ノーオナニー・ノーライフ
カチカチとマウスをクリックしてエロ動画を漁りながら、友人のオナニーが終わるのを待っていると、なんだか物悲しい気分になってきた。小町は、いつもこんな気持ちだったのかな……と申し訳なく思っていると、いよいよ下半身は萎縮するのであった。
偶然開いたページは無修正ホモビデオを延々と垂れ流すサイトで、大量のガテン系兄貴たちがオッスオッスとはにかみながら、屹立し怒張したペニスを隆々と天に向かって聳え立たせていた。
藤木は思わずごくりと唾を飲み込むと、「すごく……大きいです……」と呟いた。
各々トイレと風呂場に消えていった友人たちは、帰ってくるなりその光景に直面し、眩暈に見舞われふらつきながらも、がっちりと藤木の肩を掴んで椅子に座らせた。
「藤木……おまえは病気だ!」
「あっはい」
肩をバンバン叩かれながら断言される。
「勃起しない男なんて、牙を抜かれた虎に等しいぜ。ノーオナニー! ノーライフ!」
「だが安心しろ。俺たちは絶対おまえを見捨てたりしない」
「くっ……ありがとよ」
いや、自分でもそう自覚しているつもりであったが、改めて言われるとへこたれる。しかし、意外と他人事のようにも感じられるので、きっと癌患者なんかも医者に告知されるときはこんな気分なんだろうな……などと、よく分からない感想を抱きつつ、ぼんやりと友人らを眺めていたら、彼らは顔を見合わせて溜め息を吐き吐き言うのであった。
「なんか、こいつ……」「……澄んだ、良い目をしてやがる」「あの欲望に濁りきった藤木が……」「どうする?」「どうするもこうするも……放ってなどおけないだろう」「そうだな」「よし、まずは勃たせることから始めよう……」「よもや、友達の射精管理をする日が来るなんて……」「い、言うなっ! 怖気が走るっ!」
涙目の友人たちを、きょとんとした目で見上げる藤木の背後で、兄貴たちが喘いでいた。
「アツゥイ! アッツ! アツウィー、アツーウィ! アツー、アツーェ! すいませへぇぇ~ん! アッアッアッ!」
諏訪と大原は泣きながらブラウザを落とすと、藤木からほんのちょっぴり距離を取るのであった。
いや、別にホモになったわけじゃないよ!?
ダッダッダッ! 勝手知ったる他人の我が家。そう言わんばかりに、元気良く大原が駆け回った。彼は台所から片栗粉100cc・砂糖大匙1・水120ccを持ってくると、それをカップの中でネルネルネルネと、ダマにならないように透明になるまでかき混ぜ、沈殿する前に急いで電子レンジの中に入れた。
「ここで600Wで1分40秒。短すぎても長すぎても駄目です」
一体どこを見ているのか、誰に説明しているのか、分からないような台詞をほざきつつ、チーンと電子レンジから音が鳴ると、彼はあちちあちちとコップを取り出し、
「さらに一旦粗熱をとり、少しとろみのついた片栗粉水を、温度が一定になるように、均等によくかき混ぜます。そして再度レンジに投入、今度は余裕を持って3分間の加熱を指定します。実際にはそこまで時間はかかりません……焼成!」
気合一発そう叫ぶと電子レンジのスイッチを押した。
三人顔を寄せ合いながら電子レンジの中を覗きこむ。
ターンテーブルーの中心でグルグルと回っていたコップであったが、暫くするとその中身が白く濁ってきて……
「お……おお!!」
やがてモチのようにふっくらと膨らみ始めるのだった。
大原は頃合を見計らって、まだ加熱中であったレンジの中断ボタンを押すと、コップを中から取り出した。そして徐にカップの中心に箸をつき立て、ぐりぐりと中身をほじくり返し中央に空洞を作ると、得意げにそれを掲げ、どこぞの猫型ロボットのように宣言するのであった。
「片栗粉エックスー!」
説明しよう。片栗粉Xとは、水溶き片栗粉が高温で凝固する性質を利用して、自宅で簡単オナホールを製作してしまおうという、男たちのあくなき好奇心が生み出した、夢の結晶なのである。
