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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
3章・パパは奴隷でATM
85/124

そうです、私が変なおじさんです

 なんとなく高級そうなピンクの外車に乗せられて、狭い街道を進んだ。静穏性とか燃費とかいう概念を、どこかに置き去りにしてきてしまったようなエンジンが、ブロロンブロロンと盛大な音を立てては、黒い排気ガスをモクモクと撒き散らしていた。


 これ、東京都を走っても良いのだろうか……信号待ちのたびにエンストを起こす運転手の技量に多大なる不安を抱きつつ、


「ところで一体どこに連れてかれてるんですかね。俺は妹さんに用があったんですけど……愛ちゃんは彼女の代理ってことでいいんですか?」

「うん、成実から連絡があってびっくりしたのよ。あなたのサポートしてあげてって。あの子からの頼みごとなんて珍しいし、それどころか藤木君と連絡取り合っていたなんて思いもよらなかったから、何事かと思ったわ」

「連絡取り合ったつーか、偶然なんですけどね」


 藤木が立花倖に電話をしたら、妹の成実が出てきたのだ。多分、姉が置き忘れていったかなんかした携帯の着信表示を見て、相手が藤木だと知り、思い切って電話に出たのだろう。


「そう。正直、今のあの子は人に頼ったり、ましてや男の人と話したり出来る心境じゃないはずよ。藤木君はよっぽど信用されてるんでしょうね」

「いや、ロクに会ったことも、喋ったこともないんですけどね……ところで、これどこに向かってるんですか? 家ならとっくに通り過ぎてると思うんですけど」

「家って、3丁目の? 藤木君、あっち行こうとしてたんだ。良かったわ、行き違いにならなくて」

「はあ」

「成実はあそこに住んでないわよ。一月前から姉さんと一緒に、姉さんのマンションで暮らしてるの」


 倖と暮らしてると言うことは、母親から逃げようとしているのだろうか……そりゃ、芸能界に復帰させようなんてしてたら、逃げられてもおかしくない。やはり、母親に問題があるんじゃなかろうか……


 そんな考えが顔に出ていたのか、立花愛がちらりと藤木の顔を覗き込むようにして言った。いいからちゃんと前見ろよ。


「別に、母さんが嫌で家を出たわけじゃないのよ? アメリカに行きたいなんてことも、思ってないでしょうし」

「じゃあなんでユッキーに着いてったんすか? 3丁目の家に居たほうが、騎士(ないと)の奴とも会いやすいでしょうに」


 愛は溜め息を吐くようにして言った。


「それなんだけどねえ……それが原因って言うか」

「……どゆこと?」

「その……怖いんだって。ナイト君のことも……怖いんだって」


 正直なところ、そんな考えなどまったく思いもよらなかった。藤木は、返す言葉が無かった。


「かなり重症って言うか……深刻な男性不信になっちゃったみたいなの。例え、相手が好きな人であっても、駄目みたい」

「……それで、ナイトの奴は?」

「ちゃんと理解して、そっとしておいてくれてるわよ。でも、それがまた、辛いみたいでね。成実にしても、彼のことは好きなままなのよ? でも頭で理解しても体がついていかないみたいで。すぐそばにいるから、余計に意識しちゃうし、それならいっそ少し距離を置いたほうがいいだろうってことで、姉さんのマンションに行ったの」

「そっか……」

「多分、藤木君とも電話越しに話すことは出来ても、会うことは無理だと思うわ。それで、私にお鉢が回ってきたってわけ。君のサポートをするように」


 藤木は、うーんと唸った。


「しかし、本人不在で勝手にあれこれ口出しするのも」

「それなら問題ないわよ。藤木君には、姉さんの暴走を止めて欲しいだけだから。それ以上は何も望まないわ」

「暴走?」

「うん。実は今日これから、うちの事務所やスポンサー関係の会合があってね、その席で母さんと姉さんが話し合って、母さんが納得できたら姉さんの要求どおり、成実をアメリカに連れてくことを許可するんだって。多分、母さんは何か条件をつけるつもりよ」


 ……事務所の会合と言うことは、やはり彼らは成実を所属タレントか何かと見ているということだろう……つける条件もその類で、結局は成実の負担になるようなことを要求してくるに違いない。それを、あの担任教師がどう切り返すか……もしかしたら、それこそが狙いで、無理な条件を吹っかけて、倖の首根っこを押さえようとしているのでは……


