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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
3章・パパは奴隷でATM
99/124

夏休みはもう残すところ僅かである

『問、究極のオナホを壊したのは誰か?』


 それは一枚の走り書きのメモから始まった。


 白木兄妹の常人には計り知れない問題を解決し、いざ帰途についた藤木であったが、その心の中は未だにすっきりしないままだった。


 そりゃまあ、あの兄妹の不自然な関係について気になりはしたけれども、積極的に係わり合いになりたいほどではなかった。結果的に彼らのすったもんだを解決すると決意したのは、天使のメモを見たからに他ならない。そして、問いの通りなら、オナホを壊したのは新垣本人であったわけで……その過程で知った、二人の雁字搦めの束縛的変態的な恋愛関係については、ついでに解決しただけなのだ。


 そして、白木兄妹の問題を解決したまではいいものの、肝心の自分の方……天使が一体何をしたかったのか? それは何の進展もないままなのである。


 調べる前から、こんなの調べて本当に意味あるの? と半信半疑であったし、結果的にその通りだったわけだが……それにしても解せない。


「まあ、取りあえず、ユッキーに電話でもするかね」


 池袋駅へ向かう道すがら、高架下の日陰を歩いていても、うだるような暑さの中ではまともな考えも思い浮かばない。藤木は額から滴り落ちる汗を拭いながら、スマホを取り出して電話をかけた。


「もひもひ……」

「……もしもし。つか、口に物を入れたまま電話に出るんじゃないよ。何食ってんの」


 電話に出た彼女は、何か口の中でシャリシャリやっていた。


「アイス……それで、そっちの首尾はどうだったのよ」


 殺してえ……この炎天下の中、ねぎらいの言葉も無くアイスを貪り食う担任教師に殺意が芽生えてくるのをぐっと堪えて、藤木は新垣の部屋であったことを話した。


「ふむ……それだけ?」

「それだけ。何か目新しい新事実が出てきたり、新展開があったり、新キャラが唐突に現れたり、そんなこたあ何も無かったよ。結局、何がしたかったんだか、骨折り損にしか思えないような状況だった……いや、あの二人が上手く行くなら、それに越したことはないけどさ」

「それが目的だったとは考えられないものね……天使ちゃんが、二人のことを知ってたとは思えないし……」

「そうなんだよな」

「ねえ、思ったんだけど、そのあんたが見つけたメモっての、本当に天使ちゃんが残したものだったのかしら?」


 それは藤木も何度か考えてみたことがある。しかし、


「状況的に天使以外考えられないんだよ。俺の部屋の押入れの中だぞ? まず家族と小町以外は除外される。で、そいつらが究極のオナホだの、新垣さんだのを知ってるとは到底思えない……」

「それを言うなら、天使ちゃんだって知らなかったんじゃないの?」

「そうなんだけど……あいつの理不尽な能力が、どれだけのポテンシャルを秘めてるのか知らないからな。何か、そういうのを知る方法があった可能性も否定できないから」

「ふーん……逆に、それらを知ってる人の中に怪しい人は居ないのかしら」

「知ってる奴といえば……俺とあんたと、白木兄妹、諏訪、大原、佐村河内かな? 無いな。うちに気楽に出入り出来るのは諏訪と大原くらいだけど、逆に今度はこいつらが天使のことを知らないから、押入れにメモを隠すなんてことをする理由がない。そもそも、こいつらとは一週間ずっと一緒に寝泊りしてたんだし」

「佐村河内がクラスメイトの天使ちゃんに電話をかけて教えた……とかもないわよね」

「無いね。そういう絡め手なら、ユッキーのほうがよっぽど怪しいな。あんた、中国4千年の神秘かなんかで、記憶がないまま操られたりしていないか?」

「あるわけ無いでしょう。なるほど、そう言うのまで気にし始めたら切りが無いわね……」

「天使が残したって考えるのが妥当だし、結局一番可能性が高いから。他に考えようが無いよ」


 しかし、その天使が何故残したのか、どれだけ考えてもその理由がさっぱり分からなかった。結局二人ともこの件に関してはお手上げで、状況に何か変化があってから改めて考えた方がいいという結論になった。


