くまなくフロアを探してみたが、こういう時に限って、店員の姿が見えない。
くまなくフロアを探してみたが、こういう時に限って、店員の姿が見えない。
「まいったな」
石動は、手近な壁に背中をあずけた。あずけただけのつもりだったが、内なる引力に逆らえず、結局、そのままずるずると床に座り込んでしまう。
体がだるい。
もともと、このゲームセンターには、ショッピングの後に直行しているわけで、疲労が蓄積しているというのもあるのだが。このだるさの原因は、また別だろう。むしろ、どこにも原因がないだるさとでもいうべきか。何の前兆もなく、突然、体力だけがごっそりと奪われたような感覚。
右手を目の前にかざしてみる。
てのひらを見る。手の甲を見る。もはや、何の変哲もない。だが、さっきは確かにこの皮膚の下に蠢く力を感じた。
(あれが――八雷神)
まだ、発動するコツを全て把握できたわけではない。ただ、もう一回やってみろと言われたら、できそうな感覚もある。たとえるなら、カラオケでうろ覚えな曲を歌う時のようなかんじだ。出だしさえ捕まえてしまえば、後は流れでそのまま行けるだろう。そういう感覚。
うろ覚え。
つまり、これが初めてではないということ。
自分の体の中に、記憶の底に、かつてこの技を日常的に使っていた頃の気配を感じる。
(あの一瞬見えた光景は)
いする美のレクチャーにかぶさるようにして、自分の頭の中で重なった声。あのビジョン。
空と眼下の森はどこまでも続き、地平線の彼方で溶け合っていた。吹き抜ける風は、微かに熱を孕み、湿気っていた気がする。
あれが黄泉の世界?
確証はない。でも、もし、そうだとしたら、少し意外だ。死者の国というから、もっと暗くて不健康そうな場所を想像していた。なのに、あの空気の肌触りと広大な森は、石動の知る範囲では、どちらかといえば熱帯雨林のイメージに近い。
石動の想像を超えて、ディテールが描きこまれていた。
そこに、かえってリアリティを感じる。
あの手摺りに寄りかかっていた男は、やはりそうなのだ。奴こそがこの状況の元凶。石動に全ての負債を押し付けた張本人。
道玄坂石動の夜の半身。
黄泉の王。
――ああ、私の旦那様。本当に。本当にかっこいい。どうして、そんなに素敵なの。
いする美の台詞が、思い出される。
賞賛の言葉のはずなのに、いまいち素直に喜べないのは、それが自分に向けられた言葉ではないとわかるからだ。きっと、そつなく土雷を使いこなしてみせた自分の姿は、さぞかし彼女の知る半身に似ていたことだろう。
(うれしくないわけじゃない)
ただ、できれば、ああいう台詞は、半身の助けを借りることなく、自分の力だけで言わせてみたい。
おかしな話だ。今のこの関係は、いする美が一方的に押し掛けてきたから成立しているに過ぎない。自分はまだ彼女のことをほとんど何も知らないはすだ。なのに、いざ彼女の意識が他の男に逸れそうになると、張り合いたくなる。しかも、そのライバルは他ならぬ自分自身ときている。デートの雰囲気に当てられたのだろうか。
体にまとわりつくだるさをなだめつつ、腰を浮かす。
いったん戻ろう。いつまでもいする美をベンチで一人にしておくわけにもいかない。あまり時間を稼げなかったので、いする美のゆる化がおさまっているか不安だが。店員が見つからないのでは仕方ない。
その時、ふと違和感をおぼえる。
(店員だけじゃ、ない?)
声をかける店員を探して、ここまで来た。だが、見当たらなかったのは、店員だけだったろうか?
気付けば、周囲から客たちの姿がのきなみ消えている。無人のゲームセンターで、筐体だけがむなしくディスプレイの明滅を繰り返している。
いつから、こうだったか。
そういえば、どことなく空気もおかしい。空調が切れている? いや、熱かったり寒かったりするわけではない。ただ、ねっとりと重みを増し、人を拒むような。
店内の音楽も、ゲーム機のけたたましい効果音も、どこかくぐもって、全てが膜一枚挟んだ向こう側の出来事のようだった。
「――この中に入ってこれるということは、やはりあなたは黄泉の王なのですね」
くぐもった世界で、その声だけが明瞭に響く。そんなに高い声ではないのに、どこか鈴の音を連想させた。
筐体の合間を縫って現れたのは、一人の少女だった。
(学生? いや、違う)
妙な格好だった。キャスケット帽をかぶり、黒地のジャージに、同じく黒のプリーツスカートとタイツを合わせている。色は統一されているのに、どこかちぐはぐな印象。というのも、サイズがてんでばらばらなのだ。まるで、着られる服をとにかく一式揃えてみましたとでもいうような。特に、ぶかぶかのジャージと、スカートから伸びる病的に細い足とのギャップがひどい。
「……そんなに、じろじろ見ないでもらえますか」
「え。あ。ごめん」
「いえ」
ふとももの隙間から向こう側の景色が垣間見える女子なんて、初めて見たかもしれない。かかとを合わせた時にくっつきそうな部位が膝くらいしかない。いくらなんでも細すぎではないだろうか。
「だから、そんなに見ないでください」
「その。ごめん」
「いえ」
少女は、こほんと短く咳をする。
「気を取り直しまして。あなたは石動。黄泉の王の現世での姿。間違いないでしょうか」
問われて、迷う。
この少女は誰なのか。自分が黄泉の王であることを知る以上、彼女も黄泉の住人には違いないのだろうが……。そう思った時、今日いする美と交わした会話の中に、状況と符号しそうなキーワードを見つけた。
――ご記憶ありませんか。私の側近なのですが。お前さまもお気に入りで。
「君は、いする美のお付きの?」
「鈴売です」
ごく簡潔に名乗り、彼女はキャスケット帽をとる。顎の辺りで切りそろえられた黒髪が、頬にこぼれた。
(じゃあ、この子がいする美の警護役の)
驚いた。三国志に出てきそうな屈強な男を想像していたのに。まさか、こんな少女とは。階段から転んだだけで骨が折れそうな体格で、背なんて久霧よりも低そうなのに。
「だから、じろじろ見ないでほしいと」
「あ。また。ごめん」
「いえ。……それより質問にお答えください。あなたは、黄泉の王、石動。間違いないでしょうか」
「……。ああ、うん。一応、そういうことになっている、みたいだけど」
少しほっとしながら、頷く。よかった。いする美のお付きなら、少なくとも、この子は彼女の知り合いということになる。
そうですか、と鈴売は呟く。
「探しました。見つけました。確認しました。私は、あなたを把握しました」
口ずさむように彼女は言う。
その右手から、いつの間にかキャスケット帽が消えていた。
かわりに握られているのは、細身の剣。左手にもだ。
二本の剣を左右対称に構え、鈴売の体がわずかに沈む。
「では、死んでください」
二つの軌跡が、石動に向かって交差した。




