同じレベルの変態だ
秋葉原から程近い場所にある、違法建築としか思えないガード下の、飲むと気持ちよくなる液体を出すホルモン屋の暖簾を潜り、ひと一人が横向きになって、ようやく通れるような狭い階段を上がった二階のお座敷で、場違いとしか思えないロココ調のヒラヒラドレスを着たお嬢様が、上座に鎮座していた。別にラブドールが座っているわけではない。
「おっちゃんハラミ!」
彼女に向かって左手には諏訪と大原がホッピー……じゃなくて、飲むと気持ちよくなる黄色い炭酸飲料を片手に、他人事のような顔をしてニヤニヤ笑いながら座っていた。既に顔は赤らんで酔……じゃなくて、特別な飲料のお陰で気分が良くなっているようだった。
対面、右手には佐村河内が一人黙々と、シマアジとホッケの骨格標本でも作っているのか、箸をピンセットのように扱って、魚の皮と肉をよけていた。おまえは何がしたいんだ。
そして正面の女性、白木安寿は普段の穏やかな表情とは裏腹の、釣りあがった目つきで藤木を見下ろし言うのである。
「さあ、説明していただきますわよ。一体、何故ああなってしまったのか」
いや、そりゃこっちの台詞である。
一人、座敷に上がれもせず、土間に正座させられた藤木は頭を垂れた。一体全体、どうしてこうなってしまったのか……
……コミケ三日目、藤木たちのサークル・カワテブクロのスペースに現れた白木は、藤木を見つけるや否や、問答無用で掴みかかった。彼女は藤木が作った同人誌の内容が気に入らないらしく、さんざんこき下ろした後に、その内容の改変を憂えた。
「始めに見せていただいた、あのネームの通りに作れば、きっと素晴らしいものが出来ていたでしょうに……一体、どうしたら自分の作品を、こんな愚にもつかない内容にまで貶めることが出来るというのですか?」
「いや、そりゃ、プロの方からすればそうかも知れませんが」
えーと……確かに自分でも酷いと思うけど、そこまで言われるものなのか……あと、見せたのではない。勝手に見られたのだ。
取りあえず、「少し落ち着いて。さっきしょっ引かれたばかりでしょう」と言うと、その言葉にようやく少し落ち着きを取り戻したのか、はっとした顔をしてから、彼女は藤木の胸倉を掴む両手を放した。
しかし、納得はいっていないらしく、
「今は引きますが……あとできっちりお話を聞かせてもらいますからね?」
と言って、ご立腹の様子を隠そうともしないで、プリプリと怒って腕組みをした。豊満な胸がプルンプルンと震えて、目のやり場に困る。
遠巻きに見ていた諏訪と大原は、痴話げんかにでも見えたのであろうか、嫉妬と憎悪を眼光に乗せてこちらを窺っている。いや、普段ならその視線が心地いいのだろうが、こうも理不尽な怒りをぶつけられてる現状ではどうにも気持ちが悪い。
そんな時、プリプリと怒る白木に対し、一人の女性が、「……あの、黒木アンジュ先生ですか?」と近づいてきては、「一昨日はありがとうございました! スケブ、一生の宝物にします」と感極まったと言わんばかりの熱烈な表情で、白木に頭を下げた。
その言葉が思いのほか大きかったのであろうか、一瞬、藤木たちのサークルの前で人の流れが止まって、周囲の人間の視線がこちらへと集中した。
白木の容姿は目を引く。そして品川みゆきが言っていた通り、彼女はスケブを断らない、引いてはファンを大切にするタイプらしい。そんな彼女が女性に対し、丁寧にお礼を返していたら、いつの間にか藤木たちのスペースに列が出来ていた。どうやらスペースの前でやりとりしていたものだから、勝手にゲスト原稿でも描いてるのだと思い込んでるようだった。
見本誌が置いてあるんだから、それくらい調べてから買えよと思うのだが……いや、300円だし、そうでもないのか?