 なにはともあれ、もう池袋には用事が無い。七条寺へと帰る電車に乗ったときには、藤木は暑さでぐったりとなっていた。




 立花倖が電話を切ったら、先ほどから彼女の回りで何か言いたげにうろちょろしていた母親が話しかけてきた。


「……今の誰? 藤木君?」

「ん……なによ。詮索しないでちょうだい」


 倖は現在、三丁目の実家に来ていた。


 ホテルでの一件の後、成実の処遇について緊急家族会議が行われ、結果的に彼女はまた元の家へと帰ることになった。


 成実はショックで自分からは何も主張しなかった。だから周りが好き勝手にあーだこーだ決めていたが、実は本心では相当嫌がっていたらしい。藤木によって知らされたその事実に家族は猛省し、もう下手な口出しはせずにそっとして置こうと結論した。そして、場合によっては一人になれる環境を用意しようか? と本人に尋ねてみたら、意外にも今度は実家に戻ると言い出した。彼女は彼女なりに色々と考えているのだろう。


 その言動が常識とはかけ離れているから誤解され勝ちであったが、母親は基本的には娘思いで過保護だった。そんな彼女は成実が帰ってくると知ると、大いに喜んだ。結局は単に寂しがり屋なのである。そして、その好結果をもたらした張本人である藤木に対して、かなりの好印象を抱いていたらしく、


「娘の相手なんだから、気になるのは当然でしょう。今度、ちゃんと紹介しなさいよ」

「えー……」

「お母さん反対しないわよ。すぐにだってお嫁にいかせてあげるから」

「おおお、恐ろしいこと言わないで!?」

「なによー、照れてるの? さっきだって、あんなすぐに電話切っちゃって……食事くらい誘いなさいよね。なんだったら、お母さん奢ってあげようか?」


 彼女は成実を連れて帰ってきた倖に対し、あれこれと詮索をするのだった。そういうところが嫌われた原因であるのだが、お構い無しである。


 結果的にお見合い相手の面子を潰してしまった手前、藤木に関しては口を濁さざるを得ず、倖も愛も母親に詳しい事情を伝えていなかった。そのせいで、母親は藤木が本物の恋人であると、未だに勘違いしているらしい。


 普通に考えれば嘘なことくらい、すぐに判断つくだろうに……


 しかし、一から説明したらまた五月蝿いんだろうな……と口ごもっている姉に対し、ソファに座ってその様子を眺めていた愛が苦笑いしながら言った。


「えーっと、姉さんの方はともかく、藤木君はまだ若いから、すぐに結婚とはいかないよ」

「そうかしら? そうなの?」

「だって姉さんの教え子よ? 確かまだ17歳じゃなかったかな。結婚とか本気で考える年齢じゃないから」

「あら、そんなことないわよ。お母さん、その年にはもうお父さんと付き合っていたもの……って、あれ? あの子、17歳? 凄く若く見えるわね。もう少し年上だと思っていたわ」

「ええ? そうかな」

「年の割りに物腰が落ち着いてて、それに凄いハンサムだったじゃない」

「「…………えっっ!?」」


 思わず姉妹でハモった。


「快活そうでエネルギーに満ち溢れ、背筋もピンと伸びてキリッとしていたわ。血色が良くてアグレッシブで、髪の毛がふさふさでお肌もつやつや、明るくっていかにも女の子にモテそうな感じよね。性格も真面目そうだし、倖ちゃんを立ててくれる思慮深さもあって、きっと誰からも愛されているに違いないわ」


