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 結局、あの後、石動は、登校した足でそのまま学校を早退した。

 結局、あの後、石動は、登校した足でそのまま学校を早退した。


 気絶した畳ヶ崎は、保健室に運んだ。

 朝っぱらから、男子生徒が女子生徒を抱きかかえてきたのだ。当然、保険医は事情の説明を求めてきたが、石動は、準備室の窓が突然割れたことを話すに留めた。本当のことを言って信じてもらえるとは思えなかったし、別に嘘はついていない。

 その後、駆けつけた教員らの検分によって、巨大ひじきが叩き割った窓は、野球部のボールのせいということになった。ちょうど、その時間、派手にかっ飛ばした部員がいたらしい。方向はB棟とは全然別だったが、球が見つからなかったので、関連付けられた。

 実害が窓だけなら、そんなものだと思う。石動たちに大きな怪我でもあれば、もう少し詮索されたかもしれないが。幸い、石動にも畳ヶ崎にも、外傷らしい外傷は皆無だった。


 そう、皆無で済んだのだ。


「それで――撃退なされたのですか」


 ソファに寝そべる石動の額を、いする美の細い指が這う。

 リビングの床に直接腰を落とした彼女は、ソファの座面に頬杖をつき、身を乗り出すようにして、石動の顔を覗きこんでくる。どういうわけか家に帰ってきてからというもの、ずっとこの調子で、離れる様子がない。さすがに落ち着かないのだが、今の石動には、彼女の指先を拒む元気がなかった。


 体が鉛のように重い。


 頭の芯だけが、奇妙に熱を帯びていて、筋肉痛のまま食事を抜いた時のような、自分の()()()自体が底をついているようなダルさを感じる。


「そう、なんだ。よく、わからないけれど。体から、突然光が、はじけて」

「では、八雷神(やくさいかづちのかみ)をお使いになったのですね」

「やくさ……?」

八雷神(やくさいかづちのかみ)です。大雷、火雷、黒雷、折雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷……お前さまがどの雷神(いかづちのかみ)を使ったのかまではわかりませんが」

「それも、黄泉の生き物(かみ)、なの?」


 ゲームに出てくる召喚獣的なものを想像しながら、石動は訊く。


「いいえ。神の名を冠しているものの、八雷神は、単なる技の集合です。こちらの神話では、擬人化された神のように書かれることもあるようですけれど。初代イザナミが黄泉で得た御力で、その後、代々の黄泉津大神が受け継いできました」

「じゃあ、いする美も?」

「一応は。でも、結婚してからは、とんと。妻が台所に立つ上で、王としての御力なんて不要ですから」


 その台詞は、結婚した彼女にかわって、その力を受け継いだ人物がいたことを示唆している。いする美は誰とは言わなかったが、その意味がわからない石動ではない。


(王としての力、か)


 屋上で起こった出来事を反芻する。


(あの時――)


 辺り一面真っ白になった。

 石動に知覚できたのは、それだけだ。次の瞬間には、もう巨大ひじきの姿は消え失せ、屋上にいるのは、石動たちだけになっていた。

 後に残ったのは、抜けるような青空、給水塔のシルエット、腕の中でぐったりと弛緩する畳ヶ崎の重み――そして、苔むした床に残る黒い焦げ跡だけだった。かつていたひじきのバケモノの輪郭を縁取るようにして。細く煙を吐くその焦げ跡だけが、唯一、先ほどまでの非日常の残滓を留めていた。


 まるで、この世から()()したかのような。


 気に入らないものを、力ずくでまるごと拭い去ってしまったかのような。

 そういう消え方だった。


(あれは――)


 どうやって自分がそれを成したのか、はっきりわかるわけではない。けれど、自分の叫びに呼応して、脳の奥底でざわめく気配を感じたのは確かだ。この体にまとわりつく倦怠感は、その結果によるものだろう。


