ザ・ライト・スタッフ
割と本気で目をあわせたくないのだが、とは言え、来てしまったからには仕方ない。鼻血をだくだくと流し続ける兄に代わって相手をしてやらねばならない。
藤木たちが白木兄妹の過去の話を聞いていたリビングに、いつの間にか現れ、ぜえぜえと肩で息をしている白木に対し、藤木は言った。明後日のほうを向きながら。
「ごきげんよう……白木さん、どっから出てきたの、あんた」
「陣中お見舞いのつもりで立ち寄ったのですが……どうやらお取り込み中だったご様子で、邪魔をしないようにと静かに入ってきたのですが」
そしたら兄である新垣ノエルの声が聞こえてきて、凶行に及んだのか、なるほど。
「ところでそちらの方は……あら? どこかでお見かけしたことがあるような……」
「それはこっちの台詞ね。あんた、確か生徒会に居なかったっけ?」
厳密には生徒会役員ではない。藤木が嫌々生徒会の仕事をさせられていたとき、率先してお手伝いをしてくれただけである。白木は立花倖の台詞を聞いて、思い当たったらしく、
「まあ! 立花先生ではございませんか。お見苦しいところをお見せしてしまって恐縮ですわ。どうしてこちらに?」
「ホント、どうしてかしらねえ! そこの凶悪変態犯罪予備軍みたいな男にハイエースされたからじゃないかしらね! あたしは帰りたい、帰してって言ってるのに」
「だれが凶悪変態犯罪予備軍だ、人聞きの悪い。えーっと、色々あって、ユッキー……立花先生が、お兄さんのオナホ作りに役立つと思って、連れてきたんですよ」
「オナホ作りに役立つって……どう役に立つのよ! 死にたくなるから、もう少しマシな言い回しを考えなさいよっ」
「まあっ! でしたら立花先生も、私たちの同志。男女間の性欲にまつわる根源的な欲情に興味津々な方でしたのね?」
「誰が変態だああああ!!! 帰る! もう帰る! 放せっ! 放してよおーっっ!!!」
「きゃあっ! 優しげな言い回しを考えたのに!」
「おい、暴れんな! そっち押さえろ」
ぎゃあぎゃあと大暴れする女性を男4人で力ずくで押さえつけていたら、鼻血を流しながら倒れいてた新垣が目を覚ました。
「う、う~ん……はっ! なんだこれは、レイプ現場か……おや、安寿ではないか。いつの間に来たのかい?」
「ごきげんよう、お兄様。寝るときはちゃんとお腹を暖めないと風邪を引きますわよ」
「うむ、気をつけよう」
それでいいのか? もの凄い暴力を受けていたはずなんだが……鼻血は未だに流れ落ちている。
新垣が意に介することなく、ティッシュを丸めて鼻に突っ込んでると、モジモジしながら白木が言った。
「ところでお兄様? 例のオナホはもう完成したのですか?」
「ん? いや、まだだが……しかし今日、同志藤木が連れてきてくれた強力な助っ人のお陰で、その目処が立ったばかりなんだ。あと少し……あと少しで、念願のアイスソードじゃなかった、オナホが完成するぞ!」
「まあ! でしたら、これはもう、用済みでしたでしょうか……」
「ん? なんだね、そのディスクは」
兄にそう問われると、白木は少し恥ずかしげな素振りを見せながら、白紙のジャケットに入ったメディアを渡した。
彼はそれを受け取ると、裏表をひっくり返し何も書かれてないことを確認してから、中身を取り出してパソコンの光学ディスクドライブに突っ込んだ。
「おお! これはっ!」
自動で起動された3Dモデリングソフトが立ち上がるとそこには、藤木たちがフリーの素材から作ったものとは、比べ物にならないほど精巧な3Dモデルのデータが表示された。藤木たちは兄を押しのけて、モニターにかぶりつくと、その出来を思いつく限りの誉め言葉で賞賛した。
「凄い」「最高」「偉い」
「うふふふふ。そんなに誉められましても、何も出せませんわよ」
「しかし、いいのか? 安寿よ。君は曲がりなりにもプロ。私達の怪しげな発明に協力することで、迷惑がかかったりしないだろうか」
「問題ありませんわ。普通に18禁エロ同人描いてますから」
そういやそうでした。