 そんなことを考えていたら、


「うーん……そうとも限らないわよ」

「そうっすかね」

「藤木君って、かなり姉さんに対する評価低いわよね。まあ、あの性格だし、仕方ないのかなあ」

「はあ……」


 藤木の気のない返事に、愛はやれやれと肩を竦めながら言った。


「姉さんは天才よ。紛れも無く天才。だから、要求と言ってもスポンサーがらみの、もっとアカデミックなことかも知れないわ」

「はあ?」

「もう……本当に評価低いわね……いいわ、どう凄いか、これから嫌ってほど説明してあげるから。さあ、着いたわよ」


 プリプリと怒りながらハンドルを切った愛が連れてきたのは、どこかの呉服屋と言うか仕立て屋のようだった。吊るしの量販店ではない。どうみても高級そうだが……しかし、こんなところで会議なんかするのだろうと首を捻ってると、


「そんなわけ無いでしょう。うち、これでも芸能事務所だから、会合するのもドレスコードが必要なとこばかりなのよ。藤木君の今の格好じゃ、悪いんだけど……」


 みすぼらしくて悪かったな……


「だったら家に寄ってくれれば、制服くらい着てきますよ」

「そんなのじゃ駄目よ。いいから、いらっしゃい」

「つっても、悪いしなあ」


 こないだ大量のオナホを贈ってきてもらったばかりだし?


「遠慮しなくていいわ。レンタルもやってるから、それほど痛い出費じゃないの。それに、こっちが助けを求めてるんだしね」


 そう言うことなら少しくらい……と、藤木は同意して車から降りると、高級そうな仕立て屋の看板を潜った。正直、こんなことでもなければ一生来ることもなかっただろうその店は、デパートの売り場なんかとは違い、シックで落ち着いた照明が店内を優しく照らしていた。


 良く見ると、同じロゴがあちこちに書かれている。藤木は見たことないものだったが、多分、それなりに名の知れたブランドか何かの店なのではなかろうか……あー、こりゃ明らかに場違いだ……尻込みしつつ、愛の後ろをおっかなびっくりついていくと、彼女は店の支配人らしき男性と、ぺちゃくちゃ良く分からない会話を交わしていた。


「うちの母さんは、元々は女優さんでね? 若くして引退しちゃったんだけど、それはもう凄い人気だったそうよ。そんな大女優だった母さんは、私を生んだことで引退しちゃったんだけど……姉さんはいわゆるその、隠し子だったの」


 店員が数人飛んできて、いきなり藤木のサイズを測りだした。多分洋服の生地のサンプルであろうカタログを見せられ、様々な靴が並べられ、本当にこれ、レンタルなんだよな……と若干戸惑いつつも、半ば強引に選ばされていると、愛が立花家のことを滔々(とうとう)と語りだすのだった。


「人気絶頂期に生まれたものだから、ばれたら困るって事務所の言い付けだったんだけど、親子仲は悪くなかったわ。世間の目からは隠してはいたものの、二人は同じ家に暮らしていたし、母さんは姉さんを溺愛して、姉さんも母さんに応えようとしていた。で、そんなとき、私が生まれたの。さすがにもう隠し切れないからって、母さんはいわゆる出来ちゃった結婚で引退。それで姉さんも晴れて自由の身……と、なるはずだった」


 カフスやら何やらを体にペタペタあてがわれて、何が何やら分からないまま、こくこくと頷いていた。なんだかまな板の上の鯉のような気分だった。そんな藤木の戸惑いを他所に、愛は椅子の背もたれに頬杖をつきながら続けた。


「でも、残念だけどそうはならなかったの。引退したとはいえ、母さんもかなりの知名度があったから、醜聞はスポンサーが嫌ったのよね。事務所は違約金が発生したら太刀打ちできないし、仕方ないから姉さんのことはそのまま隠された。で、多分、藤木君は知らないでしょうけど。姉さんも小さいころは母さんの言いつけで、芸能活動していたのよ。言ってしまえば、うちの家業ですからね。まだ小学校低学年の子役だったんだけど。そこそこテレビにも出演してたし、姉さんとしては、引退した母さんの夢を継ぐ意思があったんだと思う……でも、姉さんが小学校高学年になるころ、学業を理由に活動を休止することになったの」