 母親は藤木の顔を思い出し、ポーッと上気しながら言った。姉妹はお互いに顔を見合わせたまま固まった。やけに母親が藤木に好印象を抱いていると思ったら……いや、それ絶対藤木じゃない……でも、最近の彼はそんな風に思わなくもない……あれー? 藤木ってどんなんだったっけ……倖は頭を抱えた。


 そんな対照的な二人を遠巻きにしながら、愛は首を傾げつつも頭の片隅に引っかかっていた言葉を思い出し、ハッとなって戦慄するのであった。オナ禁、おそるべし……



 

 藤木が七条寺駅へと戻ってきたのは午後2時を少し回ったところで、冷房のギンギンに効いた車内から出るのを本気で躊躇するほどの、一日で一番暑い時間帯であった。照りつける太陽から逃げるようにバス停へとやってくる。時刻表を見ると、到着までまだ時間があった。


 流石に歩いて帰るのは自殺行為にしか思えなかったので、大人しく待つことにするが、この場にいるのは得策ではない。どこか涼める場所は無いだろうかとキョロキョロ辺りを見回していたら、カキ氷屋の軒先で見知った顔と出くわした。


「げ、小町……」

「あ、藤木……」


 久しぶりに見た馳川小町は、いつものように何かに対して不満を抱えているような、不機嫌そうな顔をして、カキ氷屋の軒先に置かれたベンチに座ってカキ氷を食べていた。


 どれだけ遊びこけていたのだろうか。投げ出された手足はまるで小学生のように日焼けして真っ黒だった。


「あんた、暫く見かけなかったわね。一体どこでなにしてたの?」

「いやその……」


 この10日ばかり、藤木は小町と全く会っていなかった。


 最初の一週間は新垣の家でオナホを作っていたからだが、残りは天使のことがあって意識的に避けていた。藤木の母と同じように、天使に記憶を弄られていたらどうしようかと思ったからだが……


「まあ、別にあんたがどこで何してようと構わないけど。それより天使はどうしたのよ。こないだお母さんに会ったら、いきなり最近御飯作りに来てくれないとか言われてびっくりしたわよ……一体、どうなってんの?」


 小町の記憶を危惧する藤木に対して、彼女はあっけらかんとそう言った。藤木は何かにガツンとやられたような気分がして、同時に心の底からホッと安堵して、それからポカンと口を開けた。


「……あ、そうなの?」

「あ、そうなの、じゃないでしょ。一体、なにがなにやら、どう返事して良いのか、しどろもどろになっちゃったわよ。またお母さんに聞かれたら、どうしたらいいの?」

「いや、どうもしなくていいよ。天使はなんか、姿を眩ませちまったんだ。俺も探してるんだけど……」

「ええ!? それって一大事じゃないのよ! 警察には届けたの?」

「んなわけあるか……元々居なかった奴だぞ。俺の妹でもないんだし」

「……そういや、そうね。あれ? それじゃ、なんで居なくなったのよ。もしかして天国に帰っちゃったの?」


 言われて思わず苦笑した。その、まるでメルヘンチックな言葉が、幼馴染には似合わなかったからである。だが、そもそも天使は天国からやってきた藤木のサポート係と名乗っていたはずだ。それが消えたら、当然こういう反応になる。別に小町がおかしいわけじゃない。


 それに、本当にそうならどれだけ良いだろうか……


「なに笑ってんのよ」

「いや、良く分からないんだけどよ。もしかしたらそうなのかもな。取りあえず、母ちゃんには上手く口裏あわせといてよ」


 仕方ないわねと目をつぶる小町が、ターミナルのほうを見てハッとなった。そしていきなりカキ氷をガッガッガッと掻き込んだかと思うと、顔を顰めてコメカミを指で押さえた。


 何を急に急ぎ始めたのかと思いながら見ていると、藤木の背後でファーンとバスの大きなクラクションが聞こえてきた。どうやら、団地循環のバスが到着したらしい。小町が立ち上がって駆け出した。