その歴史は古く、昭和時代の文献からもその存在を臭わせる記述が多々見られることからも、恐らくは電子レンジが普及して間もなく生み出されたものであると、昨今の学会では主張する者が多い(主流派)。しかし、その用途のナイーブな特性から、Xの概念の伝達は遅々として進まず、実際に全国的な広まりを見せたのは平成の時代、インターネットが普及して以降と言われており、商用プロバイダサービスが始まった95年をX年とする学者も多い(革新派)。
近年の中高生であるならば、調理実習の際、クラスに必ず一人は現れる片栗粉マイスターによって、その存在は広く認知されているであろう。片栗粉Xは、人類最古の、そしてひいては、僕らのはじめてのオナホであると言って過言ではないのである。
「さすが大原……片栗粉マイスター48の頂点に立つ、Xの称号を持つ7人の神の1人とされるだけある……その色といい艶といい、さりげなく砂糖の共有結合を利用した強度の確保といい、実に良い出来栄えだ」
「いや、確かになんか凄いけどよ。そんな設定いつ作ったんだよ、おい」
「藤木、待ちきれないのは分かるが、そんながっつくなよ。今挿入したら、息子が大炎上間違いなしだぞ? もうちょっとXが冷めるまで、素数を数えて落ち着くんだ。3.14!」
「それは円周率だ」
突っ込むのも馬鹿馬鹿しいと思いつつも、藤木は突っ込まずにはいられなかった。
「つーかよ、片栗粉マイスターの技には感服するけどよ。けどこれで一体どうしろって言うんだ? チンポも立たないと言うのに」
だが投げやりに言う藤木の突っ込みもまたふにゃふにゃであった。
大原はその事実を忘れてたといわんばかりに、大げさにショックを受けると、前のめりに倒れた。
「そうだった……うかつっ」うかつ過ぎるだろう。「……するってーと、vinnyも駄目なのか? 自作オナホ界の二大巨匠だぞ!?」
「二大だか三大だか知らないが、立たないものは立たないんだ。しょうがないだろ。大体、そこまでするなら、もういっそ普通のオナホ買った方がいいんじゃないか。ぜってえそっちの方が気持ちいいだろ。労力に見合わない」
「だって市販のを買うなんて、恥ずかしいじゃないか」
片栗粉Xの製作過程を嬉々として語る、お前の方がよっぽど恥ずかしいと思うのだが……それはさておき、大原の玉砕っぷりをにやにやしながら眺めていた諏訪は、いよいよ自分の番がやってきたと言わんばかりに、肩を竦め、両手の平を上に向けてプルプルと震わせながら言った。
「やれやれ……これだから、西洋的な物質文明にどっぷりとつかったお子ちゃまは」
「なんだと!」
「知ってるか? インポは3つに分けられる。神経系の障害、血圧の問題、心因性の奴。この3つだ。あいつは……あいつは本物のインポだった!」
「いや、ネタとかいいからさっさと結論言えよ」
「要するに、適当にしごいてればどうにかなるなら、そもそもインポテンツなんて病気は成立しないんだよ。EDは物理的な刺激でどうこう出来る問題じゃないんだ。神経系の障害だったら俺たちにはお手上げだが……藤木の場合、血圧の問題はないだろう? まだ若いんだし。とすると、一番怪しいのは心因性だ。これをどうにかすればいいんだよ」
ちらりと諏訪が流し目を送った。
「何があったか知らないが、言いたくないならそれもいいさ。だが、もし心当たりがあるなら、その原因を取り除くことを意識するのが一番だろう。そうすることで自然と回復するに違いない」
「なるほど……しかしなあ……」
言わんとしてることは分かるのだが。
「だが、そんな簡単にことが運ぶなら、そもそもインポにはならないよな。原因が自分にあるとも限らないのだし。ならばこの際、そんなトラウマは横に置いておいて、新しい何かを探せばいいじゃない。ちんぽが滾る、新しい刺激をさあ!」
「……そう、上手くいくのかな?」
「始めから諦めてどうするんだ。だーいじょうぶ! 男なんてものは右手が恋人だなんて言っておきながら、しょっちゅう左手にも浮気する、気の多い生き物だろ? おまえだって身に覚えがあるはずだ。少し見方を変えてみたら、同じズリネタなのにあり得ないほど抜けたって経験が。そういうのを探すんだよ!」
