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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
3章・パパは奴隷でATM
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全力で寄生したるわ!

 開いた扉の中で、見るからに偉そうなお歴々が、一斉にこちらを振り向いた。これだけの人数に一斉に睨まれたら、とんでもないプレッシャーだろうに、そこにいるのは、皆どう見ても一般人ではなかった。


 左手には立花家の関係者だろうか、いかにも業界人っぽいこなれた装いの人物がずらりと並び、他方、右手には仲手川家だかなんだかが、いかにも上流階級っぽい者たちが上品な服装ですわっていた。


 って言うか、本当にこれお見合いなの? 結納とかそんなものに近いのでは無かろうか……出席者のその殆どが男性で、この席に集められた人々が、一体どういう面子であったかは分からなかったが、その風貌から察するに、少なからぬ修羅場を潜ってきた、人生の勝ち組であることは容易に想像できた。この中から一体どうやって逃げ出せというのだ、あの女は……無茶振りが過ぎるだろう。


 その無茶な女、立花愛はとっくのとうに逃げ出して、もはや視界の片隅にも引っかからない。両開きのドアには恭しい態度のホテルマンが佇んでおり、藤木が室内に一歩足を踏み入れると、お辞儀をしてから音を立てずに扉を閉めた。やってきた時も勝手に開けたし、明らかに段取りがついていた。あの女……


 なら、ここまで彼女の目論見通りなんだろう。自分が今着ている、仕立てのいいスーツも含めて……だったら乗ってやろうじゃないか。彼女の姉、立花倖の暴走を止めろとは、要するにお見合いをぶち壊せってことだろう? それなら引きずってでも、彼女をここから連れ出せばいい。あとは野となれ山となれだ。どうなっても知らないぞ。


「その見合い、待った!」


 藤木は宣言すると、勢い良く室内に踏み込んだ。


 その場にいる、殆どの人々が見たこともない少年の乱入に首をかしげている中、倖だけがあわあわと泡を食ったような顔をしてうろたえていた。藤木は彼女の姿を捉えると、もはや他人の目などお構いなしに、彼女だけを真っ直ぐに見つめて近づいていった。


 とにかく勢いが大事だ。と言うか、藤木はただの高校生だ。勢い以外の何の武器も持ち合わせちゃいない。今はみんな突然の出来事に対処しきれず沈黙を保っているが、それも5分も持たないだろう。せいぜい持って2~3分だ。それまでに決着をつけなければ、あっという間につまみ出される。


 こう言う時は何かを真似るしかない。映画か何かの役になり切れ。花嫁をかっさらうんなら、卒業だ、定番だ、ダスティン・ホフマンだ。今まさに他人の物になろうとしていたエレーンを、教会から連れ出したベンジャミンの姿を思い出せ……って、見たことないがな! 何が不朽の名作だよ! 思えば世の中に山のように存在する名作と呼ばれる作品のうち、どれくらいのものを見たことがあるだろうか。パロディシーンならいくらでも見たことあるのに、本編なんて数えるほどしかないぞ。大体、ダスティン・ホフマンと聞いて真っ先に思い浮かべたのはレインマンだった。卒業じゃない。


「なんだね、君は」


 ずかずかと乗り込んできた藤木が倖を前にしてまごついている内に、いくらか冷静さを取り戻してきたのだろうか、恐らく倖の見合い相手であろうおっさんが立ち上がって問うて来た。


 もう時間に余裕はない。(はら)(くく)れ。


「俺は成美高校2年4組、藤木藤夫……立花倖の嫁だっっ!!!」


 力いっぱい宣言したら、その場の空気が凍りついた。そうだろうそうだろう、高校教師とその生徒、禁断の愛を見せ付けられて、さぞかし皆さん戸惑っているに違いない……ぐるりと参加者の顔を見回してみたら、何だか可哀相なものでも見るような目つきをしていた。くっ……


「いや、違った。婿? 旦那? なんつーんだろ、こういうの……えーい! とにかく、俺はこの人が好きなのです! だから、こんな見合いなんて認められない! ユッキー、こんな男なんか忘れて、俺と結婚してくださいっ!」

「ぶぅーーーーっっ!!」


 っと、唾とか色んなものが顔面に飛んできた。汚い。


 色んなものを省略した突然の告白に、挙動(きょど)っていた倖が立ち上がり、藤木に掴みかかった。


「ちょっ……藤木っ……ぎゃっ!」


 藤木は掴みかかってきた倖の足を踏んづけて制し、ぐいっと顔を近づけて、周りには聞こえないように小声で言った。


(いいから、話を合わせろよ、担任教師)

(あんたねえ……あたしを社会的に抹殺する気!?)

