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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
3章・パパは奴隷でATM
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わりとありふれた父と息子の会話

 藤木は伸びてグズグズになってしまった、くそまずいカップめんを勢いだけで掻き込むと、唖然としている諏訪に別れを告げて家から飛び出した。夏の日差しがじりじりと肌を焼いて、痛みさえ感じるほどだった。だが、気持ちはその天気と同じように晴れ晴れとしていた。


 やはり、天使のことを放っておくわけにはいかない。


 よく分からない存在が家の中に居る。不可思議な能力を持った謎の人物に、自分のテリトリーにこれだけの侵入を許しておきながら、何を悠長に構えているのだろうか。少しくらい危機感を持った方がいい。


 確かに、一見して天使に邪悪なところは感じられない。人を陥れたり、何か悪さをしているわけでもない。善良な一市民のように思える。しかし、彼女の能力を持ってすれば、そんなものはいくらでも擬態出来るのだ。彼女が藤木の(あずか)り知らないところで、何もしていないとは言いきれないわけである。こんな存在を放っておいていいだろうか。


 藤木は改めて天使との対峙を決意すると、バス通りを駆け抜けて、2町ほどしか離れてない団地へと帰ってきた。1週間ぶりに見た我が家はいつも通りで、景観のために植えられた木々からは蝉時雨が聞こえてきた。暑さのためにどの家も窓をぴったり閉めているからだろうか、余計な音は一切聞こえない。


 そんな中、藤木はダンダンダンと足音を立てて、階段を勢いよく上がっていった。


「ただいまー!」


 ガチャリと鍵を開けて玄関に入ると、廊下は蒸し暑いままだった。リビングの扉は閉じており、中から人の気配はする。取りあえず、そっちは置いておいて、藤木は玄関に入ってすぐ脇にある自分の部屋へ足を向けた。


 久々に帰ってきた部屋の中は蒸し風呂状態で、もわっとした空気がまとわりついてきた。閉じられたカーテンの向こうから、ミンミンと蝉の声が聞こえ、窓が開いたままだった。おそらく母か天使が、無人の室内の換気をしていたのだろう。


 窓を閉め、クーラーのスイッチを押すと、自分のパソコン机の周りに異常が無いかを確認してから、押入れの前に立った。クーラーから生ぬるい送風が流れ、やがてひんやりとした冷気に変わる。


 意を決して押入れを開けると、中はいつの間に片付けられたのか、整理整頓されており、元の雑多に詰め込まれた不用品の数々は見当たらない。ふと、天使の言葉を思い出し、藤木は一旦押入れの戸を閉じてからトントンとノックをし、


「天使、いるか? 開けるぞ?」


 と宣言してから、また押入れの戸を開いてみた。


 しかし、中は先ほどとまったく同じ状態で、天使も居なければそこには何もない。


「……くそっ」


 確か、天使は自分に用事があるときは、押入れをノックして呼んでくれと言っていたはずだ。そうしたら、あの不思議空間に繋がるからと……しかし、今その通りやってみても、そんな空間には繋がらない。


 そして、この事態に際してようやく気づいたのである。この3ヶ月ほどを天使と一緒に暮らしておきながら、彼女を呼び出したことはただの一度も無かったことに。


 元々、用事があまり無かったのは確かだ。だが、これだけの時間を一緒に過ごして一度もないのは有り得ないだろう。もしかして、これも得意の催眠術かなにかだろうか……混乱する頭を必死に宥めながら、自分の部屋を出てリビングに向かった。


 リビングに足を踏み入れると、そこは別世界のようにひんやりとした空気が漂っていた。ガンガンに効かされたクーラーから、冷気が垂れ流されている。思わず鼻がずるずる鳴りそうになった。