「なるほど……」
「おまえのEDに引っかからないような、ピンポイントなネタがきっとあるはずさ。果報は寝て待て、昔の人は言いました。でももうそんな時代じゃないんです。地面を掘り起こしてでも探しに行きましょう! この世の、エロスを!」
そして藤木たちはインターネットの世界にダイブした。
エックスビデオ、FC2、桃色虹画像、一周回ってカリビアンコム……和姦、輪姦、手コキ、足コキ、腋まんこ、寸止め、スカトロ、アナルファック……数々のエロスを掘り起こしては、時にお互いの性癖を罵りあい、時に同じ乳尻に心をときめかせ、トイレ休憩を繰り返して、日がどっぷり暮れるまでそれは続けられたのであった……
「うぅ……もう……もう出ないよ~」
「あ~……こころが、ぴょんぴょんするんじゃあ~……」
そして七度目のトイレ休憩で、ついに諏訪と大原が力尽きた。
休憩を挟むたびに何故か消耗して帰ってくる彼らが、一体トイレで何をやってるのか不思議ではあったが、それはさておき、数々のエロ動画、画像を見せられて、頭が沸騰しちゃいそうな気持ちになりながらも……やはり、のび太は応えてくれないのであった。
どんなに素晴らしいおっぱいを見ても、どんなに形の良い尻を見ても、息子はピクリとも動かない。そんな藤木が、唯一反応をしたのは、
「……レズって、いいよな。生殖を伴わないセックスってのは、なんか安心できる。きっと、これが本物の愛って奴なんだって、優しい気持ちになれるんだ」
「ぜってえちげえよ!」「おまえは病気だ!!」
目が落ち窪んで、真っ黒なクマを作っていた二人が、左右から容赦なく藤木をどついた。握り締めた拳は、栗の花の香りがした。
結局、藤木の原稿の駄目出しから始まったエロ動画鑑賞会は、日付が変わりそうになるまで続けられた。途中で諏訪の家の人が帰ってきたが、普段からアホなことばかり繰り返してるからか、全く気にされることはなかった。
最終的に、藤木のインポは本物とされ、提出した原稿も受領されたのだが……帰り際、
「なんか、すまんかったな」
と、二人して謝られた。
多分、二人ともそこまで深刻だとは思っていなかったのだろう。しかし、彼らが良かれと思ってやってくれただろうことは、もちろん分かっていたので、気にしていないと言って、藤木は笑って分かれた。
帰り道の道すがら空を見ると、中天に真っ青な月が浮かんでいた。風も無い、音も無い、星も殆ど見えない都会の空の、どこまでも澄んだ薄いブルーを見上げていたら、なんだか涙が出そうになった。藤木はこみ上げてくる何かを、ぐっと胸の辺りに押しとどめると、奥歯を噛みしめながら、全力で夜の街を駆け抜けた。
同じ学区であるから、同じ町内を数百メートル駆けただけなのに、藤木は息を切らせて噴出す汗を拭った。もう、深夜と言っていい時間帯なのに、ヒートアイランドの夜は未だにアスファルトの溶けそうな気温だった。
団地に戻ってきて階段を登る。朝に拉致られたっきりであるから、鍵も持っていない。まだ誰か起きていることを期待しつつ、玄関のドアノブを回すと、そんな不安など杞憂であったと、あっさりと扉は開いた。
室内に入ると、玄関や自分の部屋は真っ暗だったが、まだリビングに明かりはついており、恐らく父か母がまだ起きているのだろう、かちゃかちゃと食器を鳴らす音が聞こえた。取りあえず、
「ただいまー」
と、帰還を告げる挨拶をすると、藤木はそのリビングには向かわず、自分の部屋へと足を向けたのだが……
「おおお、お兄ちゃん、ちょっと!」
バタンッ! とリビングのドアが開いて、血相を変えた天使が手招きした。
なんじゃろか? 面倒と言った表情を隠そうともせず近づいていくと、天使はおろおろとした顔で藤木の手を引っ張り、かと思うと背後に回り、ぐいぐいとその背中を押すのであった。
「ちょっとちょっと!」
抗議の声もお構い無しに、押しだされた藤木がリビングに足を踏み入れると……