(あんたのどこが社会的な生き物なんだよ。無い評判なんて気にするな)

(くっ……割と反論出来ない……でも待って、何であんたの言うことなんか、聞かなきゃならないわけ?)

(事件のとき、色々助けてやっただろ。これでチャラにしてやるから、黙って俺について来い)

(……卑怯ね、それじゃ断れないじゃない)

(こっちだって切羽詰ってんだ)

(何によ)

(頼まれたんだ。あんたの妹に)

(愛に……なんだってまた、あの子が?)

(そっちじゃねえよ、もう一人のほうだ)


 その言葉を多分想像もしていなかったのだろう。倖は一旦は口を開きかけたが、言葉が出ないのか口をパクパクやってから真一文字に結び、やがて真剣な顔になると押し黙るようにして下を向いた。


 藤木はそれを同意と受け取ると、もう時間が無いので少々強引に、彼女の肩を抱き、その場にいる面々にシュタッと手を振って、


「それでは失礼……」


 といって、部屋から逃げ去ろうと歩みかけた。


「待ちたまえ」


 しかし、そうはさせじと二人の前にお見合い相手が立ち塞がった。当たり前か。そう簡単には逃がしてくれるわけがない。


 会場を振り返ると、時間が経っていくらか余裕が出てきたのか、数人の我に返った男たちが腰を浮かして逡巡していた。藤木を止めるべきか迷っているのだろう。多分、ここを強引に突破しようとしたら、彼らにとっ捕まるだけだ。


 正確な時間は分からないが、とっくに3分は過ぎている。ここを切り抜けられなかったら、もう殆どアウトだろう。小細工は恐らく通用しない。ならば正面突破あるのみだ。


「いいや、待たない。悪いが彼女は貰ってくぜ」

「……倖さん、若いうちの間違いは誰にでもあります。もしも、その子供に弱みを握られているのなら言ってください。僕は気にしませんから」

「ちょ、ちょま、いや、その……あわあわ」


 倖はしどろもどろになった。と言うか、見合い相手の人間性を良く理解しているではないか。中々、人を見る目があるようだ。きっと強敵に違いない。


 藤木はこれみよがしに、ぐっと倖を抱き寄せた。


「どいてください。俺は、俺たちが間違ってるとは思わない。あんたみたいな、好きでもない相手と結婚させられるほうが間違いだ」

「ふっ……一時の感情で無茶を言うのではないよ。君はまだ若い。世の中を何も経験していない等しいじゃないか。どうせすぐに目移りするに決まっている」

「そんなことは絶対にない」

「あるさ。そんなことも分からないようでは、彼女を幸せにすることが出来ないよ」

「なんだと! そんなのやってみなけりゃ分からないだろう!!」

「分かるさ。結婚というものは、好き嫌いだけでやっていけるものじゃない。倖さんを養うために、君は一体何が出来るというのか。相手の人生に責任を持つ、所帯を持つとはそういうことだ。君のようにまだ若くて何者にもなれていない者では荷が重い。社会的地位や、経済的基盤が出来てから考えても遅くは無いのだよ」


 偉そうに言ってるけど、こいつ独身だよな……と思いつつ、


「よっぽど地位とか経済力とかに自信があるようだが、あんたの見合い相手は、そんなもんで抱けるような安っぽい女なのかよ」


 背後から一瞬だけ失笑が漏れた。どうやら目の前の男はそれほど好かれては無いらしい。彼がじろりと藤木越しに会場を睨むと、背後からどよめきが消えた。睨む相手が違うんじゃないのか。そんなことじゃ足元をすくわれるぞ。


