見る見る積み重なり、像を成していく。

 予想通り、それは鈴売だった。


「君も来てたの?」

「いする美さまのいらっしゃるところなら、どこでも。今日だって、ずっとついてきたのですよ」

「それは――」


 全然気付かなかった。

 昨日、夕食の頃から姿が見えなかったので、どこに行ったのかと思っていたのだが。この分だと、案外、石動のベッドの下とか、トイレのロータンクの中などに潜んで夜を越したのかもしれない。

 ゴキブリみたいな生態だなと思う。


(ということは、さっきの会話も聞かれてたのか)


 泣きじゃくるいする美に抱きしめられ、不器用な言葉で彼女をなぐさめた。あの瞬間、すぐそばの自販機の下にペースト状のひじきが忍んでいたのだ。考えると、シュールな光景だ。

 あと、ちょっと恥ずかしい。


 いする美を見ると、彼女は、親に悪戯の嫌疑をかけられた子どものように、少し拗ねたような上目遣いで石動を迎えた。


「お言いつけどおり、鈴売を怒ってはいませんよ?」


 鈴売を責めるなと言った石動の言葉を、いする美は守ってくれたらしい。まさか鈴売がすぐ近くに潜んでいるとは思っていなかったが、釘を刺しておいてよかった。B棟から戻ってきた時、自販機の下から血だまりが広がっているなんて光景は、見たくない。


「それで、どうでした、王? ご学友との邂逅はつつがなく?」

「鈴売。それは、私の聞くことです」

「あ、あう」

「おまえは、またどこぞに潜んでいなさいな。私がいいと言うまで、出てきてはいけませんよ」

「……はい」


 ぞぞぞ、と。出てきた時とは逆の手順で、鈴売の姿が再び自販機の下へと消えていく。


「まったくもう、あの子ったら、気が利かないんだから」

「あんまりいじめるもんじゃないよ。君のお付きなんだから」

「だって。あの子ときたら、欠片も空気を読めないんですもの。自分の従者に夫の関心をとられたとあっては、笑えません」


(空気の読み具合だったら、いする美もいい勝負だと思うんだけれど)


 まあ、彼女の場合、どちらかというと、「空気を読めない」というより、「空気を読まない」と言った方が正しいのかもしれない――これは、この数日で、徐々にわかってきたことだ。


「では、あらためまして。……無事『せんぱい』に謝罪はできたのですか?」

「うん。まあ。つつがなくね」


 本当は、畳ヶ崎と話したのはそれだけではなかったのだが。これ以上他の女性についての話題を広げると、またいする美が拗ねてしまいそうなので、やめておいた。


***


『ふうむ。それは、多分、天之尾羽張(あめのおはばり)のことだろうね』


 畳ヶ崎はそう言った。


『知らないかな。男神イザナギがカグヅチを斬るのに使った剣さ。カグヅチは、女神イザナミが産んだ神の一人だけれど、火の神であったために母であるイザナミにひどい火傷を負わせてしまうんだ。イザナミが死んでしまうのは、実はこの時負った傷のせいなんだよ。怒ったイザナギは、産まれた息子を自らの剣でもって斬り殺す。この時使われたのが、十束剣(とつかのつるぎ)なんだけれど、天之尾羽張(あめのおはばり)はその別名というわけさ』


十束剣(とつかのつるぎ)は、十拳剣(とつかのつるぎ)とも書く。つまり、拳十個分の長さの刀身を持った剣という意味だ。天之尾羽張(あめのおはばり)も、ざっくり訳すと、「天にあるすごい斬れる両刃剣」みたいな意味だ。神話の時代の武具名って、ものすごく直接的なんだよね。名前自体が性質を定義する。性質に適した名がつけられる。いわゆる言霊信仰の所以だね。つまり、君の愛剣は、おそらく両刃の切れ味鋭い剣で、その刀身の長さは、およそ拳十個分あったのだと思われる』


『ただ、僕は、神話に登場する天之尾羽張(あめのおはばり)が、イコール君の愛剣だったとは思っていない。黄泉でいうところの君の妻――いする美嬢か。彼女は、代々のイザナミがあり、代々の黄泉津大神を引き継いでいると言っていたね。ということは、君の武器にしても同じことが言えるんじゃないか。代々の十束剣(とつかのつるぎ)が別々に存在するんじゃないか。君の。君だけの剣がだよ』


『僕に言えるのは、これだけだね。残念ながら、ただの推測で確証はない。オカルト研究お得意のいつもの結論というわけさ。確証なんて、どこにもありはしないんだ。でも、僕は、これが君の剣を見つけるヒントになるんじゃないかと考えている。つまり、この場合、剣を見つけるのは、やはり君にしかできないことなんだよ。それが君の剣ならばという前提だ。それが君の剣であり、君にしか取り扱えないのならば――きっと、隠したのもまた君ということになるのだから』


***


 黄泉で石動が使っていた剣、天之尾羽張(あめのおはばり)を隠したのは、石動自身である――それが、畳ヶ崎の見解だった。

 しかし、思い出せない。自分には、死ぬ瞬間の記憶がない。どころか、黄泉で過ごした十年弱の記憶のほとんど全てが欠けている。


 黄泉の国で自分を殺したのは、誰だったのか?

 そして、その時に失われた石動の剣はどこに行ったのか?


 多分、この謎は繋がっているのだ。どちらかが解ければ、両方が解ける。


(もどかしいな)


 犯人がわかれば、おそらく自分を狙ってやってきたあの巨大ひじきの正体もわかる気がするのに。


「おまえさま?」

「何でもないよ。帰ろうか、いする美」


 はい、といする美は再び石動の腕に、自らの腕を巻き付けた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