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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
3章・パパは奴隷でATM
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めんが伸びるぞ

 無残に壊されたオナホを前に、男たちは号哭した。


 水分を含んでぐちょぐちょになったカーペットに跪き、全身がびしょ濡れることも厭わずに、打ち捨てられた幾ばくかの部品をかき集めては、その死を悼み咽び泣くのであった。


 オナホは滅茶苦茶に引きちぎられ、文字通り八つ裂きにされていた。覆水は盆に返らない。


「一体誰がこんなことを!」「許せない、警察を呼ぼう!」「事件だ、事件だ!」


 誰からとも無くそんな声が上がったが、新垣ノエルは家財道具の全てをボロボロにされた惨状を目の当たりにしながらも、ただ悄然とした顔を崩さずに、ぼんやりとした口調でこう言うのだった。


「……帰ってくれないか」

「え?」「しかし、お兄さん……!!」

「帰ってくれ」


 その有無を言わさぬ口調に、みなが唖然とする。


「警察は呼ばない。こうも部屋が滅茶苦茶では、今日は泊まるのも無理だろう……ぐずぐずしてると終電に間に合わない。さあ、早く帰るんだ」


 一方的に宣言すると、グイグイと藤木たちを玄関へと追いやった。


 警察を呼ぶべきだ、せめて部屋の片づけくらいは手伝う、と言う男たちの言葉を聞かずに、新垣はただ無言で彼らを部屋の外まで押しやると、玄関の鍵をカチャリと閉めた。


 閉ざされた扉の向こう側で、チェーンロックの音が響く。


「なんだよ、これ……」


 呆然と立ち尽くす4人のうち、誰かがそう言った。その呟きは高速道路の騒音に消されて、殆ど聞こえなかった。


 さっきまで、あんなに気分が良かったのに……一瞬にしてアルコールが抜けてしまったかのように、今はみんな白けてしまって、お互いに顔を見合わせることすら辛かった。


 ただ、閉め出されてしまっては仕方ないので、プリプリと怒りながらエレベータに乗って階下へ向かい……向かいながら新垣の態度に憤り……池袋駅へ続くホテル街を歩きながら、道行くアベックを威嚇するかのように、オナホをぶっ壊した何者かを意気軒昂として糾弾した。


 しかし、その勢いも駅に着くころにはすっかり鳴りを潜め、気がつけば誰も言葉を発さなくなっていた。4人は4様に別々の方向を向きながら、まだお盆休みで人の少ない車内で、憮然とした表情のまま肩を並べて座っていた。


 あの理不尽な行いを一体誰がやったのか……冷静になってくると、その容疑者はただ一人に絞られる。もしもその想像が正しければ、新垣が何も言わずに藤木たちに帰れと言った理由も頷ける。


 しかし、何故? さっぱり分からない……


「なあ、藤木……」

「ん?」

「白木さんに、今日のこと、報告してみたらどうか。連絡先知ってるだろ」


 諏訪がぼそりと言った。


 藤木はその言葉に答えずに、ただ、取り出したスマホを左右の手でお手玉しては、低い唸り声を上げた。


 大原も佐村河内も、時折藤木の方を向いて何かいいたそうな顔をしては、結局は何も言わずに黙っていた。みんなの言いたいことは分かっていた。


 しかし……みんなだって何て言っていいかわからないだろうに……


「……ユッキーに電話するわ。あの人も手伝ってくれたんだし……報告しとかな」


 誰も何も言って返さない中、藤木はアドレス帳を開くと、立花倖の番号を呼び出した……1回、2回とコール音が響き……今度は別の誰かではなく、本人が出た。


「もしもし? 何の用かしら。さっき別れたばかりでしょう」


 さっきと言うほどでもないのだが……ガタンゴトンと電車に揺られながら、藤木は倖と別れた後のことを報告した。


「ふーん……そりゃ、白木が怪しいわね」


 言いにくいことをズケズケと言う。


「家の鍵を持ってて、飲み会の途中で抜けたんなら、他に疑いようがないじゃない。でも、そんなことする理由が無いわよね。本当に盗難事件かも知れないから、警察に通報したらどうなのよ」