 天使が居ないかとキッチンを覗いてみてもそこには誰も居らず、変わりに母親がリビングのソファでカウチポテトっていた。彼女は藤木が帰ってきたと知るや否や、


「あ! 藤木! あんた、何度も電話したのに、この親不孝モノ!」


 と、怒鳴り散らした。1週間ぶりに見た母親はまた腹が一段と目立ってきた……というか、心なしか肥えてふっくらしていた。二の腕がボンレスハムのようである。


「げっ、母ちゃん。そういえば、こんなクリーチャーも居たんだっけ」

「なんですって!?」


 激おこの母親が、手元にあった飴玉やらせんべいやらをブンブン投げてくるのを交わしながら、


「……つか、冷えすぎだろ、この部屋。体に障るぞ」

「あ! こら、設定温度変えるんじゃないわよ」

「うっさい、言うとおりにしろ! おまえ一人の体じゃないんだぞ。ところで、天使は居ないのか?」

「天使ちゃんなら、今朝出掛けたきりね。早く帰ってきてくれないかしら、こんなドブから生まれたプレデターなんかでなく」


 どうやら外出中のようである。親のくせに聞き捨てなら無い台詞を吐いていたが、確かに彼女からしてみれば、藤木なんかよりも飼育委員の方が優先順位が高かろう。


 藤木は言い返す言葉ぐっと飲み込むと、もう用事の無いリビングから出ようと背を向けたが、


「まあ、藤木でもいいわ。お腹すいたから、肉焼いてちょうだい」

「はあ?」

「肉焼いて、肉ぅ~! 肉ぅ~!」

「ええい、うっさい! 肉焼くくらい、自分でしろよ。ここんとこ、あんたダラけきってて、そろそろ心配になるレベルだぞ。働け働け」

「なによー、藤木の癖に偉ぶって。あんたなんか生まれてこの方、家事の手伝いなんてやった試しもないじゃない。たまには貢献しなさいよ」

「……確かにそうだが」

「肉ぅ~! 肉焼いて、肉ぅ~! じゃないと、赤ちゃんに胎教するもん。藤木は性犯罪者だって胎教するもん。生まれたばかりの赤ちゃんに、憎しみのこもった目で睨まれれば良いんだわ」


 と言うと、母親はなんかホースみたいな器具をお腹にくっつけて、反対側からぶつぶつと藤木の悪口をいい始めた。


 どうしたらこんな醜い大人から、自分のようなナイスガイが生まれたのだろう。ドブから生まれたとか言ってたが、もしかしたら自分はどぶ川で拾われて、こいつとは血が繋がってないのかも知れない。きっとそうに違いない。藤木はクラクラする頭を抱えながら言った。


「肉を焼いたら黙るのか~?」

「……ライスも付けてくれる?」

「モーツァルトでも聞きやがれっ!!」


 手元にあったCDをぶん投げつつ、藤木はドスドスと足音を立ててキッチンに立った。



 

 その後、調子に乗った母親に散々わがままを言われて無駄な時間を過ごした。彼女はよっぽど暇なのか、腰を揉ませたり、デザートを作らせたり、リモコンでテレビのチャンネルを変えさせたり、ペロペロと足を舐めさせたり、お腹の中の赤ん坊を盾に取って暴虐の限りを尽くすのだった。


 そんなこんなで、豪快ないびきをかきながら、リビングに敷かれた高級布団の上で眠る母親を尻目に、ほうほうの体で自室に戻ったときには、日が傾いてそろそろ夕方と言ってもいい時間帯になっていた。赤ん坊の性格が歪むかと思ったら何も言い返せない。恐ろしい女である。


 それにしても、普段はこれを天使がやってると思うと、頭が下がる思いであった。と言うか、彼女が居ないと藤木家はすでに成り立たないのではなかろうかと、薄ら寒い思いがした。彼女が帰ってきたら、取りあえずは問い詰めるつもりであったが、場合によっては現状維持を考えなくも無い。


