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 暗闇の中を歩いていたのだと思う。

 暗闇の中を歩いていたのだと思う。


 変なかんじだった。辺りは真っ暗で、何も見えない。なのに、うつむけば自分の足が視認できたし、かざせば自分の手が見える。見えるのに、色がない。てのひらも服も、全身ペンキをかぶったみたいに白っぽいグレーだ。どんな光を当てれば、こんなに肌も衣服も灰色に照らせるものだろう? 光源なんてどこにも見当たらないのに。


 ――歩かなくちゃ。


 どこへ? 自問しつつも、不思議と足に迷いはない。向かうべき方向は、何故かはっきりわかっている。でも、辿り着いた先に何があるのかを知らない。辿り着くゴールがあるのかさえも。


 どこからか、すすり泣くような声がする。


 歩みを進めるにつれ、声は大きくなっていく。姿は見えない。相変わらずの真っ暗闇。でも、一度声の存在に気付くと、その泣き声目指して歩き続けてきたような気がしてくる。あるいは、声に呼ばれたような。


「――誰?」


 涙をこらえるような、短い問いかけがあった。その問いかけが、思ったよりずっと近くから聞こえて、しかも想像以上に幼い声音で、少し意外に思う。


 急に、ぽっと電灯がともったように感じた。


 周囲の地面が明るくなっていた。今まで一寸先だって見通せなかったのに、そこだけくり抜かれたように色を得ていた。やっぱり、白っぽいグレー一色。やっぱり、光源はどこにも見当たらない。


 そのグレーの中心に彼女はいた。


 少女だ。


 声の印象どおりに外見は幼い。多分自分と同じか少し下くらい――つまり、小学四年生か五年生くらいに見えた。やたらぴらぴらしたワンピースを着ていて、まるで学芸会かピアノ発表会の帰りみたいだった。尋常じゃないほど長い髪が、ぺったり座り込んでいるせいで、四方八方、地面を這っている。こちらを見上げる目は大きく、涙に濡れているせいで、なんだか今にも顔から落っこちてしまいそうに思えた。


「えっと」


 何か声をかけないと。


「泣いて、るのかな」

「ないてない」


 ぐしぐしと袖で涙をぬぐう少女。そのしぐさに、少し笑ってしまう。それじゃあ、ほとんど認めているも同然だ。


「どうして泣いているの?」

「ないてない、けど」


 言いつつ、少女は答えてくれる。


「……はぐれちゃったの。それで、ひとりぼっちで、怖くて」

「泣いちゃったと」

「ないてない」


 だめだ、我慢できない。あくまで言い張る少女がかわいくて、つい噴き出してしまった。なんで笑うのと少女が口をとがらせて、ごめんとこちらも謝る。


「つまり、君は迷子なんだね」

「あなたも?」

「どうだろう。よくわからない」

「わからないの?」


 少女は小首を傾げる。


「あなたは誰なの? どこから来たの?」

「わからない。何もわからないんだ。でも、どこに行けばいいかはわかる。そこに向かわなくちゃいけないんだ。多分、今すぐ」

「だめ」


 少女の手が、ジーンズの裾をぎゅっとつまんだ。こぼれそうな大きな目を乗せた顔が、いっそう近くからこちらを見上げている。


「ひとりにしないで。ひとりになったら、また寂しくなる。寂しくなったら、きっとまた」

「泣いちゃう?」

「なかない、けど」


 少女は、悩むように一瞬目を泳がせる。


「……ないたら、一緒にいてくれる?」

「困ったな」


 行かなくちゃ。

 頭の中で誰かが囁いている。いや、誰かではない。自分の声だ。誰よりも自分自身がここに留まり続けてはいけないことを知っていた。理由はわからないのに、確信だけが脳みその中をピンボールみたいに駆け巡っていた。でも、それは泣きそうな女の子を見捨ててまでしなければならないことだろうか?


 ――きゅるるるる。


 と、その時、小動物が親を呼ぶような不安げな声――いや、音が鳴った。その発信源が少女のお腹であるらしいことは、彼女の顔を見れば一目瞭然だった。一面灰色の世界でも、人が赤面しているかどうかはわかるみたいだ。


「おなかが減っているの?」

「へ、へってない」

「――つまり、減っているんだよね?」

「そう、とも言う」


 だんだん会話のリズムがわかってきた気がする。きっと根が素直な子なのだろう。


 ――何か持ってきたかな。


 ポケットをまさぐろうとして、自分の左手が既に何かを握りこんでいることに気付いた。手のひらを開くと、現れたのは――


(桃?)


 まさしく、桃だった。小振りで、子どもの自分の手のひらにもすっぽりとおさまる。いつから握っていたのだろう。まったく気づかなかった。


「それ。桃。くれるの?」

「え? えっと。うん」

「じゃあ、かわりにこれあげる」

「え、ちょ」


 止める間もなく、少女は胸元にごそごそと手をつっこみだす。その無防備さと大胆さに、こちらが驚いてしまう。


 ちらつく鎖骨に視線を向けないようにするには、それなりの努力が必要だった。

 ほどなく、少女の右手が服の内側から帰還を果たす。掌中に握られていたのは――やはり、小振りな桃だった。


「なんだ。自分でも持ってるんだ」

「これは、ちがうの。ちがう桃」

「違う?」

「わたしの世界の桃。あなたのは、あなたの世界の桃。本当はいけないんだけど。でも、くれたから。交換ね」

「まあ、くれるなら、もらうけど――」


 自分より小さな手のひらから、桃を受けとる。そのままの流れで口に運ぼうとして、じっと少女がこちらを見つめていることに気付いた。


「君は食べないの?」

「あなたが食べる方が大事だから」

「僕が?」

「あなたがそれを食べるとね。あなたは戻れなくなるの」


 少女は、言葉を選ぶように言う。


「でも、そのかわりに行かなくてもよくなるの。だから、一緒にいてくれるなら、それ、食べてほしい。嫌なら、もうやさしくしないで。ないちゃうから」

「……」


 戻れなくなる。行かなくてよくなる。

 どこへ?

 でも、訊かなかった。すごく訊きたかったけれど。同時にそんなことどうでもいい気もしていた。

 多分、問題はもっとシンプルなのだ。

 目の前に泣きそうな女の子がいて、その子が望んでいることがあって、その答えは自分の手の中におさまっている。だとしたら、とるべき道なんて、ほとんど決まっているようなものなんじゃないだろうか?

 だから――。




 これは、きっと記憶だ。

 夢ではない。わかっている。夢は見ないから。

 でも、じゃあ、それはいつの記憶だろう。あの女の子は誰で、この後、自分はどうしたのだろうか。

 自分は――何を食べてしまったのだろうか?



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