「大体、親に貰った地位や経済力にすがって、偉そうにしてるんじゃないよ。そう言うのをなんて言うか知ってるか? すねかじりって言うんだよ」


 明後日のほうを睨みつける男に安い挑発を繰り返したら、よほど図星だったのか、見る見るうちに顔が真っ赤に染まって、目が吊り上がって来た。これ、キチガイの顔ですわ……


 意外と煽られ耐性が無いらしい。男はトーンが1オクターブくらい上がったような甲高い声で言った。


「それでも、経済力のないおまえには倖さんを守ることは出来ない! 何も知らない子供が、偉そうなことを言うな!!」


 対して藤木は冷静に言った。


「いいや、出来る」

「出来るわけがないだろう! おまえの将来など、何の担保にもならないんだぞ。なんだったら僕が潰してやる! な、な、名前はなんて言ったか」

「藤木藤夫だ、簡単だろう、覚えておけ。俺の将来なんか知ったことか、そんなもん関係ないんだよ」

「なんだと!? 本当にぶっ潰してやろうか、このガキは!!」


 わあ、大人気ない。


「やれるもんならやってみな。そもそもお前は勘違いしている。俺の将来なんざ初めから当てになんてするもんか。そんなの無くっても、この女は一生遊んで暮らせるだけの金を持ってるだろうがっ!」


 その場にいた者たち全員が絶句した。


「全力で寄生したるわ!!」


 こいつ、全力でヒモ宣言しやがった……


 目の前で唾を飛ばしまくっていた男も口をパクパクして固まった。こいつが二の句をつげないうちに、勝負を決めてしまわなければならない。


「その代わり俺は一生愛し続けよう。彼女が死ぬその瞬間まで、一生だ。面倒な家事やなんかは、全部俺が引き受けよう。付き合いは全て彼女の許可を求める。必要だってんなら、毎日愛の言葉を囁こう。退屈だって言うのなら、彼女が笑ってくれるまで道化を演じよう。死ねと言うなら死んだっていい。

 もし彼女に不幸が訪れたなら、俺も一緒に不幸になる。他には何も要らない、彼女の人生のためだけに、ただ生きよう。

 だってそうだろう? こんな誰からも認められるほど、勉学の道に身も心も捧げてきた女だぞ。どれだけの努力をしたんだろうか。どれだけ辛い思いをしたのか。どれだけ犠牲を払ってきたのか。その結果がこんな茶番なんて、あんまりだ。報われたっていいじゃないか。

 だったら俺は全てを投げ出して、彼女に尽くしたいってそう思う。それくらいじゃないと吊り合わない。あんたは一体、何を彼女に捧げられる。言ってみろよ」


 そうして藤木は相手が絶対に出来ないことをまくし立てた。それは殆どプロポーズに近い愛の言葉だったが、お構い無しに畳み掛けた。


 男は絶句して何も言えないようだった。止めを刺すなら今しかない。藤木は両手で倖の肩を掴み、真っ赤になった彼女の目をじっと見つめて言った。


「だからユッキー、俺と結婚してください!」

「アッハイ」

「それじゃ、そういうことでっ!」


 藤木は振り返り、静まり返る会場の人たちにシュタッと手を振ると、目の前に立ち尽くす見合い相手を押しのけて、蹴り上げるように部屋の扉を勢い良く押し開けた。


 ガツンッ!


 っと音がしたかと思うと、扉の向こう側で真っ赤な顔をしていた立花愛が額を押さえ涙目になって転がっていた。


 この女……思わず駆け寄ってスリーパーホールドをかけたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢して駆け出した。今はとにかく逃げるのが先決である。


 未だポカンとしている倖の手をぐいと引っ張って、藤木は廊下を駆け抜けた。背後から復活した愛が小走りに着いてきて言った。


「中々やるなあ、藤木君。お姉さん、ちょっとクラクラ来ちゃったよ」

「うっせ、殺す! 絶対、殺す! 覚えてやがれよ。俺を嵌めやがって」

「藤木君が時間を稼いでくれてる間に、援軍を連れてきてたんだよ。それも、必要なくなっちゃったみたいだけど」


 援軍? そんなのどこにいるんだ……適当なこと言ってんじゃないと抗議しようと思ったら、我に返った倖がパッと藤木の手を振りほどいた。藤木は勢い余って、展望室前のエレベータホールでつんのめった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あんたたち、グルだったのね。一体、自分たちが何をやってるか分かってるの?」