「そうか……それは心強い。ありがたく頂戴することにしよう……ふふふふふ……ふははははは……ふわああははははははははは!!! みんな聞いてくれ! 私たちは今日、ここに新たな武器を得た! 新戦力を得た! そして希望を得たのだ! 私達こそ本物のドリームチーム。これらが融合したとき、本当のパラダイスを知るだろう。思えば長い道のりだった。時には挫けそうにもなった。だが、約束のときは近いぞ。さあ、みんな、あと少しの頑張りだ。一致団結して目指すんだ。我々のホープスター、究極のオナホを得るために!」
「おおー!!」「やんややんや!」「わーわー!」
「ところで、新戦力はどこいった? トイレかな?」
「はっ!?」
白木を含めたオナホ製作ドリームチームが小首をかしげる中、藤木一人だけが青ざめた。
しまった、新垣の演説を聞き入ってるうちに、立花倖を拘束する手を緩めてしまった。部屋を見渡しても、もうその姿は見当たらない。
藤木はガタンと椅子をなぎ倒し、音を立てて立ち上がると、急いで玄関へと向かった。目を放したのはほんの数分。まだそんなに遠くに行っちゃいない……全力でとっ捕まえて引きずり戻さなくては……
「はーなーせー! やだー! 放してー!」
と、思ったが、玄関先で佐村河内に捕まっていた。彼はまったく表情を変えることなく、倖の首根っこを捕まえると、藤木の方へ小突いて押し戻した。
「ナイスだ、佐村河内。おまえが性器にしか興味の無い男で、本当に良かった……」
本当か?
対する倖は涙目になりながら、ぎゃあぎゃあ騒いでいた。
「いーやーだー! 放せっ! 放してよー! こんな人権保護団体が行列を作りかねない面白軍団と一緒に居たくない!」
「おいこら、本当に人権保護団体に通報するぞ」
こうして、新たな戦力を得たドリームチームは、究極のオナホ作りを再開したのであった。
時に、男たちは押し寄せる理不尽な力に負けそうになった。
「なあ、マンティコアってさ……略すとマンコだよね」
「マンコだな」
「RPGとかでさ、マンコと戦ってると思うと、ぐっと来るものがないか?」
「マンコに、俺のエクスカリバーを突き刺してると思うと、やる気出る気もするな」
「ああ、そうかも……」
「なあ……そんなら、ちりめんじゃこは、チンコじゃね?」
「ホントだ。チンコだ……」
「チンコ食べてえな……」
「チンコ、チンコ食いたい……」
「チンコ」「チンコ」「チンコ……ああ……」「チンコー!」「オティーンティーン」
「がああああああ!! 眠いからって変なテンションになるんじゃないっ」
時に女は未知に対する不安に慟哭した。
「ああ゛あ゛あああ゛ああ゛ああ!! もうやだ! おうちかえる! 帰して」
「うっせえな! いい加減諦めて作業しろよ! もう聞き飽きたんだよ!」
「う……ううぅぅ……大体、このおっぱいスライダーってなんなのよ……なんでこんなの作るために、あたしが苦労しなきゃなんないの。軽く死にたくなるんだけど」
「それはですね、スライダーをスライドすると、おっぱいが大きくなったり小さくなったりするんですよ」
「知ってるわよ! あたしが作ってるんだから! それくらい分かるわよ! こんな機能をわざわざつける必要あるの? って聞いてるの」
「そりゃ、男はおっぱいが好きだからな。色んなおっぱいがあったほうがいいじゃないか」
「でも、これって女の子はそのままなのよね? おっぱいだけが大きくなったり小さくなったりするのよね? なんか豊胸手術してるみたいで、馬鹿らしくならないの? その子のことを好きなら、大きさなんて気にならないものなんじゃない? 大体、いくらおっぱいが好きでも、おっぱいと結婚する男はいないでしょ」
「え?」「ああ、うん」「…………」「そう、かな?」「……………………」「…………………………………………」「……………………………………………………………………………………」
「……おっぱいスライダー、必要なのね?」
「うん」
時に男たちは……隣人に怒鳴り込まれた。
