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 即死を免れたのは、全くの偶然だった。

 即死を免れたのは、全くの偶然だった。

 勢いに気圧されて、後ろ向きにすっ転んだのが幸いした。尻をしたたかに打ったが、おかげで首と胴が泣き別れせずに済んだ。


 鋭利な刃だった。


 先程まで石動の首があった位置で、二本の剣は、まるで最初から一対のハサミだったかのように、過不足なく噛み合っていた。ゲームセンターの電光を反射して、その切っ先には、驚く石動の顔が映りこんでいる。


(本気なのか)


 背中が寒くなる。


 何故? 鈴売――この子は、いする美の顔見知りではないのか、いや違う、いする美自身が言っていたではないか、自分の付き人は黄泉軍(けもの)を束ねていると、石動たちを襲ったのが黄泉軍だったとする、そして、黄泉軍は知恵を持たない獣、であれば、石動たちを襲うよう命じた者は誰だ?

 彼女はその黄泉軍に命令することができたほとんど唯一の人物だ。


「君が、そうなのか」

「言葉というのは、もう少し正確に使いますよう。……命乞いの方が先では?」


 すっと鈴売の体が後ろへと下がる。

 噛みあっていた二本の細剣が再び分かたれ、彼女の短躯が更に低く沈む。


「もっとも、乞われて鈍る刃ではありませんが」


 鈴売の姿が消え失せる。

 と思った時には、既に懐に彼女の顔があった。

 尻もちをついている石動の懐にである。まるで地を這うような低さだ。これでは、もう頭を下げてかわすという芸当は通じない。

 床を滑る剣先が、ちりちりと火花を散らす。


「かわせないでしょう?」


 実際には一瞬だったはずだ。しかし、石動には、彼女がうっすらと微笑したように思えた。


 死ぬ?

 ここで死ぬ?

 何もできず、何もわからず、いする美を置いて、久霧を置いて、ここで死ぬ?


 そんなこと、承服できるわけがない。


「土雷っ!!!!」


 どっ。


 とっさに叫んでいた。

 床から雷がほとばしる。加減する暇などなかった。苦し紛れに、でたらめに、持てる限りの力を手のひらに込めた。まるで、水面に熱した石をいきおいよく投げこんだかのようだ。ぼこぼこと瞬時に蒸発しながら、水しぶきならぬ、()しぶきがあがる。


「っ!?」


 鈴売の目に驚愕の色が浮かんだ。

 しかし、次の瞬間には、再びその姿が立ち消えている。


「八雷神っ。使えるのですかっ。黄泉津大神の権能が!」


 今度は上だった。鈴売の体は、床を離れ、パイプが這う天井すれすれを滞空していた。跳躍したのだ。石動が力を行使するより早く。なんという反応の速さか。


(焦るな、焦るな、焦るな)


 意識と無関係に速度を早める鼓動に言い聞かせる。足腰はまだ言うことを聞かないが、それでいい。どうせ今から体勢なんて立て直せない。ひじきに追い詰められて、屋上へと逃げたあの時とは違う。今の自分は、まったくの無力な人間というわけではない。


(跳躍は跳躍だ。飛んでるわけじゃない)


 跳躍んだからには、落ちてくる。それが自然の道理だ。なら、そのタイミングを狙え。


「土雷っ」

「れ、連続ですかっ。それは、少々卑怯なのでは――」


 鈴売の落下に合わせ、再び床から土雷を放つ。落ちてくる彼女を飲み込むべく、床は、石動の周囲を除いて、電撃の海となった。


「――なんて」


(!?)


 この時、鈴売のとった行動は、石動の想像を超えていた。

 なんということだろう、彼女は、落下すると共に、両手に握った細剣を床に走らせたのだ。

 床を斬るでもなく、刀身を折るでもなく。

 剣閃だけがほとばしる。

 そして、驚くべきかな、その運動エネルギーだけで、再び宙へと舞い上がったのだ。


(無茶苦茶なっ)


「土雷っ」


 更に手のひらに力をこめ、床面から立ち上がる雷を強める。

 電撃の海から一筋の雷が空に伸びていく様は、さながら海面から顔を出した海竜(シーサーペント)に似ていた。熱量と光が空気を沸騰させながら、電撃の海竜が宙を跳ぶ少女を追う。


「馬鹿の一つ覚えですか」


 再び鈴売の剣が振るわれた。

 二つの切っ先は、今度は、近くにあったゲーム筐体の輪郭を撫でる。

 これも斬るでもなく、刀身を折るでもなく。

 ただ剣閃を生むためだけの一撃。

 別ベクトルの力が加わった分だけ、彼女の跳躍する方向が逸れる。伸ばした土雷がむなしく空を切る。


「土雷っ、土雷っ、土雷っ」

「無駄だと言わねばわかりませんか」


(いったい何秒跳んでいる気だ!?)


 この攻防の間、彼女の足は一度も地面についていない。ずっと斬撃の反作用だけを利用して、右へ左へ、自在に宙を舞っている。少しでも力加減を誤れば、細剣は簡単に折れてしまうだろう。あるいは、斬りつけたものを切断してしまうだろう。けれど、彼女は誤らない。一度でも誤れば、土雷の追撃が届くのに。


「――遊びはここまでということで」


 いつの間にか、鈴売の姿が頭上にあった。


 真上をとられた。


 そのまま真っ直ぐこちらへと落ちてくる。土雷は使えない。真上にいる鈴売に向けて土雷を放つということは、床に座り込んで動けない自分自身を巻き込むということに他ならない。

 間に合わない。


 ガキンッ――。


「がはっ」


 交差した刀身と刀身に首を挟まれ、そのまま床に押し倒される。ちょうど、寝ている首元に、開いた状態の巨大なハサミを突き立てたら、こんな状況になるだろう。違うのは、石動を床に縫い付けているのはハサミではなく、もっと鋭利な二本の剣だということだ。

 刃と刃の隙間は首の幅ぎりぎり。

 微かにじんじんと痛みを感じるから、皮くらいは切れているかしれない。身じろぎすれば、刃は簡単に頸動脈を食い破るだろう。


「くそ、どうして……」


 いする美は言った。自分は黄泉の王だと。この力は最強だと。黄泉での自分は、いする美の付き人を――つまりは、眼前の鈴売(しょうじょ)を圧倒していたと。

 なのに、何故勝てない? 何故? 目の前の少女は、息ひとつきらしていないのに。だめなのか。いする美を守れずに。久霧を守れずに。自分はここで死ぬのか。


「おしまいです。終幕です。私はあなたを追い詰めました」


 では、さようなら。


 歌うような鈴売の言葉。

 そして、交差した二本の剣が、ついに石動の首を――


「鈴売?」


 ――切断する前に、再び止まった。


 鈴売の目が、彼方を見ている。驚きとバツの悪さが共存するような表情。

 石動もつられて、横を見た。

 その動作で、また少し首の辺りに痛みが走ったが、気にしない。

 笑ってしまうではないか。

 これでは、どちらがヒロインなのだか、わからない。


「いする美さま」

「鈴売。おまえ、何をしているの」


 そこに立っていたのは、ぬいぐるみを両手に山と抱え、森系ファッションに身を包んだいする美に他ならなかった。


これにて、第二幕1(1)は終了。

第二幕1(2)に続きます。

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