 どうやら、最後のピースが埋まったらしい。


 ここまで印象的に見せつけられれば、証拠としては充分だろう。こんなにあっさりと、まさか自分自身の手で証明することになるとは思わなかったけれど。

 八雷神。

 この世の人間ならざる、黄泉を統べる王たる者の権能。

 石動の中に眠る、半身の置き土産。


「あれは……俺の力なんだね」

「はい。お前さまの。全て、お前さまの。けれど、まさかご自身で思い出されるなんて。いする美はうれしゅうございます」


 唇をほころばせ、嫁を自称する少女は石動の前髪をもてあそぶ。

 その揺れる瞳の意味を正確に推しはかるのは、石動には少し難しい。ただ、自分が以前より彼女の期待する自分(はんしん)に近づいたらしいということは、わかる。そのことを喜ぶべきか悲しむべきか。まだ決めかねている。


「どうでもいいけどさぁ」


 ソファの背もたれに肘をつき、石動を見下ろすもう一人の少女が言った。声からは不機嫌さがにじみ、こちらを見る目は冷たい。

 久霧だ。

 兄である石動が学校を早退するということは、つまり、付き添いの彼女も学校を休むということである。いや、むしろ、石動の主観としては、保健室に駆けつけた久霧によって無理矢理家に連行されたといった方が正しい。

 体調を崩した石動が妹に押し切られて早退するのは、石動の通う高校においては、日常風景だ。あまりによくあることだったためだろう、保険医にも、他の教師陣にも、「何故そこまで体力を消耗したのか」というそもそもの原因を詮索されずに済んだのは幸運だった。その代償として、妹の早退日数がまた一日増えてしまったのは、兄として複雑な気分だが。


「説明してよ。何が起こったのか。じゃないと、納得できない」

「っても、俺、もう大体説明して――」

「兄貴に訊いてないし」


 ぴしゃりと切り捨てられてしまった。


「私が言ってんのは、この女。嘘くさい電波女の方」


 久霧の目が、じろりと電波女こといする美を向く。

 ソファ脇という定位置を奪われたせいもあってか、その眼光は今朝の食卓時よりもいっそう鋭さを増している気がする。

 しかし、肝心のいする美に、眼光の意味が通じているかは甚だあやしい。あくまでマイペースに、ゆっくりと彼女は小首をかしげる。


「私が()()()なら、私を信じてくれるあなたのお兄さまも()()()ということになるのでは?」

「そういうこと言ってんじゃねえよ」


 吐き捨てるように、久霧は言う。


「あんたの発言っていうか、態度っていうか――そういうの全部ひっくるめて電波だっつってんの。何考えてんの? 頭の中、どうなってんの? 兄貴、死にかけたんだよ? ぼろぼろになってるんだよ?」

「や。ぼろぼろってほどでは――」

「兄貴は、黙ってて」


 再び一刀両断され、石動は素直に黙る。


「答えてよ。兄貴を襲った巨大ひじき? そいつは、あんたの何なの。言っとくけど、無関係って言われても、私信じないからね。だって、その巨大ひじきってのは、あんたらが現世で受肉できなかった時に見せる本性なんでしょう?」

「驚きました。まさか、そこまであなたが私を信じてくださっていたとは」

「実際に、兄貴が死にかけてる。それだけで、私にとっては充分。あんたにとっては、違うの? 自称嫁は口だけ?」

「……」


 挑むような久霧の言葉に、いする美は反論しない。ただ、微笑むばかり――だが、目が笑っていなかった。久霧も、それ以上言葉を重ねることはしなかった。

 ソファで寝転ぶ石動を挟んで、女同士の睨みあいが火花を散らす。石動は、旅行地で突然銃撃戦に巻き込まれた日本人観光客になった気分だった。罵声も掴み合いもないが、今、石動の鼻の上では、それ以上に殺傷力の高い銃弾が無数に飛び交っている。このままでは、じき、流れ弾に当たって死ぬ未来は必至だろう。


「……。えっと。いする美?」

「なんでしょう、お前さま」


 やたらやさしい声音がかえって怖い。


「その。俺からも頼むよ。自分を襲った連中が誰なのか。何故襲われたのか。俺だって、知っておきたい」

「お前さまがそう言うのなら」


 ソファの背もたれ側から、ちっと舌打ちの声が聞こえた気がしたが、深く考えないことにした。だって、このまま睨みあいを続けていても、埒が明かないじゃないですか?


