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藤木母はコンビニの袋を片手に家路をゆっくり歩いていた。
手ぶらで飛び出してしまったが、幸い携帯は持っていたので、丁度パート帰りに買い忘れていたものを、藤木の住む団地からはちょっと離れたコンビニまで買いに行き、暇を潰した。
先ほどは息子の部屋で、幼馴染の二人がおかしなことになっていたが、ぶっちゃけ見た目どおりの色っぽい話なんて、絶対にないだろうと高を括っていた。おおかた、いつものようにどつき漫才をやっていたら、ズボンが脱げたとか、いっそ自分から脱いだとか、そういった下らないことだろう。
息子と隣家の少女とは十年来の付き合いであり、出会った頃から小中高とずっと一緒、飽きもせず喧嘩と仲直りを繰り返し、二人仲良く育って現在に至る。
幼い頃は一緒にお風呂に入るなどという、ありがちな幼馴染関係を続けてきたが、ともすると距離が近すぎるが故の兄妹みたいな関係からか、それ以上関係が発展することは無さそうだった。
端から見てる分には、お互いに意識しているようにも見えるのに、歯がゆいものである。
そんなことを考えながら家まで帰ってきたが、団地の階段を登ってる最中から、近所迷惑この上ないドタバタとした騒ぎが伝わってきた。
あら、まだ帰っていないのかしらん?
玄関を開けると、息子の部屋からその幼馴染の罵声が聞こえてきた。
おや、これはもしかして本当に、ちょっと面白いことになってるのか知れない……などとデバガメ精神を発揮しつつ、改めて息を潜めて近づき、そっと扉を開けた。
相変わらず下半身マッパの息子が、ケツを高々と上げて床に寝そべっている光景が視界に飛び込んできた。
……我が息子はズボンをはくことを知らないのか?
などと不憫に思いながらも、ふと気づく。あれ? 何かおかしい。よく見たら、彼はピクリとも動いてない。
そう、まるで死人のように……
ぐったりと弛緩した表情で床に転がる息子に対し、小町が仁王のように荒々しい顔で罵声を浴びせた。
「くぉーの、くそむしがぁっ!!! あんたねぇ~……一日に、何べん死ねば気が済むのよっ!!!」
『いや、小町さんには重ね重ね恐縮なのですが……(注:幽霊になった藤木の声は、母には聞こえません)』
「きったないもの、何度も何度も見せてっ!? あんたは露出狂の趣味でもあんのかっ! っていうか何? どうやったらこんな格好で死ねるの? 意味わかんないんですけど、もうっ!」
藤木は布団に抱きついて、お尻を高々と上げながら死んでいた。
『いやその、なんつーか勢いで。ほら、二回目って一回目よりもね? 勃起力が殺がれるもんですから、ちょっと本気を出してみようかなーって……すんません(注:母には聞こえません)』
「あーもう、あーもう! ただでさえ、こんな馬鹿げたことで呼び出された上に、部屋に入ったらいきなり肛門が目に飛び込んでくる気持ち、あんたにわかる? 腰が砕けそうになったわよっ!」
『わかります、わかります。いや、自分も自分のケツの穴をまじまじと見る機会なんて中々無かったもんで。いやあ、それにしてもきったないっすね。毎日ちゃんとお風呂で洗ってるんですけどね、てへっ。あ、あとその、あんま見ないでいただけるとありがたいんですが(注:母には以下略)』
親兄弟にも判別がつかないくらい、顔面を殴打したい。
殺意の波動に目覚めた小町は、取り合えず、目の前にあったケツをパーンっ! と力いっぱい殴りつけた。
「ひっ……ひいいぃぃぃ~~~!!!!」
と、背後から、声が上がった気がしたが気にせず、手近にあった室内ほうきの柄を、躊躇無く藤木の肛門にぶっ刺した。
『ぎゃあああああ~~~~!!! お、おまえ、なにやってんの!?』
「うっさい! これで汚い肛門が隠れたでしょっ!!」
『おまえなあ! いくらなんでもやっていいことと悪いことが……って、あ! うそうそ! 俺が全面的に悪かったから、そんなグリグリするのやめてっ!』