「……帰らないの?」


 しかし、カキ氷屋の前で佇んだままの藤木に気づき、振り返ってそう言った。


「ん、ああ……そうだな。帰ろうか」


 帰るのだ。


 藤木は何故だか唐突にそう実感した。


 テクノブレイクをした、あの日以前に帰るのだ。小町がいて、天使がいなくて、まだ藤木がオナっても死ななかったあの日々に。それは退屈だったかも知れないが、決して誰かに迷惑をかけたり、自分の死について悩んだりすることのない穏やかな日々だった。


 藤木は小町を追いかけてバスに乗った。




 家に帰り、わがまま放題の欠食児童のような母親に餌を作ったり、足腰がバキバキになるまでこき使われてから、ようやく落ち着いた藤木は自室へと戻ってきた。


 オナホ作りやら白木兄妹のことやらで、暫く殆ど寄り付かなかったが、やはり自室は一番落ち着く。クーラーとPCを点けて、汗だくになった洋服を脱いで部屋着に着替えると、藤木は一応押入れの中を確かめた。


 もちろん、そこには不思議空間は広がっていなかったし、ぽっかり空いたスペースに天使が収まっていたりもしなかった。藤木は押入れの戸を閉めると、パソコンチェアにどっかと腰を下ろした。


 やれることは無くなった。これ以上、気にしても仕方ないだろう。幸い、小町の様子は以前と変わらない。倖という協力者も得たことだし、当面対処しなければならないものはないだろう。


 気になるのは学校の様子だが、これも新学期になってみないことには何ともいえない。


「クラスメイトとの関係がなあ……」


 自分が忘れ去られているのも問題だが、彼らは天使のことをどう記憶しているのだろうか。それも気になる。やはり、母親と同じように、小町と混同してるとかだろうか。そしたらまた彼女に迷惑かけるな……


 などと考えつつ、PCを起動して適当にネットサーフィンをしていたら、ムクムクと劣情がもたげてきた。


「ハイ、ダッド! 3日ぶりだな。あの時は邪魔が入っちまったが、ファンキーでセクシーな日々を過ごしていたのかい」

「のび太か……すまない。こんなにも長い間、おまえのことをほったらかしちまって」


 考え事をしていたら、いつものくせでエロサイトを巡回していたらしい。このところ無反応だったからうっかりしたが、気がつけば下半身がビンビンになっていた。


 そういえば、もうちんこは勃つんだった。なら、今は天使のことよりももっと気になることがある。


「ドンマイ、ダッド。そんなことより、考え事を邪魔しちまって悪いな。さあ、俺のことはいいから、また思考の深遠へと旅立ってくれよ」

「拗ねるなよ、のび太……今はお前の方が大事さ」

「いいのかい? 俺はいつまでも待てるんだぜ」

「いいのさ。それこそ考え事なんていつでも出来る。それよりも先に確かめないといけないことがあった。俺たちがかつてのようにシンクロニシティしたら、またハードラックがダンスっちまうかってことを」

「……覚悟は決まっているようだな。ダッド?」

「ああ、だから早く、俺たちのラプソディを奏でようぜ」

「ふっ……落ち着きのない子猫ちゃんだぜ」


 果たして、今の藤木はオナったら死ぬのだろうか……? オナらずとも幽体離脱が可能であることには気づいたが、その逆は未だ試していない。


 藤木はズボンを下ろすとギンギンに勃起したのび太をしっかと握って、パイレーツの居そうなカリビアンなコムをブラウザで表示し、普通に正常位とかしてそうなライトエロ動画を物色した。


 なにしろ、久しぶりだから、徐々に慣らさねばいけない。いきなり獣姦とか、吉村卓とかはきつい。その判断は間違いではなかったのだが……しかし、藤木がおもむろに右手を上下すると、


