あなたを犯人です
8月も残り少なくなって、日焼けした肌がヒリヒリと痛む今日この頃。藤木は池袋の路上で職質を受けていた。
工具店で買った荷物が意外と重く、カラカラと引きずりながらラブホ前を歩いていたら、警戒中の私服警官に見咎められたらしい。職務に熱心……というか、点数稼ぎに躍起な警官にしどろもどろに言い訳し、どうにかこうにか解放されたときには、暑さと冷や汗で首周りがびしょびしょになっていた。
とほほとうな垂れながら、もはやお馴染みとなったホテル街を突っ切って新垣のマンションにやってくると、一直線に彼の部屋へと向かった。アポは取ってなかったが、在宅は確認していた。
インターホンを押すと、彼はすぐに出て、相手が藤木と知ると、少し戸惑いながらも鍵を開けてくれた。
「すみませんね、突然……」
「いや、それは構わないのだが……」
玄関のドアを開けた新垣は仰天した。やってきた藤木が、何故か知らないがでっかいスレッジハンマーを担いでいたからだ。工事現場などで杭を打ち込むアレである。
何でそんなものを持ってるのだと聞けば、自分の尊敬する恩師が必要だと言うから、さっき近所で買って来たという。ホームセンターも回ったが、やっぱり大きな町だと品揃えが違いますねと言われては、そんなものかと、他に返す言葉もない。
持ってるものがアレではあるが、別段おかしな様子もないので、家に上げてリビングに通し、来客にお茶を出していたら、彼はお構いなくと言いながらも家の中をキョロキョロと見回していた。何が気になるのだろうか。
「それで、今日は一体どうしたのだろうか……いや、言わなくてもわかる。あの日の事だろうか……」
新垣は藤木が自分のことを糾弾しにきたのだと思った。みんなの大事なオナホを壊されながら、何もせずに諦めた自分のことを。
「ええ、まあ。それも気になりますが……それはもう、どうでもいいんですよ」
「え? どうでもいいの?」
しかし、返ってきた答えは全然別のことだった。
「そんなことより、お兄さん。今日は、お兄さんに聞きたいことがあってきたんですよ」
「君にお兄さんといわれる筋合いはないが、なんだろうか」
「あなた、いつから何が切っ掛けで、池袋(生主)を始めたんですか」
「ふむ……それを聞いてどうするのかね」
「いいから答えて」
にこやかながらも有無を言わさぬ口調の相手を、新垣は訝しく思った。突然やってきて、突然こんなことを聞く。何か目的があるのは明白で、それが分からなければ答えるのも躊躇われる。しかし、かと言って反駁しようにも、どちらも彼には出来なかった。
「答えられないんですか?」
それを見透かしたかのように、藤木が言った。
「そりゃ、そうですよね。あなたがオナホ実況なんて、馬鹿な番組を始めたその切っ掛けを喋ってしまったら……全ての嘘が台無しになる」
「……何が言いたいんだ」
「新垣さん……俺が始めてあなたのことを知ったのは、ネット上のことでした。幼馴染と色々あって、『エアセックス』って単語でググッたら、あんたの放送がヒットした。全裸の男が天に向かって、ふんふんと腰を振ったら、ドロっとしたものが飛び出した。手も使わずにすげえ! ……と、ネット上ではそれが、池袋(生主)の初めての放送だったと語り草になってます。でもそれ、違いますよね? いや、実際にあなたの存在がネットで語られるようになったのは、この動画が切っ掛けでした。でも、これはあなた自身が放送した番組ではない……あなたが意図して流したものではないんです。違いますか?」
断言するように言い放った藤木に対し、新垣は何も言い返すことが出来なかった。彼の言っていることが事実だったからだ。
藤木は沈黙を続ける新垣の返事を待ったが、それが無いと判断すると、もうそれ以上は待たずにゆっくりと話し始めた。もうどこかで止められても、最後まで話すつもりだった。新垣はそれをじっと黙って聞いているのだった。
「初めて動画を見たときに気づけばよかったんです。つっても、男のオナニー動画なんて、そんなじっくり見るものじゃないですからね……そのせいで中々気づかなかったんですが、俺は始めてこの動画を見たときから、何か違和感を覚えていたんですよ。
それは、この動画の視点が俯瞰だってこと。お兄さんの姿を上から映しているということ。おまけにあなたはカメラではなく、全然別の方向を向いている。普通、自分を撮影するなら、三脚を立てたりなんなりして、正面に立ちますよね? 仮に横に置いたとしても、今度はカメラの位置が気になって、撮影しながらチラチラと見ちゃうものです……ところが、この動画にはそう言った素振りが一切無い。すぐにピンときましたよ。これは自分で撮影したものじゃない。誰かが撮影した……いや、それどころか、盗撮されたものなんだろうと。
盗撮されたものが出回っている。普通の人からしてみたら、これは一大事です。大騒ぎして削除を求めるなりするでしょう。おまけにこの動画はじっくりと見れば、被写体が不自然なことがすぐに分かるんです。だからこれを見た誰かが、盗撮だと騒いでもおかしくないんです。ところが、この動画にはそう言った噂が一切ないんですよ……それは何故か? それはこの直後にあなたがオナホ実況などというゲリラ放送を開始したからですよ。実にタイミング良くね。
場合によっては、話題づくりのために、自分で拡散したのかとも思いました……そういう痛いパフォーマーが世の中には居ますからね。でも、それはありえない。なぜなら、あなたはかつての自分の発明品、自己発電機が売れそうになったら理不尽な理由をつけて、自らストップした前科がある。自分を売り込む話題づくりのために策を弄するような人が、そんなせっかくのチャンスを自分で潰すわけがないですよね。それじゃあ、一体全体、何が起きているというのか?