「それで――俺は誰に襲われたの?」

「はい。おそらくですけれど。私を追ってきた黄泉軍(よもついくさ)の者たちでしょう」

「よもついくさ?」

「黄泉に住まう鬼たちです。現世の書物――古事記とやらにも登場するはずですが。御存知ないですか?」


 石動は、首を横に振る。

 畳ヶ(ぶちょう)ならともかく、石動の貧弱なオカルトデータベースにはない名だった。


「名のとおり、ありていにいえば、黄泉の国が保有する軍隊ですね。ほとんど知恵はなく、暴れることくらいしかできませんが。その意味では、軍隊というより軍用獣の集団を想像していただいた方が近いのかも」

「何か追われるおぼえは?」

「私がここにいます」


 いする美は、にっこり笑う。

 そこは笑うところなのだろうか――いささか疑問に思ったが、その笑みは相変わらず花がこぼれ咲くようで、石動の心臓を的確に突いてくる。


「誰にも言ってきませんでしたから」

「それは……どういう意味なの?」

「言葉通りの。私は、お前さまに会うために、何もかも投げ捨てて、ここにいるんです。お前さまが死んで、私が消えて、今、黄泉の国には、王たりえる者がいない状態です。きっと向こうはてんやわんやでしょうね。生者と死者のバランスが崩れているかも。ふふ。うふふ。黄泉軍から見れば、お前さまは誘拐犯に映るかもしれませんね?」

「かもしれませんねって」

「兄貴」


 ゆらっと、幽鬼のような声がした。

 いする美に向けていた視線を、おそるおそる背もたれ側に送ると、いつの間に取ってきたのだろう、包丁を右手に持って、久霧が立っていた。ゴゴゴゴゴと地響きのような効果背景すら、後ろに見える気がする。


「この女、殺すね。いいよね。そうだよね。うんわかった」

「まだ何も言ってないよ!?」


 ダメだ。このままでは、妹がヤンデレ道に堕ちてしまう。

 どう止めるべきかとっさに妙案が思いつかないが、対するいする美の方を見れば、彼女は久霧の殺害宣言などどこ吹く風で、上品に口元を袖で覆っていたりする。


「まあ、刃物など持って。ふふふ、野蛮人」


 いーけないんだー、みたいなニュアンスで言う。何故この状況でそんなテンションが高いのか。


「てめえ、いい加減にしろよ……。なに、人の兄貴巻き込んでんだよ。黄泉だ? 夫婦だ? 仮にあんたの言ってること全部正しくて、あんたが兄貴のカノジョ的な何かだったとしてもな。家族(こっち)にも、認められるカノジョ、認められないカノジョってのがあるんだよ。お前はダメだ。失格だ。今すぐ出てけ。家から出てけ。さっさと。五秒で」

「それは無理です。ここを追われては、宛てがありません」

「知るか。野垂れ死ね。ごみでもすすれ。駅の側溝で寝ろ。あと、着物も置いてけ。それは母さんのだっ」

「は、裸でうろつけと言うのですか!?」

「そこじゃねえよ! ああ、もうっ」


 例によって、割と本気で恥ずかしがっている様子のいする美。もっとひどいことを色々言われている気がするのに、何故そこにだけ反応するのか。基準がわからない。

 一方、糾弾している立場だというのに、包丁を手に殺害宣告までしている状況なのに、久霧の方は既に半ば涙目状態である。


「なんで!? なんで、こんな話が通じないの!? すっごい強い鬼なんでしょ!? バケモノなんでしょ!? そいつらが兄貴を狙ってるって話じゃん! 実際、死にかけてんじゃん! なんで、そんな平気そうなの!?」

「何故と言われましても」


 首を傾げるいする美。

 何と説明したものか言葉を選んでいるような間だった。その目がちらっと石動の方を向く。かと思うと、どこか恥ずかしそうに顔をそむけてみたり。何だろう。


「その、申し訳ありません、おまえさま」

「兄貴に逃げんな」

「少しばかり、配慮の足りないことを申しました。おまえさまに迷惑をかけている自覚がないわけではないんです。たしかに、黄泉軍(よもついくさ)の存在は、現世において脅威でございましょう。ただ、どうしても深刻に思い悩む気にはなれなくて。だって、その」