そんなわけで、50冊しかない藤木たちの本はあっという間に完売し、周辺のサークルの拍手を持って店じまいと相成った。
便乗とは言え、売れたものは売れたのだ、返本される前にさっさとずらかろうぜと、ダッシュでスペースを片付けると、藤木たちは荷物を持って退散した。
背後から白木の声が聞こえる。
「ああ! 藤木様! お待ちください」
「すんません。お話はまた、学校で」
それまであんたが覚えていたらな……内心、よからぬことを考えつつ、藤木たちはその場を後にした。
「と言うか、藤木、あの御仁は?」「黒木アンジュって、少女漫画家だ」「むむ、聞いた事があるぞ。読んだことはないが」「親しいのか?」「学校の先輩なんだ。一昨日、初めて知った」「へえ……プロとは、あやかりたいものだな」「つか、三次元にしては中々の逸材じゃないか」「そうだろ? 一度シコったことがある」
逃げるように撤収して、コンコースまで戻ってくると、「取りあえずこれからどうする?」という話になった。
どうせ自分たちの同人が完売するなんてことは、ありえないと思っていたので、午後は閉会まで順番に、あちこち見て回る予定だった。
帰るにはまだ早いが、いかんせん、スペースから出てきてしまったので、荷物がかさばる。今更戻るわけにも行かないし、誰か一人がここで荷物番でもするしかないかな……と決まりかけたとき、佐村河内のことを思い出した。
評論・情報の島まで行くと、昼に会ったときのまま、佐村河内がぼーっとした表情で座っていた。藤木はサークル仲間を中学時代の連れであると紹介し、荷物を置かせては貰えないかと頼んだら、別段嫌がる素振りもせずに彼は応じた。
「藤木の高校の友達か。なら、どうせ帰る方向も同じなのだから、帰りはどっかで打ち上げでもしてこうぜ、奢るからさ」
人懐こい諏訪がそう一方的に決めて、帰りはそういう流れに決まった。佐村河内はむっつりとして何も言わなかったのだが、こういった人間とのやり取りに慣れてるのだろうか? 諏訪の方は無口な彼の意を汲むのに、まるで苦労する素振りを見せなかった。
そんなこんなで佐村河内のサークルをベースにして、午後は三人で東館を中心に冷やかして回った。一度、自分たちのスペースに戻って様子を窺ってみたが、もう白木は居らず諦めて帰ったようだった。
さすがに先輩に対してあれはなかったかなと反省し、フォローのメールでも入れておこうかとスマホの電源を入れたら、案の定と言おうか、白木のほうから藤木に対してメールが送られて来ていた。
「そういえば、あの人って俺のメアド知ってんだよな」
多分、みゆきが勝手に教えたのだろう。個人情報保護法とか知らないのだろうか。ともあれ、中身を確認すると、
「本日はお疲れ様でした。突然の来訪、ならびに不躾な行為をお許しください。つきましては、お詫びも兼ねて打ち上げをするなら、こちらで……」
などと言う内容がつらつらと書かれている。
恐縮して見えるが、多分行ったら同人原稿のことで吊るし上げを食らうのだろう……面倒くさい。けど、金持ちである白木の指定する店と言うのも気になった。きっと、美味いもの食わしてくれるんだろうな……
結局、藤木はサークルメンバーに了解を取ると、お言葉に甘えることにした。
閉会の余韻覚めやらぬ者達でごった返すゆりかもめに乗って新橋へ。指定された店は秋葉原にあったが、神田から歩いたほうが早いような場所で、グーグルマップで確かめると、建物が線路に重なって見えた。
その立地に思わず首を捻る。恐らく、電車が通るたびに会話が途切れてしまいそうな場所であろう。とても高級店が出店するような場所には思えなかった。友人たちが確認してくる。
「おい、藤木、ここなのか?」
実際に店の前まで来てみれば、それは違法建築としか思えないような古びた建物で、赤提灯と油と埃で黒ずんだ暖簾が、昭和のような哀愁を漂わせていた。
金持ちの白木が、これはないだろう……多分、メールにあった住所が間違っていたのだろうと、スマホをポチポチ弄っていたら、遠くから音も立てないで黒塗りのベンツがすーと近づいてきては、大きなクラクションを鳴らした。
「ごきげんよう、藤木様」
挨拶もそこそこに、白木は降車するや否や、戸惑う男連中をどすこいどすこいと突っ張って、件の建物まで押し込んだ。
え? まじでここなの?