答えはこうです。あなたは、盗撮動画が出回ったのを知るや否や、自分からオナニー放送なんて自虐を披露することによって、流出の事実を隠蔽しようとしたんですよ。何しろ、自分からオナニーを見せ付けるような奴が、盗撮だなんだと騒ぐわけないですからね。そうやってあなたは、あの盗撮動画を、自分から流したものだと世間に思い込ませたかったんです……それは何故か?
何故なら、動画を流出させた犯人が、あなたの妹、白木さんだから。あなたは妹を庇おうとしたんだ。
ある日、自分の盗撮動画が出回ってることに気づいたあなたはすぐに察した。ストーカーの妹が、自分の盗撮動画の入ったPCで、トロイか何かを踏んでしまったのだろうと……とてつもなく迷惑な話ですが、それ以上にあなたは別のことが気になった。もし、妹がそれに気づいたら……自分の変態性欲が兄にばれると知って、または自分のドジのせいで兄が窮地に陥ったと感じて、自分を責めるに違いない。妹を傷つけたくないと思ったあなたは、だから一計を案じた。先ほど言ったとおりに、流出の事実を無くそうとしたんです。
その苦肉の策は功を奏して、流出の事実は誰にも知られることはありませんでした。当の白木さん本人にも。しかし、一度オナホ実況などというわけわからない放送をしてしまったあなたは、以来その泥沼から抜け出せなくなってしまった。軽く人生詰んでますからねえ……仮に就職活動しようにも、「あ、オナホの人だ」で終わりですよ。と言うわけで、やっちまったものは突き抜けるしかないと判断したあなたは、リビドーを全開に発揮して、オナホ研究者になりきった。そして説得力を得るために、ARオナホのアイディアを出して出資者を募った。
初めはある程度落ち着いたら、適当にお茶を濁してフェイドアウトするつもりだったんでしょう。しかし、意外なほど盛り上がったプロジェクトを前に引くに引けず、そうこうしている内に俺たちと出会ってしまった……そして、究極のオナホが完成した。
しかし……完成したオナホを前に、あなたは戸惑っていた。本当は完成させるつもりは無かったんです。だからあの日……打ち上げをすると称して全員を連れ出したあなたは、マンションの出口まで行ってから、鍵をかけ忘れたと言って、一人だけ部屋に戻り……壁に埋め込まれたCCDカメラの配線に水をかけることでショートさせ……それを誤魔化すために部屋中を水浸しにし、そうやって監視の目を掻い潜ったあなたは、完成したオナホを壊した……
そう。オナホを壊したのは、新垣ノエルさん。あなたです。あなたは、完成したオナホが売れると分かるや否や、それを壊しにかかったのです……以前の自己発電機と同じように。それは一体何故なのですか?」
新垣はじっと目をつぶって話を聞いているだけで、ここまで一気に話しても、何も言い返してはこなかった。まるで壁に向かって喋ってるような徒労を感じて、藤木は溜め息が漏れるのを我慢し切れなかった。
「本当は妹さんとあなたの関係について、ある程度知っているんです。詮索するようなことをして申し訳ないとは思ったんですけどね。実家に行ってお話を聞いたら、色々教えてくれましたよ。だからもう、大体何が起きたのは想像がついてるんです」
だから、本当はここまで来て、わざわざ彼を糾弾するような真似はしなくても良かったのかも知れない。しかし、それでも最後までやり遂げた方が良いと思った。少なくとも、この兄妹にとっては。もう、問題を先送りになどしないほうが良いのだと……
「普通、盗撮なんかされてたら怒りますよ。おまけにそれが流出したのなら、親兄弟であっても訴訟ものです。しかしあなたは絶交どころか、更に自分を痛めつけてまで、逆に妹を助けようとした。どうしてそこまでするんですか。あなたにとって、白木安寿という人は、どういうものなんですか」
そう問いかける藤木の声が、空しく部屋の中に響いた。元々は、天使が残したメモを気にして調べ始めたようなものだった。それにオナホを元に戻せというつもりもないし、もちろん責めるつもりもなかった。元々、彼のものなのだから、彼がどうしようと彼の勝手だ。だから、彼が何も言いたくないと言うのなら、それはそれで仕方ないと思っていた。
そして長い長い沈黙が流れ、これはもうお手上げかも知れないと、藤木が諦めて腰を上げかけたときだった。ゆっくりと、新垣の目が開かれた。まるで蝋人形のようにくすんだ瞳で、しわがれてよく聞き取れない小さな声で、背中を丸め疲れ果てた老人のように、彼はポツポツと話し始めるのだった。
初めて会った安寿はまるで獣のようだった。
手足は皮だけで細長くて折れそうで、目玉がぎょろっと飛び出ていて、鼻でも詰まってるのかずっと口をポカンと開けて、髪の毛はボサボサで、チャリティー番組でしかお目にかかれないようなその姿から、明らかに栄養状態がおかしいことは、すぐにわかった。
そのボロボロになった安寿の姿を見て、彼女を置いて出ていった新垣の義母は泣き崩れ、すがりついて謝罪した。しかし、その姿を見ても彼女は心ここにあらずと言った感じで、まるで白痴のようにパパはどこ? と繰り返すのである。
彼女をそんな姿にした、パパはどこ? と繰り返すのである。




