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 畳ヶ崎が来ていない可能性も考えたが、部室の鍵は開いていた。

 畳ヶ崎が来ていない可能性も考えたが、部室の鍵は開いていた。


 ノブを回すと、暗い室内に、廊下の光が差し込む。カーテンを閉めている? そうでないことは、暗闇に目が慣れると共に、すぐに知れた。窓一面にダンボールが貼られているのだ。きっと、割れた窓の差し替えがまだ間に合っていないのだろう。防犯上、それでいいのかという疑念は湧くが。


「誰だ!」


 室内の奥から、誰何の声が上がる。聞き慣れた声だ。でも、姿が見えない。


「すぐに扉を閉めてくれ! 光は、今の僕にとって毒なんだ! あと、速やかに出ていってくれ! 知らない人は、今の僕にとって、えーと、えーと、やっぱり毒だ!」

「先輩」


 扉を後ろ手に閉め、手探りで壁のスイッチをつける。蛍光灯がつき、やっと部屋全体が見渡せる。

 一面ダンボールが貼られた窓際のすぐ下に、椅子が横一列に四つ並んでいた。その上に横になって、もこもことした毛布の塊が叫んでいた。


「は、入ってきたな! 神聖な! 当オカルト研究会に! その地獄の門をくぐることを許した相手は、僕の知る限り、一人しかいないんだぞ!」

「先輩、俺ですよ」


 近づき、もこもこに手を伸ばした。

 毛布をめくり上げる。


 運良く頭の方を引き当てたようだ。足側だったら、気まずい事態になっていたかもしれない。

 石動は、ここ数日見ていなかった先輩の顔と再会を果たす。首から下が、毛布にくるまった珍奇な人間サナギ状態でなければ、もう少し感動できたかもしれない。

 少し汗に濡れてくたった髪の毛。

 驚きの表情で、久霧よりはるかに幼い顔立ちの少女が、こちらを見上げていた。


「し、石動、くん?」

「何してるんですか、先輩」


 石動はつい噴き出してしまう。

 真面目な話をしにきたつもりだったのに。こんな姿で出迎えられては、真剣な顔が維持できないではないか。

 でも、こういう再会の仕方を心底ありがたく思っている自分もいたのだ。


***


「ご、ごめん。みっともないところを見せたね」


 起き上がって、畳ヶ崎はカップに入ったインスタントコーヒーをすする。石動が勝手に入れた。散らかった部室の惨状を見るに、今の畳ヶ崎の生活能力は、ゼロどころかマイナスに突入している気がしたからだ。実際、電気ポットを探すのに、石動は漫画雑誌とバケツをひっくり返さなければならなかった。


「先輩は、一人だと片付けができないタイプですか」

「違うよ。何言ってるんだ。失礼な奴だな。僕の部屋はきちんと床が見えてる。その。決して君のイメージする女子らしい部屋ではないかもしれないけれど。僕なりに整理整頓しているつもりだ」

「今、俺がしているのは、部室の話ですよ」

「うぐぐ」


 畳ヶ崎が唸った。石動は笑う。

 この会話の応酬も随分久しぶりな気がする。


「……。実のところ、片付ける気がしなくてね。もう、何日か経つのに。床にちらばっているものを手に取って、もし裏にあのひじきが引っ付いていたらと思うと、怖くて」

「だったら、部室に来なければいいのに」

「だって、僕は部長だ」


 それに、ここは君の帰ってくる場所でもある――畳ヶ崎は、もごもごとそう呟いた。石動は、このインカで見つかった五百年前のミイラ少女みたいに毛布にくるまる先輩を、急に抱きしめたい気持ちに襲われた。そんな思いで、彼女はこの暗い部室を数日間守っていたのだろうか。隙間風が寒かっただろうに。


「先輩にずっと言いたいことがあったんです」

「ぼ、僕に?」


 何故か慌てたように、畳ヶ崎の声は上ずる。

 平静さをアピールするように、ずぞぞとコーヒーをすすってみせる畳ヶ崎だったが、彼女がさっきカップの中身を全て飲みほしたことを、石動は知っていた。


「な、何かな、何かな。後輩である君が僕に? 先輩である僕に君が? とんと見当がつかない。でも、でも、そうだな。もし君がたとえば――」

「あの巨大ひじきのことです」

「――なんだ、そのことか」


 あからさまにがっかりした様子で、畳ヶ崎はカップを手近な椅子の上に置く。いったいなんの話だと思ったのだろう。あと、そういうちょっとした物の置き方から、部屋は汚れていくんですよと忠告したかった。