「あたしの怒りを知れっ、主に肛門で!!!」
『ぎゃあ! やめてやめてっ、俺の処女が!』
「安心しなさい。この汚い物体は、死肉のいっぺんも残さずすり潰してやることに決めたわ。いまさらお尻の処女の一つや二つ……」
『話せば分かる! 話せば分かるから! すんませんすんません! いろいろと事情があったんですっ!』
「ほーれ、ほーれ」
『ぎゃああああ! やめてやめてっ!』
「はわわわわわわ」
「ほーれ、ほーれ」
『やめてやめて!』
「はわわわわわわ」
「ほーれ、ほーれ……?」
『やめてやめ……?(注:しつこいようですが母には聞こえてません)』
「はわわわわわわわわわっっっ!」
ああ、なんか似たようなことが最近あったなあ……と思いながら小町は背後を振り返った。
部屋の入り口で、扉にしがみ付きながら、藤木の母がガクブルしながら立っていた。
天丼か。
これまた、とんでもないところを見られてしまった。
「あ、お母さんお邪魔して……」
小町は破廉恥な場面をデバガメされてしまったくらいのつもりで、苦笑しながら軽く手を上げて挨拶しようとしたが、
「ひっ……人殺しぃぃいい~~~!!!!」
腰を抜かして四つんばいになりながら、今までみたこともない必死の形相で母親が逃げていった。
「……あ、あれえ?」
あまりの出来事に唖然としてしまい、追いかけることも出来ずに、小町はその場でぽかんと口を開けて固まった。藤木母とは仲が良かった。だから、あんな顔で見られるなんて信じられず、少なからぬショックを受けた。
その母は、ドスンばたんと盛大な音を立てながら、家から飛び出すと、転げ落ちるように階段を下りていった。どう見てもマジ逃げである。
『あー……小町さん?』
頭の中に声が響いて、小町は振り返った。
部屋には幼馴染の無様な死体が転がっている。
『いや、ほら、俺死体だし』
「……う、うわああああああああああ!!!!!」
思わず絶叫した。そうだ、死体なのだ。
つまり、小町はいま、発射完了の息子をぶらぶらさせながら高々とケツを上げた彼女の息子の肛門にほうきの柄をぶっ刺して、わけのわからないことを口走りながら高笑いしていたわけである。
見ようによっては殺人現場だ。しかも、かなり猟奇的な。
「どどどどど、どうしよう!?」
『いや、どうするもこうするも、そろそろ生き返らせてよ。フォローするし』
「あ、うん」
元々そのために呼ばれたのだ。怒りに任せて突っ走ってきたせいで、すっかり忘れていた。しかし、このまま生き返らせるのも癪である。そもそもの元凶は、こいつが死んだせいじゃないか。なんで自分がこんな仕打ちを受けねばならないのか。
釈然としないまま、小町は藤木の死体に近寄り、心臓マッサージをしやすいように仰向けに寝転がせた。
でろりんと、グロテスクな物体がまろび出た。花も恥らう乙女である。なんでこんなもの何度も見せ付けられねばならないのか……
と、そんな時、小町はふと思ったのである。
「ちょっと待ってて?」
『ん? なんだよ』
彼女は返事を待たずに部屋を出ると、台所からティースプーンを持って帰ってきた。
何をするのかしらん? と呑気に見物していた藤木は戦慄する。
小町は藤木の気道を確保するように口を半開きに開けさせると、その中にスプーンですくった精液をドバドバと……
『ぎゃああああああ! ちょちょちょっ! あんたなにやってんの!?』
一適残らずぶち込んだ。そしてにっこり笑い、
「それじゃ、いってみよう」
本当にいい笑顔で心臓マッサージを始めたのである。
『ぃぃぃいいいいやあああぁぁぁぁ~~~~!!!! やめてっ! 小町さん! 死んじゃうっ! 死んじゃうっ! 死んじゃうからっ!!』
「むしろ生き返れ」
藤木は泣き叫んだ。だが、無情にもまた以前に感じた、白黒反転するような眩暈が訪れて……
「んがぐぐ」
重力と、倦怠感と、なにか喉にからまる青臭いものと一緒に彼は目覚めた。