 そうか、きっと倖が売れてくるにつれ、母親のことが隠しきれなくなってきたに違いない。本当なら親子二代に渡って、大女優の道が拓けていただろうに、かつての母親の失態が彼女の道を閉ざしたのだ……あの人も苦労したんだなと、うんうんと頷いていると、


「いえ、そうじゃなくって、姉さん才能なかったのよ。昔のVTRあるけど、凄いわよ。大根なんて言ったら、お百姓さんから抗議が来るんじゃないかってくらい酷かった」

「……あ、そうなの?」


 じゃあ、何が問題だってんだ。


「それで芸能活動をやめた姉さんなんだけど……小学校高学年の女子って、自意識の塊なのよね。夢破れて呆然としている姉さんに、クラスメイトたちがちょっかいかけてきたんだって。学業を理由にやめたのに、勉強もしないでなにやってんの。もしかして、それが理由でやめたんじゃなかったんじゃないのって」

「うわー、ありがちだなあ……」

「嫌味だってのは分かりきってたし、相手にしなければ良かったんだろうけど……姉さん、馬鹿にされると燃える性質(たち)らしくって、逆にもの凄く勉強しはじめちゃったのよ。で、面白いことに、姉さんの才能があったのはこっちの方だったのよ」


 それはつまり、勉強の才能があったと? うーん……全然そんな印象無い。


「姉さんは天才よ。それまで芸能活動一本だった姉さんが、勉強を始めたらまるでスポンジが水を吸収するように、どんな知識もたちどころに物にしていったの。中学校の学力テストでは常に全国トップ。英語弁論大会では三年連続賞を取って、三年生のときにはついに数学オリンピック出場を果たし、ドイツではチェスの世界チャンピオンを破り……天才少女の名を欲しいままに……」

「ちょ、ちょちょとまて、ちょっとまって?」

「なに?」

「いや、さすがに冗談だろ。大体、そんな凄かったら、少しくらい知られててもおかしくないじゃん」

「だから、それが原因よ。姉さんが一人で勝手に有名になってっちゃったら、母さんの隠し子だってことがばれちゃうじゃない?」


 言われてハッとする。


「まさか、それで勉学の道も閉ざされちゃったの? そんなことで?」

「お察しの通り。もう派手な活動はしないでくれって、事務所に泣きつかれて……もうその頃には芸能活動には見切りをつけていた姉さんは、冗談じゃないって突っぱねたらしいんだけど、いくら頭がよくってもただの中学生でしょう? お金もなければコネもないから、結局は成すすべも無く、高校進学を断念せざるを得なくなって……」


 おいこら。


「高校進学断念て……大学ならまだしも何やってんの」

「仕方なかったのよ。姉さん、その界隈ではとんでもなく有名人だったから、どの学校へ進学しても、絶対に噂になったろうから。その頃には父との離婚も成立して、母さんは一人で私達3人を育てないといけないって、プレッシャーもあったと思うの。でも、母さんが出来ることって、何をやるにしても姉さんとは真逆のことなのよね……」

「あ゛ー……」

「私ももうだいぶ大きくなってたから、あの頃の姉さんのことは覚えているわ。気が抜けた抜け殻みたいになってて、いっつもリビングのソファーでぐでーって寝そべってた。御飯も殆ど食べなかったし、家族との会話も全然なかったわ。母さんと折り合いが悪くなったのはこの頃からなの」


 そりゃ、そんだけ迷惑被ったら、いくら親子でも許せないだろうな……


「でも、やっぱり姉さんは頭がいいから、それで終わったりはしなかったわ。家族が頼れないと思ったら、さっさと家を飛び出して、弁論大会のときに知り合った教授の伝を頼って、とある財団から奨学金を手に入れ、単身渡米。マサチューセッツ工科大に飛び級入学を果たし……2年で主席卒業し、3年でマスターの称号を得た……驚かないの?」

「いや、十分驚いてますよ……確かあの人、7年前に渡米したんすよね……ってことはまだ23か……23!? マジかよ! アラサーだと思ってた!」

「驚くところが違うでしょう……もう。本当なのになあ……」


 本当か嘘かはともかくとして、あまりにも現実離れした話に想像が追いつかないのだ。大体、これが本当だとして、それで倖の見方が変わるか? と言われたら、多分変わらないだろうし。