 確かにそう思うが、新垣はそうしたくないようであった……それじゃ仕方ない。


「タダ働きさせられた挙句に、それが全部無駄になるなんて……普通なら怒るところなんでしょうけど。まあ、別にいいわよ。元々、あんなものに手を貸したいなんて思ってなかったもの。無くなってせいせいしたわ……あら、もしかして、白木も同じように思ってたんじゃないかしら。核心ついちゃったかも知れないわね」


 などと言いながら、倖は電話を切った。


 核心などと言っていたが、多分、彼女が言うようなことはないだろう。白木の兄は確かに変態で、穴があったら生き埋めにしてやりたいような、家族の恥であるだろうが、白木も存分に破廉恥を剥き出しにした変態なのだ。


 同属嫌悪でもない限り、同じ穴のムジナが傷つけあったりすることはないだろう。


「立花先生なんだって?」


 電話の切れたスマホの画面をじっと見ていたら、隣の席の諏訪に聞かれた。


「……白木さんが怪しいんじゃないかってよ」

「……ああ、まあ、そうなるよな……やっぱり」


 他の二人もそう思っていたようで、全員意見が一致したように頷きあったが、それ以上言葉は続かなかった。


 結局、4人はそれ以上会話することなく、無言のまま七条寺駅まで帰ってきた。1週間も空けてしまったホームに帰ってきて人心地ついたのか、大きく伸びをしながら、佐村河内が言った。


「……じゃ、新学期」


 みんなにそれぞれ挨拶を交わしてから、彼はいつも通り表情を変えることなく、一人乗り換えのホームへと向かった。


 多分、彼の言うとおり、次に会うとしたら新学期なのだろう……ここ数日の、内容の濃い日々を共に過ごしていたからか、なんとなくその事実が寂しく思えた。


 3人でしんみりと、その背中を見送っていたら、彼は乗り換えのホームへ向かう階段を登りかけてから、くるりと振り返り、


「楽しかった」


 と、一言だけ言って、またくるりと振り返って階段を登っていった。


「……そう、だな。楽しかった」


 残された3人のうち、誰かがそう言った。確かに、楽しかった。


「なんか、合宿みたいだったよな」


 みんなで狭い部屋に雑魚寝して、同じ夢に向かって、一心不乱に打ち込んだ。たとえそれがオナホ製作であったとしても、かけがえの無い経験だったと思う。


 材料はある。データのバックアップも全部とは言えないが、かなりの部分残ってる。プログラムも問題ない。だからもう一度作ろうと誰かが言い出せば、多分、すぐにまた作れるんじゃないかと思う。


 しかし、もしもそう言われても、藤木は断るんじゃないかと思っていた。多分、他の二人も似たような気持ちなんだろう。あれはただ一度きりの奇跡の集大成で、次に作るとしても、それは量産品のまがい物であり、きっと心震えるようなあの時の気持ちはもう戻ってこないのだ。


 あれは、真夏の夜の夢のようなものだったんじゃなかろうか。


「帰ろうか……」


 藤木たちはそう言うと、南口ロータリーから深夜の住宅街へと歩き出した。終バスはとっくに行ってしまった後だった。


 3人は無言のまま、薄暗い夜道を歩いた。人通りの少ない歩道に、不規則な3対の足音が響いた。


 やがて分かれ道が来て、大原と別れ、そして藤木の団地まで来て、諏訪が手を振った。しかし藤木は、別れの挨拶の変わりに、


「なあ、今日、おまえんち泊めてくれない?」


 と、訊ねるのだった。


「ん? 別にいいけど……どうしたよ、一体」

「いやあ……母ちゃんから早く帰って来いって、散々留守電入ってたからさあ……帰ろうにも勇気が要って」


 等と言い訳をして、藤木は諏訪の家に泊めてもらうことにした。


 本当は、天使のことが頭の中にあった。倖に指摘され、彼女がおかしいことには気がついた。だが、これからどうしようか、それはまだ迷っていた。




 日焼けしそうな夏の強烈な日差しに起こされた。


 昨晩は諏訪の家に着くと、二人とも殆ど会話もなく、すぐに眠ってしまった。前日は徹夜だったし、アルコールも入って、よほど疲れていたようだった。ついでに多分、気疲れもあったと思う。