そこには妖怪絵巻から飛び出してきたような餓鬼がいた。
ぴちゃぴちゃ……くちゃくちゃ……ずるずる……
キッチンにはうず高く積まれた精肉用トレイ、ビニール袋、コンビニ弁当の空き箱が転がり、ありとあらゆる食材のくずが散見された。何事かと、ダイニングテーブルの上を見れば、そこには空いた酒瓶が何本も転がっており、その中央に、異様な目つきをした母親が手づかみで肉をくっちゃくっちゃと口に運んでは、スコッチのビンをラッパ飲みして腹に流し込んでいた。
朝もあれだけ食ってたと言うのに……藤木は、ドン引きを通り越して恐怖を覚えていたが……やがて、はっと気づくと、
「ぎゃあああああああ! 何やってんだ、母ちゃん!」
無茶苦茶に食い物をむさぼる母親に飛び掛り、羽交い絞めにしてテーブルから引きずり下ろした。
「放せっ! 放してよ、藤木ぃ!」
「あほっ! 何やってんだ、一体。あんた一人の体じゃないんだぜ!?」
身重の母親が、酒で顔を真っ赤に染め上げ、明らかに妊婦のそれとは違う感じに腹をパンパンにさせていた。何があったのかと天使に目配せするが、彼女はオロオロとしているだけで役に立ちそうもない。
「いいんだもん! いいんだもーん! もう離婚よ! 離婚っ! お父さんとお母さんは、今日、別れました! だから、もう知らないんだもん! うわあああーん!!」
「離婚!? おい、ちょっとちょっと、聞き捨てならないんですけど……」
「うぇ……うぇ……うぇあ」
そうこうしてると、羽交い絞めにされた母親が、藤木にぐったりと体重を任せて泣き出した。潰れそうなくらい重い。
「ぎゃああ! 重い重い! 一体何があったんだ!?」
「うおぉぉお~! あぁっあっ! うあぅあ~あぁぁぁぁ~~~! うわああああぁぁぁぁ~~~!!! あぁっ! あぁっ! おえああああ~~~! うああああ!!」
号泣である。これじゃ埒が明かないと困惑していると、ようやく冷静になったらしい天使が近づいてきて耳打ちした。
「にゃあ……夕方、お父さんが帰ってきたにゃ……ところが、お母さんが彼の留守中に、大事な物を捨てちゃったらしくて……怒ったお父さんが家を飛び出したのにゃ」
「なんだって?」
父親は出張出張で殆ど家に寄り付かないが、家に居るときに限れば結構な趣味人であった。野球観戦に限らず、サッカー、バレー、あらゆる球技に精通し、鉄道模型やプラモデルなんかも年甲斐も無く詳しい。ディアゴスティーニの雑誌付録を集めては、休日にいそいそと組み立てる、そんな男である。
彼のコレクションは多岐に渡り、それなりに価値のあるものであったが、しかし、他人からしてみればガラクタにしか見えないもので……恐らく母親も悪気があって捨てたのではなく、間違って捨ててしまったのであろう……藤木は溜め息を吐くと、
「ああ、もう、わかったわかった。俺からも謝っておいてやるから、機嫌直せよ。体に障るだろう?」
「嫌よっ! もう、お父さんなんか知らないわっ!」
「そんなこと言わずにさあ……つか、あんた、一体何を捨てちゃったの? 買える物なら俺が買ってくるから……」
「……ホ」
「え?」
母親はそれを思い出したらまたムカムカしてきたのか……羽交い絞めする藤木の手を振り払おうと暴れ出すと、力いっぱい叫ぶように言った。
「オナホよっ! オナホッ!!! 相手が人間だったらまだマシよっ! お父さん、お母さんなんかよりも……オナホがいいのよおおおーーー!!!! ああああああああぁぁぁ~~~~!!!!」
深夜の閑静な住宅街に母の絶叫が木霊した。
藤木は顎が外れそうなくらい、あんぐりと口が開いて閉じることが出来なかった。
その叫びは1キロ四方に響き渡って、翌日、藤木は諏訪に爆笑され、近所の人々から目を逸らされ、可哀相な子扱いされるのだった。
夏の太陽が猛威を振るう八月。オナホを捨てられた藤木の父は家出した。
息子は勃たず、親父は家出。頭を抱えたくなるような出来事が続く中、夏はまだ始まったばかりなのである。