「俺さ、オナった後とかに良く考えちゃうんだけどさ」
「なにを?」
「親父が子供の頃からしこった回数とか、とんでもない倍率を勝ち抜いて、俺が生まれてきたんだろう? そう考えると、今俺が出したこれって、もの凄い奇跡的なものなんだなって」
「1回で数億匹だっけ? まあなあ、そう考えると天文学的な数字だもんな……」
「11歳で精通して、26歳で親になるとしてだな、1日1回必ず射精し、1回の射精につき3億の精子が出ると仮定すると……」
「1兆6千億くらいか……」「多いのか?」「いや、思ったより少なくないか?」「つーか、おまえ、さっきオナニー部屋行ったとき、ちゃんと手洗ったんだろうな」
「バカッ! 当たり前だろう、女の人も居るのに……」
「女として認識してるなら、もうその手の話はやめてちょうだい、さっきから頭が痛くて仕方ないの」
「ところで、ほら、精子って意外としぶとくてさ、膣の中で1週間くらい生き延びてるって言うじゃん?」
「聞いちゃいないわね……」
「うち、家族共用パソコンだからさ、あれでオナったあと、マウス操作してズリネタ閉じてるとき、よく思うんだよね……」
「どんなん?」
「いま、俺の右手に見えない精子が付着してるとして、それがマウスに移動するとするじゃん? そのあと、母ちゃんがマウス操作して、知らず知らずのうちに俺の精子が右手に付着するとするじゃん? そして母ちゃんが風呂とかトイレであそこに触れたとき、もしも俺の精子が膣に移動したとしたら……」
「う……うわあああああああ!!!!」「ぎゃああああああああ!!」「お、おまおま、おまえは、なんちゅー恐ろしいことに気づいてしまったんだ!」「やめて! もうやめて! 俺のライフはゼロよ!」「って、うわっ! ユッキー何でキーボード投げんの!?」
「あんたたち、今すぐクレンザーで全身除菌してきなさい!」
「いたたっ! 痛いからっ!」
「もうやだ! こんなとこで作業なんて出来るわけないでしょ! 帰して! おうち帰して!」
「やべえ、なんか知らんが錯乱した! 押さえろ! そっち押さえつけろ!」「よしきた! 大人しくしろ、このやろう!」
「放せっ! はーなーせー! 妊娠するー! やだああああ!!!」
「ドンドン!! おまえら五月蝿い! 何時だと思ってるんだ!!!」
「……すみません」
そしておよそ1日の時が過ぎた……もう、殆ど完成していたから、その時は意外なほど早く訪れた。
夕映えの北池袋のマンションの一室に、肌色の光沢を鈍く光らせたそれが屹立していた。
見ているだけでその柔らかさが、股間にダイレクトに伝わってきそうなそのフォルムは、シンプルな円筒形をしていた。その切れ込みは卑猥に捻じ曲がった穴とは違い、一本筋のようにぴったりと閉じられている。
聞いたことのないような団体に、ベストデザイン賞を貰ってもおかしくないそのキャッチーな姿は、大人の玩具ではなく、正にジョイトイ(注・同じ意味です)。これなら話のネタなどと嘯きながら、むっつりDQNたちも抵抗なく受け入れられることだろう。まさに理想の姿をしていた。
しかし、そのナンパなフォルムとは裏腹に、その中身は信じられないほど妥協を許さない剛直な技術の粋が詰まっている。
ホールのひだの一本一本にまで圧力を感知するセンサーの数々。円筒より突き出た電極からその信号を受け取り、適切な処理を行う小型コンピュータ。コンピュータはヘッドマウントディスプレイに繋がっており、そしてそれを装着すれば、信じられないことに目の前に、はつ○ねみ○くのような素敵な女の子が突如として現れるのだ! そう、君の恋人として!
ここにあるのはARの粋を極めた、ハイテクオナホ。
新垣ノエルの自家発電機を応用した、オナホコントローラー。
白木安寿のプロの漫画家が作った3Dキャラクターモデル。
藤木たち同人野郎のこだわりにこだわりぬいたモーションの数々。
そして立花倖の全面監修により生まれ変わった最適化プログラム。
男たちの夢の詰まった……究極のオナホが完成したのである!