 起き抜けに欠伸をかまして部屋の中をぐるりと見渡してみると、部屋の主である諏訪の姿は見えなかった。家人の生活音が聞こえてくるので、家が無人というわけではない。多分、朝飯を食べにいったか、シャワーでも浴びてるのだろう。


 その内帰ってくるだろうと思い、エロ本が出しっぱなしな机の前に腰掛けて、パラパラとページを捲りながら、ぼんやりと考え事をしていた。


 一晩経っても、天使のことをどうすべきか、結論は出ていなかった。


 ぶっちゃけ、倖の言うとおり天使が怪しいことは確かだった。だが、それでどうしようかと問われると、中々結論が難しいものがあった。


 おい、おまえ、何か嘘ついてるんじゃないか? と畳み掛けて、はい、嘘ついてましたと言われたとして、その後どうしようと言うのだろうか。追い出すのか? それとも、本当のことを質して、自己満足を得るのだろうか。


 仮に追い出したとして、その後自分はどうするのだろう。今はアレが役に立たないが、復活したら多分またテクノブレイクを繰り返すだろうし、その時のフォローは誰がやる? いや、それはまあ、今でも天使よりも小町の方に負担がかかってるのだから、それほど変わりはないが……困るとしたら、最近は母ちゃんの餌を彼女が作ってるので、それくらいだろうか……いや、それくらいと言うか、家事全般は彼女がやってるのだ。それ、凄い困らないか?


「うーむ……」


 正直、ここ数ヶ月一緒に暮らしてきて、情が移っている面もある。


 特に、何か悪さをしているわけでもない。寧ろ、良いことばかりのような……いや、しかし……


 彼女が何かを隠してることは間違いないだろう。それが藤木のテクノブレイクに関わることも明白だ。果たして、それが何なのか、凄く気にはなる……気にはなるが、しかし、そのために、彼女との関係を悪化させるのは、果たして得策なのだろうか?


 ……何も、敵対したいわけじゃないのだ。話題を出したら多分はぐらかすだろうし、それを見逃すのも、多分出来ないだろうし……あー、もう。難しい。やはり、そう結論を急ぐことはせずに、暫くは様子見をしてみたらどうだろうか……


 そんな風にグズグズグズグズと考えているときだった。


 トントントンっと足音を立てて、諏訪が電気ポットを抱えて部屋に帰ってきた。


「お? 藤木、起きたか。朝飯、カップめんでいいだろ?」


 もちろん、文句あるわけが無い。藤木がカップめんにお湯を注ぐと、諏訪が訊ねてきた。


「今日はどうすんだ? なんかするなら付き合うし、家に帰るならそれもいいし」

「ああ……一度、家に帰ろうかと思うわ」


 やはり、取りあえずは保留にしとこう。そして、天使のことをもう少しよく監視してみよう。何かボロを出すかも知れないし、追求するのはそれからでも遅くは無いだろう……


 頭の中で言い訳しながら、諏訪とカップめんが出来あがるのを待っている最中だった。ピロロロロっと、耳障りな音がして、スマホが着信を告げた。


「もしもし?」

「あ、藤木?」


 着信を見れば、立花倖と書いてある。天使のことで少し尻込みしていたら、このタイミングで電話である。どこかに隠れて見張ってやしないだろうか……思わず辺りをキョロキョロ見回しながら、藤木は言った。