「はうあっ!」


 腰が抜けそうなほどの快感が、つま先から頭の先まで一気に駆け上がるのであった。なにこれぇ……頭が沸騰しちゃうよう……


「馬鹿なっ!? まだ乳首も触っていないのだぞ!!」


 藤木は恐ろしいほどの快楽の洪水をワッといっきにあびせかけられ戦慄した。オナ禁後の初オナニーが、これほどの破壊力を持っていたなんて……


「ダッド! こんな衝撃、俺にもそんなに耐えられないぜ!?」

「くっ……抵抗は無駄だということか……なら、せめて俺たちのユニゾンで、世界をあっと言わせてやろう!」

「オーケー、ダッド! 準備はいいかい? ひとかけ、にこすり、サンポール!」

「ひとかけ、にこすり、サンポール! うっ」


 藤木はあっけなく果てた……大体、みこすり半で。


 そして、幽体離脱した!


「こ……こはぁ……」


 肺の深いところから、溜め息のような息が漏れる。脳みそが弛緩して、何も考えられない……そして視界が急激に遠ざかる。なにかグルグルと世界が回るような感覚がして、目の前が暗転すると、藤木は前後左右、自分がどこを向いているのか分からないような感覚に陥った。重力に解き放たれたかのように、体の重さを感じない。


 そして気がつけば、彼は空中にふわふわと浮いて、自分自身の体を見下ろしていたのである……


「なんてな」


 幽体離脱した藤木は、そう呟くとひょいっと自分の体に飛び込んで、未だにビクビクと痙攣を続ける、のび太の頭から白濁とした……というか、まっ黄色のザーメンをティッシュでねっとりと拭き取った。


 心なしか、おちんちん全体がヒリヒリと痛い。凄く久しぶりすぎて、尿道に何かが詰まっている感じがして気持ち悪い……


 しかし、そんなことなどもう気にするまでもない。


「くっくっく……やはりな」


 藤木はオナっても幽体離脱しなかった。


 幽体離脱しないことを確認してから、自分の意思で幽体離脱してみせたのだ。


 そして、今度も誰の手を借りることも無く、元に戻れたのである。


「ふは……ふははははあはははははああはははは!!!」


 悦びに打ち震える藤木は、まるで戦隊物の悪役のように高笑いするのであった。


「俺は……自由だああああああああ~~~~っっ!!!!!」


 そして誰にとも無くそう叫ぶと、彼はまた体の中から幽体だけを飛ばして、ぐんぐんと七条寺の上空へと飛び出した。


 日が沈み、西の空が赤紫に染まっていた。上空はどこまでも澄み渡り、一番星がキラキラと輝いて見えた。遠い新宿のネオンまで見える。七条寺の幹線道路には渋滞の列が赤いテールランプの川を作り、駅から吐き出される人がまるでゴミのようである。


「あははははは! やった! やったよ! もう、オナっても死なないんだ! 俺はやったんだ!」


 何をやったわけでもないが、やったやったとはしゃぐ藤木は、上空をぐるぐると旋回しながら家まで戻ってきた。そして興奮さめやらない様子で、自分の体に戻ってから、


「あ、そうだ……小町にも教えてやらなきゃ」


 すぐさま、また幽体離脱して小町の部屋へと壁抜けするのだった。忙しい……



 

 馳川小町は部屋の電気も点けず、ベッドの上に横たわり溜め息を吐いた。


 それにしても、あれはなんだったのだろう……


 その日の午後、友人の朝倉もも子から電話が掛かってきた。彼女が言うのは、カニ食べいこうとの事だった。


 玉木老人がまたなにやら市内の金持ち連中に頼まれて、ホテルでお見合いだかの立会人として出席しなくちゃいけないらしく、その付き添いとして朝倉が呼ばれたのだそうだ。そのホテルでカニ食べ放題をやっていて、奢るからどうだと言うのである。