 そんなことを考えていると、遠くの方から市内放送の音楽が流れてきた。

遠き山に日は落ちて。夏の間は、これが流れると午後6時のはずだった。


 母親の弁では、天使は朝から出かけているらしいが、一体どこへ行っているのやら……あまり間を空けられると、せっかくの気合が萎えてきて、また弱気になっちゃうから、さっさと帰ってきてほしいのだが……居ないものは仕方ないので、手持ち無沙汰にパソコンの電源を入れると、適当なウェブサイトを見て回った。


 そして、初めはヤフーなどのポータルサイトでニュースを読んでいたのだが、その内飽きてゲームやらアニメのサイトを巡りだし、それにも飽きて、ここのところご無沙汰だったエロサイトを巡回していたとき、それは唐突に訪れたのであった。


 エロサイトがご無沙汰だったのは、それを見てもアレがたたないものだから、何だか奇妙な感覚だけがして、見ていてもちっとも楽しくなかったからだ。


 今回もやっぱりその奇妙な感覚に支配され、女の裸を見ても、他人のセックスを見ても、何も心の中に生まれはしなかった。


 しかし、そんな藤木の心とは裏腹に、体はピクリと反応した。


「……え?」


 それは藤木が不能になるまでは、お気に入りの女優だった。人気AV女優で、DMM.COMなんかの健全なサイトでもお目にかかれるような、有り触れたエロビデオである。


 藤木はそれを白けた目つきでぼんやりと眺めていた。以前までは、あんなに興奮した姉ちゃんも、今の自分の心には何も訴えてこない……そう思い、また別のサイトにでも行こうかとマウスをクリックしようとしたとき……


 ムクムクと、唐突に下半身が(うごめ)き出した。


「ば、馬鹿な!?」


 藤木のズボンの中で、何かがビクビクと痙攣するように大きくなった。


 それは狭いパンツの中に閉じ込められちゃ、息が詰まっちまうぜと言わんばかりに、やんちゃで獰猛な力で、ズボンの前の部分を押し上げるのだった。そう、まるでテントのように。


 藤木は震える手で恐る恐る、ズボンのチャックを下ろし、膝下までずりずりと下ろした。すると、トランクスの何のためについているのかよく分からない穴から、かつての愛おしいマイベイビーが顔をにょきっと覗かせて、


『やあ、ダッド。ずいぶん、待たせちまったみたいだな……』

「の……のび太ぁ~……」

『おいおい、泣くなよ。俺たちはそんな湿っぽい間柄じゃあなかったはずだぜ』

「馬鹿野郎! おまえが居なくなって、俺がどんなに心配したか……それにおまえはどちらかと言えば湿っぽい」

『ふっ、これは一本取られちまったぜ。HAHAHAHA』


 ビンビンに屹立する股間のマイサンを見て、藤木の目からは止め処ない涙が溢れ出した。視界がぼやけて、よく見えない。でも、以前と変わらないその姿が、いま藤木の目の前にあった。


 しわしわの袋。青筋のたった竿。くびれの部分だけたぷたぷした皮。そしてロケットのように尖った亀頭。どれもこれも、懐かしい、あの頃のままである。藤木は愛しそうに、それをさわさわと撫でた。


『ダッド、喜んでくれるのは嬉しいよ。でも、俺の扱い方をもう忘れちまったのかい? 俺は稀代のやんちゃボーイ。そんな少女みたいな手つきじゃ止められないぜ』

「馬鹿っ……そんなの、忘れられるわけないだろう。あと、少女の手だったら、多分速攻で爆死してるぜ、おまえ」

『HAHAHA、違いない。OKダッド。さあ、俺とシェイクハンドしようぜ。いつもみたいに、暴れさせてくれよ』

「任せろ、のび太。でもちょっと待って? ティッシュティッシュ……」


 と、藤木は感涙に咽びながらも、意外と冷静にティッシュを探すため一旦相棒を閉まったときだった。


 ピロロロロっと、スマホに着信が入った。


「があっ!」


 こんなときに誰だろう……無視すべきか……いや、無視してまた邪魔が入ったらことである。どうする? 電源を切るか。いやいや……取りあえずは出て、用事をすませてから、また後でゆっくりじっくり息子と対話するのも悪くないじゃないか……などと思いながら、彼は電話に出た。