「よう、どうしたんだよ、朝早くから」

「もう昼近くでしょ。あたし、明日から学校なのよね。だから今日中に済ませときたかったのよ」

「なんのことだよ」

「昨日、新垣氏の家が滅茶苦茶にされてたって言ったわよね」


 天使のことかと思ったら、そっちじゃなく、昨日のオナホ破壊事件の方だった。


「ああ、酷いもんだったよ。それが?」

「他にも色々あったから、少し気になって調べてみたのよ。ほら、彼の以前の発明品、自家発電機をあたしの会社が扱っていたって言ったでしょ」

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな」


 ベンチャーキャピタル時代、売り込んできたそれを倖が拾い上げて、別部署に回しただかなんだか言っていた。


「その発明自体は馬鹿馬鹿しいものだったけど、技術に関しては目を見張るものがあったのよ。だから、てっきり商品化されてるか、少なくとも特許くらいは押さえてると思ったんだけど、どうも彼の話を聞いてたら、そんなこと一切ない感じだったのよね。で、こっちの会社に電話して、あれがどうなったのかって尋ねてみたのよ」

「ほう、どうだった?」

「それが、担当者に言わせると、彼の方から取り下げてきたらしいのよ」

「……え?」


 それは解せない。商品化される、金になると言ってるのに、それを拒否したというわけか? オナホで一発当てようとしていた彼らしくもない。もう、親に働けとは言わせないとかも言ってたはずだ。


「サンプル品が帰ってきたら、使用済みでカビが生えていた。こんな杜撰(ずさん)な管理をするところとは取引できないって言われて、担当者がぶちギレたらしいわよ。そんで良く覚えてるんだってさ」

「……使用済みだったの?」

「担当者は、そんなわけないって激怒してたわよ。でも、そんなの調べようがないから、他部署にまで噂が立っちゃって、えらい大恥をかかされたって。名誉毀損で訴えるとか言ってたらしいけど……結局は、言い訳が酷いけど多分、もっと条件の良いとこに引き抜かれたんだろうってことで、気分は悪いけど忘れることにしたそうよ。そのうちどこかから商品化されるんだろうなって、それでその話は終わりになったそうだけど……」

「……そうではなかった」

「ご名答。あれは商品化されなかったし、その技術が特許になったりもしてないの。つまり、他の会社に取られたわけじゃなかった。それじゃ、新垣氏は一度売り込みにいった商品を、難癖つけてまで取り消したってことになる。普通、そんなことしないわよね」

「そりゃそうだ。はて? なんでそんなことになっちゃったんだろ」

「つまり、今回と同じようなことが、以前にもあったってことじゃないかしら。商品化の目処がたった瞬間、何者かによって妨害されたとか……」


 その妨害した人物が誰かは、言わなくても分かるだろうとでも言いたげだ。


「なるほど……辻褄はあいそうだけど……いや、しかし、待てよ。どうしてそんなこと俺に言うんだ?」

「だって、どうせ調べるんでしょう? このままで済ます気だったの?」

「………………」


 まあ……ぶっちゃけ、天使のことで気もそぞろだったが、


「あの男は変態だけど、ただ変態ってだけじゃないわ。本人にその気があるのなら、世に出たほうがいいと思うわよ。それこそ、ほっといたらただの性犯罪者になりかねないし」

「いや、もう十分性犯罪者なんだけどね。一度捕まってるし」


 溜め息混じりにそう返していると、らーめんをずるずる啜りながら諏訪が言った。


「おい、藤木、めんが伸びるぞ」


 意外と話し込んでしまって、結構な時間が経っていた。その間、カップめんはほったらかしだったので、今から蓋を開けるのが怖い。


「少し、気にはなってたんだ。これからどうするかはまだ決めてないが、とにかくありがとうよ」

「どう致しまして」

「それじゃ、また学校で……」


 そう言って、藤木が電話を切ろうとしたら、


「あ、ちょっと待って」


 と制された。いい加減にしないとカップめんが伸びてしまう。他にも用事があるなら、またかけなおしてくれと言いたかったのだが、ガサゴソガサゴソと耳障りな音がして諦めた。多分、彼女が通話口を塞いだ音だろう。