 朝倉は、玉木老人の孫娘を殺した男の娘であったが、それゆえに老人は彼女のことを気にかけていたらしい。実は身寄りのいない彼女を引き取った後見人は、彼であるそうなのだ。であるからして、彼女は老人に頼まれたら断ることは出来ず、心細いから小町も一緒に着いて来てよということだった。


 玉木老人のことは知っていたし、なによりカニ食べ放題である。困っている友人を助けないわけもなく、二つ返事でオーケーした小町は電話を切ると、ふと藤木のことを思い出した。


 玉木老人だったら、自分よりも彼のほうが覚えが良い。それに、ここ1週間、留守にしているようで、まともに顔を見ていなかった。どうせなら誘ってみようと、小町は彼に電話をかけた。


 しかし、電話の彼は何か他に用事があるらしく、カニ食べ放題を断った。無理強いをしても仕方ないので電話を切ると、小町は朝倉との待ち合わせ場所に出かけた。


 夏の暑い日ざしの中、玉木家の黒塗りのリムジンに乗ってホテルに訪れた彼女らは、早速とばかりに物産展のカニ食べ放題の店へ向かった。


 お見合いの立会人であるはずの玉木老人も、一瞬だけ顔を見せればそれでいいからと、小町たちにくっついてきた。そして3人で和気藹々としているときだった。


 一人の女性が駆け寄ってきて、玉木老人に対して無礼を詫びた。見れば、以前一度会ったことのある、立花愛だった。なんでこんなところに居るのだろう? と疑問に思っていると、老人は彼女と待ち合わせをしていたらしく、構わないからといって話を促した。


 彼女が言うには、どうやらお見合いの出席者とは彼女の姉、立花倖であるそうだった。しかしそのお見合いは、彼女が本心から望んでやっているわけではないから、なんとか止めてもらえないか……実は今、藤木が止めようと頑張っているが、彼だけではどうしようもないだろう。立花愛はそう言った。


 何で藤木が? と一瞬思いもしたが、おそらく担任のトラブルに首を突っ込んだのだろう。藤木のことを気に入っているらしい玉木老人が、あいわかったと二つ返事で引き受けるのを見ると、立花愛は自分が先に行って場を繋ぐと走り出した。小町は彼女のことを追いかけて、一緒にエレベータに乗った。


 色々と聞きたいことはあったが、無言のままエレベータが動く。


 最上階までやってきて、スタッフオンリーの看板を無視して廊下を進むと、目的の部屋はその一番奥にあるらしかった。愛と小町はそこまで来ると、乗り込むタイミングを見計らうために、扉の前で中の様子を窺った。


「全力で寄生したるわ!!」


 なんのこっちゃと思っても、誰も何もしゃべらない。ただ藤木の声だけが聞こえた。


「その代わり俺は一生愛し続けよう。彼女が死ぬその瞬間まで、一生だ……必要だってんなら、毎日愛の言葉を囁こう。死ねと言うなら死んだっていい……彼女の人生のためだけに、ただ生きよう……俺は全てを投げ出して、彼女に尽くしたい。それくらいじゃないと吊り合わない……だからユッキー、俺と結婚してください!」


 はわわっと口に手を当てて、立花愛がにやにやしていた。


 小町はその後ろで呆然と立ち尽くしていた。


 いきなり扉がガンッ! と音を立てて開かれる。


 立花愛に覆いかぶさられるように、小町は一緒に床に這いつくばった。


 見たこともない上等な服を着て、まるで結婚式の花嫁を連れ去るような格好で、藤木が立花倖の手をぐいぐいと引っ張っていく。


 ちょっと待ってよといいながら、慌てて立花愛が駆けていった。


 小町はそれをぼんやりと見ていた。


「あれは一体なんだったのかな……」


 藤木は元々女の子にモテるような顔はしていない。しかし、そのパーソナリティのお陰か、意外と女の子の友達は多い。朝倉や晴沢成美や、立花倖ともかなり仲が良かった。教師と生徒ではあるけれども……あの二人はそういう関係だったのだろうか。