「とまあ、これで姉さんが本当に天才だってことは分かったでしょう」

「はあ……ところで、さっきから気になってるんですけど……」


 やけに仕立てのいいスーツを着せられながら、藤木は言った。


「これ、本当にレンタルなんですよね?」

「……さあ?」

「あのね……真面目な話、こんなことされても困るんで、やめて欲しいんですけど」


 満漢全席じゃ済まなくなるぞ。


「どっちにしろ、ドレスコードに引っかかるのは本当よ。少なくとも、姉さんを連れ戻すまでは我慢して」

「仕方ないなあ……これ、終わったら返しますからね?」

「そう。全部終わって、返したかったらそうして。本当に気にしないでいいのにな……でも、意外と似合うわね。意外って言っちゃ悪いか」

「そうですか?」

「うん……なんか、藤木君、初めて会ったときと印象が違うっていうか……」


 そう言うと立花愛は、藤木に顔を近づけてきた。しかし吐息がかかるくらいの距離に、本物のアイドルが近寄ってきても、藤木はぴくりとも反応しなかった。アレが立たないから反応のしようがないからだろう。


 それが意外と好印象だったのか、愛はにっこりと笑って続けた。


「なんか大人っぽくなったって言うか。凄く、落ち着いてるよね。心なしか、体も引き締まって見えるみたい。これは服のせいかしら」

「ああ、それなら……オナ禁のお陰ですかね」


 ガタガタと音を立てて店の人がこけそうになっていた。


「いやー、マジでオナ禁凄いっすよ。いつも快眠快便だし、体力余ってるから運動もいくらでも出来て体が引き締まるし、ホルモンバランスのお陰か、ヒゲは薄く髪はふわふわになりますからね。フェロモンがだだ漏れてるから、自然と女にももてます」

「そ、そうなんだ……」

「いや、冗談に決まってんでしょ。信じないでよ。うーん、なんか最近よく言われるけど……自分では、何も変わってないと思いますけどね? そんな違いますか?」

「そうね……そう言われると、気のせいだったかも……忘れてちょうだい。さて、それじゃ、行きましょうか?」

「行くって、どこへ?」

「藤木君、何を聞いてたのかしら。もちろん、うちの事務所の会合に乗り込んで、姉さんをとっ捕まえに行くのよ」


 そうだった。母親の事務所の会合とやらに乗り込んで、倖が成実のアメリカ行きを決めてしまいそうだから、それを阻止するんだった。


 会合にはスポンサーも来ていて、なにやら倖に要求するかも知れないと言っていた。彼女の経歴が本当なら、確かに何か凄い条件を持ってるのかも知れない。

 



 仕立て屋から出て再度ピンクの車に乗って駅前へ逆戻りすると、愛は今度は駅近のホテルに車を進めた。


 日本全国に点在する一流ホテルの名を冠するそれは、市内で一番大きな建物で、ランドマーク的に扱われていた。1階には劇場やホールがあり、様々なイベントが年間を通して行われており、今も北海道フェアなる郷土展で人が賑わっていた。


 車を正面玄関前に止めると、愛は慣れた様子で寄って来たホテルマンに鍵を渡し、車庫入れを任せてさっさとホテルに入っていった。どぎまぎしながら、郷土展で混雑する1階ロビーを抜けると、エレベーターホールで彼女がまた話し始めた。


「……18であっちの大学を卒業した姉さんは、その後日本に帰ってきたの」

「あれ? そうなんですか? 確か、去年までアメリカに居たって聞いたけど」

「うん、そうなんだけどね」


 少し、歯切れが悪い感じで彼女は続けた。


「姉さんが日本に帰ってきたときには、母さんのかつての栄光も、姉さんの業績も過去のものになってて、大分落ち着いていたの。隠し子に関しても、そもそももう母さんを気にする人も少なくなってたから、そんなに隠すこともなくなってたし、だからもう、母さんも迷惑をかけることがないだろうからって、姉さんに謝ってね。仲直りしてまた一緒に暮らし始めたんだ」