 そのまま1分近くも待たされて、なにやってんだとイライラしつつ、もう切ってラーメン食べちゃおうかな……などと割り箸をパチパチやってるときだった。


「あ、あの……」


 受話器の向こうの遠いとこから、か細い声ながらも、とても耳障りのいい声が聞こえてきて、思わずスマホを取り落としそうになった。


 その声には聞き覚えがあった。


「もしかして、成実ちゃん?」

「……はい」


 声の主は肯定すると、また暫くの沈黙が続いた。時折、深呼吸するような息遣いが聞こえる。藤木は急かさないように、じっと待った。


 そして、長い沈黙の後に出てきた言葉は、お礼の言葉だった。


「あの……あり、ありがとう……ございました」

「お礼を言われるようなことは……」脊椎反射で言いかけて、「あったなあ~」と、ため息が漏れた。


 と言うかすっかり忘れていた。そういや、彼女の依頼を受けて、アホなことをしでかそうとした姉を連れ出しに行ったのだ。


 立花愛にからかわれたり、お見合い会場に取り残されたり、口八丁で切り抜けさせられたり、ついでにオナホを作ったり、盛りだくさんですっかり忘れてた。


 たった二日前の出来事なのに、もう大分昔のことのように思える。


 藤木はそれを思い出し、苦笑しながら言った。


「何事もなくって良かったよ。まあ、お姉さんももうしないって反省してたから、許してあげようぜ」


 だからもう、一人になりたいなどとは言わないで欲しいと、そんな風に思っていた。しかし、


「あ、あの……そうじゃなくて……」


 返ってきた言葉に首を捻った。


 はて、なんだろう? ここで急かしたりも出来ない相手なので、じっと続きを待っていると、


「そ、それも、ありがとう……でした。でも、あの……」


 また姉さんが何かやらかしたか? それとも、また何か他に頼みごとでもあるのだろうか? もちろん、あるならそれに応える気はある。どんと来なさい、などと思いながら待っていると、


「ありがとうございました」


 あいもかわらず、彼女は同じ言葉を言うのである。


「えーっと? 何?」

「あのあの……ありがとうございました。私を助けてくれて」


 でもニュアンスが違った。最初は何を言ってるのか、さっぱり分からなかった。だって、そんなつもりは毛頭なかったのだ。だから本当に不意打ちだった。


「あの……嘘しかない日々から、私を連れ出してくれて……ありがとうございました」


 彼女の言う嘘しかない日々とは、多分、自分を北辰愛であると偽った、あの日々のことだろう。辛い現実から目を背けて、自分に嘘を吐くしかなかったのだ。


 けど、それは今よりもずっと優しい日々だったに違いない。楽しいことも、たくさんあったに違いない。だからきっと夢を見続けていたほうが、彼女は幸せなんじゃないかと思っていた。


「ありがとう……ございました」


 忘れて暮らしていたほうが、何も悩まずに済んだだろうに。少なくとも、現実なんて何一ついいことなんてありゃしないのは確かだった。だが、それを無理矢理連れ出してしまったのは自分だった。そんな権利なんて誰ももってないと言うのに。


「ずっと、それが言いたかったです」


 ごめんなさい、と言って彼女は返事を待たずに電話を切った。


 ツーツーと鳴るスマホを耳に当てたまま、藤木は固まって動けなかった。


 良かったのか、これで……ホッとするよりも、胸が苦しかった。でも、良かったのだ、これで……


「おい、カップめん伸びてるぞ……なんなら俺が食うか?」


 ボーっとしている友人に痺れを切らして、自分の分を食べ終わった諏訪が言う。


「……おまえ、泣いてるのか?」


 泣くものか。


 藤木はカップめんの蓋を乱暴に開けると、水を吸って膨張した麺と一緒に、ずるずると鼻水を啜った。


 塩味しかしなかった。


 自棄食いのように麺をかきこむ藤木の前には、中身が入ったままの液体スープとか書かれた袋が、空しく置かれていた。


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