 よく分からない。


 聞けばいいだけなのだけど。


 小町はブンブンと頭を振るった。


「まあ、どうせ、またいつものようにトラブルに巻き込まれたのよね。気にすること無いわ」


 元々、他人のことにやたら首を突っ込みたがるタイプである。今回も、それに違いない。玉木老人にお願いしていた立花愛の様子からして、なんとなくそんな雰囲気だった。気にしたら負けである。


 何があったか知らないが、それが片付いたら、またあの馬鹿げた日常が戻ってくるのだろう。オナって死んで、小町が制裁するあの日々が。


 大体、自分しか彼が死んでも生き返らせることは出来ないのだし、結局彼は自分のところに帰ってくるしかないのだ。あの男がオナニーをやめることなんて、絶対に出来っこないのだし……あれ? そうすると、一生面倒見てやらないといけないのかな? それはそれで嫌だな……


 などと考えていた時だった。


『小町さん小町さん』


 頭の中で声が響いた。おなじみになった、例の感覚である。


 ほら見たことか……早速おでましだ。


「……あんたねえ……最近大人しかったと思ったら。よもや、また死んだなんて言うんじゃないでしょうね!?」

『ふひひ、さーせん』

「ホント馬鹿なんだから。仕方ないなあ……」


 小町はベッドからよいしょと腰を上げると、


「今回は助けてあげるけど、いつも……いつまでもってわけにもいかないんだからね」

『それなんだけどさ、小町さん。もう生き返らせてくれなくていいよ』

「え?」


 藤木のヘラヘラとした声が聞こえる。


『俺、自力で生き返れるようになったから。今日はそれを言いに来たんだ。いやあー……今まで悪かったな、小町。でもこれからは自由だぞ! 主に、俺がなあ! はーっはっはっはっは!!』


 高笑いすると、彼は小町の部屋から去っていったらしく、頭の中に声は響かなくなった。代わりに、隣室からピリリリリっとスマホの着信音が聞こえて、


「もしもし? ユッキー?」


 と、藤木の声が、普通に聞こえてきた。


「なになに? 飯奢ってくれんの? いくいく。明日? いいよ。何時? お母さんもいるの? へえ……あ、紹介? そういうことなってんの。分かった分かった。ばっちりキメてくからよ」


 小町はベッドに腰を落とした。



 

 翌日。七条寺北三丁目の立花家の前に、不審人物が跋扈(ばっこ)していた。


 そのクリーチャーは上等なのにアイロンもかけないでいるシワシワのスーツを着て、しかもそれを台無しにするような、くっさい整髪料でガチガチに頭を固めて、ニタニタとしたいやらしい笑みを垂れ流しながら、立花家のインターフォンを押すのであった。


 しかし、返事が返ってこない。留守だろうか? いや、呼び出しておいてそれは無いだろう……家を見上げながら、藤木は独りごちた。


「くっくっく……それにしても、よもや、あの母ちゃんが俺のことを気に入っているとはのう……あの母ちゃん、流石元女優だけあって、今でも色気がプンプンしてやがる。俺んちのあれとは大違いだ。三人も産んでるとは思えねえ、まだまだ全然現役だぜ。ああ、ちんぽぶち込んでやりてえなあ……おっといけない」


 藤木はキョロキョロと辺りを見回した。思わず本音が出てしまったが、こんなことを聞かれたら一大事である。じゅるりとよだれを拭ってから、藤木は口にチャックをして、ついでに下の口のチャックも閉めてから、再度インターフォンを押した。


 なんで出ないんだろう……マジで留守なのかな?