「そっちこそ、何やってんのか分かってんのかよ」


 むすっとした顔で彼女は言った。


「何って、ただのお見合いじゃない。こっちにだって、付き合いってものがあるの」

「ただのじゃないでしょ。母さんに、条件を付けられた。そうでしょ」


 愛が横から抗議する。


「それで成実のことをあの人が考えてくれるなら、別にいいじゃない」

「お姉ちゃんが犠牲になることないでしょ。そんなことしたら、逆に成実に負担になるじゃない」

「お見合いしたからって、絶対に結婚するわけじゃないんだから、振りよ、振り」

「それで母さんが納得するわけないじゃない」

「うっさいわね、約束は約束よ。少なくとも貸しは作れるでしょう。それで突っぱねてやるつもりだったのに」

「そしたらまた喧嘩になるだけじゃない」


 口論をし出す姉妹に対し、藤木は溜め息を吐きつつ言った。


「そんなの、どっちでもいいよ。ユッキーが結婚しようがしまいが、何も変わらない。それよりさっさと逃げようぜ」


 さっきまで振りとは言え、求婚していた藤木の他人事みたいな台詞に、姉妹二人が睨みつけてきた。なんで怒るんだ。


「あのさ、俺、始めから成実ちゃんに頼まれたから来たって言ったろ。だから、彼女の頼みは聞くけど、別に人様の家庭の事情に口出すつもりなんて、端からなかったんだよ」


 エレベータを呼び、それがやってくるまで、非難がましい視線に負けて藤木は淡々と語った。


「だから、ユッキーが結婚したいなら好きにすりゃいいし、お母さんが芸能界に復帰させたいならそうすりゃいいよ。アメリカに行くのも有りなんじゃないかな。みんなそれぞれ思うところあるだろう、それも成実ちゃんのためを思ってなんだろう。それに文句言える筋合いが俺にあるか? 無いじゃないの」

「じゃあ、なんでこんなこと引き受けたのよ」

「成実ちゃんと話してて、色々面倒なことが起きてるってのを知らされて、でも、あんたらが何をしようが俺は止められないと思った。他人事だからな。だから、俺は直接彼女にそう言ったんだよ」

「そうだったの? そんなこと一言も言ってなかったけど……」


 愛が目を丸くして言った。


「ああ。でも、せめて成実ちゃんのやりたいことくらいは手伝ってやろうって、そう思ったんだよ。お母さんたちは止められないけど、なにかやりたいことないか? って。そしたら、彼女言うんだよ。一人になりたいって」


 ポーンと音を立てて、エレベータが到着した。エレベータホールに陣取って動かない藤木たちを、展望室から出てきた家族連れが迷惑そうに避けながら、それに乗った。


 彼女から頼られたとき、一も二も無くその助けになりたいと思った。だが、その答えがまさか一人になりたいなんてことだとは思わず、藤木は遣る瀬無い思いがした。


「あんまりだろ」


 それは家族よりも、一人になることを選んだと言う事だ。


「でもさ、これもやっぱり、俺にはどうしようも出来ないことだったから。だから、代わりに伝えに来たんだ」


 姉妹は顔を見合わせて、何も言えずにいるようだった。


「嫌なことがいっぱいあったから、アメリカに連れて行きたいって気持ちは分かるんだ。でも、それでユッキーが犠牲になったら元も子もないだろう。お母さんの芸能界復帰ってのも、理解はし難いがなんとなくわかる。でも、どう復帰するの? 北辰愛として活動してたのに。また、愛ちゃんと入れ替わるつもりか。どっちにしろ、そんな自分の代わりに誰かが犠牲になるようなこと、今の彼女に選ばせるんじゃないよ。可哀相だろ」

「ごめん」

「いや、謝られても。それに、俺だって悪いんだ」

「藤木が? 何も悪いわけないじゃない」


 もしも……


 藤木はこのところよく考えることがあった。


「いや、もしもの話だよ? あの時、俺が事件を解決せずに……いや、解決しても、その後、俺が彼氏の試合中継なんかして見せて、現実に引き戻さなければ……もしかして、あの子は、あのまま北辰愛として生きていたほうが、幸せだったんじゃないかって、たまに思うことがあるんだ。初めから手出しなんかするんじゃなかったって」


