「わひゃっ」
「わひゃっ」
……。
眼前に広がる予想外の光景に、石動はコメントする言葉がなかった。
準備室の扉を開けた。それはいい。畳ヶ崎先輩がいた。それもいい。長机の上には、忘れた鞄がある。すこぶる上出来だ。
しかし、その鞄を畳ヶ崎が押し開け、今まさに顔をうずめようとしているこの状況はどうだろう。
ちなみに、わひゃっというのは、扉を開けた石動に対して、ハリネズミのごとく身を竦ませた畳ヶ崎の声である。
「……。何やっているんですか、先輩」
「や。これは。別に」
ぱっと、畳ヶ崎は鞄から飛び退る。
「その。あれだ。そう、ちょっとした知的好奇心でね。オカルト研究会として、都市伝説を検証しようかと」
「……。どんな」
「男子の鞄には、常備されたエロ本によって、蓄積される独特の臭気が――」
「ほ、ほっとけ!」
そもそも、日々、妹の厳しい検閲にかかっている自分に、エロ本を鞄に常備するような自由があるわけないではないか。まったく、冤罪もいいところだ。
これ以上物色されては、たまらない。石動は、別れた夫から我が子を守る母親もかくやの素早さで、机上の鞄を抱きかかえた。
……。一応、中に鼻を突っ込み、すんすんとにおいチェック。
念のため、家に帰ったら、念入りにファブリーズしておこうと心に誓う。
「――?」
その時、鞄の中に、見慣れない直方体が存在することに気付く。
巾着に包まれたそれは、サイズと平べったさから、一見して弁当のようだった。しかし、いつも妹が用意してくれるものとは形が違うし、弁当包みの趣味も違う。
(そうか。今日の朝食を用意したのは、久霧じゃないから)
「お。なんだい、それは。噂の押し掛け女房の作かい」
「……。らしい、ですね」
「愛妻弁当というわけだ。見せて見せて」
「見せませんよ」
先程の気まずさはどこへやら、再び好奇心の塊となった畳ヶ崎が、石動の胸と鞄の間に、頭を割り込ませてくる。それより一瞬早く、石動が両手で弁当を頭上に逃がす。あー、と不服そうな声を上げ、畳ヶ崎がぴょんぴょんとジャンプして手を伸ばしてくるが、一顧だにしない。小柄な畳ヶ崎相手に貴重品を守るには、こうするのが一番手っ取り早いことを、石動は部活に入ってからの一年あまりの間に学んでいた。
――カタ。
(ん?)
頭上に伸ばした掌中に、妙な違和感が走った。
――カタカタカタ!
「うわっ」
不意に、巾着越しに、弁当が激しく振動しだしたのだ。たまらず取り落とした弁当を、石動の胸のあたりで畳ヶ崎がキャッチした。カタカタカタ! 震える弁当に、畳ヶ崎も、うわっと変な声をあげる。
「な、なんだい、これ。入っているのは、弁当じゃなかったのかい」
「わ、わかりませんけど」
巾着に包まれた平べったい直方体は、畳ヶ崎の手中で、見た目にもわかる揺れを繰り返す。眼前の畳ヶ崎は、ちょっと泣きそうな表情で、すがるようにこちらを見ていた。
石動も、畳ヶ崎の言葉の意味を理解していた。
弁当箱の中身が弁当でないのなら――それは自分たちに何を伝えようとしているのか?
その時、準備室の窓の外で、一瞬影のようなものが走るのを見た。
「! 先輩、危ないっ」
咄嗟に、小さな体を引き寄せる。
映画でしか聴かないような音をたてて、窓ガラスが割れたのは、ほぼ同時のことだった。




