結局、いする美の服選びに片がついた頃には、既に三時を回っていた。
結局、いする美の服選びに片がついた頃には、既に三時を回っていた。
「つ、疲れた……」
テナントビルを後にし、駅前の表通りに戻ってきた途端、足が限界を告げた。
石動は、手近なビルの外壁にぐったりと寄りかかる。冗談抜きで、脱力感がすごい。肩に掛ける大小様々な紙袋の重みもさることながら、女子の買い物につきあうという耐久レースもさることながら、やはり疲れの主原因はいする美のフォローだろう。このお姫様、意外というか、予想通りというか、なかなかのポンコツ具合である。
とはいえ、それが嫌だったかといえば、そうでもない。
「ふふ、うふふ、ふへへ」
背後のいする美は、すっかりご満悦の様子だった。ショーウインドウを鏡代わりに、こまごまとポーズをとっては、珍妙な笑い声と共に、唇を緩ませている。
スカートの裾をちょっとつまんでは離してみたり。
胸の前で手をそっと合わせてみたり。
洋装に合うポーズの引き出しがないのか、その所作は意外にぎこちない。学芸会の衣装合わせに浮かれる小学生みたいなはしゃぎ方だった。
「お前さま、お前さま、私、うれしいです、見てくださいまし、服、とっても可愛らしくて、私、うれしくて、くふ、くふふ」
「わかった。わかったから」
結局、いする美のコーディネートは全体的に森っぽい雰囲気に落ち着いた。
ロング丈のチュールスカートでくるぶしまでを隠し、ドレープ増し増しのゆったりしたトップを合わせ、ショールも羽織る。露出ほぼゼロの完全装備。銀髪金瞳の美貌もあいまって、そうしていると、本当に童話から抜け出てきた妖精のようだ。
半年分くらいのファッションセンスを使い果たした気がする。
こういう服選びは、どちらかというと一条の方がうまいのだが。まあ、いする美は大満足のようなので、結果オーライだ。
(はしゃいじゃって)
周囲の目をまったく気にする様子がないのは、幸いだった。
人通りの少ない方へ、少ない方へと移動してきたつもりだが、それでもいする美は目立ってしまう。いする美の振る舞いは、現代日本の平均から見ていささか挙動不審だったし、単純に、彼女の容貌が日本人離れしすぎているという点も大きい。
時折、向かいの歩道からスマホをかざしてくる通行人の存在に、石動は気付いていた。映画の撮影か何かと勘違いしているのか、単にモラルがないのか。新しい服に夢中のいする美は、これらの視線に気付かず、ほんにゃり笑っている。
「……」
なんだか、急にもやっとした気分になる。
「おまえさま? どうかされましたか」
「ごめん。ちょっと、ここにいて」
「? はい」
ちょうど近くに百均ショップがあったので、いする美を待たせて、ミッションスタート。
店内に入り、手早く目当ての品をレジへと持っていき、会計シールをつけてもらって、いする美のもとへと戻る――この間一分足らずだ。
「はい、これ」
「わぷっ」
買ったばかりの白い帽子を、いする美の頭にかぶせる。
思ったとおりだ。幅が広くフリーサイズなので、結い上げた髪もすっぽり収まる。いかにも安っぽい帽子だが、首から下のコーデが割としっかりしているので、そこまで違和感もない。
「これもくださるのですか?」
「いする美、目立つからね。今はよけいに」
「……ふへ」
幅広のつばに阻まれて、いする美の表情は見えない。でも、見ずともわかる。上手に隠したつもりかもしれないが、帽子の内側では、いする美のゆるゆるの笑みが、更にゆるゆるに溶けていることだろう。店内で見せた半べそ顔に続いて、またも新たな表情パターンの更新だ。
「うれしそうだね」
「すみません。お見苦しいところを。はしたないと、わかっているんですけれど。顔が戻らないんです。お前さまと二人きりで買い物に出かけるなんて、ほとんど初めてのことで。うれしくて」
「初めて?」
いする美の言い方が気になった。
彼女の自称が真実なら、石動といする美は、黄泉の世界で十年弱を連れ添った夫婦のはずだ。一緒に買い物をしたこともないというのは、いささか妙ではないか。
「完全に二人きりというのは、滅多になかったんです。王ですから。いつもは、おつきの者が他に」
「おつきって、黄泉軍の?」
部室を襲った巨大ひじきの姿が思い出される。
「いいえ。あれはあくまで獣です。束ねる人間がまた別におりました。その者が私達の警護を」
軍団長みたいなものだろうか。獣の集団を統べる唯一の人間――黄泉の国を歩く自分といする美の背後に、屈強な男が付き従い、その後ろにひじき達がうぞうぞと列をなす光景を想像する。シュールすぎる。
「ご記憶ありませんか。私の側近なのですが。おまえさまもお気に入りで。よく稽古をつけてくださったりして」
「俺が? その人に? 逆じゃなくて?」
「はい。おまえさまが、その者に、です」
「でも、その人、黄泉軍を束ねているような人なんでしょ」
「つまり、おまえさまは、黄泉軍など比べものにならないほど強いのです。私の知る限り、誰よりも。多分、歴代で一番。つまり、最強です」
「そ、そうなの?」
いくらなんでも、それは吹かしすぎでは――と、石動の感覚では思うのだが。
「最強なのです」
むんっと胸をそり、力説するいする美。
もちろん、記憶にない。あくまで今の石動は、巨大ひじき相手に逃げ回ることしかできない無力な学生にすぎない。
まだ。
「……。いする美さ。俺に力の使い方教えてくれるって言ったよね」
「? はい」
「今日は、こうして服を買いにきているけど。本当だったら、どういう特訓をするはずだったの?」
やはり、精神と時の部屋的な亜空間に閉じこもって、高密度な修業をしたりするのだろうか。
「知りたいですか?」
ようやく表情筋がいうことを聞いたらしい。帽子のつばを持ち上げたいする美は、整った顔に品のよい微笑を浮かべていた。まだ会ってそれほど時間は経っていないが、一番見慣れた表情。
「では、ゆーふぉー・きゃっちゃーを」
「へ?」
その品のよい微笑のまま、たどたどしい横文字を繰り出してくるものだから、とっさに聞き漏らしてしまう。
「ゆーふぉー・きゃっちゃーです。現世には、そういう遊具があると聞きます。そこへ連れていってくださいまし。詳しい話はそこで」