 しかし、そうすると彼女は好きな相手と再会することは出来なかったろうし、立花愛は未だに身を隠して生活する羽目になっていただろう。だから、これでいいはずだ。それは分かっているのだが……


 そんな考えても仕方ないことを、取りとめもなく考えていたときだった、


「居たっ!」


 振り返ると、倖のお見合い相手がもの凄い形相で立っていた。しまった。エレベータホールで時間を使いすぎたらしい。彼の隣には、若く見えるがそれなりに年を取って見えなくもない、年齢不詳の女が居る。分かることはただ一つ、もの凄い美人であった。


「げっ、母さん……」


 愛が面倒くさそうに呟いた。すると、彼女が姉妹の母親だろうか……おかしい、自分の中にある母親と言う概念と似ても似つかない物が目の前にある……あれ、三人も産んだの?


「よくも、僕に恥をかかせてくれたなっ!」


 そんな風にお見合い相手そっちのけで、熟女に見惚れていたら、気がつけば激高した男が掴みかかってきた。


「うわっ! ちょちょちょ、待って」


 男は藤木に掴みかかると、胸倉を掴んでガクガクと振るわせ、かと思うと何か知らないが、がっぷり喧嘩四つに組んで、藤木のことを上手投げした。その年まで独身であった理由が良く分かる行為である。


 しかしまあ、そこまで怒らせたのは藤木のせいだし、


「貴様、絶対に許さないぞ。藤木と言ったな、親兄弟七代まで祟ってくれるわ。父親はどこに勤めてるんだ。出るところに出てやるぞ」


 親父はともかく、身重の母ちゃんがかわいそうなので、ここは一つジャンピング土下座でもお見せしようと、助走をつけたときだった。


「みっともないのう……いい大人が。恥を知らんか、恥を」


 ポーンと音が鳴って、エレベータの扉が開いた。すると中から良く見知った老人が、これまたよく見知った学校の先輩と一緒に現れた。


「なんだ、貴様は!」


 激昂しているお見合い相手は、怒りに任せて老人に怒鳴り散らす。しかし老人はまったく意に介することなく、


「ふん……仲手川の小倅か。いい年して、未だにおしめも取れてないと見える」

「玉木の爺さん……朝倉先輩も」


 藤木はエレベータから出てきた人物を見て、ポカンと口を開けて呟いた。その言葉に、お見合い相手は面白いようにサーッと顔を青ざめて、あわあわと慌てふためいた。


「藤木か……今度は何をしたんじゃ、おまえは。この前の戦争ゴッコといい、よくよく面白いことに巻き込まれとるのう」

「……爺さん、俺のこと覚えてるの? 部室占拠のことも?」


 中沢や、学校の連中の様子を思い出して、多分、玉木老人も例の事件のことを忘れていると思っていた。


(わし)はまだそこまで耄碌(もうろく)しておらんぞ。おかしなやつだ。まあいい。また、晴沢の孫でも連れて遊びに来い」


 だが、藤木の予想に反して、老人は彼のことを覚えているようだった。背後に居た朝倉は首をかしげている。話題に上った晴沢成美など、藤木の存在自体を忘れているのだが……なんだ、この差は……


 そんな疑問を挟む余地もなく、やってきた玉木老人はいつの間にか集まってきた大人たちに囲まれて迷惑そうにしていた。彼はそれをわずらわしそうに制すると、藤木に向かって言った。


「それで、見合いがどうのこうのと……あれは、どうなったんじゃ」


 その場に居た全員の視線がいっせいに藤木に突き刺さった。なにこれ、プレッシャー半端ない。さっきの比じゃないよ。


「それならもう、片がつきました。すみません、お手を煩わせてしまって……」


 藤木が気おされてると、愛が慌てて答えた。どうやら、彼女の言う援軍とは、玉木老人のことだったらしい。そうならそうと早く言えよ。


「なに、儂はカニを食べに来ただけ、ついでじゃよ、ついで」


 日本でも有数の資産家である玉木氏は、その場にいる全員よりも格が上なのであろうか、全員がまるで(かしず)く家来のようにへいこらしていた。さっきまで藤木のことを殺しそうな顔をしていた、倖のお見合い相手も、今ではこちらを見向きもしないで、半泣きになりながら彼に取り入ろうと必死になっている。