「……買い物かな。料理作るとか言ってたし……手料理か。俺相手に新婚気分思い出しちまったのかな。くっくっく。ならば、冗談で寄生するとか言ってはみたものの、それも悪くないぞ。手始めに婚約者である倖を俺の魅力でちんぽ奴隷に堕としてやる。それから母ちゃんだ。なあに、何年も男とやってない小母さんだから、若いちんぽに貫かれたらたまるまい。即落ちに決まってる。くっくっく。ついでに愛の奴も……あいつはいいや。適当にニンジンでも入れてやりゃ喜ぶだろ……でも成実ちゃんは、大事にしよう。うん……おっといけない」


 また声に出ていた。藤木はキョロキョロと辺りを見回した。隣家でストレッチをしていた藤原騎士がドン引きしていたが、別にあいつに聞かれても問題あるまい。気にせずにピンポンピンポンとインターフォンを連打した。


「おっかしいなあ……自分らで呼んでおきながら、なんで出ないんだ? マジで留守なのか? 立花家め……馬鹿にしやがって……くそっ……あとでこっそりトイレで出したザーメンを料理の中に仕込んでやるからな、覚えておけよ……おっといけない。聞かれたらまずいからな……」

「…………聞こえてるわよ」「ほらね? ほらね? 私の言った通りでしょう! 藤木君ってこういう子なんだってば!」「はぁ~……ホント最低ね、こいつ」


 キーンと、ハウリングの音がインターフォンから響いた。


「へ?」


 と、戸惑う藤木をよそに、唐突に立花家の玄関が開いたと思ったら、中から可愛らしいエプロンをつけたお母さんが出てきて、お玉を投げつけた。


「この変態っ! 娘に近づくなっっ!!」

「なにゆえっ!?」


 スパコーンと気持ちのいい音が響いて、藤木は地面に大の字にぶっ倒れた。額がヒリヒリと痛む。哀れみの目を隠そうともせず、ランニングシャツの藤原騎士が駆けて行った。二階の窓からこっそりと、複雑そうな顔をした立花成実がこっちを見ていた。カーテンがシャッと閉じられる。


 あとで聞いた話では、お母さんは朝から藤木のことを心待ちにしていたらしい。そわそわとベランダと台所を行ったりきたりする母親に、娘たちが落ち着けと何度も言うのだが彼女の期待は膨らむ一方であったそうだ。


 もはやこれまで……高まった期待に、藤木が応えられるわけがない。彼女の期待通りの男など、どこにもいやしないのだ。諦めて娘たちは、あのお見合いの日に何があったのか……また、本当の藤木とは一体どんなやつであるのかを滔々と説いた。しかし、母は信じない。


 そうこうしているうちに、ついに藤木がやってきた。喜び勇んで玄関へと向かう母親を引き止めて、取りあえずカメラ付きインターフォンで確かめてからにしようとモニターを覗いてみたら……


 久々のオナニーでハッスルしすぎて、血走った目が落ち窪み、無精ひげが伸び放題で、髪の毛は薄く、顔はニキビだらけ、鼻毛がはみ出た鼻の下が異様に長い馬面が、そこには映っていた。遠めにも下腹部がぽっこりと膨らんでいるのがわかり、猫背でだらしなく、歯茎までまっ茶色の口臭がモニタ越しにも臭ってきそうだった。


 そして……誰? これ……こんなはずはない……とショックを受けている母親に、愛が取りあえず音声だけこっそり聞いてみようよと提案したらしい。


 カラカラとリビングの窓が開かれた音が聞こえた。中から出てきた立花愛が、うんうんと頷きながら、ほろりと涙を流して言った。


「やっと帰ってきたんだね、藤木君。良かった……本当に、良かった……」

「立花ァァァッ!!」


 閑静な住宅街にだみ声が木霊する。蝉時雨をかき消すかといわんばかりのその大声が、雲ひとつない七条寺の空に吸い込まれていった。


 焼けたアスファルトに張り付いた頬がヒリヒリと痛む。夏休みはもう残すところ僅かである。



3章・了



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