「もしもし?」

「あ、藤木? お父さんだけども……」


 電話の相手は父だった。いつものように呑気な声が聞こえる。


「だから、おまえも藤木だろうが……つか、こっちに電話してくるのも珍しいな」

「ふむ、家の電話に何度もかけたのだがね、生憎電波の調子でも悪いのか繋がらなくて。そっちは変わりないのだろうか」

「特に何も変わってねえぞ。受話器でも外れてるのかな……」

「ならいいのだけど。どうせ、用事があるのは君だしね」

「俺に? なんだよ、改まって」

「ほら、究極のオナホとやらはどうなったのかと思ってね」


 うわー、なんつータイミングで……藤木は顔を引きつらせながら、しどろもどろに答えた。


「いや、それがその……当てはあったんだが、それが外れてね? いやもう、本当に凄いものが出来たんだが……」

「ふむ……まあ、さほど期待しては居なかったが。しかし、藤木君。嘘はいかんよ、嘘は」

「ばっ! 嘘なもんかよ。マジで凄いオナホがあったんだってば」

「ふーん……」

「なんだよ。気の無い返事しやがって……嘘だと思ってんだな」

「そりゃあね。まあ、仮に嘘だとしても、他人の気を逸らすためには、有効な手段であったと思う。こうも日数が経ってしまっては、お父さんも怒りを継続していられないからね。ひとつ勉強になった」


 結局、自分は騙されたのだと結論付けて、まとめるような話しぶりの父親に藤木は苛立った。なにしろ、究極のオナホは実際に存在したのだから。どうにかしてそれを伝えられないかとヤキモキしていたところ、


「それに、究極とは言っても、お父さんの至高には結局敵わないだろうしね。息子による父親越えとは、それはそれはハードルの高いものだよ。今回は残念な結果になったが、また次回頑張ってくれたまえ」

「ええい、鬱陶しい……人を嘘つき呼ばわりしやがって……ん? まてよ?」

「どうしたのかね」

「そういや、あんたの至高のオナホだっけ?」


 藤木はふと思い出して、机の下に突っ込んでおいたダンボールを引っ張り出した。中には大量のオナホが詰め込まれている。立花愛が贈ってきてくれたものである。彼は蓋を開けて、沢山のオナホの中からガサゴソとひとつだけ引っ張り出してきた。


「……中国4千年の神秘。日本産最高級塩化ビニルモノマー100%。蒼井そらのマン型をあしらった至高の一品。職人がひだの一本一本を正確に再現。その名も金瓶梅……至高って、これのこと?」


 パッケージに書かれてあった売り文句を読み上げると、電話の向こうの父親は電撃にでも打たれたかのように動揺した。


「な、なんと!? 一体、それをどこで知ったのかね?」

「どこでも何も、いま目の前にあって、読み上げてるとこだが」

「な、なにィ!」


 なんだかキャラが変わってしまったかのように父は叫んだ。


「い、一体どこでそれを手に入れたのだ。もう手に入らないはずの、至高の一品であるはずだったのに……」

「どこでっつわれても……あ、そうか」


 藤木はピンと来て言った。


「はんっ! こんなのが至高だなんて、ちゃんちゃらおかしいね。俺だったら、もっと凄いオナホを知ってるぜ」

「う、嘘をつけ。またそうやって口から出任せを言ってると……」

「いや、今度はマジだから……ちょっと待ってね?」


 そう言うと、藤木は机の引き出しを開けて中から一枚の写真を取り出した。そしてその写真の女性が持ってるパッケージと同じものを、ダンボールの中から引き出して、それに書かれていた但し書きを読み上げた。


「えーっと……ロリまん。ひな、小☆3年生。ひなはお兄ちゃん大好き低学年なの。今日はお兄ちゃんとお風呂の日。裸のお兄ちゃんを、いっぱいゴシゴシしちゃうんだぞ……よりよってこれかよ」