 自分は、しょっちゅう中沢のことをコケにしているのだけど……


 今度からは、もうちょっと優しくしよう。身の危険を感じる。


 玉木老人は媚びへつらう男たちに囲まれて、意気揚々と去っていった。そういえば、さっきの見合い会場で上座だけ席が空いていた……もしかして、始めから彼が来ることは約束されていたのだろうか。


「ご明察。だから、あとちょっと待っててもらえば、すぐに解決したんだよ」


 と愛が得意げに言う。


「とはいっても、藤木君が玉木さんのお気に入りだって知らなかったら、どうしようもなかったんだけどね。何気に藤木君って凄いよね」

「……徳光に聞いたの?」


 彼女はにんまりと笑った。


 エレベータの前に、同じように取り残された倖が言ってきた。


「なんか……あたし、もう用済みみたいだけど……悪かったわね、迷惑かけて」

「別に……俺は成実ちゃんの伝言を伝えに来ただけだし」


 藤木は溜め息混じりで、いじける様にそう言うと、


「なんかもう、色々疲れたから、帰る。こっちこそもう用済みだろ。それじゃな」

「あ、藤木君。そのスーツだけど……」


 猫背になりながら、エレベータのボタンを押した藤木に、愛が後ろから尋ねてきた。そう言えば終わったら返すって言っていたが、


「……ボロボロになるまで着潰してやる。こんちくしょう」


 藤木はそういうと、やってきたエレベータに乗り込んだ。


 エレベータの扉が閉まり、姉妹二人だけがその場に取り残された。さっきまで人でごった返していたホールは閑散として、今では耳鳴りがするくらい静寂に満ちていた。


「どうですか、お姉さん。色男にあれだけ激しく求められた気分は」

「馬鹿言うんじゃないよ」


 とは言え、その顔はほんのちょっぴり赤かった。案外、満更でもないらしい。愛はクスクスと笑いながらも、すぐに真剣な表情に戻ると、


「……成実のこと、もっとよく考えてあげようね?」

「うん……」


 そう確認しあって、二人は踵を返し、もと来た道を戻り始めた。お見合いはぶち壊してしまったが、援軍の力があれば収集は余裕だろう。もう一度会場に戻ってフォローをするつもりだった。


 しかし、ポーンとエレベータの到着音がして、


「あ、そうそう、忘れるところだった。ユッキー」


 さっき立ち去った藤木が帰ってきた。なんの用事だ? 振り返る倖をガッチリと捕まえて、藤木は言った。


「あんたの力が必要なんだ。助けてくれないか?」

「あたしの? 良く分からないけど、分かったわ」


 まさかこの流れで断るわけもない。


 彼自身がどう思っていたのか正確にはわからない。だが、自分たち家族のことで、これだけ骨を折ってくれたのだ。例えそれが何であっても、倖は彼に応えるつもりだった。


「で、何を手伝えばいいのかしら?」

「オナホだ」

「は?」

「オナホ作ってんだよ。究極のオナホ! ちょっと躓いちゃってさ。あんたの力が必要なんだ。とにかく来てくれ」


 そう言うと、藤木はグイグイと晴れ着姿の倖を引っ張って、どすこいどすこいとエレベータに押し込んだ。


「ちょ……ちょっと待って? やだ……やっぱやだ!! 帰るっ! 帰してっ!! ぎゃあああああ!!!」


 エレベーターホールに絶叫が木霊した。連れ去られる女性を見て、助けるべきかどうすべきか、ホテルマンが飛んできたが、愛が手で制して止めた。展望室の客が何事かと振り返る。しかし、その絶叫は扉が閉まると嘘みたいに掻き消えた。


「藤木君って、何気に凄いなあ……」


 今度こそ、たった一人取り残された立花愛は、若干引きつった笑みを浮かべつつ、そんな言葉を口走っていた。


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