 そうだったのか。いい話だ……と一瞬思いかけたが、だとしたら今はどうなる。結局、また何かあってこじれたのだろう。続きを促す。


「その頃、私が芸能活動を開始していて、母さんも姉さんに何も言わなくなってたの。姉さんも姉さんで、今更、芸能界がどうこうってこともないんで、日本に帰ってきたらすぐに就職活動を始めたんだ。母さんもそれを応援してたし……でも、姉さんがいくら入社試験を受けても、困ったことにどこもかしこも不合格でね」

「はあ? なんでまた……」

「それが、笑っちゃうんだけど、どこいっても言われたのは、年齢が若すぎるってことだったの。あと、経歴が特殊すぎるってのと、女だってことと、優秀すぎて自分の会社では扱いきれないなんて言われて断られたこともあったみたい」


 アホじゃなかろうかとも、さもありなんとも思えるのが、なんとも日本企業である。


 最上階直通エレベータがポーンと音を立てて到着すると、彼女は乗り込んでドアを閉めた。


「そりゃもう、姉さん呆然よ。高校進学のときの比じゃなかったわ……なんで、あんなに頑張った人が、そんな仕打ちを受けなきゃいけないのかしらね」

「ははあ……それで、日本に見切りをつけて、アメリカに行っちゃったんですね?」

「うん、それもそうなんだけど……母さんがね」


 と言うと、彼女は目を逸らした。何か、ロクでもないことを聞かされる予感がする。


「就職出来ない姉さんを気の毒に思って……永久就職の口を見つけてきちゃったのよ」

「……えーと?」

「就職活動に悉く失敗するものだから、姉さんもちょっと弱ってたのよね。それを見て可愛そうだって思って、茫然自失の姉さんをお見合いにつれてっちゃったの。殆ど騙まし討ちでね……それがさあ……その相手が、絵に書いたような親の七光りだけの坊ちゃんで。よせばいいのに、そんなに勉強をしても役に立たなければ意味ないですよとか、女は黙って家庭に入ってた方が幸せですよとか言っちゃって」


 傷口に塩を塗りこまれたようなもんじゃないか。頭が痛くなってきた。


「なんで、あんたらの母さんは、余計なことばっかしちゃうんすかね!?」

「仕方ないのよ母さんはそういう価値観の人なの。藤木君も、成実の芸能界復帰は反対みたいだけど……」

「そりゃ、そうでしょう」

「でも、考えても見て。この世の中に、アイドルになるためにどれだけの女の子が身を削って競争しているか。芸能界入りという数脚しかない椅子を取るために、どんな熾烈な足の引っ張り合いがあるか想像してほしいの。そこに価値が無いとは言わせないわ。母さんは、タレントと言う職業につけば、輝かしい未来が待っているって、そう信じている。だから娘にもそうあって欲しい。そういう価値観の人なのよ。それを悪く言って欲しくはないわ」

「まあ……理解はしますが」

「お見合いの相手だって、そう。親の七光りかも知れないけど、一部上場企業の創業者一家の長男だったし、もの凄い玉の輿だったのよ。彼のお見合い相手なんてそれこそ山ほどいたし、そんな中で姉さんは気に入られた一人だった。親だったら、そりゃ後押しするでしょう」

「まあ……そうでしょうね。でも、それが親子関係を悪化させる決定打になるって、どうして考えられないんでしょうかね」

「うん……もう、そういう人だとしか……で、騙まし討ちにあったうえに、そんな嫌味まで言われて激怒した姉さんは、お見合いをぶっ潰して、あっちで身を立てるまで帰らないと言い残し、その足で渡米した……米国で就職活動を始めた姉さんは、その輝かしい経歴はどこへ行っても引っ張りだこで、とあるベンチャーキャピタルに就職し、そこのファンドマネージャーとして3年間で、一生かかっても使いきれないほどの報酬を得たわ。自由の国って素敵ね」


 ある意味、母ちゃんナイスアシストだな……悉く裏目に出るのが逆に清々(すがすが)しいくらいである。


 ポーンと音が鳴って、最上階にエレベータが止まった。目の前には展望室があり、家族連れが望遠鏡を取り合ってきゃあきゃあやっていた。愛は展望室には見向きもしないで、柵で仕切られた廊下を自分ちの庭のように進んでいく。