「……藤木は一体何を言ってるのだね」

「冷静に突っ込むなよ……ええい、刮目して見よ!!」


 藤木は写真をスキャンして取り込むと、適当な画像処理ソフトで『私が一生懸命選びました』と書き入れて、父親のアドレスにそれを送った。暫くすると、受話器の向こうでピロリンと音がして、


「ん? ……メールが来たぞ。なんだろうか」


 と、父親が言ったと思うと、


「ふ……? ふおおおぉぉぉっーーーーーー!!!!!」


 と、今度はもの凄い絶叫が聞こえてくるのだった。耳がキンキンする。


「うるさいうるさい! 落ち着けっての!」

「ふ、ふふふ、藤木君? こ、これは一体……」

「ふっ……どうだい、これが、俺が見つけてきた究極のオナホ……アイドルが選んだオナホールだっ!! ……あ、その画像出回ると、割と洒落にならないから管理しっかりね」


 藤木が送った写真とは、立花愛がオナホと一緒に送ってきたものである。何を考えていたのか知らないが、オナホを片手にピースサインを決めている彼女を見て、一度は封印したのであるが……この間いろいろあって、なんかもうどうでも良くなったので送ってやった。


 写真を受け取った父親は、うーんとかふーんとか唸り声を上げながら、


「すると……いま、藤木の手元にそれがあると言うのかね?」

「うむ。これぞ究極だろ」

「確かに……これではお父さんも打つ手が無いぞ。なかなかやるなあ、藤木も」

「だから、もうこれでチャラにしろよ。あ、そうそう、そういや至高のあれもあるんだよ。今度帰ってきたら持ってけ、俺は要らんから」

「なんと!? 藤木は神であったのだろうか……」


 感心し、興奮冷めやらない感じの父親が、受話器の向こうでスキップでもしてるのだろうか、はあはあと息を荒げながら敗北を宣言した。


「まあ、使わないで待っててやるから、さっさと帰ってこいよ。つか、真面目な話、あんた出張ばかりでここんとこ、まともに顔も合わせてないんじゃないか?」

「ふむ、そうだね。出来れば私も早く東京に戻りたいものだよ。東京ドームもあるしね。では藤木君。そろそろ切るよ。いずれオナホを手に出来ることを楽しみにしている」

「なんだよ、マジでオナホのことを聞くためだけに電話してきたの?」

「うむ。まあ、概ねは。少し気になることもあったのだが、取り越し苦労だったようだ。では、オナニー中に失礼したね」

「だだだ、誰がオナニー中やねん!」

「……あ、ごめん……ホント、ごめん……」

「…………」


 会話が続かなくなり、それじゃあな……と言って電話を切ろうとしたときだった。藤木はふと、思いついて、父を呼び止めた。


「あ、そういや親父」

「……む? 何かね?」


 電話を切ろうとしていたのか、少しレスポンスが遅れて帰ってきた。


「いや、ちょっとつまんないこと聞くかも知れないけど。あんた……最後にこの家に帰ってきたのっていつだっけ?」


 滅多に帰ってこない父親のことだから、天使との接触も殆どないだろう。もしかしたら、自分に近しい人間の中では、影響が一番少ない可能性もある……そう思い、藤木は探りを入れるように言った。


「その時、天使になんか言われたりしなかったか? もしくは、そうだなあ……うちの学校で起きた事件のこととか覚えてるかな」

「ふむ……なるほど。接触が悪いと思ったが、そういうことか」


 何の気もなかった。父親が何か知ってるはずもないし、多分、それなりの答えが帰ってくるはずだと思っていた。


「藤木君、天使とは、一体誰のことかね?」


 ただ、何か天使のアラでも見つからないかと、カマをかけた程度のことだ。だが、帰ってきたのは、そんなものよりももっと意外なものだった。


「え? えーっと……天使って、妹のことなんだけど……」


 話しぶりからすると、どうやら父親は天使の存在自体を知らないようだ。確かに、これだけ出張出張で、ろくに家にもよりつかない奴である。天使も催眠術をかけるタイミングが無かったのではないか。可能性はなきにしもあらずだ。