藤木に疑問の言葉は許されず、強引に狭い店内の二階へと送られ……そして、冒頭のザマなのである。
「一体全体、どうしてあんなことになってしまったのです?」
土間に正座させられたまま、藤木は白木に糾弾された。
美少女に屈辱的な目に遭わされる。なんて甘美な響きであろうか。普段ならご褒美としか思えないようなシチュエーションであったが、息子が役に立たない今の藤木に、それは何も響いては来なかった。
「実はその……」
適当に誤魔化しても無駄だろう。藤木は観念して、ここまで至った経緯を話した。
「インポテンツ……」
白木は藤木の置かれた状況を知り、口に手を当て驚愕の表情で言った。
すみません、もう一度お願いします。いま録音の準備をしますから。
「それ以来、何がエロくて何がエロくないのか……分からなくなってしまったのです。何を見ても、何を聞いてもチンチンが反応しない。すると俺は、それが本当に良いものかどうか、自信がなくなってしまうんです。白木さんの言うような俺のリビドーは、全て下半身に直結していたんです。身を持ってそれを知りました……」
「しかし、セックスは脳みそでするものだと言いますが……」
「それもアウトプットあってのことです。射精を伴わないセックスは、脳みそになんの刺激も与えない」
「ド、ドライオーガズムという言葉あります!」
「あれだって、ふにゃって見えても、ちんぽは立ってるんですよ。前立腺が刺激されることによって、少なくとも輪精管と尿道が繋がっている。つまり発射態勢なわけです」
ニヒルに笑う藤木に、ショックを受けた白木はよよよとくず折れた。
「そんなことになっていたとは……あの、野獣のような藤木様は、もう帰ってこないというのですか?」
「誰が野獣だ失礼な……ええ、まあ、とにかくチンコを立たせんことにはどうにも」
ホルモン焼きをぱく付きながら、大原が茶々を入れてきた。
「実際、立つ立たないって大きいよな。エロいから立つ……逆説的に言えば、エロく無かったら立たないってことじゃん? とすると……ちんぽが立たない藤木には、すべてのエロがエロではなくなってしまってるのかも知れない。鶏が先か、卵が先かみたいなもんか」
その例えはやめよう。佐村河内がクリトリスについて熱弁し始めると困るから。
「確かに……私もエッチなものは、クリトリスがキュンと来る感覚で判別しているかも知れません」
酷い例えだが分かりやすいっちゃわかりやすい。つか、男どもはいっせいに正座するんじゃない。ばれちゃうだろ。
「そんなこととは露知らず、恥知らずにも藤木様のところへ押しかけて、申し訳ございません。私、穴があったら入りたいですわ」
「俺も穴があったら入れたいです。いかんせん、入れるための棒がこのザマなのですが。あははははは」
「うふふふふ。そうですわ、私、決めました。藤木様が性欲を取り戻すためなら、何でもさせていただく所存ですわ。藤木様のおちんちんを立たせるためだったら、フェラチオしたって構わない」
大原が飲んでいたホッピー……ではなく、気持ちよくなる液体を噴出した。
藤木は言った。
「なら、俺はお礼にクンニしますよ」
「でしたら、私達シックスナインですわね。うふふふふふ」
「あははははは」
料理を運んできた店のおっちゃんが、心底気持ち悪いといった顔を隠そうともせずに通り過ぎていった。気を取り直すかのように、諏訪が言った。
「おまえら、同じレベルの変態だな……まあ、性欲が無くなった状態つっても、結局藤木は藤木だってことか。ならもう、時間が解決するまでほっとけばいいんじゃね。おっちゃん、煮込み!」
「まあ、時間が許すならそれが一番なんだろうけどさあ……そうも言ってられないんだよ。さっさとどうにかせんと」
「ん? なんかあったっけ?」
「単純に不能のままってのが気持ち悪いってのと、ほら、あれだよ、究極のオナホ」
究極のオナホ。至高のオナホを捨てられて家出した藤木の父に、もっと凄いものを見せてやるから帰って来いと、後先考えずにぶち上げたあれである。
「まあ、親父ももうそんなに怒ってないみたいだし、しらばっくれちゃっても良いんだけどさ? でも、一度言ったからには、気になっちゃって」
「そういえば、そんなのあったな……メロンオナニーとかどうなんだ」