「別に。なんということはないよ。オカルト研究会の一員としては、まさに夢の追体験みたいな一日だったよ。内心喜んだくらいだ。いや、いい体験をさせてもらった」

「嘘はつかなくていいですよ」


 あの日、自分の腕の中で震えていた畳ヶ崎。あの怯えた表情が嘘で、今目の前で虚勢を張っている姿が本当だというのは、いくら目敏さに欠ける石動でも、到底信じられることではない。


「……。あれは。忘れてくれ。思えば、あの日から変なスイッチが入ってしまった気がする。君にみっともないところを見せてばかりだ。本当は、もっと部長らしく立ち回っていたいのに。現実の僕はちっぽけだな」

「先輩を巻き込んでしまった」


 彼女に詫びるためにこの場に来たはずなのに、いざ口を開くと、なかなか言葉が出てこない。


「ずっと謝りたかった。でも、ここ数日俺は自分のことにばかり必死で」

「それ以上言うものではないよ。僕は謝罪を望んでいるわけではないのだから。むしろ、それを言うなら、僕を守ってくれたのだって、君じゃないか。僕一人であの状況から生還できたとはとても思えない。それで帳消しということで、どうだい? 僕も、あの体験で得るものが全くなかったわけではない――」


 ちらっと、上目遣いに畳ヶ崎がこちらを見てくる。


「先輩?」

「ん、んん。いや、こちらのことだ」


 下手な咳払いで、畳ヶ崎は強引に話題を断ち切った。


「そうだな、どうしても不服というなら、対価をもらおうじゃないか。僕のいうことを何でも一つ聞くということでどうかな。僕の指定を君が守ってくれるなら、それでこの話は、今度こそチャラにしよう。巻き込まれた云々を抜きにしても、僕は君に随分協力しているわけだし――。うん、そうだ、報酬をもらう権利がある」

「いいですよ。何をすれば?」


 それで許してもらえるなら、石動としても、願ったり叶ったりだ。畳ヶ崎はオカ研の部長なわけで、そこに一抹の不安をおぼえなくもなかったが(インディー・ジョーンズばりに、どこそこの遺跡に隠された秘宝を探し出してくれなんて言われたら、どうしよう)。しかし、本来、どんなことだろうと彼女を巻き込んだ代価には足りないのだから、ここは甘んじて受けるべきだろう。


 畳ヶ崎はすぐに要望を言わなかった。

 言いにくそうに、右の親指を左の親指で押さえ、左の親指を右の親指で押さえしている。


「その、……と呼んでくれただろう」

「何ですって?」

「だから、あの時だ。あの巨大ひじきから逃げる最中、判断力を失って阿呆になった僕を叱咤してくれただろう。畳ヶ崎と。あれが、その、なんというか、新鮮でね」


 確かにそんなことを言ったような気もする。とっさのことで、つい敬称が外れた。それが気に入らなかったということだろうか。


「すみません。もう言わないようにします」

「そうじゃない。そうじゃないんだ。逆だ。その、たまに、そういう呼び方もいいかなって。ちょっとね」

「はい?」

「だから、ちょっとだけだ。毎回は、僕の心臓の方が持たない。もし、君が僕に対して借りがあるつもりなら。四回に一回……いや、五回に一回……十回、二十回に一回……うん、そのくらいだ。とにかく、僕の心臓が耐えうるくらいの頻度で、普段の『先輩』という呼称の中にこっそり織り交ぜて、僕のことを畳ヶ崎と呼んでくれてもいいんだぞ」


 石動はこめかみを押さえる。

 意味はわかった。だが、意図がわからない。


「それが要望ということでいいんですか」

「これが要望ということでいいのだ。何故とは聞くな。言うことを何でも聞けということは、つまり僕が出す要望に疑問を持つなという意味も含まれていると思ってくれ」

「そう言うのなら、従いますけど……」


 石動は、彼女の前にあらためて座り直し、背筋を伸ばした。それが彼女の願いというのなら、彼女の呼び名から敬称をとりはらうこともやぶさかではない。とはいえ、それは先輩への尊敬の念まで捨てろという意味ではないはずだ。


「じゃあ、……畳ヶ崎」

「う、うん」


 石動がそう言うと、畳ヶ崎の方も高速で居住まいを正す。少し頬が上気している気がしたが、いつの間に部室はこんなに暑くなったのだろう。


「その、畳ヶ崎。また折り入って相談があるんです。聞いてもらえますか」

「ああ――」


 感極まったように、畳ヶ崎は言った。普段もよりテンションが高めだが、それは石動が知るいつもの畳ヶ崎だった。この数日間のドタバタが、二人の間から消え去るのを感じる。

 ここは、B棟三階の一番奥。

 怪しくもひそやかに非日常を信奉する崇高な場所。


「完璧だ。完璧だよ。石動くん。よろしい、それでは幕開けといこう。オカルト研究会を始めようじゃないか。何が信じられるのか。何が信じられないのか。証明すべきラインはどこか。その分水嶺について」


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