 しかし、そうすると、父と母の間で、息子と娘の認識に差が生まれることになる。普段、この二人はどんな会話をしてるんだろうか……と、両親の仲を疑わしく思っていると、


「おかしいな、藤木君。そもそも、君に妹など居ないだろう。私をからかっているのかね」

「いや、そんなことは無いんだが」


 などと返されて、返答に困った。まいった……どう切り抜けよう。自分の想像上の妹だと力強く断言でもしてみようか……話が変な方向に飛ばないよう、修正を試みてみようと無い知恵を振り絞っていると、


「大体、藤木君。よくよく思い出してもらいたいものだが、君の父親とはどんな男かね」


 受話器の向こうからそんな言葉が聞こえてきて、体が固まった。


「最後に帰ってきたのはいつかと聞いたね? 逆に聞きたいのだが、君が最後に父親に会ったのは、いつのことだったのかね」


 何を言われているか分からなかった。ただ、心臓が早鐘のように鳴り響いていた。


「君は、私の顔を知ってるかね」


 ぼやけた輪郭すら思い浮かばない。


「君は、私の名前を知ってるかね」


 なにか良からぬことに巻き込まれているのは間違いないが、それが一体何なのか分からない。父がからかっているだけなのか、それとも藤木がおかしいのか。


 ただ、一つ言えることは、藤木は自分の父親の名前すら答えられない……ということだった。


「……お、おまえは、誰だ?」


 畳み掛けられるような問いかけに、とんちんかんな声が出た。気がつけば、口の中がカラカラに乾いていて、唇が裂けて血が滲んだ。


「誰と言われてもね……それは人間にとって、最も普遍で難しい問題だよ。藤木君。君こそ、一体何者なのか」

「は?」

「もっと、自分自身を見つめてみること……だ。天使と、言ったか……あの、可愛らしいお嬢さんは……」

「ちょっと待て、おまえはやっぱりあいつのこと知ってるんじゃないか!」

「私が……知って、いよう……が居まいが、も……詮無い、ことだろ……物悲しい……ね。私は、案外、君と……の、対話を楽しみ……に」

「おい! 親父!? 親父!!」

「君に……は……いない」

「おいっ! おいぃぃーー!!!」

「究極のオナホ……欲しかった……」


 そんな間抜けな言葉を最後に残し、父との通話は途切れた。


 何が起こってるのかさっぱり分からなかった。


 ツーツーと機械音が寂しく鳴り響く。藤木はハッと我に返ると、すぐさま父親に折り返し電話をかけようとした……しかし、アドレス帳を開いても、父親の名前はどこにも見つからなかった。そもそも、どんな名前も思い浮かばない。


 どうすべきか……


 不測の事態に成すすべも無く、スマホを取り落とした藤木は、パソコンチェアに腰を埋めて頭を抱えた。


 父親が居ない? じゃあ、今まで話していた、あいつは一体……いや、それもそうだが……そもそも、天使はどこへ行った。帰りの遅い天使を思い、嫌な予感がした。


 あいつは……藤木の父親を名乗っていたあいつは、藤木に妹は居ないと言っていた。


 藤木はそれを思い出し、部屋の押入れを開いて中を確かめた。そこには、人一人が入れるだけのスペースがあり、誰かが使っていた形跡のある枕と、そしてその横に一枚の紙切れがポツンと置かれていた。


 藤木はそれを手に取った。


『問、究極のオナホを壊したのは誰か?』


 なにこれ……


 そこに書かれていた文字を読んで、藤木の混乱はピークに達した。


 多分、このメモを残したのは天使だろう。しかし、じゃあなんで天使がこんなことを気にするのか?


 いくら考えても、その答えは出てきそうに無いのである。


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