「ああん?」

「私の旦那様が黄泉軍(よもついくさ)風情に後れを取るはずありませんから……」

「このタイミングで、ノロケぶっこんできた――――!?」


 衝撃を受けたように、久霧がたじろぐ。包丁さえ、ぽろりと手からこぼれおちる。いや、そこ、そんなにダメージを受けるところなのだろうか。久霧の基準もよくわからない。


「その、ねえ、お前さま?」


 少し媚びたような。しかし甘えること自体はそれほど得意ではなさそうな。どこかぎこちない声で、いする美が囁く。

 石動は、ぎょっとした。

 隣に(はべ)る彼女が、横になった石動の胸に、形のよい頭部をそっと押し付けてきたのだ。日常生活でこんなしなだれ方をするシーンなんて、異性が恋人にものをねだる時か、ライフセイバーが心臓の脈拍を確認する時くらいしか、思いつかない。そして、彼女はライフセイバーではなかった。


「えっと、いする美さん?」

「さんはつけずに、ただ、いする美と」


 ものすごい近くから声がする。

 というか、鼻先に彼女の吐息が届く。近すぎる。


「いする美。あの、しなだれかかられている気がするんだけれど」

「はい。何かねだる時はこうしろと。結婚して間もない頃、おまえさまが」


 自分の嫁に何を仕込んでいるんだ、黄泉の俺。


 ドン引きである。

 ぎこちない割に、妙に大胆に絡んでくると思ったら。

 他人の夫婦事情に口を出すなとはよく言うが、この場合、黄泉の自分自身(はんしん)は他人の内に入るのか否か。もともと実感も記憶もなかったが、向こうの自分をますます遠く感じてしまう。

 ただ、一方で。


「お嫌いですか……?」

「いや、その、うん、なんていうかね」


 悲しいかな、ドン引きはしたものの、拙く甘えるいする美の破壊力ははんぱなかった。黄泉の半身は、なかなかいい趣味をしていらっしゃる。この辺りの嗜好は、黄泉の自分もこちらの自分も大差ないのかもしれない。


「……兄貴?」


 サバンナにさえブリザートをまきちらしそうな絶対零度の声が頭上から聞こえる。今、久霧(そちら)を見たくはなかった。見てはいけない。見たら、耐えられない。火急的速やかにこの場を脱さなければ。


「いする美は――いする美は、何を俺にお願いしたいの」


「ねだる」という言葉を意図的に「お願いする」に置き換える。

 はい、といする美は囁くように言う。


「私、ここを追われては、行く宛てがありません」

「う、うん」

「ここに私を置いていただけませんか。私を守ってください。私は、お前さまと暮らしたいのです。……ダメですか?」


 最後の、ダメですか、はやや鼻にかかった語尾上がりの甘え声だった。

 その一音一音と共に、鼻先に、頬に、彼女の吐息を感じる。至近距離から、うるんだ瞳がこちらを見つめている。細い髪がするするとこぼれて、石動の胴体をくすぐる。

 総評。その位置からの上目づかいは、反則ではなかろうか。


「あ、兄貴、負けんな! 負けないで! お願い!」

「負けるって、何に」


 視界の外で、久霧が謎の声援を送ってきていた。実際はあまり謎でもなかった。これは、負けそうだ。多分、自分は異性のこういうアプローチに対して、そうそう勝てないだろうという気がする。


「……。俺、まだ力の使い方とかよくわからないよ」

「お教えします」

「本当に、俺は強いの? 君を守れるくらい?」

「もちろんです」

「黄泉の王だから?」

「そして、私の旦那様だから」

「……。わかった」


 彼女の返答は、石動の実感とほぼ同様だった。たしかに、あの白い光の力で、巨大ひじきは瞬殺だった。あくまで八雷神とやらを自在に使える前提ではあるが、手がないわけではない。

 どの道、もう巻き込まれているのだ。

 対抗策を学ばずに、彼女を追いだすのは得策ではない。最後のピースを手に入れ、彼女の言葉を信じていい条件もそろった。それに、おそらく、自分は最初からこう言いたかったのだ。


「いいよ」


 久霧の絶叫が聞こえた気がしたが、今この瞬間だけは知らないふりを通す。


「ここにいていいし、多分、守ってあげられるから」

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