「うん、食べ物から離れようか。究極って言うからにはこう、一発でどうこうなるもんじゃ困るだろ」
「確かに……つか、そもそも究極ってなんだ?」
すでに相談済みの諏訪と大原と、内輪だけで話していたら、怪訝そうな顔の白木と佐村河内がこっちを見ていた。仲間はずれも悪いと思い、藤木は事の顛末をかくかくしかじかと説明した。
「まあ……そのようなことが……お父様、お若いですわね」
いや、アラフィフですよ? というか、この人、こんな話にまで食いついてくるのか……初めて知り合ったときからは想像もつかない。
……いや、懐が広くて、逆に話しやすいんだけど。そんな風に、白木に呆れているときだった。
「聞いた、ことが……ある……」
それまで、黙々と魚を解体し続けていた佐村河内が口を開いた。
「究極のオナホ……と言っていいか、分からないが、インターネットで出資を募って、オナホ製作をしている、変人がいる」
佐村河内が淡々と話すと、それにピンと来たのか、諏訪が後を引き取るように続けた。
「ああ……池袋か」
池袋(生主)、とは、インターネット放送で、オナニー中継するという変人で、将来的には永井兄弟のように、配信業で生活するのが夢であると言い放った駄目人間である。
認識されだした始めてのきっかけは、エアセックスと言う単語をインターネット検索すると、何も無い空中に向かって腰を振り続ける男が、「うっ」と言う掛け声とともにドロっとしたものを飛ばす動画で、参照数が少なすぎて消されずに残っていたそれが知れ渡ると即祭りとなった(その後1時間で削除された)。
配信は24時間いつでも気が向いたときに始まり、大抵運営に消されて唐突に終わる。恐らく仕事などしていない生粋のニートであるというか、本人がそう言っており、fc2にアフィサイトを持っていて、その収益とカンパで生計を立てているとは専らのうわさであった。
特に大口のカンパをするリスナーを超越者として優遇し、配信スケジュールのメルマガ配信や、自分の実演したオナホ、引いては将来的に開発する予定の、「もの凄いオナホ(仮)」を優先的に販売する(あげるとは言ってない)と約束しているらしい。
最近では、野外露出にも目覚め、浅草の三社祭でドロっとしたものを飛ばすと公言したため、威力業務妨害で逮捕された。筋金入りのキチガイである。
藤木もその存在は知っていた。
ある日、オナニーで死んで、小町に生き返らせてもらったとき、苦し紛れにエアセックスと言ったら検索され、例の動画がヒットしてしまったという偶然からだ。因みに小町はガン見していた。
「そうか、池袋か……いや、でもあれ、口だけだろ? 実際にオナホ製作してるとは到底思えん」
「だよなあ? まあ、性欲過多なところは見習う面もあるし、実際に話す機会があったなら、何かインポ脱出の切っ掛けくらいは、作れるかも知れないが……」
「しかし、いつ配信するか分からないしな。配信しても、すぐに立ち見になるし、コメントを拾ってもらえるとは思えん」
「寧ろ、インポとか嘘ついてんじゃねえ! くらい言われそうだよね」
と、男たちが話しているときだった。
「その……その人と知り合う切っ掛けがあれば、もしかして、藤木様の病気も治るのでしょうか?」
ボソッと小さな声で白木が聞いてきた。
実際に役に立つとは思えなかったが、
「そうですね。治る治らないはともかくとして、少なくとも究極のオナホ作りの参考くらいにはなるでしょう」
「そうですか……」
「なにか、心当たりでもあるんですか?」
「ええ……その……兄なんです」
「へえ、そうなんですか」
想像の埒外過ぎて、何を言われてるのか最初は分からなかった。
「……え?」
「兄です」
だって、想像もつかないだろう。
白木安寿はここまで来たら、もう紛うことなき変態漫画家であるが、それでも、それなりにいいとこのお嬢様である。運転手つきの黒塗りベンツなのである。
こんな変態兄貴がいるなんて想像もつかな……いや、意外とお似合いなのか?
「兄って……えええええええーーーーー!?」
いや確かに、金持ちには変態が多いという噂も聞いたことはあるが……
唐突にカミングアウトされた事実に、男たちがあげた驚愕の声を、ガード上を通り過ぎる電車が消していった。
白木はポッと顔を赤らめ、その様子を恥ずかしげに眺めてモジモジしていた。