 普通ならスイートでもありそうだが、ランドマーク的な使われ方をしているからか、最上階には展望室と特別な会議室が備え付けられているようだった。恐らく、会合とやらはそこで行われているのだろう。ホテルのクロークが近づいてくるのを手で制して、藤木たちは歩きながら話し続けた。


「はあ……なるほどなあ。それが本当なら、じゃあ、もうユッキーに任せたらいいじゃないですか。金も地位も名誉もあるんでしょ? それが本当なら」

「本当だってば」

「いや、あんた、学校でのあの人の姿を知らないからそんなこと言ってられるんだ。俺は騙されませんよ」

「うーん、仕方ないなあ……信じてくれなくってもいいけど。でもまあ、そういったわけでね? 反発しあってるけど、母さんも姉さんには一目置いてるのよ。だから、成実のことを任せるのも(やぶさ)かではないんだけど……でも、やっぱり親としての建前があるでしょう」

「そんなもん、もう捨てちまえよ……」

「そうもいかないわよ。それでまあ、条件をつけたのよね」

「どんなんです?」


 話しながら廊下を進むと、突き当たりに一際大きな両開きの扉が見えた。その手前には立て看板が置いてあり、和紙に丁寧な楷書体で『仲手川様、立花様、御食事会場』と書かれていた。なんじゃこりゃ。


「確かに、姉さんは一人で身を立ててるんだけど、やっぱり結婚していないから、まだ半人前って軽く見られちゃうのよね。それは世界共通だと思うけど。成実を任せるには、それじゃ心もとないから、だから早く伴侶を見つけなさいと……」

「おい」

「以前にお見合いをした相手が、姉さんのことをまだ覚えていてね。気に入っていたから、是非にと……4年も経って未だに独身な上に、いいおっさんがふざけんなよって感じなんだけど……」

「こら」

「姉さんもある意味、社会に揉まれてきたって言うか、男勝りと言うか、元々そんな恋愛沙汰に興味ないひとだから、売り言葉に買い言葉で、じゃあ結婚してやるよ、だから黙って私の言うこと聞けって……」

「ちょっと待って?」

「だから、お願い、藤木君。姉さんの暴走を止めて欲しいの。それじゃ、あとは任せたから」


 言うと、いつの間にかやってきたホテルマンが、両開きのドアをどーんと開けた。


 あとは任せたって、何をだよ。


 音も立てずに開いていく扉の前で、唖然と見守る藤木に、いっせいに視線が突き刺さった。結婚式とか葬式の時くらいでしか見られないような、赤じゅうたんの上にコの字に机が並べられて、左右にずらりと厳しい顔をした大人たちが並んでいる。総勢20名は下らない。


 上座の中央は両家の立場を対等にするためか空いていたが、その左右には、やけに迫力がある爺さんが座っており、突然の来訪者をじろりと睨みつけた。お前らは阿吽の仁王像か。


 そして左手奥に、似合わない晴れ着を着た立花倖が、馬鹿みたいにポカンと口を空けて座っていた。


 おい、これはもしかして、修羅場と言うやつじゃないのか?


 傍らにいるはずの相方を振り返ったら、既にその姿は無く。長い廊下のはるか彼方に、その小さな姿が見えた。その顔がやり遂げたと言うか、いたずらっ子のみたいな、なんと言えばいいのか、もの凄く悪い顔をしていた。


 はっきり見えなくても、読唇術者でもなくても分かった。その唇は『計画通り……』と動いていた。


「立花ァァァァ!」


 思わず叫ぶと、会場の左半分がビクリと動いた。いや、あんたたちのことじゃないんだよ……?


 対する、右半分の中から、席順的に恐らくこいつが見合い相手なんだろうなと思われるおっさんが立ち上がり、


「なんだね、君は」


 と問うてきた。


 そうです、私が変なおじさんです……とでも言って、踊って誤魔化せないだろうか……


 この場合、逃げ出しても文句は言われないだろう。つーか、あの女、殺す。絶対、殺す。後で殺す。


 立花愛に対する憎しみの炎をメラメラと燃やしながら、逃げ出す算段をしていた藤木だったが、しかし、頭の中ではか細い声がリフレインするのだ。あの……あのあの、たす、助けて ……助けてっ!


 あーもう、あーもう、どうなっても知らないぞ……


 藤木は決意すると、その場にいる全員をぐるりと見渡してから叫んだ。


「その見合い、待った!」


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