「……完成だああああああああ!!!!!!」
「わああああ!」「やったー!」「俺たち、やったんすね!」「ばんざーい」「おうち、帰して……」
もう少しで完成する。そう連絡されて駆けつけた白木が兄に花束を渡した。
「おめでとうございます! お兄様。お兄様ならきっとやれると信じていましたわ」
「ありがとう、安寿……でも、これは私だけの力では成し遂げられなかったことなんだよ。藤木君、諏訪君、大原君、佐村河内君。君たちのあくなき性への探究心と、エロに対する情熱がなければ成しえなかった。そしてタチバナ先生の頭脳なくしては、これほどまでのプログラムを組むことなんて出来なかったのだ。ありがとう……本当にありがとう……全部、君たちのお陰だ!」
「お兄さん……」「お兄さん」「いや、兄貴!」「いいからもう帰して」
ぐったりと床に這い蹲る倖を尻目に、藤木は言った。
「でも、完成したのはいいですけど、これからどうするんですか? 前の発明みたいにどっかに売り込みにいくんですか」
「馬鹿だなあ、藤木君は。私達には、全国数十万の顧客がすでにいるではないか」
「と言うと……はっ!?」
藤木に答えるまでも無く、新垣は黙ってズボンを脱いだ。ぐったりと床に平伏していた倖が飛び上がった。
「ぎゃああ! なに脱いでるのよ!? 急に」
「そうか……超越者たち……お兄さん、いまから生放送するんですね?」
「そうとも。元々私は、彼らに売るために開発資金を募っていたのだ。出来たのなら、すぐにでもプレゼンしなくてはな。生放送でオナホ。つまりナマホ? 日本人の誰もが欲しいと思ってる、あこがれのナマホを、お兄さんはこれからやっちゃうんです」
「やべえ……超会議のあとオフパコ間違いなしだわ」
「さあ、分かったのなら、少々部屋から出て行ってもらえないか。生放送の邪魔になるからな……それとも、一緒に出る?」
床に這い蹲る倖を引きずりながら、一同は部屋から退室した。何が起こるのか分かってない倖一人が戸惑い、
「ちょっ、一体何が始まるって言うの?」
と問うてきたが、一同は黙して語らなかった。いや、多分、何するか言ったら凄い騒ぎそうだし……
え? なに? なんなの? と戸惑う倖を他所に、藤木たちは玄関脇の小部屋(オナニー部屋)に集まると、身を寄せ合って、時が来るのを待った。部屋の片隅で、佐村河内が一人でカタカタとノーパソを弄っている。
その薄気味悪さに倖が眉を顰めて警戒しているときだった。
「うほおおおおお! うほほほおおおおお!! しゅごいっ! しゅごいよほほほほおおおお!!!」
リビングから突然、聞こえてはいけないような、公序良俗に反する雄たけびが上がった。
「しゅっごいっっ! しゅごひよほほほおおっ! こんなの無理っ! 死んじゃうっ死んじゃうっ! こんなのもうオナホじゃない! セックスだあああああ!!!!!」
そして、一際大きな絶叫のあと、突然の沈黙が訪れた……それはとても、長い長い沈黙だった。誰もが我を忘れて、時が止まったかのように動けなかった。
藤木たちは息を潜めて、じっと推移を見守った。倖が耐え切れずに声を発した。
「な……なにあれ……」
その言葉を合図として、時が動き出したかのように、藤木たちが喋り出す。
「佐村河内? どうだ?」「ん……」「10……20……100……1万!? す、すごい……どんどんカウンターが上がってる」「やった……俺たち、やったんだな」
「な、なにをやったのよ?」
ごくり……唾を飲み込みながら、倖が訊ねた。
藤木たちは意気揚々と、ノートパソコンのモニタに映るホームページを見せてきた。その中央のカウンターが、いま目まぐるしく動いている。
「俺たちのオナホが……俺たちの究極のオナホが、いま、これだけの人たちに支持されてるのさ」
「つまり、どういうこと?」
「この人たちは潜在的な出資者……引いては、未来の顧客なのさ。つまり、俺たちのオナホはいま、大ヒット商品としての第一歩を歩き出したんだよ!」
「やった! やったよお!」「うわあああ」「お、おれ……感動して、涙が」「皆さん。本当にありがとうございました……私の、兄のために……くぅ……」
感動して抱き合い、号泣する変態どもを尻目に、倖はノートパソコンのカウンターを見つめていた。
表題には現在の超越者数とあり、どうやら新垣への出資を約束した者たちの登録数がカウントされてるらしかった。一口いくらかは知らないが、その数に1000でもかけたら、数年は遊んで暮らせそうな数字になる。もし、これが本当なら、割と凄いことなのであるが……
「馬鹿ばっかだわ」
とりあえず、プログラムの面倒は見てあげたけど、自分の名前を絶対に漏らさないように口を酸っぱくして言って置こうと、倖は心に誓うのだった。